山口裕之のレビュー一覧
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ネタバレ『「みんな違ってみんないい」のか?』を読み終えて——相対主義という名の落とし穴
電車の広告で見かけた「多様性こそ力」というキャッチコピーが、なぜかひっかかっていた。この本を読み進めるうちに、その違和感の正体が少しずつ見えてきた。山口裕之が指摘するのは、現代社会が「人それぞれ」という魔法の言葉で思考停止に陥っている現実だ。特に印象に残ったのは、原子力政策をめぐる専門家会議の事例。反対派の学者が排除された会議で「科学的合意」が作られるプロセスは、まさに相対主義が権力の道具となる瞬間を捉えていた。
私たちが無意識に使ってしまう「受け取り方次第」という言葉の裏側には、意外な危険が潜んでいる。ハラスメント問題を考える時、この言葉が加害者より被害者に解釈の責任を転嫁していることに気付いて背筋が寒くなった。著者が引用する米国の「合理的人物基準」は、個人の主観を超えた社会的な物差しの重要性を教えてくれる。例えば管理職の不用意なジョークが、特定の属性を持つ人々に与える累積的ダメージを計る物差しがこれにあたる。
科学の歴史が教えてくれたのは、正しさが一夜にして生まれるものではないという事実だ。地動説が定着するまでに要した300年という歳月は、現代の気候変動論争やAI倫理の問題にも通じる。重要なのは、ニュートンが予言した「海の潮汐」のように、時間をかけて事実が浸透していくプロセスを信じる忍耐力かもしれない。
この本から学んだ最大の気付きは、対話の放棄が最大の暴力になり得るという逆説だ。SNSで簡単に「ブロック」できる時代にこそ、私たちは異なる意見と向き合う訓練が必要だと痛感した。職場の会議で「この決定は多様な視点を反映しているか」と問う習慣、ネットの議論で反応する前に24時間待つ自制心、そして歴史の教訓を現在に投影する想像力——これらが真の多様性社会への鍵だと理解した。
最後に、色彩認識の研究が心に残っている。虹の色の数が文化によって7色だったり5色だったりする事実は、人間の認識の柔軟性を示すと同時に、網膜の構造が普遍であるという生物学的根拠も教えてくれる。違いを認めつつ共通基盤を見出すこのバランス感覚こそ、混迷の時代を生きる術なのだろう。次は職場のダイバーシティ研修で、この気付きを共有してみようと思う。 -
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久しぶりに内容の濃い本を読んだ。
「あ、この人意見違うな」と思うと、「まあ、人それぞれだしね」と、考えることを放棄していたけれど、それはものすごく安易な考えでした。(自己反省)
少なくとも、自分の大切な人(家族とか、数少ない友人)、ビジネスでお付き合いしないといけない人とは「正しさ」の認識合わせができるような関係を築いていきたいものです。
これって、難しいけど組織でも必要なんだろうな、と思いました。仕事をするという目的だけでつながっている人間関係。人が複数人集まれば、人間関係のいざこざは避けられません。
「正しさ」の共通認識を各人が持っているか。
良い人間関係を築くためには、重要な事なのではないかと思いました。
「正しさ」の合意。これがないから「あの人ずるい」とか、「ここ怒るとこ?」とか、ちょっとした事がトラブルになるのではないかと思った次第です。
「普通、そうですよね?」と、他人に同意を求める前に自分の「正しさ」が独りよがりのものでないか。
一度考えてみるのもいいかもしれないです。
あまりにも濃厚な内容で、消化不良気味です。
もう一度読み直そうかと思います。 -
Posted by ブクログ
「多くの人は「人それぞれ」の相対主義か「真実はひとつ」の普遍主義かという二者択一に陥りがちですが、相対主義も普遍主義も相手のことをよく理解しようとしない点では似たようなもの」
だからこそ、その間の道をどちらかに落っこちないように気をつけながら進まなくてはなりません。」
本書は著者が「徳島大学総合科学部の授業をしながら考えてきたことのまとめ」だし、ちくまプリマー新書なので、本来の想定読者は若者たちかもしれないけれど、親世代かもしくは祖父母世代である私にとっても発見が多く、著者に励まされながら「間の道」を少しずつ進む読書は楽しくとても勉強になった。
(読書会Hさん推薦本) -
Posted by ブクログ
「みんな違ってみんないい」っていうのは金子みすずの詩だよね。いいフレーズだと思うけど、現代日本社会での「みんな違ってみんないい」のとらえられ方をあらためて考えると、みんないいのかってことになるよね。
この本の要旨は、みんな違ってみんないいで治めずに、ちゃんと合意点を見いだすべきという話。自分も日常のなかでずいぶんと、意見が通じないからとかかわりを怠ってしまっていることがままあるなと反省する。そこに分断が生じてしまうのであって、そうしないための努力が必要ということ。
一方で、双方がそういう気持ちでいれば合意も目指せるだろうけど、いまの世のなか、相手は話にならないことも、またままあると思う。著者は「『正しさは人それぞれ』と並んで最近よく聞く言葉に、『絶対正しいことなんてない』とか『何が正しいかなんて誰にも決められない』などというのがあります。これらの言葉を言う人たちは、どうやら『ちょっと気の利いた、よいことを言っている』と思っているようなのです」(p.140)なんて書いているけど、トランプとかプーチンとか安倍くんとか国家レベルですら、言うばかりで聞かない人たちがいる。ちょっと気の利いたよいことを言っているつもりというよりは、そういう人たちと同じ世界で生きていくにはこうでも言って彼らがいう正しさの価値を下げるしかないじゃないかと思う。
著者の要旨には気づきもあるし納得できるんだけど、こんなところがちょっとクセがあって何だかなあ。 -
Posted by ブクログ
はじめのうちは単なる科学読み物っぽいけど、途中から急に哲学度が上がって難解になる。
ただ、理解できた範囲内でもかなりいい感じ。
生命に対する理解の歴史を追いながら、「理解する」とはなにか、というところまで持っていく。そして機械を理解することと、生命を理解することの、行為としての本質的な差異を描き出す。
単純な提起のうちで、重要な提起もいくつか。
ひとつは、人間が理解する単位と、遺伝子の行動単位の差異。
ひとつは、理解するとはアナロジーによって特定のモデルに同定すること。
ひとつは、生物を機会に擬することは明らかな擬人法であるということ。
ほかにもいろいろな思想家・科学者の考えが系統的に紹介されているのでかなりおもしろかった。 -
Posted by ブクログ
『「みんな違ってみんないい」のか?』を読みながら、多様性・相対主義・科学・正しさについて考えた。本書は単純な「多様性礼賛」ではなく、「正しさ」や「事実」がどのように作られるのかを掘り下げていて興味深い。
第一次世界大戦後の民族自決や人種差別撤廃の話では、西洋の人権思想も普遍的理念というより、当時の権力構造や都合の中で形成されていたことが見えてくる。理念としては美しくても、実際には植民地や有色人種は対象外だったという点に違和感を覚えた。また、「みんな違ってみんないい」という言葉も、単純に優しい言葉ではなく、「違い」をどう分類し、どう扱うかという権力や社会構造とも結びついていることを感じた。
文化相対主義についても考えさせられた。ミードとフリーマンのサモア研究の対立では、文化だけで人間は決まらず、生物学的な要素もあるだろうと感じた。人間は教育である程度変わるが、何にでもなれるわけではなく「上限」があるという感覚の方が現実的に思える。ブラウンの「人間の普遍性」の議論では、文化ごとに違って見えても、礼儀や協力のように根底では共通している部分が多いことに納得した。
また、言語相対主義も面白かった。言語によって世界の切り分け方が異なるという話は、着る動作と着ている状態を区別する日本語などを考えると確かにと思う。一方で、完全に言語だけで世界が決まるわけではなく、人間には生物学的な制約や共通性もあるのだろう。
功利主義や経済学の議論も印象に残った。最大多数の最大幸福と言っても、個人の犠牲をどう扱うのかは難しい。サンデルの「お金で買えないもの」の議論では、ノーベル賞のような能力や功績に関わるものは単純に市場原理では扱えないと感じた。転売問題が嫌われる理由も、単に値段を吊り上げるだけでなく、「どう配分されるべきか」という価値観に触れているからなのだと思う。
第三章・第四章では、「正しさ」や「事実」がどのように作られるのかが語られるが、ここはかなり引っかかった。旧優生保護法やナチスの行為について、「関係者が対等に参加していないから不正だった」という説明は理屈としては分かるが、後から結果論で語っているようにも感じる。また、「共同で事実を作る」という話も、それなら共同で合意すれば何でも正当化されるのかという疑問が残った。完全に腑に落ちたわけではないが、絶対的な正しさも完全な相対主義も危ういという点は理解できる。
科学や数学についての議論も興味深かった。論理は一度分かれば必然だが、そこに辿り着くまでは偶然でもあるという話は、解の公式などを考えると確かにと思う。ただ、物理法則は人間が発見する前から存在していたはずであり、やはり「発見」の側面が強いようにも感じた。自然そのものは存在していて、人間はそれを理論として切り分け、記述しているのだろう。
全体を通して、「正しさ」や「事実」は単純ではなく、人間の感情・生物学・文化・制度・歴史が絡み合って作られているのだと感じた。一方で、あまりに相対化しすぎると現実感がなくなってしまう難しさもあり、そのバランスをどう取るのかを考え続けたいと思った。 -
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「みんな違ってみんないい」を突き詰めると社会は成り立たないから、社会的な正しさをどう成立させるのかを論じた本。1章から3章までは、シンプルに理解できる言語化で、いい感じ。
まとめると、
1章 「集団単位の多様性」と「個人単位の多様性」をごっちゃにすんな。
2章 言語学的にも、文化人類学的にも、「人それぞれ」というほど人は違っていないぞ。
3章 「人それぞれ」などと言って、十分に話し合う努力をしなでいるのがダメなんや。
でも、4章は科学哲学の話になり、何が言いたいのか分からなくなる。科学的知識(法則の発見)は、人間にとって有用な技術とハイブリッドで作られているという話が、小難しく続く。最終的に、コロナワクチン陰謀論とかに飛ぶので、議論の接続性も悪い。
著者としては、科学的コンセンサスに素人が異議を唱える風潮に、物申したかったのだろう。でも、4章のような小難しい議論が嫌な人が、分かりやすい陰謀論に飛びつくのだから、4章はちょっと構成に失敗してる気がする。
なので、前半は良いけど、全体としては惜しい本だなあ、という感想。 -
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ネタバレ「みんな違ってみんないい」という金子みすゞの詩を例にあげながら、「正しさは人それぞれ」という言説が流行っているというくだりがあったが、その2つはイコールではないのでは、と思った。
それぞれが「よい」と感じることと、それぞれが「正しい」と思うことは違っていて、必ずしも正しいことがよいことにはならないし、逆も然りである。
そのうえで、よいことは人の趣味嗜好の問題でありそこの多様性は認めてよいと思う、と書きながらふと思ったのだが、よいことの中に正しくない(と一般的に考えられる)ことが混ざってきたらどうなるのだろうか。
たとえば、朝井リョウさんの『正欲』のなかでは、特殊な嗜好の人たちが描かれている。
嗜好にも正しさがあるのか?というのがまさに『正欲』メインテーマだと思っていて(「正」欲ってネーミング秀逸だな)、そこの境界線はかなり曖昧なのではないだろうか。
いわゆるイケメンではない人の顔がタイプな人がいたとして、その人は「あー、そういう人もいるよね」で済まされると思う。
では、「え?これに興奮するの?」という特殊性癖な人がいたときに、それって普通に受け入れられるのか?そこの正しさって誰が決めるのか?それについても話し合いで決めていくべきなのか?嗜好についての話し合いって成立しうるのか?
大前提、筆者が主張する内容には概ね同意である。
みんなそれぞれの方向を向いていると連帯できず、ともすると自己責任として放置されるというのはその通りだと思っていて、だからこそ正しさってなんだろうというのをめんどくさがらずにすり合わせていく必要があるよね、というのはその通りだと思う。
一方で、正しさについて話し合うべき対象範囲をどう考えるかは、論点があるのではないかなと思った。それこそ、「正」欲って話し合いで定義できるものなのか?していいものなのか?と疑問に思う。
そして最後に、こういう新書は個人的に読むのがすっっっっっっごく苦手で、途中で飽きて最後まで読み終えられなかったり、理解しきれないことが多々あるのだが、山口さんの本はしっかり読み切ることができた。
100%理解しきれたかは正直不安も残るが、最後まで興味深さを維持しながら読み終えることができて感動した。
「おわりに」に記載されている謝辞の文章を読むに、とても素敵な方なのかなと思ったので、また機会があれば著書を拝読させていただきたい。 -
Posted by ブクログ
相対主義「正しさは人それぞれ」と普遍主義「真実はひとつ」のどちらに偏ることもなく、「正しさはそれに関わる人々が合意することでつくられる」と考えることの大切さを説く一冊。高校生であっても理解できるがわかりやすい表現だが、現代の多様性尊重、感情尊重の大きな流れに疑問を抱いている人には大変興味深い本だと思う。
ここ最近連続してこの手の本を読んでいるが、共通しているのは、「言葉がよく考えられずにひとり歩きする」ことに警鐘を鳴らしている点だ。
今回は「みんな違ってみんないい」「正しさは人それぞれ」の一人歩きだ。よく考えもせずに受け止めてしまうと、「あなたはそうなんですね」で話は終了してしまう。
案外我々は同じように感じているところが多分にあるし、絶対的な正解を作り出すことはできなくてもより正しい方向に向かっていくことはできる。
著者はちゃんと語り合うことの大切さを述べている。
ここからは私見。
言っていることはとてもよくわかる。ただ、こういう語り合いを私たちの実生活に当てはめることは現在とても難しい。
関わる相手が「正しさはそれに関わる人々が合意することでつくられる」という前提に立っていなければまともな議論をすることは難しく、また、昨今このように人と向き合う姿勢は「リスク」と考えられる傾向にある。日々こなさねばならないタスクが多すぎて、いちいち相手にするくらいならゆるやかに撤退する(『人それぞれがさみしい』)方が得策だからだ。
どうすれば私たちは共に考え、建て上げる関係性を築くことが言わば当然に感じられる社会をつくることができるのか、それを合わせて考えていかねばならない。 -
Posted by ブクログ
明確な歴史的背景をもつ中・短編を三編収録。原文がそもそもかなり特異な文体を駆使しているようで、それを生かすよう腐心した訳文も多分に複雑怪奇をきわめ、読むのにかなり骨がおれた。一行がやたらと長く、改行が少なく、ページ全体が文字でびっしり埋めつくされているため、さほど長い文庫ではないのに読むのに時間がかかること。集中力を要するという点でも、多分に玄人向けの作品と思う。「クライストの文章は副文が多く(……)勝手ににょきにょきと生えていく」とは多和田葉子の言だが、実に言い得て妙と思う。情報がどうつながっているのか、それを解読するのに大変苦労した。
「ミヒャエル・コールハース」:200ページ弱の中編。領主に不当な扱いをうけた馬商人のミヒャエル・コールハースが、法廷に訴えるも権力に阻まれて果たせず、愛妻をなくし、暴徒の領袖となったすえに破滅していくという話。16世紀のザクセンに実在したハンス・コールハースがモデルらしい。
「チリの地震」:1647年のチリの地震を背景にした悲恋の物語。
「サント・ドミンゴでの婚約」:19世紀初頭に起きたハイチ革命を背景としている。
三編とも悲劇というかあまり楽しい気分になるようなものではないが、強烈な印象を残す作品ではある。機会があれば、他の作も読んでみたいと思った。