ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
3pt
価値観が多元化した社会で感じる閉塞感.「優しい人間関係」のなかで排除におびえる恐怖感.ケータイやネット,家庭から学校といった子どもたちの日常は,過剰な関係依存で成り立っている.子どもたちにとって,現実を生き抜くための羅針盤,自己の拠り所として機能する「キャラ」.この言葉をキーワードに現代を読み解く.
ブラウザ試し読み
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
日常の閉塞感とか優しさを強要される恐怖とか過剰な関係依存とか。「わかるわ……」っていうのから「うん?」っていうのまでいろいろ書かれてたけど、概して首肯する内容だった。ちょっとだけダメな自分と向き合える一冊だった。
人間関係のカースト化→各カースト内でのフラット化→「対立をはらまない限りにおいてお互いの差異を認め合うという基本的な態度だけ」→アイデンティティからキャラへ カースト化→宿命主義 話の筋は理解しやすい。 「キャラ化」は子供に限ったことでなく、あらゆるシーンに存在することは、思い当たるところがあるで...続きを読むしょう。 それに対して一理ある説明がなされているので、 そのようなあり方に疑問を持っている人は、本書がヒントを与えてくれると思います。
若者の人間関係に関する本。 「若者は自分に好ましい物と人間だけを選択し、彼/彼女らの経験世界は狭小化の一途をたどっている(手に入る機会と情報は増加しているにも関わらず…)」ことを喝破した1冊。 現代は個人の「個性」が重視される社会である。そこでは、共通の価値観による序列化が意味をなさない。もはや、...続きを読む出自や学歴の違いは彼/彼女らにとって関係ない。というのも、それは自分とは完全に異なる世界の人々の話で自分達には関係ない話なのだ。世界は自分の周りの集団・トライブで完結する。 このような社会では、社会からの拘束は働かない(『春の雪』『ロミオとジュリエット』のような)。自分が所属する仲間の間での人間関係に関心が集中し、その人間関係に縛られるからである。もはや、抽象的な他者(世間体)を気にするのではなく、具体的な他者のみを個人は関心にもつ。 その結果、「若者のネオテニー化」「キャラ化」が進行する。勝てて加えて、この現象は若者だけに起きているわけではない。動揺に、大人の間でも惹起しいるというのが議論骨子。 疑問に思った点は2点 ①1970年代から「個性」重視が始まる→高度消費社会→画一的な商品の消費から多様な商品の消費と言ってるけど… 80年代からじゃない? ②経験世界が狭小化しているのは部分的には事実。ただ、世界を拡大化している人も増加している(山田昌弘が言うように)。問題なのは人間関係格差なのでは?
[ 内容 ] 価値観が多元化した社会で感じる閉塞感。 気遺いに満ちた「優しい人間関係」のなかで圏外化におびえる恐怖感。 ケータイやネット、家庭から学校といった日常は、過剰な関係依存と排除で成り立っている。 子どもたちにとって、現実を生き抜くための羅針盤、自己の拠り所である「キャラ」。 この言葉をキー...続きを読むワードに現代社会の光と影を読み解き、「不気味な自分」と向きあうための処方箋を示す。 [ 目次 ] 第1章 コミュニケーション偏重の時代(格差化する人間関係のなかで;コミュニケーション至上主義) 第2章 アイデンティティからキャラへ(外キャラという対人関係の技法;内キャラという絶対的な拠り所) 第3章 キャラ社会のセキュリティ感覚(子どもと相似化する大人の世界;子どもをキャラ化する大人たち) 第4章 キャラ化した子どもたちの行方 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
仕事の討論会のための資料。 「ネオテニー」「文化資本」 この二つのキーワードが両方のってる。 ということで、この本を参考に討論のテーマを作成させていただきました。 非常に参考になりました。
薄い冊子だが、中身は濃い! 現代日本の価値観多様化、人間関係複雑化の中で、我々はどうやって生き抜いていけばよいか、みたいな話。 ・価値観の多元化によって流動化した人間関係の中で各々の対人場面に適合した外キャラを意図的に演じて複雑になった関係を乗り切っていこうとする。 →組織毎に相手に応じて、色々...続きを読むなキャラを使い分けるのはひとつの技術みたいなものと。 ・現在は場の空気に流されない一貫的な自己では生きづらい時代。どんな場面でも自分らしさを貫く、大変な世の中。 →この生き方はカッコ良く思えるけど、複雑化した世界では難しいみたい。自分らしさを常に出すって大変なんだね。 ・(価値観が多様化する中で)大人たちは自分たちを抑圧する敵ではなくなった同時に、人生の指針を与えてくれる絶対的な拠り所でもなくなっている。 →父親として子供に接する自分自身に当てはめて考えてみた。確かにそうだなあ~と。 ・(学校現場における教師と保護者の関係)教師は自分自身を守るために、保護者のクレームの中身を冷静に分析することもなく、理性を持たない怪物が発する雄叫びのようなものと捉え、即座に全否定してしまいがち。 →良い悪いでは無く、教師の側はそういう風に捉える事もあるんだなーと納得。 ・親からの攻撃的なクレームはそんな脆弱な自己肯定の基盤を根底から揺さぶる。教師の側も他者の反応に過敏になっているため、自己防衛の手段として攻撃的になる →最近、そういった体験をしたなあ、親の方の立場で(苦笑) ・今日では、立場の異なった相手と意見を闘わせて理解し合うのではなく、異物と見なして最初から関係を断とうとする(これを著者は「圏外化」と表現)傾向が強まっている。 →要はコミュニケーションをあきらめちゃう、そもそもコミュニケーションしないってことか。自分は、コミュニケーションの溝を埋めるようにやっぱりあがきたい。 ・つまづいた自分と向き合う力が重要。その力をつけるためには、多種多様な人たちとの世代を超えた出会いと共闘が必要。 →自分と異質な人を排除、圏外化することなく、頑張って付き合ってみる事が重要よと。
意外と結構よかった。 2009年発行の薄いブックレット。ケータイとか圏外とか、ところどころ今の時代とはずれるが、SNSで同質的な相手と簡単に繋がれる時代、という点では全く問題ない。 自分のキャラを強くアピールしてくる子は、そうすることで、自分を守ろうとしているのかもな、という考えに至れた本。 今...続きを読むは、多様性が多様過ぎて、価値観の基盤が無くなっている。ある視点での良いも、違う視点ではだめになる。 基盤が無いと、自分も何をよしとして、どう軸を作ればよいのか、子どもも分からなくなる。 昭和ならガチガチな校則や、圧倒的な権威主義に、ある者は反抗し、ある者は持論を唱え、自己を確立できるが、今はそういうのが無い。 あるのは、友達からのイイネ。 そうすると、友達からの評価で自分の価値が決まっていくような気になっていってしまうのかもしれない。 そうして、イイネをもらうために、さらにキャラ化する。そういう時代を、アイデンティティを確立する大事な時期、子どもたちは生きているのかもしれない。 そして、それが教師にも当てはまる場合があると。 生徒からの評価を得て自己肯定感の基盤にするために、煙たがられる教師というより、友達のように振る舞う教師。生徒に媚びる教師。(そうじゃない先生も、もちろんたくさんいる。) 「自己肯定感の基盤として、人間関係に依存しがちな人々が、世代をまたがって増えている。」と。 ある特定の教師は生徒に依存し、生徒は気の合う生徒内で依存し合う。 そのために自己に与えられたキャラを強化する。 同質的な者同士で群れて、異質な者は、排除する。 親子においても起こり得るし、起きているのではないかと。 「異質な者は、排除することで社会の治安を守る」 「環境管理型の治安対策をする。」 そうしたい気持ちもわかる。 が、そうではなく、 「避けたくても避けようのない不都合な人間、向こうから迫ってくる異質な人間との付き合いを通じて、じつは不本意な自分、異質な自分との付き合い方も、否応なく学べるのではないか」 「異質な他者の視点から自身を相対化して眺める力は、【不気味な自分】に出会ってしまったとき、その不安からパニックになるのを防いでくれる耐性力にもなる」、と。 避けたくても避けられない具体的な相手がいる場合、この付き合いが巡り巡って自分を強化すると思えば、救いになる気もする。愚痴れる人がいるなら愚痴って、社会として完全排除はしない。ということか?適当に付き合うということか? 理想は異質と思える人とも、互いに、話し合いましょー♪か 異質性にもやはりよる気もしてしまうし、痴漢、セクハラ、パワハラ、性被害などは、駄目なものは駄目と思うが。 キャラの話から、異質な他者の話まで。 なかなか勉強になったし、いろいろ考えさせられる本だった。
一元的な価値観の下で生きることを強制される点において、近代以前は良くも悪くも安定した「静的な社会」であったののにたいし、現在の日本には様々な価値観が併存し、互いに競合しあっている。どんな判断も、別の観点からすぐに相対化されてしまう不安定で「動的な社会」である。 特定の生き方をだれも強制されなくなっ...続きを読むたという点では、現在の日本は「ユートピア」であるが、しかしそれゆえ、相手が何者か分からないまま不透明な相手と常に向き合って生きなければならない点では、また、自分が何者であるかも根本的にはわからないまま、不透明な自分と常に向き合って生きなければならい点で、現在は同時に「ディストピア」なのである。。 これは、すごく納得。自分のころと今の若者の生きる社会は変わっているのだと思えば、色々な最近の出来事もより理解できる気がした。
今の時代の価値観の変わりようがとても鮮明に説明されていて、読み応えがありました。 社会が限られた価値観を押し付けていた時代と違って、これっていう価値観の基盤がない分、自分の確かさが揺らいでしまう、そのことに不安を覚える若者たちが、周りの人たちから表面的な承認を得るための方法が、キャラ化。 人間関...続きを読む係格差とか、ハッとする言葉が多くて、今の時代の子供達が、学びに向かわないのもわかるなぁとしみじみと思いました。 周りの友達が認めてくれればいい、生まれた時から自分の本質は決まっている、こんなふうに思っていれば、勉強で自分をよくしていこうとは思わないだろうなぁと。 ページ数は薄いけれど、今を捉えるために読んでみてほしい一冊。
友達地獄の土井先生の著書。センター試験問題にも出たことで購入。 個性重視の檻に縛られすぎてないかと思いふける。 キャラ化される子どもたちと同世代であるため、自分を単一化しキャラクターで生きていく楽さは納得がいく。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像
新刊情報をお知らせします。
土井隆義
フォロー機能について
「岩波ブックレット」の最新刊一覧へ
「社会・政治」無料一覧へ
「社会・政治」ランキングの一覧へ
親ガチャという病
格差と出自の研究
「個性」を煽られる子どもたち 親密圏の変容を考える
試し読み
「宿命」を生きる若者たち 格差と幸福をつなぐもの
つながりを煽られる子どもたち ネット依存といじめ問題を考える
「土井隆義」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像 ページトップヘ