藤原智美のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
・現代のクウキとは消極的参加は許されず、ノリに身を投じるか、もしくは離脱することで孤立するしかない。そういう日常があるということが恐いのです
・「クウキを読め」という言葉を聞いたら、即座に「もっと卑屈に生きろ」といわれたのだ、と思うようにしています
・議論を回避する、自分の意見をあきらかにしないというのは、いまや世代を超えたものです。これでは、自己を開き他者と向き合う対話をすることはできません
・腹を押さえて倒れているホームレスに手をさしのべるのは、他者の痛み、苦しみへの共感、シンパシーです。それと同時に、自分が倒れた時、だれかが手をさしのべてくれる社会であってほしいという願いからでもあります
・「考える」というこうことは、自分の言葉を探りあてる営み
・クウキに乱されることなく、自分の思考や感情に濾過され、つかみとられた言葉は、聞き手や読み手をも揺り動かす
・人は「考えぬく」という営みによってこそ自分の言葉を獲得し、自分の「生」をまっとうすることができるのです -
Posted by ブクログ
痛いところを突かれた感じ。オイラもガキが生まれてから20年も夫婦別室だ。手遅れじゃないか、オイラ?しかも嫁と下の女子高校生は今も一緒に寝ている。夫婦別室と母子密着のダブルパンチじゃないか。昔、お袋が「夫婦は一緒に寝たほうがいい」って言ってたことを思い出す。家族って夫婦から始まったんだもんな。愛し合わない夫婦が愛のある家族をつくるって普通に考えたら変だ。軸がブレてたら壊れるよな。オイラが子どもの頃、お袋が「夫婦は別れちゃダメ。子どもも同じことを繰り返すから」って言ってたな。確かに身の回りに多いかも。それにしてもオイラは自分が新人類って呼ばれていたことも忘れていたよ。もともとろくなもんじゃない世代なのかな(笑)やっぱり愛がなくちゃねと痛感したけど、これ以上本気で考えると家族解散しか見えなそうなので熟年離婚されるまでカネではできるだけ貢献していこう。どこにいったオイラの愛?
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Posted by ブクログ
「男の家づくりは、家を手に入れ、ローンを組んだ時点ですでに「終わっている」のか。」
家族、それは社会の最小単位である。いつからか家族は意識して維持しなければいけないものになった。そして、家はその家族が集う場所だ。小型テレビが普及し、現在ではスマホが普及し、リビングの大型テレビは家族を集める装置ではなくなった。これはとてもわかる。小さいころ、見たいテレビがあればチャンネル争いをした。しかし、各部屋にテレビが与えられてからは、誰もが自分の部屋でテレビを見るようになった。たとえ、リビングの大型テレビで同じものが上映されていても。
夫婦の会話がなくなり、家族が解体していく。各人が各人の趣味に没頭し、結合は解けていく。えぐいほどにわかりやすい。
郊外の住宅は、同じような人たちが住む。年収、教育水準等が似る。なぜなら、その住宅を購入できる人々だからだ。だから、周囲との競争はなくならない。 -
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これはなかなかに面白い本だった! と思ったのだった…
ヽ(・ω・)/ズコー
本書が文庫化されたのが2009年なんですけれども、当時よりもさらに情報化社会へとなりつつある現代に警鐘を…僕は鳴らしたいのだけれども、人々はそんな僕に構うことなくスマホに夢中だし…この先、どうなっちゃうの!?
みたいな危惧を抱かずにはいられないですね、本書みたいな優れた書を読むと…。
まあ、そんなわけでいかにも老人だけが酷くなっている、みたいにタイトルだけ見れば感じるかもしれませんけれども、全世代、情報化社会に取り込まれちゃって知らず知らずのうちに内面が変わってるよー、みたいな主張の本でした。おしまい。
ヽ(・ω・)/ズコー -
Posted by ブクログ
数年前、突然、キレる老人が増えてきた、というニュースがよく流れた。
「暴走老人」という言葉があちこちで使われたが、本書は、その言葉を世に定着させた本らしい。
老人の暴走を「時間」「空間」「感情」をキーワードに考察している。
「老人」だけを問題にしているのかと思っていたが、読み進めていくうちに「老人」だけに当てはまる話ではない事に気がつく。
突然、キレるのが目立ったのがたまたま「老人」というだけなのだ。
「暴走老人」という言葉が先か後だったかは忘れたが「クレーマー」「モンスターペアレント」等という言葉もある。
また、そういう言葉にはなってないが、「子供」「青年」「中年」も突然、キレる事がある。
その根っこになる原因の一つとして、一番、印象に残ったのは
「コミュニケーション能力の不足」
「キレる」という事は、一方的なコミュニケーションの断絶、対話の拒否。
インターネットや携帯電話が普及し、コミュニケーションの手段は格段に進歩したはずだが、皮肉にも直接、人と対話する能力は低くなってしまったのだろうか。
コミュニケーション能力、と言われたら、自分は高い方ではない、というより低い方に分類されるので、あまり偉そうな事を言えた義理ではないが・・・。
やろうと思えば、かなりの事がメール等、人と面と向かう必要なく、話をする事ができるが、人と直接、話をする機会とメールで済む機会があったら、直接、話をする方を選ぶようにしたい。 -
Posted by ブクログ
大切なのは検索でなく、思索。すべての問題は処理され解決されるという幻想がいつのまにか全体化している クウキとは関係の力学、人と人との力関係そのもの。簡単にいうとクウキを読めとは、その場のリーダ探しとれもいえそうです。関係の中心を探ろうとする姿勢です。公的サービスといわれる分野ではこうしたエゴと暴走が頻発している。利己を優先させる露骨な行為を許さない何かが、世間体とよばれるモラルだった。私は一件無駄に見える挨拶などは、暴走する言葉を納める鞘のような役割をになっていたのではと考えます。言葉はほっておくと暴走する、ということをかつての人々は熟知していた。だからことこうした無駄な言葉によるやりとりで、言葉の暴走を食い止めようとしていた。世間とは,自立した個人によって構成される社会に根ざしたものではなく、自分と直接利害関係を取り結ぶ身近なものでなりたつ仕組みだった。空想すること、考えるということは、生きていく上で欠かせない時間です。それを現代の情報化社会は、一つの無駄として削ることを推奨します。それに惑わされて、私たちは効率一辺倒で自分の時間を組み立て、その結果焦り苦しむ。人はぼんやりすべきなのです。考える時間を持つべきなのです。
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Posted by ブクログ
ネタバレ”暴走老人”という本が気になっていたがその作者。
なるほど書かれてある事はもっともと、納得する事が多い。
・若い人は暴走する老人の為に年金や健康保険を損をするのはまっぴらだと考えている。嫌悪感は自分が思っているより強いと認識すべし
・海外のビジネスマンはパーテイで自己をアピールする事にエネルギーを使う。出席者に合ったた面白いネタ、話等 入念に準備をする。対等の話法を重視。
・過去の自分を振り返る事が、新しい自分を作る上で必要
記憶を文書化する事は有意義
・人間関係がSNSとのつながりだけという人は、不安や孤独感を却って高めてしまう。生の言葉、本音を伝えるメデイアでは無い為。自分を飾ってしまう。閉塞感を打ち破るにはペンかキーボードを持つこと。アンネフランクが何故2年も幽閉生活に耐えられたのか?がその回答
普段抑えている気持ちをぶつけるものが必要。
孤独は書くことで救われる。
・コーチからの口頭の言葉よりも、自分で書いた文字の方がはるかに重要。その人の元に戻り、新しい思考を生み出す -
Posted by ブクログ
古本屋にて購入。スマートフォン依存症の治し方を描いたものではない。私たちの生きるこの時代は、書きことばの獲得によって紡がれたことを、世界史の観点から描いている。そして新たに生まれた「ネットことば」によって、私たちが紡ぎ上げていくであろう時代を予測している。
文字(スマートフォン)は使えども使われるな、それよりは読書で教養を磨け、という今日日ありふれた警告のために書かれたものとは少し違う。齋藤孝氏や藤原正彦氏などのそれと違って、妙に押し付けがましいところがなく気楽に読めた。
ことばに凝縮された、書き手によるエネルギーをただ一人で受け止め、咀嚼、吟味することは、知的労働、つまり自分自身の身体を使って相手の立場になることを決める基本だろう。そしてそれだけが、私たちを「民」つまり眼を「無自覚」という針で潰された奴隷の身分から救い出すと私は信じている。