前田司郎のレビュー一覧
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『かっこよく見えた。自分も何か、葛藤を抱えたかった。俊介の人生には挫折と呼べる出来事も、人生を呪うような悲劇もなかった。』
『では俺はどうすれば愛と呼べるのだろうか? 愛するには相手を知らないといけない。どうやって知るんだ? 沢山話して? でも、会話によって相手の内面を把握しうると思うのもまた、容姿だけで人を愛するのと同じほど軽薄ではないか。』
「見た目がちょっと良いからってあんな芝居、気持ち悪いよ」
「気持ち悪いかどうかはあなたの主観じゃないですか?」
「俺の主観はあなたにとっての客観だから」
『水口は時々笑顔を交えながら、それは、自分が真剣になり過ぎていることへの言い訳のように見えて、余計に真剣さが伝わるような言い方だった。』
『水口は断らない。
この時間は、自分に言い訳するために必要な時間だ。悩んだ末、押し切られたという体裁が欲しいだけだ。』
『水口は今でも俊介を愛している。囚われ、視界を狭められ、ただそれを信じ続けることで、それの存在を証明しようとする試みを愛というのなら。』
『水口は嬉しそうだった。「懐かしいな」と三回くらい言った。俊介も「懐かしいな」と二回くらい言い、京子は一回だけ「懐かしいね」と言った。』 -
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愛なんてこの世にないのかもしれない、なんてちっとも感じなかった。
歪んでいて、醜くて、今にも消えそうで、でもここにあるのは確かに愛なんだと思った。
子供ができない夫婦。子供はできない。でも欲しい。あきらめる?どうしたらいい?そこに夫の提案を受けて、場面は溶けるように20年前の回想につながっていく。
京子と、俊介と、水口と。演劇を通じて出会ったこの3人の関係性がたまらなかった。
胸がぎゅうっとなる苦しさを久しぶりに味わった気がします。訪れるべくして訪れた破綻。破綻からの真実。どこかホッとしたけれど、よけいに苦しくなった。
みんな二十年分の歳をとり、そうしてもたらされたものに、どうにかなるはずも無いことに、「こんなの、馬鹿じゃないの」とそりゃ叫んでしまうだろう。叫ばずにはいられない。
でもそれこそが愛で。
だから、ふざけてるのかと思うぐらい滑稽で喜劇的なラストの展開にも、むしょうに悲しくなってしまった。
夫婦が、洗濯物を干しながら口論するシーンは見事だなぁと思いました。深刻なことを話し合いながらも、実際どこまでも日常の生活が営まれている。「何そのパンツ?」「特に意味は無い。良いでしょ?」「良いけど」みたいな唐突で不要なやりとりも然り。それらすべて安らぎだと思った。結婚してるってこういうことだ。
ストーリー、文体、世界観、まるっと好きな小説でした。 -
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『下界を覗く。一応雰囲気を盛り上げる為に、私は湖畔のような所に赴き、鏡のような湖面をひと撫でして、あくまでも演出にすぎないが、湖面から下界を覗く。』
『なんかだからもう一枚、レンズを入れてやってうまく補正すればこうスパンと真っ直ぐ届きそうな気がする。と、こんな喩えを使ってしまうのはわたしの消し去りたい過去ナンバーワン、1年生の時しばらく写真部に居たおいう事実のなせるわざでしょう。』
『名前は言葉だ。全くの暗闇、全くの無、それを言葉が照らし出す、それが世界なんだって、意味わかる?』
『恋っていうのは私が考えたんだけど、これは上手く出来ていえ色々なことが忘れられる。忘れられるというか物凄く視野を狭めてくれる。そして適度な絶望と希望を与えてくれる。この状態にいると人たちは幸福と不幸とをお互いに上手い具合に感じる事が出来る。この「お互いに」っていうのが凄く良く出来ている点なのだ。これが一人で出来ちゃうようだと途端につまらなくなる。ところが私は一人で出来ちゃうのだ。』
『最近の記憶を置いておく台があって、あ、脳の中に、最近だと思える記憶をそこに置いておく。私の最近の記憶を置いておく台は台というよりもテーブルくらいの大きさがあって何でもかんでもそこに置いてあるから大抵の記憶が最近に思える。古い記憶を引っ張り出して来ては仕舞わずにポイと最近のテーブルに置いてしまうから、どんどん古い記憶が最近のテーブルの上にたような溜まってしまう。だから本当に最近の記憶を置く場所に困って古い記憶用の棚の奥に仕舞ったりしちゃうから私の夫への気持ちはもう過去の記憶の様になってしまったんだろうか?』
『私は帰らないといけない。もうとっくに混乱は収まったはずでしょ。いつも通りの混乱に戻ってるはずでしょ。』
『理科の石田先生は言葉と言葉の間にほぼ必ず「ええ」を入れるそれが「いええ」に聞こえて、それを頭の中で分解していると「イエー」に聞こえてきて、それは一昔前のコンサートとかで一昔前の若者がのってるときに発する「イエー」や「イェー」に聞こえてきて、「この法則はイエー!」「現在の最新の研究ではイエー!」どうでも良い。ほんと、どうでも良い。』
『私は快楽に弱い女で、そのことに開き直って生きてきたつもりだったけど、本当はいつもそのことに後ろめたさを感じていた。私はそれを裏庭の奥の方の、あ心の裏庭ね、木の下の奥深くに埋めて土を被せて忘れようとしていた。』
『アルコールは弱い毒のようなものだ。人はいつでも少し死にたいと思っているから、その欲望を適度に満たす程度の毒だ。』
『もし私に名前がなかったら、誰からも名前を呼ばれなくなったら、私はなくなってしまうわけでもない。じゃぁ、この不安はなんだろう。それともこれは不安じゃないのかしら。私が不安と名付けたこれはなんなんだろう。教室の扉のガラスに額を押し付け校庭を見ながらこんな事を考えているなんて。いや、お恥ずかしい。本当に心が体の中にあって外から見えなくて良かった。こんな心を外から見られたら恥ずかしくてやっていけません。』 -
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映画の方を先に観た。映画の監督・脚本も前田司郎さんなので、小説は映画のストーリーと全く同じなんだと思って読んでみたら、結構色々な設定や話の流れが違っていて、映画は映画の面白さ、小説は小説の面白さ、ということ、書き分けがなされているのだということを、一つのこの作品を通して感じて、そういう点でも興味を持った。
映画も、小説も、人物同士のやりとりが、「こういう気持ちが自分にもあるな」というところがあるのが好きで、そして読後に少し前向きになるところがとてもいい。
小説の中で、好きな映画がなにか訊くという場面があって、そこで「そういうなんか、値踏みみたいになっちゃうから、駄目なんだよ」っていう台詞がある。この場面がいいなって思った。 -
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学生時代を思い出した。夜中に、友人4人くらいでふらっと車ででかけて、ラーメン食べて、適当に走って、海を見て、また適当に走って。ただひたすら楽しかった。ずっとこの夜とこの道が続けばいいと思った。そんな学生時代を思い出した。
追記:
読んだ後、ちょっとずつ振り返ってみたけど(読後、小説の世界感がなかなか居座って抜けなかった。じわじわと)登場人物の大事なところは結局ほとんど語られないままだったんだなあと。情報量は極めて少ない。それでもこの人物達やら距離感やらに共感しているのは、やっぱり同じような想いを過去も今も抱いているからなのかなぁとぼんやり考える。読む世代や時代が違うとたぶん文脈から感じることもきっと大分ちがうんだろうけど。
映画の予告編を見たけど、ちょっと小説と映画ではストーリーとか人間関係がちょっとずつ違うっぽい。 -
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スキヤキっていうのは日本人ならみんな知ってるはずだけど、家によってレシピが全然違ってたり、時には様相すら異なっていて、「え? おまえんちのスキヤキってこんななの?」って衝撃を受けたりもする。
そういう「一家伝来の食べ物」っていうのは、もはやその人の育ち方や流儀や価値観すら表す小道具なのだな、と思ったりした。
形なんてどうでもいい。特別な仲間と、特別な場所で鍋をつつく。
これぞスキヤキ。いや、スキヤキを超えたそれはもう、ジ・エクストリーム・スキヤキ。
大事なのは「何を食べるか」ではなくて、「誰と食べるか」、「どこで食べるか」。
「和食」が世界文化遺産に認定された昨今ですが、
日本人にとって欠かすことの出来ない重要なコミュニケーションツールであり、
そして時には湯気や匂いのように人の内面すら立ち昇らせてさらけ出させてしまう「鍋」という文化をこそ、
ぜひ日本の食文化の象徴として、世界に。 -
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久々の前田さん。
やっぱりこの感じ好きだなあ。
日常に侵食してくるグレーな感触。
それが何かは掴めなくて
無意識に覆われているような。
ぼやーんとしている大木夫妻が
さびれたデパートの屋上から
地獄へ温泉旅行へ。
設定は無茶苦茶なのに、
地獄ってどんなとこ??と読まずにはいられません。苦笑
うしろを振り返っちゃだめ、
沼に頭から入っていく、
あか鬼にあお鬼、
ビーフシチューのような温泉、
埋まっている猫、
とにかく出てくるものみんなシュールだし
大木夫妻も
何が面白くて笑ってるんだか
でも笑わないとおかしくなりそうな感覚でいます。苦笑
ただ、
そんな非日常空間に
めちゃめちゃ平凡なふたりが
時折ふっと人間味のある感情を思い返したりします。
そーゆーとこは映画で繊細に描かれてるんでしょうか。
奈落の裂け目を自由に行き来できる、蝶々。
ふんわり、ひらひらと飛んでいる先は奈落。
現実世界は奈落の底なのかもしれません。
でもきっと手をつないで。
美味しいご飯を食べて。
明日からもきっと平凡な日常なんだけど
それでも本当に少しだけ変わるかもしれない。
そんな一冊でした。
通勤途中で読んでましたが、
もっとゆっくり読みたかったなあ。 -
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夢もなく目標もなく確固たる趣味も主張もない。そんなとっても「今風」な大学生の独白。いわゆる「意識の流れ」で読ませる小説。
内面描写はとても上手。実に臨場感がある。
主人公が見た、感じたとおり、読み手にも感じさせる文章力には感嘆させられる。
ふと目にしたものから、考えが飛びに飛んでいつの間にか妙に壮大なことを考えていたり、結局結論が出なかったりするような物思いって、よくあるよなあ。と同感できる。
さてじゃあ、話が面白かったかというと微妙。
これは年代が近い自分からすると、実に「ふつう」な日常すぎて・・・。
いや、最後の美術館のくだりはあり得ないけど、それ以外は実にふつう。
ふつう、ふつうで来て、最後に美術館は意味がよく分からないし、夢に出てくる少女にも答えはない。
何か隠されているのかどうか。ただ読書体験としては面白かった。 -
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「僕は変わる。僕を貫いている確固たるものはなんだ。刹那刹那の僕を数珠のようにつなぐ糸はなんだ。記憶だろうか。人格なんてものが便宜上の言葉に過ぎないことはとうの昔に知っている。(略)僕はあの時元宮ユキとセックスをした自分と、今こうしてセックスをしたときのことを考えている自分が同じ人間だとは思えない。単に数珠をつないでいた糸がぶつぶつと切れて、刹那刹那の僕がころころと分離したにすぎないのかもしれない、いやもとから数珠をつなぐ糸などないのだ。きっと。」
みずからの無意識の世界までさらけ出して、自我の同一性や存在理由についての懊悩とそんな思弁を圧倒してしまう身体的な欲動とのたたかいが生々しく言語化されている。
そして、おのれ自身は変わっていなくても、世界のほうはすっかり変わっていたり、自分が思い描いていたものとは異なっていたりするかもしれない、という無気味さ。
「清潔で落ち着ける場所だと思っていた部屋のじゅうたんをめくって見たら裏にびっしり小さい虫がいたような、それまで何も気付かずに暮らしていただけで、この世界のじゅうたんの下にはびっしり小さな虫がいて、それを知る前も知った後も状況にはなんら変化がないのに、世界は無気味に変わってしまったように見える。」
ビジュアルイメージをまざまざと追体験させる描写力と、そのイメージと欲望との連想がすばらしく、圧巻のラストまで一挙に読み切ってしまった。