田山花袋のレビュー一覧
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「蒲団」
弟子にしてくれと押しかけてきた若い娘に
スケベ心を抱きながらも、手を出す前から他の男のところに
逃げられてしまう
それは理不尽なことには違いない
俺はおまえのパパじゃねえ、ぐらいのことは言いたくもなるだろう
けれども旧来からつづく封建的・儒教的な価値観と
西洋文化に由来する、いわゆる近代的自我との板ばさみにあって
この時期の文化人は
自由をとなえながらも、みずからは自由にふるまえない
つまりエゴイストになりたくてもなれないという
そんな苦しい立場、ダブル・バインド状態にあったのかもしれない
森鴎外とエリスの関係など見るに
けして花袋ひとりの問題ではなかったはずだ
しかしそういう、ある種の煮え切らなさ・女々しさは
現実と真正面から向き合って生じるものでもあるのだから
それがそのまま
近代日本においては「男らしさ」と呼べるものでもあったのだ
男はつらいよ、ってそういうことですね
「重右衛門の最後」
さんざん甘やかされながらも
よその子供から身体的特徴(でかい金玉)を馬鹿にされ
屈折して育った重右衛門は
祖父の期待を裏切って悪人になり
最終的には、村人の集団リンチで処刑されてしまうのだけど
日本では、悪人も死ねば許される風潮があるので
なんか名誉回復もしたしよかったんじゃないの、という話
大江健三郎の「万延元年のフットボール」や
町田康の「告白」などに、今も受け継がれるテーマだ -
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自然主義文学のさきがけといわれる『蒲団』に、中編作『重右衛門の最後』を併録。明治の雰囲気が伝わってくる文体と精神背景が味わえて、なかなか楽しむことができました。
『蒲団』は、生活に倦怠感をおぼえている主人公の小説家に、田舎から美少女が小説家になりたいと弟子入りしてきたことから起きる恋のさや当ての物語です。(笑)「妻に子供を奪われ、子供に妻を奪われて」生活に倦んでいた主人公は、弟子入りしてきたハイカラで発展的な精神を持つ美少女に恋心を抱くが、師として監督する立場でもあることからその苦悩が始まる。弟子の美少女の誘惑にも自制してきたのだったが、ある時、ろくでもない男が恋人になったと知ったことから、主人公の煩悶が始まる・・・。
主人公の小説家の葛藤する様は、本来苦しい想いが伝わってきても良さそうですが、設定が設定だけに現代人にはなぜか可笑しみもあって(笑)、美少女の父親や恋人の男のふるまいにも突っ込みどころ満載なので、意外と軽いノリで楽しめました。(笑)最後の「書名」のもとになっている主人公の行動は、マニアックなフェティシズムに溢れていて、可笑しみの頂点に達するとともになかなかの名場面でした。あ~、という何とも言えない感じが良いです。(笑)確かにこれは泣けてくるし、もふもふしたくなる気持ちもわからなくはない。(笑)
『重右衛門の最後』は、信州山奥のとある村で発生した放火事件とその村としての決着について、旅行者としてきていた主人公の目を通してたんたんと描かれる。学生時代に友が語った故郷の信州の美しい自然に魅かれて、主人公は友を訪ねてその地に到来する。そこでは折しも重右衛門という人物が主犯と目される放火事件が相次いでおり、主人公が到着した夜にも火事が・・・。
信州の自然がきれいに描かれているのを対照として、夜に人為的に発生する火が彩りよく、視覚的イメージが面白い作品だったと思います。身体に劣等感を持つ重右衛門が次第に凶悪化し、村に反発していく様子は自然への反発という意味にもなるのでしょうか。これも主人公が傍観者であるが故に、重右衛門の苦悩を深化させることができず、割と軽い調子で事件の推移を見守るような感じです。
「解説」では田山花袋にむしろ辛辣気味な評価なのには驚きました。(笑) -
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田山花袋文学忌、花袋忌
…蒲団忌で良いのではと私は思う。
1907年の作品
私生活を告白して私小説的傾向に傾く
自然主義文学の一作
私小説なんかーい!
日本文学初の私小説と言われており、
その赤裸々な告白に当時の文壇に衝撃を与えたとか
あらすじは
36歳作家妻子あり
地方から美しい女学生が弟子入りを希望してくる
文学をやる女は美しくないだろうと思っていたけど、美しかったのだ
最初は、健気な女子だったけど、恋人ができる
引き離そうとするが、上手くいかず
怒った作家は、父親の居る郷里に帰らせる
女弟子が去った後、彼女が使っていた夜着物と蒲団に顔を埋めて泣く
弟子とその恋人にもモデルがあり、個人情報漏れまくりではあるまいか
ギリギリ師として理性を保っていたけど、
ラストは、思いっきり残り香を堪能する
妻は三人目を妊娠していたが、何かの間違いで死んだりしないかななんて思っている
妻がいなければ結婚したのにとか思っている
信頼される常識人としての作家の妄想の世界でした
「重右衛門の最後」
生まれつき肉体的障害を持ち
祖父母に溺愛され育った重右衛門
一見平和な山村で毎晩起きる付け火
犯人は検討がついている
父母に見捨てられ、不具の為友人にも馬鹿にされ
散財で財産を食い潰した重右衛門だろう
たまりかねた村人達は、重右衛門を事故を装い最期にする
閉鎖的山村で信用を回復できず堕ちていった男
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日本文学における私小説の走りと言われる田山花袋の代表作。
そこそこ売れた作家である主人公(竹中時雄)の元に美しくて若い女学生(横山芳子)が弟子としてやってくるところからストーリーが始まる。
時雄には妻子もあるが、やがて芳子に恋心を抱くようになる。芳子の恋仲である男子学生も後を追うように上京し、時雄は嫉妬を感じながらもやり場のない自分の恋心に悶えながら日々を送ることになる。
この主人公は田山花袋自身がモデルであり、彼が自分の若い女弟子に下心を抱いていたというのも事実に近いものであるらしい。
この作風というか設定が当時の日本の文壇に衝撃を与えた、と聞いて読んでみた。
100年以上前に書かれた小説であり、時代背景や表現が古いことを差し引いてもあまり面白いとは思えなかった。
これがなぜかを少しだけ客観的に分析してみたところ、こうした光景が現代にはありふれているからではないだろうか。100年の時を経てこのストーリーは陳腐化したのだ。
印象的なのは、周囲の人間がやたらと芳子の貞操に拘り、かつ若い人の「ハイカラな」考え方を遠いものとして捉えているところ。時雄と芳子は精々十何歳しか離れていないのに、まるで考えが違うようなことを時雄や妻は折々で述べる。
さらに、時雄は「温順と貞節とより他に何も持たぬ」自分の妻を比較して、芳子の闊達さを褒める。
「女子ももう自覚せんければいかん。父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。」とまで言ってのける。
これは明らかな矛盾であり、自分の思想と気持ちの折り合いがついていないように見える。それだけ当時の情勢(物理的にも精神的にも)の移り変わりが速かったということだろうか。
10年そこらで、少なくとも精神や文化面でここまで変化することは現代では見られない。そうした意味では100年前の方が余程「VUCA」の時代だったのかもしれない。 -
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ネタバレ36歳の作家・竹中時雄が、女弟子の横山芳子に恋人ができたことに嫉妬する話。大人らしく分別ぶってみたり、親に知らせて二人の仲を裂いてしまおうかと悩んだり、イライラしてはやけ酒をあおって癇癪を起こす。
自然主義の代表作とされているのでもっと淡々とした内容かと思っていたが、案外面白かった。
「時雄は悶えた、思い乱れた。妬みと惜しみと悔恨(くやみ)との念が一緒になって旋風のように頭脳(あたま)の中を回転した。師としての道義の念もこれに交って、益々炎を熾(さか)んにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮の膳の上の酒は夥しく量を加えて、泥鴨(あひる)の如く酔って寝た。」(p.27)
「かれの経験にはこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ず、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶、その苦しい味をかれは常に味(あじわ)った。」(p.28)
「妻と子――家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供の為めに生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂莫たらざるを得るか。」(p.67)
そして、小さな山村の連続放火事件を扱った「重右衛門の最後」がそれ以上に面白い。前半は旧友との思い出と再会、後半は放火犯の重右衛門の半生を描き、最後は意外な結末を迎える。紀行文的な描写も美しい。
自然の欲望のままに生き、村の掟や習慣とは相容れなかった重右衛門の死を目の当たりにし、厳しく雄大な自然を服従させようとしてきた人類の歴史、自然と人間の相克関係に思い至る。
『金閣寺は燃えているか?』でも指摘されている通り、福田恆存の解説はまったく褒めていない。
「おもうに『蒲団』の新奇さにもかかわらず、花袋そのひとは、ほとんど独創性も才能もないひとだったのでしょう。」(p.219)
「たしかに花袋はわが国における文学青年のもっとも純粋で典型的な代表者だったといってよい。 (中略) 文学青年とは一口にいえば、芸術家の才能なくして、芸術家に憧れるものです。」(p.226) -
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ネタバレこの私小説は、田山花袋自身の身に起こった出来事を告白した自伝の様なものだったので、花袋がどういう人物だったのかや、花袋自身の当時の感情などが非常に近く感じられるものだったと感じた。
この小説の思想性に関して、最後のクライマックス場面で(「女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。〜心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」一一〇頁引用)とあるが、女(芳子)の油と汗、そして匂いと、においについて文字の使い方や表現の仕方が違うことに気づきその作者の思想性は何なのかを考えた。
油と汗は本質的には同じで体内から排出されるものであるが、油といえば体臭の匂いなどが想像出来るまた、汗は油よりも体から出るものになるのでその女の身体から出たものを素肌で蒲団に触れて感じ取る事によって、少しでもその女に対しての感情や想いなどが思い出されたり、そこに居るはずの無い女(芳子)がいる様に感じ取られるのでは無いのかなと考えた。また、「匂い」と「におい」にしても、良いに匂いの「におい」と、例え少し臭くても愛している人の「匂い」は愛おしく思えたりすると考えたのである。したがって、筆者は故意に「匂い」と「におい」で書き方を変えているのではないのかと考えた。さらにまた、時雄自身が女の蒲団を引き出して匂いを嗅ぐ時に女の匂いを分析する程の敏感な神経(女を愛するあまりの)が非常に備わっていたのだと感じる。このことから女に対しての花袋のもの凄く深い愛がこの作品に強くあらわれていたと感じる。 -
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女弟子に密かな劣情を抱く時雄。文明開化のうねりのなかで若き学生との恋に惑溺する女弟子。善良で不埒な時雄の懊悩を赤裸々につづった「蒲団」。
閉鎖的な田舎村で起こった私刑を第三者的に見つめる「重右衛門の最後」。
前者は、いまいち踏ん切りのつかない時雄にいらいらしつつ、いつ堰を切るのかとドキドキしていたけど、結局、中途半端に終わってしまった時雄が終始身悶えする姿に、なんだか善良さを脱しきれない人間にありがちな苦悩を感じ取れました。
一方、後者は、ここ最近少し話題になっているインターネットによる私刑に通じるところがありまして、しみじみと思いを馳せながら読んでいました。
それはそうと、褒めているんだか貶しているんだかよくわからない解説はなんなんですかね笑 こんな辛らつな解説には初めて出会いましたよ。 -
Posted by ブクログ
嫉妬というと、"女の"嫉妬なんてわざわざ"女"を強調したりすることが多いが、なぜだか"男の"嫉妬、という言い方はあんまりしない。でも別に、嫉妬という感情に男女の別があるわけではない。ただ、男は嫉妬を「権力闘争」や「大人の対応」なんて言葉で都合よく包み隠しているだけだ。
文学者である竹中時雄の元へ、文学を志す女学生からの熱心な手紙が届くようになる。彼女が後に正式な弟子として受け入れることになる芳子。かつて情を燃やしたはずの妻にも飽き飽きしていた時雄は、芳子にいつしか好意を抱くようになる。芳子の恋人である田中との仲を芳子の"師"として諭し心配するフリをして、内心は嫉妬心を強くするひとりの中年男性の苦悩を描く。
話が進めば進むほど、この身勝手な中年男子が変態的にすら思えてくる。男が理想的な女を規定したがるのは現代にも通づるものがあるが、そのくせ自分は嫉妬心を燃やし、芳子を失えば彼女が使っていた蒲団の匂いを嗅いだりするのだ。
こうした男の女に対する態度だけでなく、旧式の女性(時雄の妻)vs新時代の女性(芳子)という世代間での対立構造もまた現代に通づるものがあって、明治時代とて日本人は根本的に同じなんだなぁと思ってしまう。従ってそこまで大きな違和感なく読めるが、「あぁそんなに嫉妬したんだねー大変だったんだねー」以上の感想は抱きづらい。私小説ってやっぱりこんなもの?そしてちょくちょく出てくるロシア文学が知識があることだけをひけらかしているようで逆に嘘っぽくないか? -
Posted by ブクログ
【禁断の恋に落ちる男の壮絶な感情劇!】
妻と子ども3人と暮らすある文芸家の話。ある日、田舎から文芸家に憧れる女学生が家にやってくる。それまでの生活に飽きを感じていた主人公にとって、そのことが大きく生活を変える。
女学生の美しい姿、素晴らしい才能に恋心を抱くようになる。しかし、それは許されることのない恋である。しかし、そうこうしているうちに女学生には恋人が出来てしまう。
恋人と結婚したいと懇願する女学生は、結局父親に連れられて田舎に帰ることに・・・。
女学生が去った部屋で、一人彼女が使っていた蒲団に顔をうずめて泣き崩れるところで話は終わる。
男の女に対する心情が、非常にリアルに描かれており、とても読んでいて臨場感がある。30代半ばは、当ストーリー同様に、夫婦の中に低迷感が漂う時期。自分自身が、そうならぬよう、何をすべきかを考えるきっかけにもなるのではないか。