大川裕弘のレビュー一覧
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幼少期、田舎にある祖父母の家に行くのが好きでした。
コンビニも街灯も無い、辺り一面田んぼで、夜はカエルの鳴き声が響き渡るほど田舎です。
そんな環境下での楽しみは星空を見ることでした。街灯が無い分、真っ暗闇に映る星空は圧巻でした。
著者の谷崎潤一郎さんは、美しさとは「光そのもの」にあるのではなく、「光と影が織りなす、微細なグラデーション(陰翳)いんえい」の中にこそ存在すると説きました。
重厚な石造りの建築の中で、いかにして暗闇から部屋を隅々まで明るく照らすか考えてきた西洋の文化が伝来し、影=悪、光=善のような考えが少しずつ浸透していきます。
そうして、和室の障子からうっすら差し込む光と -
Posted by ブクログ
ネタバレ耽美派と言われ、背徳の世界を描いた作品群という印象が拭えない著者。本作も「陰翳」の文字に、どこか淫靡で秘めごとめいたイメージをこれまで持っていたが、実は、軽妙洒脱なエッセイではないか? と著者の意外な面を垣間見た気になった。
明治生まれで、自分の生まれた年まで生きていたことを思うと、当時の男性にしては長寿だったろう。本書を記したころは50前後で、現代なら脂の乗り切ったところであろうが、
「早い話が、街頭の十字路を号令で横切るようになっては、もう老人は安心して町へ出ることが出来ない。」
と、日本の高度経済成長、一足飛びの発展に戸惑う老人としての感慨も述べていたりもする。うん、エッセイだな -
Posted by ブクログ
生まれたときからピッカピカに照らされた家で育ったため(父が蛍光灯好き)、光にも影にも鈍感なようで、谷崎さんが語る陰翳は私の生活からはかなり遠い存在。
古い建物を訪ねるのは好きで、この部屋でどのように暮らしていたのだろうかと想像してみる。雨の日に、窓を閉めてしまうと家の中は真っ暗なのだろうか。夜にお手洗いに行く途中、廊下に人が立っていたらさぞかし恐ろしいだろう、なんて思うのだが、上手に思い描くことができない。暗い家で暮らしたことがないからかしら。
当たり前に思っている私の感覚はひと昔前の日本人のそれとはおそらく全く違うのだろう。
谷崎潤一郎=文豪
かなり前に生きた人と思っていたのに、戦前、戦中 -
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「なぜ日本人はうすくらがりが好きなのか」。西洋文明への「負け惜しみ」を含んだ谷崎独自の東洋文明論。谷崎が「薄暗いトイレは落ち着く」とか「電球は暑苦しい」とかつらつら述べるんだけど、これが妙な説得力。ほほう、これが噂の「大谷崎」ワールドかぁ……ってなった。関東大震災で洋館の自宅を焼かれ、関西に移住した谷崎の「実感」がこもっているからだろう。
今の私たちは、スマホも含めて視覚を使いすぎだと思う。西洋の影響を受けた清潔で明るい家は快適だけど、刺激が多すぎて脳のバッファが足りなくなってるのかも。かつての日本人が持っていた、「陰翳」の中にじっと沈み込むような瞑想的な感覚を、情報過多の今こそ大事にしたい -
Posted by ブクログ
美しい写真とともに日本の美について綴られた随筆
すっかり明るい室内に慣れてしまった現代人からすると伝統ある寺社仏閣の薄暗さは不便であるように感じるが、そこに蟠る陰こそが障子越しの柔らかな光を、揺らめく灯火の明かりを、それに合わせて鈍く輝く螺鈿や波打つ金箔を、
奥行きのある美しさとして表現している。
特に金箔や螺鈿の美しさは、煌々と全てを照らす電灯の元では充分に発揮されないのだろうと気が付かされました。
文体は硬くなく、添えられた写真が綺麗なので引っかかることもなく読み進められます。
日本家屋に潜む闇は、野外の闇よりもザラザラとした手触りがる、そのような一文がありましたが、昔祖父母の家の片隅に蹲 -
Posted by ブクログ
昭和初期に書かれた、日本における光の意味を教えてくれる本。
ほどほどのあかりで、見るべきではないものはそのままに。
当時の光の増大に対する違和感は、現代で言うところの、情報量の増大と似ていると思った。
西洋人は闇を排除し隅々まで明るく照らし、光による闇の討伐を目指した。一方で、日本人は闇と共存し、ある意味、一体化していた。
しかし、日本人は、親しい闇を、西洋文明の流入により、追いやった。
見るべきではないものを突きつけられ、どう対処すべきか、悩まされる。実は、悩む必要などなく、対処すべき事でもない。それとは、ずっと前から無意識に共存してきたのである。
鎖国によって生じた文明の遅延に対する劣等感