入江杏のレビュー一覧
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若松英輔さんと平野啓一郎さんの名前があるし、と軽い気持ちで手にした本。そして、長らく積読本。今回、ようやく読み始め、初めて世田谷事件の被害者家族である入江杏さん主催のミシュカの森という会があることを知った。そして、その会の講演をまとめたのがこの本であることも初めて知り、心して読まねば、との気持ちになって読んだ。
平野啓一郎さんの話では、死刑について考えさせられ、東畑開人さんの話では、居場所についてを考えた。特に居場所の話は自分レベルで考えられたと思う。そして、自分にとっての居場所について考えられた。もっと居場所を作らなくては、とも思う。居場所、座っていられる場所。立っている場所は落ち着かず、疎外感を感じる。だから、座ればいいのだ、そこが居場所になる。体と心は繋がっているのだと改めて思わせてくれる、話の流れだった。と思ったことが、私の文章では伝わりにくいとは思うが、私としては腑に落ちた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ未解決事件の遺族である入江杏さんが主宰する集まりの場「ミシュカの森」。
そこへ招かれた方々が「悲しみとともにどう生きるか」をテーマに様々に語ったことをまとめた一冊。
六人の方それぞれの悲しみに対する向き合い方に考えさせられたり理解が深まったように感じたり。
第4章東畑開人さんの「アジールとアサイラムとパノプティコン」という話が興味深かった。避難所と収容所。シェルターと管理所。
そしてその後の対談の中で「自分の物語を物語ることによる癒し」という話がなされます。河合隼雄先生が物語によって生きる力や癒しを得られるというようなことをいくつかの著作の中で語られていたことを思い出しました。
読みながら自分は、物語として書くのが難しければジャーナリング的(思いついたことをそのまま書き出すことでストレス軽減や心を整える効果をえる手法)にとにかく書いてみるというのが救いの一つになるかもしれないと思いました。
第5章平野啓一郎さんの話の中で「当事者でないからこそ書けることがある」ということが話されています。本書とは全く関係ありませんが看護や介護などでも、対象者が身内ではないから必要なケアを感情を込めることなく施せるという意味合いで、そういう側面があるのではないかと思いました。
誰かの辛い話を聞く時、共感することも大切だけれども理解ができない・共感できないからこそ受け止めてあげられるということもあるように思います。
当事者ではないということも状況によっては大事な時もあると思います。
同じ平野さんの話の中で加害者に対する処罰感情が強いあまりに、被害者遺族に対し「亡くなった人に対する思いが薄いのでは」というようなことを言ってしまう人がいるがあってはならないことである、ということが話されていました。
以前読んだ「家族が誰かを殺しても(阿部恭子)」の中に「遺族らしくない」とバッシングする人の話があったのを思い出しました。
平野さんの話の中には他にも、自身の提唱する「分人」の考え方や死刑制度についての意見(これらも本で出されています)、警察や司法に対する不信感など考えさせられる意見がたくさんありました。
入江さんがあとがきの中で、「被害者遺族らしく生きろ」という外圧について書かれているのを読んで辛くなりました。誰であっても勝手に世間から枠を当てはめられて生きさせられるような不条理さに甘んじることはないと思います。
でもどんなに辛いだろうと思います。理解も共感も及ばないだろうけれども、自分にできることは忘れないということくらいでしょうか… -
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「世田谷事件」の被害者遺族として、そして病で夫を失った妻としての喪失体験と、回復の過程を跡付けた書。
傷ついた人にどう寄り添っていけばいいか、そしていずれ自分にもいずれ訪れる喪失にどう向き合うかを示唆してくれる。
本書の最初に、曖昧な喪失が人をひどく苦しめる、という話が出ていた。
そのこと自体は、とても納得できる。
筆者のように未解決事件で大切な人を失った場合はもちろんだが...曖昧でない喪失というものがあるのだろうか。
病気や老衰であっても、なぜその人が、なぜそのような不自由さや苦しみを味わわなければいけないか、と身近にいる者なら思うだろう。
その意味で、ここに書かれている喪失の悲しみは、決して特殊な人のものでない。わがこととして受け止められる。
悲しみを表現する難しさもこの本は伝えている。
自分の悲しみをうまく伝えられないつらさは、想像できる。
著者入江さんは、その点でたぐいまれな力を持っている人だと思う。 -
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オムニバス形式。
大切な人を亡くして悲しいときに、自分自身と死者にどう向き合うかという視点と、
悲しみの真っ只中にいる他人とどう関わるのかという視点があると感じた。
宇多田ヒカルの「夕凪」という曲の原題は「Ghost」なのだが、あの曲の理解が少し深まった気がする。私は悲しいことがあったとき、「夕凪」を聴けなくなったため、本を読めなくなったエピソードに共感を覚えた。今まさに自分で物語を書いているから本が読めないのなら、あの曲が聴けなくなったのはその時まさに自分で言葉を書き連ねていたか、詠っていたからなんだと思った。
もっと深く話を聞き進めたいところで章が終わる。共著者の本を読みたくなった。