大川裕弘のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
直前に読んでいた『低空飛行』原研哉 (岩波書店)に引用があり、名著とのことだったので気にかけていましたが、書店でこの一冊を見つけて思わず持ち帰りました。時を経て読み継がれる作品は複数の出版社からさまざまな形式で刊行されますが、このような編集のものがあるとは知りませんでした。書店で実際に手に取って、紙面を見て選ぶというのはまだまだ重要だなあ、ということを痛感しました。
くらし、器、食、人と肌、そういったものに対する美意識が、日常の陰影とどのように結びついているかを明らかにしようとする著述です。西洋の感性と比べてどちらがどれだけ優っているか、ということではなく、どうしてこんな風に感じるんだろう、ということを理解しようとする試みでした。
同じような感覚が西洋にまったくないか、といえばそんなことはないと思いますが、なるほどと思える内容があちこちにあります。
ごく短い文章ですが、論考に並走する形で陰影の美しい写真がたくさん掲載されていて、たいへん見ごたえがありました。 -
Posted by ブクログ
幼少期、田舎にある祖父母の家に行くのが好きでした。
コンビニも街灯も無い、辺り一面田んぼで、夜はカエルの鳴き声が響き渡るほど田舎です。
そんな環境下での楽しみは星空を見ることでした。街灯が無い分、真っ暗闇に映る星空は圧巻でした。
著者の谷崎潤一郎さんは、美しさとは「光そのもの」にあるのではなく、「光と影が織りなす、微細なグラデーション(陰翳)いんえい」の中にこそ存在すると説きました。
重厚な石造りの建築の中で、いかにして暗闇から部屋を隅々まで明るく照らすか考えてきた西洋の文化が伝来し、影=悪、光=善のような考えが少しずつ浸透していきます。
そうして、和室の障子からうっすら差し込む光と影のコントラストといった陰翳が日本から失われていったといいます。
何事にも光をあてすぎず語りすぎず、いろんなものや情報が溢れている今だからこそ「引き算の哲学」を大事にしたいです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ耽美派と言われ、背徳の世界を描いた作品群という印象が拭えない著者。本作も「陰翳」の文字に、どこか淫靡で秘めごとめいたイメージをこれまで持っていたが、実は、軽妙洒脱なエッセイではないか? と著者の意外な面を垣間見た気になった。
明治生まれで、自分の生まれた年まで生きていたことを思うと、当時の男性にしては長寿だったろう。本書を記したころは50前後で、現代なら脂の乗り切ったところであろうが、
「早い話が、街頭の十字路を号令で横切るようになっては、もう老人は安心して町へ出ることが出来ない。」
と、日本の高度経済成長、一足飛びの発展に戸惑う老人としての感慨も述べていたりもする。うん、エッセイだな。
なにしろ、冒頭の方で、
「日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。」
と、いきなり小学生のネタか? と思えるような場所から語りはじめるのだから、どこか可笑しい。
「やはりああ云う場所は、もやもやとした薄暗がりの光線で包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧とぼかして置いた方がよい。」
これなど、マジで語っているのか、面白おかしく書いているのか、どちらだろうと笑えてくる。
ともかく、まずはPIE INTERNATIONさんの装丁、企画としての本書に賞賛を送っておかなければ。
このシリーズ、大川裕弘氏による写真との組み合わせでいくつか出ていて、去年、たまたま軽井沢に立ち寄ったときに現地の書店で『茶の本』(岡倉天心著)を見て、いいなと思ったもの。
それより先立ち、本書が出ていたが、勝手に恐れ多くて、手に取る順番が逆になったが、本書も、写真と共にキーフレーズが抜き出され、『茶の本』同様に、視覚的にも著者の意図を補完するような美しい写真と共に、非常に読み応えがある作りとなっている。
『茶の本』同様に、東洋文明、日本古来のアートセンスを、文字通り“礼賛”する内容で、日本文化に改めて敬意を払いたくもなり、誇りを感じることができる好著だ。
漆器や日本画の金箔のつかい方、その見方もさることながら、それらが置かれている日本家屋そのものの芸術性を高く評価しているところが白眉だろう。日本の美の全ての基礎は、建物からなるという論旨だ。
「寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も目立つものは、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にただよう濃い闇である。」
「左様にわれわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。」
「日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。」
こうして、漆器、建築のみならず、陶器や料理、能や歌舞伎といった芸能など、ありとあらゆるアートを語り、そこにある陰翳の意味を解いていくが、最後に記す一文が、自身の本分、文学に触れているところは、流石、『文章読本』を記した大作家だけのことはあると感心する。
むしろ結論は、そこにあったか?! とさえ思えた。
「われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へも呼び返してみたい。文学という殿堂の櫓を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。」
お見事!
※本書の翌年に上梓した『文章読本』も、改めて当たってみようと思った。 -
Posted by ブクログ
生まれたときからピッカピカに照らされた家で育ったため(父が蛍光灯好き)、光にも影にも鈍感なようで、谷崎さんが語る陰翳は私の生活からはかなり遠い存在。
古い建物を訪ねるのは好きで、この部屋でどのように暮らしていたのだろうかと想像してみる。雨の日に、窓を閉めてしまうと家の中は真っ暗なのだろうか。夜にお手洗いに行く途中、廊下に人が立っていたらさぞかし恐ろしいだろう、なんて思うのだが、上手に思い描くことができない。暗い家で暮らしたことがないからかしら。
当たり前に思っている私の感覚はひと昔前の日本人のそれとはおそらく全く違うのだろう。
谷崎潤一郎=文豪
かなり前に生きた人と思っていたのに、戦前、戦中、戦後を生きて、昭和40年に亡くなられたそうです。
ほんのちょっとまえじゃん!!と驚きました。 -
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「なぜ日本人はうすくらがりが好きなのか」。西洋文明への「負け惜しみ」を含んだ谷崎独自の東洋文明論。谷崎が「薄暗いトイレは落ち着く」とか「電球は暑苦しい」とかつらつら述べるんだけど、これが妙な説得力。ほほう、これが噂の「大谷崎」ワールドかぁ……ってなった。関東大震災で洋館の自宅を焼かれ、関西に移住した谷崎の「実感」がこもっているからだろう。
今の私たちは、スマホも含めて視覚を使いすぎだと思う。西洋の影響を受けた清潔で明るい家は快適だけど、刺激が多すぎて脳のバッファが足りなくなってるのかも。かつての日本人が持っていた、「陰翳」の中にじっと沈み込むような瞑想的な感覚を、情報過多の今こそ大事にしたいな、と感じた。
大川氏の写真もすごく良くて、「漆器の中に闇を見る静けさ」のような感覚がじわーっと染みてくる。
たまには部屋の電気を消して蝋燭でもつけて、スマホも置いて、この濃密な陰翳の中にどっぷり浸かってぼーっとしてみるのもいい。そんな、時間が止まったような「悠久」の怖さを味わってみたくなる本。 -
Posted by ブクログ
美しい写真とともに日本の美について綴られた随筆
すっかり明るい室内に慣れてしまった現代人からすると伝統ある寺社仏閣の薄暗さは不便であるように感じるが、そこに蟠る陰こそが障子越しの柔らかな光を、揺らめく灯火の明かりを、それに合わせて鈍く輝く螺鈿や波打つ金箔を、
奥行きのある美しさとして表現している。
特に金箔や螺鈿の美しさは、煌々と全てを照らす電灯の元では充分に発揮されないのだろうと気が付かされました。
文体は硬くなく、添えられた写真が綺麗なので引っかかることもなく読み進められます。
日本家屋に潜む闇は、野外の闇よりもザラザラとした手触りがる、そのような一文がありましたが、昔祖父母の家の片隅に蹲っていた闇は細かい砂粒のような印象を受けました。
日本家屋と灯籠で過ごすことはできないけれど、日本の伝統工芸などに触れるときは、追い払われてしまった陰を思い起こして日本の美について触れてみたいと思います。
古刹や伝統工芸に触れるときに思い出したい一冊 -
Posted by ブクログ
昭和初期に書かれた、日本における光の意味を教えてくれる本。
ほどほどのあかりで、見るべきではないものはそのままに。
当時の光の増大に対する違和感は、現代で言うところの、情報量の増大と似ていると思った。
西洋人は闇を排除し隅々まで明るく照らし、光による闇の討伐を目指した。一方で、日本人は闇と共存し、ある意味、一体化していた。
しかし、日本人は、親しい闇を、西洋文明の流入により、追いやった。
見るべきではないものを突きつけられ、どう対処すべきか、悩まされる。実は、悩む必要などなく、対処すべき事でもない。それとは、ずっと前から無意識に共存してきたのである。
鎖国によって生じた文明の遅延に対する劣等感から、西洋文明に追いつこうとするが、日本人の、無意識下の民族性が抗っている。
西洋人は、情報の取捨選択にたけているが、日本人は、侘び寂びや、静寂を愛でる繊細な民族であり、結局のところ、苦手なのである。