山口裕之のレビュー一覧

  • 「みんな違ってみんないい」のか? ──相対主義と普遍主義の問題

    Posted by ブクログ

    みんな違ってみんないいという、相対的な考え方は思考停止に陥ってしまうなぁと思っていた。しかし、それを論理的に違うよと反論できなかったが、相対主義を受け入れることのデメリットについて学ぶことができた。

    0
    2022年11月21日
  • 論理学 考える技術の初歩

    Posted by ブクログ

    本書は論理学、考えるということについての18世紀の哲学者によって記された本である。
    断続的に読んだせいもあり、うまく自分の中で消化できていない。
    著者に言わせれば、知っていることからしかしか知らないことを知る方法はないとうことで、改めて本書を再読せよ。
    となるのだろうが、再読はなかなか気が進まない…というのが今の気分である。

    ・考える際には分析から始める。
    ・何かを学ぶときには知っていることから知らないことへと進む

    0
    2017年05月28日
  • 論理学 考える技術の初歩

    Posted by ブクログ

    これ1冊でロジカル・シンキングが会得できる!
    というオビに惹かれて購入。

    「知性は、注意、比較、判断、想像力、推論という機能で構成されている。」

    考える技術の初歩、というのが副題なのだけど、考えるということはどういうことなのだろう。
    分析という言葉をコンディヤックは何度も使っている。対象を分析すること。
    全体を見ること、個物を見ること、比較すること、一般化すること……見えるものから見えないものを想像すること、推論すること。

    いつか、頭の中では宇宙をも考えることが出来るという言葉を聞いたことがあった。
    人ひとりでは、物質的に扱えないような大きさのものも、私たちは考えることが出来る。

    また、考えることと言葉の関係も説いている。
    私たちは名付けられた個物について、考える。
    しかし、名付けられたからといって中身のない観念には注意を払わねばならない。
    言葉も、共有する上では、わかりやすく使いよいものが良い。
    名前がその性質を現しているようなもの。
    確かに、そうしたものは頭に残りやすくもある。

    未知のものを記号に置くこと。
    代数学の話は、非常に面白い。
    分かるものと、分からないものの条件を整理していくことで、分からないものの解が生まれる。
    方程式なんて、なんの気なしに使っていたけれど、分からないものを分析し続ける。
    これは、数学の分野に限らない。
    考えるというのは、このようなことなのだ。

    果たしてコンディヤックの不安が的中していないか心配なレビューなのだけど、感覚的に分かることが何故、そう分かるのか。
    自分が知らず出来てきたことを改めて問い直してみようと思えた。

    0
    2016年08月06日
  • ひとは生命をどのように理解してきたか

    Posted by ブクログ

    遺伝子科学をエピステモロジー(科学基礎論)から批判した本である。骨子は遺伝子研究が行う「〜という症状を生む遺伝子」といった研究は人間の都合から遺伝子を理解するのみであり、さらに言えば「字が読めない遺伝子」があったとしても無文字社会では都合が悪いことはないように。人間という生物のさらに現代生活の都合から遺伝子を理解しているにすぎず、こうした方法からは、生命を理解するために必要な生命の「目的」はでてこないので、生物が生物を理解するには相手の主体性を前提にし、共有と確認のプロセスで理解するしかないということである。全5章からなり、第1章はヒトゲノムプロジェクトの詳細とその後の研究を概観している。海水から遺伝子を見つける方法や、最小生命(遺伝子380個くらい)の確定、DNAがどのようなタンパク質に翻訳されるのかというアノテーション研究、生体内のさまざまな科学物質をネットワークで表現する手法、このネットワークが膨大で人間には理解不能であるため、さらにそのネットワークを分析してモチーフをさがす「システム生物学」の出現などを紹介している。第2章は生物学の成立を論じている。アリストテレスにはじまる日常的な生命の把握から、ラマルクによって生物学がつくられたこと(1802)、17世紀のデカルトらの機械論によって生命を理解しようとする発想、19世紀から20世紀に至る生気論の展開(ダーウィンも「ジェミュール」という物質を想定し、獲得形質の遺伝を担うと考えていた)などを論じている。第3章は、シュレーディンガーに始まる分子生物学が「情報」として遺伝子を考えたこと、メンデルの遺伝子論や突然変異説などを取り込んだネオ・ダーウィニズムが、形態の「原因」として遺伝子を考えたこと、この二つの「遺伝子」概念を比較し分析している。第4章は、現代の遺伝子科学まで影響を及ぼす機械論は、擬人主義を排除しているように言われるが、実は擬人主義を前提にしていることが、カンギレムに基づいて、論じられている。簡単にいえば、機械は人間が目的を与えて作ったものだから、機械にもとづいて生命を理解しても擬人主義を脱出できないのだ。また、熱力学・BZ反応などの反応拡散系・プリゴジンの散逸構造・ラングマンのカオスの辺縁・カウフマンの集団的自己触媒系・マトゥラーナのオートポイエーシスシステムなどの「自己組織化モデル」を検討している。どれも生命がもつパターン(組織)を再現できる理論だが、そのパターンは観察者が認知するものにすぎないこと、さらに「自己」組織化の「自己」の部分は検討されていないと結論する。第5章では、生命を理解することは人間の理解の枠組みを問い直すことにほかならないとカンギレムの問いが転倒され、生まれたら勝手に生きていく生物を理解するには、「共同作業」によるしかなく、相互の理解は共同作業のその場で創造されていくことを指摘している。

    0
    2012年04月12日