蓮見翔のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
数年前の四日間だけ一緒にいた2人。同じ時間を違う理由で大切にしていて、その違いは他者に伝えようとした時に現れて、生活から生まれた創作がまた生活を変えていく。漫画とドラマと現実が交錯するコメディ作品。
もともと演劇好きだったのと、装画が魚豊さんだったので手に取ってみた1冊。
基本、舞台に2人。
その2人の会話で紡がれるお話。
作中作が入れ込むので、はじめは少し人物把握に戸惑うかも。
読んでいけば、そういった設定になってる謎がわかってきます。
戯曲のままでも楽しめたけれど、やはりこの作品を1番楽しめるのは舞台、なのでしょうね。
演劇を流行らせたいという気持ちのつまったあとがきも共感しました。
昔は惑星ピスタチオ、劇団ショーマ、演劇集団キャラメルボックス、MOTHER、劇団新感線辺りをしょっちゅう観に行っていたのだけれど、しばらく舞台観に行ってないなぁ。
久しぶりに、別世界に連れて行ってくれる生の舞台を観に行ってみようかなと思わせてくる1冊でした。 -
Posted by ブクログ
「演劇界の芥川賞」とも称される岸田國士戯曲賞受賞作ということで、読んでみようかと。
すでに昨年公演済みのようで、舞台設定の写真が巻頭に掲載されていてイメージしやすかった。
内容は、メインストーリーのなかにドラマ撮影の様子が描かれる入れ子構造になっていて、登場人物は少ないもののもちろん人物描写とかもないし、名前と役がなかなか一致せず正直流し読みになってしまうところが多かった。
「え、アンチって自分より幸せなことあるんですか?」「え、アンチって全員貧乏なんじゃないの?」のくだりはおもしろかった。
戯曲を読み慣れていない自分を痛感したので、この作品の面白さをきちんと理解するためにいつかチャンスがあればぜひ舞台で見てみたいと思った。
この大冷笑時代に、蓮見翔さん曰く「イタくてダサくて面白くない」演劇は流行ってないかもしれないけど、そんなら読んでみるか&観てみるかという私のようなタイプも全然います。 -
Posted by ブクログ
ダウの戯曲を初めて読んだ。文字だけでも面白さが伝わるところはかなり多いけど、やはり実際の演劇を観たくなる。しかも今回の作品は役が複雑だから余計に。
どの作品でもそうだが、突拍子もない角度からの会話の切り口が彼らの会話劇を面白くしている。あってもおかしくないけど絶対にないだろうなというラインの会話だから笑えるし、あまりまだ言われていないあるあるを途中に挟むことでお客さんを置いていかない。(意図的に置いていくこともたまにあるけど)
あとがきを読むと蓮見さんの演劇をもっと流行らせたいという熱い想いが伝わる。この若さでここまで結果を出して、しかもそんな使命感を持っているのかと尊敬する。演劇界はつまらないしきたりやこじんまりした身内ノリを一旦捨て去って、若くて新しい人材にできる限り支援をして、敷居を下げていって欲しい。かく言う私もダウ90000の作品はYouTubeでしか観てないから、生で観てみたい -
Posted by ブクログ
冒頭、りんごのくだりは面白かった。
普段小説を読んでいるから、本作のような形式には少し戸惑った。話し手とセリフの内容が矛盾していることなどに、??となるが、後々になるほどこれはドラマの設定だからか、と理解できる。
セリフは口語で書かれてるから少し読みにくい。しかしそれは文字だからであって、声に出して読むとかえって聞きやすかったりするんだろうな。
インターネットのあるあるや流行も取り入れてるから、ついていけない人も多いと思う。
最後のオチがよくわからないが、一方で、少し素敵に感じてしまう。
スマホを叩き割るなんていうつまらないドラマのようなラストに、花島が興奮してgoを出し、主人公が「よし」と言うラストは、業界の悲壮感や可笑しさや世間とのズレをはらんで終えてるような気もして良い。
ラストのあとがきがアツい。だけど、演劇を流行らせたいのならインターネットの流行を書いて、老人達を置いてくのではなく、彼等も巻き込んで面白いと唸らせる作品をつくる必要があるのではないか。
岸田國士戯曲賞の審査員は今の流行に詳しいから内容がわかって当作品を評価できるけど、多くの一般人、それは老人達も含めてと言ったことだけど、世間はインターネットってそこまで流行ってない。
拘ってもいいと思う。しかし拘りすぎずに、多くの人がわかる、抽象化できるキーワードやセリフはもっと使っていくべきだと思う。
-
Posted by ブクログ
色気ってのは腹が据わった覚悟の有る人間が醸し出すもんだ 知る事の、大切さも無意味さも素晴らしさも恐ろしさも全てこの作品が描いています。 娘ヨレンタがノヴァクの感情の部分に触れる唯一の存在であるのにも関わらず 以降は信念というよりは最早執着 それこそ「アポリア」(相反する二つの見解が等しく成立する場合、解決の糸口を見出せない難問)だと思うんですけど。 ある意味、完全オリジナルを作るという欲望は幻想だったり。もう流石にこの世界には蓄積が有り過ぎるから、どういう組み合わせで更に新しい事があるかなって事を皆探求していると思います。 文化は大きな川の流れであるという事を良く言っているんですけど、文章、文節ってその流れの一部でしかないですよね。 何かにグッと偏ってる 僕には山口さんの世代が、個人と世界を接続する「社会」という中間項を成立させていたように見えるんですよ。 社会性を持つには自分自身のオリジナルな状態を維持しないといけないっていう 人間は結局、回顧主義だから未来のものを懐かしく感じて、過去のものを新しく感じるようなサイクルがずっと続いていく気がする。 地動説への強い憎悪を露わにするノヴァク 自分が『チ。』の物語の悪役だったと気付くところもメタフィクション(フィクションの中のフィクション)的で面白いですよね 『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』という曲を作った時は、サブカルチャーとハイカルチャーを融合させて、日本の詩吟とダンスミュージックとクラシックの三角関係を曲にしようと考えたんだけど、純粋にメロディを作ったり歌詞を書いてる時は、ほぼ「無」でやっていたかも。 尖っている個性の手前にある普遍性をどれだけ腑に落とせているかで その行為を「考古学のようで楽しい」と表現していました 僕の二十代の屈辱が疼くのを感じた 感動させる作品には個々の挫折や劣等感と繋がる瞬間がある気がする 今後の僕等には『チ。』が有る。彼等は僕等が前進する意志と共に戦ってくれる。 今でも多くの国が、天体を国旗のシンボルとして採用し続けているのは、その名残だ。 宗教が信徒に求めるのは教義への「信」だが、科学に必要なのは「信」では無い。寧ろ逆である。科学が求めるのは「疑い」だ。だから『チ。』は「信念」の物語であると同時に、いや、寧ろそれ以上に、「疑念」の大切さについての物語でもある。 叶う方法を探せば道筋は立てられる 昨日礼賛されていた言葉が今日は禁句になっているような毎日なのに 私が変化したという事実からあなたは今何かを受け取ったんです γはその紙資料を所定の位置に戻すと 教会が説く善に従う事は、私達自身の生を断念し、道徳的命令に従う「畜群」として生きる事を暗に意味するからである。 重罰になる可能性をも考慮にいれて 「何故人を殺してはいけないのか」という問いに対して、それを予め封印するような動きを見せる「僧侶」達が私達の周りには今も尚存在しているからである。『チ。』は、フィクションの形をとりながら、現代人がどのような〈嘘〉に隷従を強いられているかを私達に改めて問いただすのだ。 時には手厳しい論駁等も珍しく無かった 〈真理〉は、誤りを無慈悲に宣告する。〈真理〉の正しさは、思いや努力等の人間的な事情とは関係ないところにあるからだ。 朽ちる事の無い静かな衝動を指す事を暗示している 迷いは、変化の兆しがそこにある事を意味している。