あらすじ
「正しさは人それぞれ」といって他人との関係を切り捨てるのでもなく、「真実は一つ」といって自分と異なる考えを否定するのでもなく――考え方の異なる者同士がともに生きていくために、「正しさ」とは何か、それはどのようにして作られていくものかを、さまざまな学問のこれまでの議論を概観したうえで考える。
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Posted by ブクログ
社会には、相反する意見の中から一つを選ばなければならない場面がある。そのとき「人それぞれ」では済まない。著者は、絶対的な正しさを前提とする普遍主義でも、各人の価値観を等しく認める個人相対主義でもない、「より正しい正しさ」をつくるという第三の立場を提示する。
多様性を掲げる運動は、発展するほど内部にさらなる多様性を見出し、やがて個人相対主義へと行き着き、内部崩壊を招く危険がある。多様な人々が抑圧されずに連帯するためには、既存の名前やカテゴリー、すなわち権力が定めた社会的枠組みを一度は受け入れる必要がある。それを拒んで「人それぞれ」と言うだけでは、個々が分断され、連帯が生まれない。そして人々が分断された方が、権力にとっては支配しやすい。
この意味で「正しさは人それぞれ」という言葉は、一見多様性を尊重するようでいて、実際には支配構造を温存する作用をもつ。
「絶対に正しいことはない」としても、「より正しい正しさ」はありうる。その判断に必要なのは、ルールを正当化する手続き自体が正しいかどうかである。ある行為の正しさは、その行為に関わる人々の合意によって初めて成立する。
本書の要点は、道徳であれ事実であれ、正しさは与えられるものではなく、つくり出されるものだとする点にある。読んでいて、筆者が学術的な事柄を断定的に述べる箇所に「本当に?」と感じる部分もあったが、それもまた本書が提示する「より正しい正しさ」を考えるきっかけになっていると感じた
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「正しさ」を「人それぞれ」で片付けてしまうことは相互理解の放棄に他ならない。また、人類普遍の正しさが常に存在しているわけでもない。「正しさ」は人と人の合意により形成されるものであり、そのためにはしばしば多大な労力を要するものである。実生活での対立解消にも役立てられる、示唆に富む一冊だった。
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「正しさは人それぞれ」「みんな違ってみんないい」というような相対主義、「真実は一つ」という普遍主義のいずれをも退け、考えの異なる者同士がともに生きていくために、「正しさ」とは何か、それはどのようにして作られていくものかを、様々な学問のこれまでの議論を概観した上で考察。
本書の結論としては、「正しさは人それぞれ」でも「真実は一つ」でもなく、「正しさはそれに関わる人々が合意することで作られる」というものである。
元来自分は相対主義的な考えを持っていて、それこそが「正しい」とも思ってきたが、本書の中で、「正しさは人それぞれ」という相対主義は相手を思いやっているようで、相手のことを理解し自分のことを理解してもらおうとする努力を放棄しているだけという趣旨の指摘を受け、確かにそのとおりだと顔をはたかれたような衝撃を受けた。
本書では、筋道だって、「人それぞれ」というほど人は違っていないということ、そして、「道徳的な正しさ」あるいは「事実認識の正しさ」を人それぞれで勝手に決めてはならず、他者との関わりの中で「正しさ」というものが作られていくということが論じられており、納得性が高かった。
ただ、実際に「正しさ」の合意形成を図っていくのはすごく困難な道のりだとは思う。しかし、それを安易にあきらめて「正しさは人それぞれ」に逃げるのはやっぱり違うなと認識した。
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心地よく聞こえるフレーズが世の中にどういった影響を与えるのか
意味も影響も知ろうともしないまま使っていた言葉は沢山あります
自分自身も社会の一部であることは忘れてはいけないと感じた一冊
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丁寧に丁寧に「人それぞれ」に対する誤りを指摘し、著者の考える対応をしっかりと述べてある。
最後に書かれている《おわりに「人それぞれ」はもうやめよう》を読むと、ここまで読んできて本当の良かったと思う。
ついつい『人それぞれだけど〇〇だと私は思います』とか逃げ口上気味に書いてしまう事が多い自分。意識して合意を形成して行くようにしなくては。人はバラバラで生きて行くのでは無いのだから。
読書の流れとしては、この後「訂正する力」(東浩紀)を読み進めて行く予定。
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「みんな違ってみんないい」というフレーズに違和感をいだいていた僕にとって、違和感の原因が明確化できたと言える本。
本来、社会の同調圧力に抗うための言葉であったはずなのに、いつのまにか「お前はお前、俺は俺」という他者の関わりを拒絶するための便利な言葉に成り下がってしまっている。
章タイトルにあるように、「『道徳的な正しさ』を人それぞれで勝手に決めてはならない」し「『正しい事実』を人それぞれで勝手に決めてはならない」と思わされる。
デモクラシーの本質は、熟議によって合意形成を目指し、最終的には多数決によって現時点で「正しい」であろうと思われることを仮説として進めて行く。間違っていたかもと思った時のために反対意見を温存しておく、というものだが、社会生活に関わる多くのものが同じような仕組みであるべきなのだろう。
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「正しさは人それぞれ」論や「言語が異なると世界の見方が異なる」説などを紹介しながら、「正しさ」がどのように作られるのかを解き明かしていく内容だが、説明の仕方が丁寧な日本語なのでよく理解できた.多くの思想家の引用も多く、当然さまざま言語で理解された上で日本語で説明されていることを思うと、非常によく勉強されていると感じた.それぞれの章のまとめが良かったので、抜粋して保存することにした.
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巷に蔓延する「正しさは人それぞれ」という相対主義と「客観的で正しい答えがある」という普遍主義の問題点を、哲学を中心に言語学、文化人類学、経済学、社会学を紐解きながら「正しさとは何か」を考える。
読む前はもっと政治学寄りの本かと思っていたが、哲学の本だった。
そもそもその考えはどこから来たのかということを古代ギリシャから現代までの思想のエッセンスを流れがわかるように解説してくれるところが滅法面白い。今時の高校はどうだか知らないが、私の頃の授業は、誰々はこう考えたを紹介するのみで全く面白くなかったが、流れがわかると面白いものだなと、つくづく感じた。フーコー、ドゥールズ、デリダとかは学生の頃、彼らの本を読んで論争するのがカッコいいみたいな流行があったけど(ロラン・バルトとかも)、ちっともわからなかった。でも、こうやってよくわかった人が説明してくれてると、なるほどなと思う。
著者の言いたいことは一貫しているし、繰り返し書かれてもいるのでよくわかったが、第4章で急に語り方が変わって、ここは分かりにくく感じた。数学・科学についての話は例が豊富で分かりやすかったが、全体として見るとちょっと他とは扱っていることが違うので、必要だったのかなと思わないでもない。
でも、大変面白かった。哲学に興味のある人には特に入門書としてもおすすめしたい。
Posted by ブクログ
みんな違ってみんないい。
相田みつをさんには悪いけど、
耳ざわりのいい言葉には注意が必要だ。
「みんな違ってみんないい」を便利に使ってないか。
そこからさらに踏み込まず、互いを理解することから逃げていないか。
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相対主義と普遍主義についてのいろんな議論を歴史を追って紹介・説明されていてたいへんわかりやすいです。ロジックの立て方が自分に合っていたというか、ちょうど疑問に思ったところの次にその答えが説明されるという感じですらすら読めました。
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初心者向けの哲学の本として、わかりやすい。ポイントが太字で書いてあり、概念がひとことで簡潔にすぐ説明されている。哲学を復習するにはベストな本である。
徳島大学の授業をもとにしたと記載している。2025年に再度読んでみた。
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第3章が特に響いた。一部要約。
「正しさは人それぞれ」
「絶対正しいことなんてない」
「何が正しいかなんて誰にも決められない」
こうした言葉は、より正しいことを求めていく努力をはじめから放棄する態度を示している。
「正しさ」は、どのようにふるまうことが道徳的に正しいのかについての共通理解のことであり、ひとつの行為に複数の人間が関わる時、はじめて作られていくもの。ある行為の正しさは、それに巻き込まれる人たちが合意することによって正当化されるもの。
人類全員の合意はないかもしれないし、その意味では「絶対正しいことなんてない」のかもしれない。しかし、「より正しい正しさ」はある。
人間は、他人の感情や考えを聞き、事実と論理にもとづいて思考することで、共有できる「より正しい正しさ」を作っていくことができる。
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価値観の多様性、人それぞれなどの思考が世の中を分断している。何が正しいのか、それも人それぞれなのか。少なくとも同じコミュニティや組織、会社、チームの中では何が正しいか共通のものを持つべき。
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『「みんな違ってみんないい」のか?』を読み終えて——相対主義という名の落とし穴
電車の広告で見かけた「多様性こそ力」というキャッチコピーが、なぜかひっかかっていた。この本を読み進めるうちに、その違和感の正体が少しずつ見えてきた。山口裕之が指摘するのは、現代社会が「人それぞれ」という魔法の言葉で思考停止に陥っている現実だ。特に印象に残ったのは、原子力政策をめぐる専門家会議の事例。反対派の学者が排除された会議で「科学的合意」が作られるプロセスは、まさに相対主義が権力の道具となる瞬間を捉えていた。
私たちが無意識に使ってしまう「受け取り方次第」という言葉の裏側には、意外な危険が潜んでいる。ハラスメント問題を考える時、この言葉が加害者より被害者に解釈の責任を転嫁していることに気付いて背筋が寒くなった。著者が引用する米国の「合理的人物基準」は、個人の主観を超えた社会的な物差しの重要性を教えてくれる。例えば管理職の不用意なジョークが、特定の属性を持つ人々に与える累積的ダメージを計る物差しがこれにあたる。
科学の歴史が教えてくれたのは、正しさが一夜にして生まれるものではないという事実だ。地動説が定着するまでに要した300年という歳月は、現代の気候変動論争やAI倫理の問題にも通じる。重要なのは、ニュートンが予言した「海の潮汐」のように、時間をかけて事実が浸透していくプロセスを信じる忍耐力かもしれない。
この本から学んだ最大の気付きは、対話の放棄が最大の暴力になり得るという逆説だ。SNSで簡単に「ブロック」できる時代にこそ、私たちは異なる意見と向き合う訓練が必要だと痛感した。職場の会議で「この決定は多様な視点を反映しているか」と問う習慣、ネットの議論で反応する前に24時間待つ自制心、そして歴史の教訓を現在に投影する想像力——これらが真の多様性社会への鍵だと理解した。
最後に、色彩認識の研究が心に残っている。虹の色の数が文化によって7色だったり5色だったりする事実は、人間の認識の柔軟性を示すと同時に、網膜の構造が普遍であるという生物学的根拠も教えてくれる。違いを認めつつ共通基盤を見出すこのバランス感覚こそ、混迷の時代を生きる術なのだろう。次は職場のダイバーシティ研修で、この気付きを共有してみようと思う。
Posted by ブクログ
久しぶりに内容の濃い本を読んだ。
「あ、この人意見違うな」と思うと、「まあ、人それぞれだしね」と、考えることを放棄していたけれど、それはものすごく安易な考えでした。(自己反省)
少なくとも、自分の大切な人(家族とか、数少ない友人)、ビジネスでお付き合いしないといけない人とは「正しさ」の認識合わせができるような関係を築いていきたいものです。
これって、難しいけど組織でも必要なんだろうな、と思いました。仕事をするという目的だけでつながっている人間関係。人が複数人集まれば、人間関係のいざこざは避けられません。
「正しさ」の共通認識を各人が持っているか。
良い人間関係を築くためには、重要な事なのではないかと思いました。
「正しさ」の合意。これがないから「あの人ずるい」とか、「ここ怒るとこ?」とか、ちょっとした事がトラブルになるのではないかと思った次第です。
「普通、そうですよね?」と、他人に同意を求める前に自分の「正しさ」が独りよがりのものでないか。
一度考えてみるのもいいかもしれないです。
あまりにも濃厚な内容で、消化不良気味です。
もう一度読み直そうかと思います。
Posted by ブクログ
「多くの人は「人それぞれ」の相対主義か「真実はひとつ」の普遍主義かという二者択一に陥りがちですが、相対主義も普遍主義も相手のことをよく理解しようとしない点では似たようなもの」
だからこそ、その間の道をどちらかに落っこちないように気をつけながら進まなくてはなりません。」
本書は著者が「徳島大学総合科学部の授業をしながら考えてきたことのまとめ」だし、ちくまプリマー新書なので、本来の想定読者は若者たちかもしれないけれど、親世代かもしくは祖父母世代である私にとっても発見が多く、著者に励まされながら「間の道」を少しずつ進む読書は楽しくとても勉強になった。
(読書会Hさん推薦本)
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面白さは程々だが、勉強になることが多かった。
特に、「皆考えが違う」事を考えなしに認めると意見がまとまらず権力者のなすがままになってしまうという指摘や、動物には感情があってもそれを主張したり共有しないしコミュニケーションは常に一方通行で反射的であるという理論の紹介は大変興味深かった。
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「正しさは人それぞれ」を批判するとともに、みんなの「正しさ」をどう作っていくかを論じる。「『人それぞれ』というほどには人は違っていない」という話は興味深い。科学に対するスタンスには賛成できないが、こういう考え方もあるという学びになった。
Posted by ブクログ
「みんな違ってみんないい」っていうのは金子みすずの詩だよね。いいフレーズだと思うけど、現代日本社会での「みんな違ってみんないい」のとらえられ方をあらためて考えると、みんないいのかってことになるよね。
この本の要旨は、みんな違ってみんないいで治めずに、ちゃんと合意点を見いだすべきという話。自分も日常のなかでずいぶんと、意見が通じないからとかかわりを怠ってしまっていることがままあるなと反省する。そこに分断が生じてしまうのであって、そうしないための努力が必要ということ。
一方で、双方がそういう気持ちでいれば合意も目指せるだろうけど、いまの世のなか、相手は話にならないことも、またままあると思う。著者は「『正しさは人それぞれ』と並んで最近よく聞く言葉に、『絶対正しいことなんてない』とか『何が正しいかなんて誰にも決められない』などというのがあります。これらの言葉を言う人たちは、どうやら『ちょっと気の利いた、よいことを言っている』と思っているようなのです」(p.140)なんて書いているけど、トランプとかプーチンとか安倍くんとか国家レベルですら、言うばかりで聞かない人たちがいる。ちょっと気の利いたよいことを言っているつもりというよりは、そういう人たちと同じ世界で生きていくにはこうでも言って彼らがいう正しさの価値を下げるしかないじゃないかと思う。
著者の要旨には気づきもあるし納得できるんだけど、こんなところがちょっとクセがあって何だかなあ。
Posted by ブクログ
「正しさや正義は人それぞれ」という、冷笑的とも言える(?)態度を批判する書籍。
大多数の人間は共通の感覚器官を有して事象を知覚するため、各人の感じとる認識というのは、言うほど異なっていないのであり、異なっていたとしても、理解可能な範囲の差異である、だから人それぞれなどと言うのは良くないし、感じた差異についての意見を交わすべきだ、というのが大意。
一見、実在論の立場を取りそうな論旨だが、科学哲学における実在論関連の議論をもとに、人間の創造性がなければ実在は確かではないという立場もとる。
※自らの哲学的立場をある程度平易に明示しているのには、知的な誠実さを感じる。
本書全体の細かな箇所を見ると、読者側で十分に吟味し批判していくべき箇所も多々あるように思われるが、それでも、私が昨今ずっと抱いている問題関心にを鮮やかに指摘しているように思われるため、その点とても共感して読んだ。
問題関心というのは、世の中の事象に対して冷笑的な立場(この書籍が言うところの「人それぞれ論」)と、自分とは異なる立場の人たちに罵詈雑言を浴びせる立場とは、実は共通した根底があるのでは?というもの。
特に論争等が発生している際の「人それぞれ」というのは、無関心や、議論に参加することの面倒臭さを表しているように思え、分断を深めるという意味合いで、相手に罵詈雑言を投げかけるのと大差がないと考えていたが、この本を読んで、両者に共通するのは、他者に対する想像力の無さなのではないかと思った(想像力のなさの根底には無関心もある気がするが、どちらが根源なのかはわからない)。
本書の話ではないけれど、「寛容vs不寛容」の話と大きく関わる部分があるとも思った。議論をしていて、相手に心底納得することができない場合でも、ある程度の礼節を持って接することができる。嫌な奴でも、共存することはできる。ただし、その際に「人それぞれ」論者になってしまうと、最初は摩擦を避けられて楽かもしれないけれど、いずれ大きな分断を招いてしまう。そういうことなのではないかなと感じた。
Posted by ブクログ
みんな違ってみんないい→干渉しないから俺にも干渉するな。より正しいものを共同決定していこうとする努力の放棄。最終的には力の勝負となる。真実が認知を介せずに存在しているとしても,認知して初めて真実が明らかになる。認知の仕方が個人間で同じとは言えない。だからこそ,すり合わせや確認が必要となる。みんな違ってみんないい,は耳あたりがいいだけで,みんなを尊重していますよ的なポーズであり,突き詰めていけば冒頭のような個人間の断絶である。認知の背景と根拠と感情,これらを吟味することが大切。だけどとても面倒なのだ。
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「みんな違ってみんないい」を突き詰めると社会は成り立たないから、社会的な正しさをどう成立させるのかを論じた本。1章から3章までは、シンプルに理解できる言語化で、いい感じ。
まとめると、
1章 「集団単位の多様性」と「個人単位の多様性」をごっちゃにすんな。
2章 言語学的にも、文化人類学的にも、「人それぞれ」というほど人は違っていないぞ。
3章 「人それぞれ」などと言って、十分に話し合う努力をしなでいるのがダメなんや。
でも、4章は科学哲学の話になり、何が言いたいのか分からなくなる。科学的知識(法則の発見)は、人間にとって有用な技術とハイブリッドで作られているという話が、小難しく続く。最終的に、コロナワクチン陰謀論とかに飛ぶので、議論の接続性も悪い。
著者としては、科学的コンセンサスに素人が異議を唱える風潮に、物申したかったのだろう。でも、4章のような小難しい議論が嫌な人が、分かりやすい陰謀論に飛びつくのだから、4章はちょっと構成に失敗してる気がする。
なので、前半は良いけど、全体としては惜しい本だなあ、という感想。
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「みんな違ってみんないい」という金子みすゞの詩を例にあげながら、「正しさは人それぞれ」という言説が流行っているというくだりがあったが、その2つはイコールではないのでは、と思った。
それぞれが「よい」と感じることと、それぞれが「正しい」と思うことは違っていて、必ずしも正しいことがよいことにはならないし、逆も然りである。
そのうえで、よいことは人の趣味嗜好の問題でありそこの多様性は認めてよいと思う、と書きながらふと思ったのだが、よいことの中に正しくない(と一般的に考えられる)ことが混ざってきたらどうなるのだろうか。
たとえば、朝井リョウさんの『正欲』のなかでは、特殊な嗜好の人たちが描かれている。
嗜好にも正しさがあるのか?というのがまさに『正欲』メインテーマだと思っていて(「正」欲ってネーミング秀逸だな)、そこの境界線はかなり曖昧なのではないだろうか。
いわゆるイケメンではない人の顔がタイプな人がいたとして、その人は「あー、そういう人もいるよね」で済まされると思う。
では、「え?これに興奮するの?」という特殊性癖な人がいたときに、それって普通に受け入れられるのか?そこの正しさって誰が決めるのか?それについても話し合いで決めていくべきなのか?嗜好についての話し合いって成立しうるのか?
大前提、筆者が主張する内容には概ね同意である。
みんなそれぞれの方向を向いていると連帯できず、ともすると自己責任として放置されるというのはその通りだと思っていて、だからこそ正しさってなんだろうというのをめんどくさがらずにすり合わせていく必要があるよね、というのはその通りだと思う。
一方で、正しさについて話し合うべき対象範囲をどう考えるかは、論点があるのではないかなと思った。それこそ、「正」欲って話し合いで定義できるものなのか?していいものなのか?と疑問に思う。
そして最後に、こういう新書は個人的に読むのがすっっっっっっごく苦手で、途中で飽きて最後まで読み終えられなかったり、理解しきれないことが多々あるのだが、山口さんの本はしっかり読み切ることができた。
100%理解しきれたかは正直不安も残るが、最後まで興味深さを維持しながら読み終えることができて感動した。
「おわりに」に記載されている謝辞の文章を読むに、とても素敵な方なのかなと思ったので、また機会があれば著書を拝読させていただきたい。
Posted by ブクログ
思った以上に広い範囲を射程にとった文章だった。人間は生物学的に感じてしまう感情を出発点にして道徳的な善悪を構成していくが、それは単なる経済的な損得勘定とは異なるという点が面白かった。
Posted by ブクログ
相対主義「正しさは人それぞれ」と普遍主義「真実はひとつ」のどちらに偏ることもなく、「正しさはそれに関わる人々が合意することでつくられる」と考えることの大切さを説く一冊。高校生であっても理解できるがわかりやすい表現だが、現代の多様性尊重、感情尊重の大きな流れに疑問を抱いている人には大変興味深い本だと思う。
ここ最近連続してこの手の本を読んでいるが、共通しているのは、「言葉がよく考えられずにひとり歩きする」ことに警鐘を鳴らしている点だ。
今回は「みんな違ってみんないい」「正しさは人それぞれ」の一人歩きだ。よく考えもせずに受け止めてしまうと、「あなたはそうなんですね」で話は終了してしまう。
案外我々は同じように感じているところが多分にあるし、絶対的な正解を作り出すことはできなくてもより正しい方向に向かっていくことはできる。
著者はちゃんと語り合うことの大切さを述べている。
ここからは私見。
言っていることはとてもよくわかる。ただ、こういう語り合いを私たちの実生活に当てはめることは現在とても難しい。
関わる相手が「正しさはそれに関わる人々が合意することでつくられる」という前提に立っていなければまともな議論をすることは難しく、また、昨今このように人と向き合う姿勢は「リスク」と考えられる傾向にある。日々こなさねばならないタスクが多すぎて、いちいち相手にするくらいならゆるやかに撤退する(『人それぞれがさみしい』)方が得策だからだ。
どうすれば私たちは共に考え、建て上げる関係性を築くことが言わば当然に感じられる社会をつくることができるのか、それを合わせて考えていかねばならない。
Posted by ブクログ
人それぞれだからと口にする時、思考停止していませんか?と問いかけられます。「人それぞれ」は「自分自身の正しさの根拠や理由についても考えない態度を助長する」と。今でいうと多様性がその最たるものかもしれません。
上記にあげたメインの主張には非常に同意できる点が多いですが、そこに行き着くまでの理由やたとえ話には個人的に賛同しにくいところがありました。
今回の結論は一緒だけれど、いつか違ってくるんだろうなとうっすら感じながら読んだ印象です。