福田ますみのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
実に胸糞の悪い一冊。
本として悪いのではない。書かれている内容があまりにも胸糞なのだ。
旧統一教会については、ぼく自身も学生の頃、大学に原理研なんてのがあって色々悪い噂を聞いていた。霊感商法の話も知ってるし、実際当時は街角で普通にちょっといいですかって宗教の勧誘とかもあった。あれが統一教会だったかは知らんが、少なくとも学園祭の一室に立派に発表があって、むっちゃ議論した。
だから色々叩かれてるのもさもありなんかと思ってたのは、もともと、頼んでもないのに一方的に偏った考え聞かされるの嫌いやし、多分、オウムとかの件もあったろう。合同結婚式の映像とも、ただアホなんか、としか思ってなかったというか、嫌悪してた。
大体、あの、教祖さま御夫婦の、すまん、信者の方には大変申し訳ないが、胡散臭さと言ったら、当時色々問題になった新興宗教というか変な集団がいっぱいあって、大差なく見えたし、その辺は今でも変わってないのだけど。
すっかり忘れてて、安倍元首相の暗殺事件後、旧日本を操ってきた悪の組織みたいに取り上げられて、だったらこんな風に叩かれるかよと見てたんだが、むしろ、コンプラ宣言とかやっててその後はほぼトラブルもないと聞いて驚いたくらい。
それがなんでこんなことになった。
だったら他にやばいとこいっぱいあるんちゃう。
そんな違和感というか、唖然とする感じ。こないだとうとう高裁判決出て読んだが、絵に描いたような結論ありきで、ほぼ相対論は間違ってるレベルの似非科学と変わらないと思ったのだが。
潰したい奴らが何十年頑張ったのね。
共産側とか、反日スパイ側とか。
そもそも、統一教会被害というのも、一人しかいないのを、募った。某慰安婦問題のスタートを彷彿させる。
全弁連というのだそうだ。
拉致監禁して棄教を暴力的に強制する。宗教で視野の狭くなった心にはそれも必要なのかなと昔ちょっと思ったこともあったが、あまりに酷い。信条に基づくものでなはく、最後は教団を訴えさせ、元信者として反教団として動員する。
転んでしまった宗教家は気の毒だ。
転んだ自分に罪を感じるから、必要以上に元の信仰を否定することになるのは当然ではないか。
司法も、それに目を瞑る。何より、今回の高裁判決に至る過程が物語る。
大体において、テロリストの主張を国が叶えてあげようって、控えめに言っても頭がおかしすぎる。しかも法解釈を変更してまで。
経済的に合理的でないお金の使い方は全て自律的な精神活動でなはく、強制されたものだという判断は、宗教の全否定と言っても過言ではなかろう。
だとしたら、あらゆる宗教、特にあそことかなんで放っておくか。整合性がない。
もちろん、著者の視点、教団関係者の言葉をどこまでまっすぐ受け止めるかということはあるが、著者自身、教団の教義自体を全面的に認めているわけではない。
問われているのは、法治国家としての日本の在り方だ。
とにかく一読をお勧めする。
どっち側に立つのではなく、何が起きているかは知るべきだろう。 -
無料版購入済み
学校教育現場ではモンスターペアレントという存在が認知されて均しいが、それの対応を誤るとこういうことも有り得るぞっていう一種の警告のような本書。そら怖ろしい
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Posted by ブクログ
映画を観た後、原作も読みたくなり購入。映画では描ききれなかった事実まで詳細に書かれており読んでいて胸が苦しくなった。実話なんて信じたくない。この作品は現代の風潮に警鐘を鳴らす作品だと思う。
川上の言い分を受け入れず大事にしないために保護者への謝罪を強要した校長に教頭、保護者の言い分だけを正当化し関係者周辺への取材を怠ったマスコミ、子供のPTSD診断なのに保護者の立ち会いを受け入れて正確な診断を行わなかった医師。誰も客観的な検証を行わなかったという事実が怖かった。私たち一般人はメディアが報じていればそれが事実だと信じてしまうもの。いつもテレビで見ているニュースですら真偽の程を疑ってしまいそうだ。
報道後、事件の行く末を報じないというのは私がいつもメディアに感じていたことだった。他にも取材しないといけない事案があるのだから仕方のないことだとは思うが、であるならば自分たちの報道に尚更責任を持ってほしい。その1つのニュースで人生を狂わされてしまう人がまた生まれないように。 -
Posted by ブクログ
映画で気になって原作?を読み切りました。以下、映画レビューと同様の感想を抱いたので記します。
強い言葉を向けられたとき、人は物怖じし、自分を守るために不健全な選択をしてしまう。その感情は立場や年齢の違いはあれど、先生も、少年も、はたまた校長や教頭も、本質的には同じものを抱えているように思えた。どの立場も自分自身が置かれても不思議ではない場面ばかりだった。正当性の是非を考える以前に、多くの人が、多勢している意見を真実だとおもってしまう。根拠の確認もせずに。人と人との関わり方もそうだとおもうけれど、証拠のない噂話には、尾ひれがつき、悪意ある脚色が加えられ、都合の悪い部分は巧妙に伏せられる。身内の言葉に耳を傾けてしまうのはどうしたって避けられないけれど、確証のないものは、自分の目で確かめて、確かめられないなら自分から関わって、そうしてそのひとの輪郭は自分自身で確かめたい。ひとからこう言われたとか、あのひとがそう言ってるからとか。そんなものを真っ向から信じる大人にはなりたくないとおもった。 -
Posted by ブクログ
どこにでもあるような街の、どこにでもあるような学校。どこにでもいるような母親と、どこにでもいるような先生。どこにでもあるようなありふれた関係、のはずだった。悪夢の“家庭訪問”までは――。
平成17年10月11日、沢渡夫妻の主張「教諭によるいじめ」はすべて夫妻の“でっちあげ”であると証言した、教諭・杉谷誠とM市教育委員会に対して、損害賠償を求める訴えを起こした。
教諭による“いじめ”および自殺強要が理由である。しかし、第1回口頭弁論において、全て夫妻の“でっちあげ”である、という杉谷の証言に始まり、予想をはるかに超える全容が明かされる。
時はさかのぼり平成17年5月12日夜分、沢渡家を訪問した杉谷は、美月の不思議な気迫に呑まれ、帰宅を切り出せず――。
2巻では、杉谷先生がどのように「教師に対するいじめ」という濡れ衣を着せられ、校長や沢渡夫婦の圧に負けて流されるように自分に身に覚えがあるかもしれないと認めてしまうくだりは、冤罪が作られていく過程が緻密に描かれていて恐ろしい。 -
Posted by ブクログ
ロシアの大手新聞社「コムソモーリスカヤプラウダ」のタブロイド化に、50名余りの記者が反対した。そこで1993年、これらの人たちが結成して創刊したのが「ノーバヤガゼータ」である。民主主義、言論の自由、基本的人権の尊重の重視、また一般市民や弱者の立場に寄り添って報道するという、ロシア国内では珍しいリベラルな論調で、インテリ層に向けた新聞である。
ソ連時代において、党や政府の機関紙であった新聞、雑誌の大半はソ連崩壊を機に厳しい検閲から解放された。ただしその代わりに、政府の補助金はなくなり、独立採算制となった。その後、エリツィンが政権を担って市場経済を導入してから、ハイパーインフレが起きた。その影響でさまざまなものの費用が高騰して、貧困層は購読する余裕がなくなった。その状況下でインターネットが普及したことで、一気に新聞離れが加速した。その為、多くのメディアはオルガルヒや政府系企業に買収されることにした。しかしこの道を選んだことで、報道の自由はかえって制限された。特にプーチン以降、国益を害する報道、国外のプロパガンダをロシアに浸透する報道に対しては厳しかった。それでもノーバヤガゼータはこれらに飲み込まれることなく、なんとか独立を保てた。