土井隆義のレビュー一覧
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<子ども>たちとたくさん接してきていた身としては、すべてに首肯できるわけではない。
でも、確かに一つの見方なのだとは思う。
かつては、アイデンティティ(自己同一性)を確立するために若者はもがき、
現代は、キャラを確立させるために、もがく。
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時代性という言葉を闇雲に使うのは嫌いなのですが、嫌おうが避けようが確かに時代が作り出すものはあると思う。
90年代末~00年代が高校~大学時代だったのだけど、
特に90年代末って、崩壊への憧れとか破滅の美しさとか、そういうものがもてはやされていた気がする(そういうものばかり自分のアンテナにひっかかったともいえる)。
そうして、なんとなく、いつか -
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[ 内容 ]
[ 目次 ]
1 親密圏の重さ、公共圏の軽さ―子どもの事件から見えるもの(親密圏における過剰な配慮;公共圏における他者の不在;「つながり」に強迫された日常)
2 内閉化する「個性」への憧憬―オンリー・ワンへの強迫観念(生来的な属性としての「個性」;内発的衝動を重視する子どもたち;「自分らしさ」への焦燥)
3 優しい関係のプライオリティ―強まる自己承認欲求のはてに(「自分らしさ」の脆弱な根拠;肥大化した自我による共依存;純粋な関係がはらむパラドクス)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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親ガチャ、という言葉は刺激が強い。けれど、どこか、中空だ。親は選べないけど、こうした私がいるのは、先祖から延々とつないできた命の営みの必然だったりする。問題は、この言葉が一見生まれによる不運さ、を切り取っているようで、強烈に親ガチャで決まるような社会は生きるに値するのか? という問いを内包しているのではないか、ということだ。生まれに着目すれば、次にでてくるのは育ち。育ちとは何か。環境と引き継いだものの影響の及ぼしあい。
しかし、親ガチャで決まるということは、この間の一切合切が、省略されたレールの上に載っているということか。透明カプセルのなかで、社会そのものをスルーする。そこにあるのは、うまく -
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SMAPの『世界に一つだけの花』がヒットした2003年の翌年に発行されたブックレット。「もともと特別なOnly one~♪」という最後の歌詞のフレーズに対し、「特別なものを見出せない自分には価値がないかのように思わせる煽りの歌ともいえる」と書かかれており、「うーん、そんなふうに捉える必要があるのか」と、いささか違和感を覚えた。
確かに、私が子どものころの社会は、個性重視よりは、周りとの調和を重んじており、そういう意味では社会規範も変わってはきている。特に2003年以降、「個性的であること素晴らしいこと」だと、社会の認識が変わってきたことも事実ではあろう。いずれにしても、個性、個性と言っているの -
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「キャラ化する/される子供たち」と似た内容ではあるものの、時代はすでにキャラ化を超えた繋がり依存へと進行しているという話。
前作からなぜかAKBの例がよく挙げられているのが気になった。筆者は好きなのかと。
それはともかく、前の著作を発展させた内容で、今の子どもたちになにが必要か?とても考えさせられた。
キャラ化する、というのは自分探しの延長のようなもので、価値観が定まらない世の中で確固たる自分を保つための手段だった。
今は、自分探しではなく、友達からのキャラ認定が彼らの価値観になっているそうだ。
その友達との関係というのも予定調和だから、衝突も成長もない。そして壁になっていたはずの大人たち