篠田英雄のレビュー一覧
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ネタバレ中島敦を見習え to 翻訳者 Part 2
翻訳が見事に天に唾している名著。
日本語の遣い方が不可解過ぎる。
さて、これについて当のカントは何と言っているか。
「新語を造るのは、新しい真実を含む思想によるのでない限り、旧い衣裳に新しい布切れを縫いつけて、自分を人なかで目立たせようとする児戯に等しい努力にすぎない。」
ははは。
「批判書」の実際の内容は凄く簡単。
「純粋~~」 "What can we KNOW?" =わからんことはわからん。
「実践~~」 "What can we DO?" =我慢しろ、最悪の場合は神様が来るの待て。
「判断力~~」 ”What is GOOD?" =良いものは良いんだ。 -
Posted by ブクログ
訳者あとがきに拠ると、筆者の論文二篇と日記抄二篇、合計四篇を和訳したものを纏めて1939年に刊行し、その時につけられた邦題が『日本美の再発見』らしい。日記は「飛騨から裏日本へ」と「冬の秋田」、論文は「日本建築の基礎」と「永遠なるもの---桂離宮」。
そののち、紙型が劣化したため改版するにあたり、あらたに「日本建築の世界的奇蹟」と「伊勢神宮」を加えたのが増補改訳版の中身。
「日本建築の基礎」は論文といいながら実際は講演のまとめであり、内容そのものが可也主観的かつ情感的で、お世辞にも学術的とは言い難い。講演なので細かい話や詳しい図表も一切なし。桂離宮を褒めちぎるのはよいが、どこがどう凄いのかとなると、とんと要領を得ない。ただ一言、直接参詣してつぶさに観察すべし、と。茶室についての考察は興味深いが、少し極論の嫌いもある。
「飛騨から裏日本へ」と「冬の秋田」は、全体に文句たらたらで、ややもすると電車や自動車などの近代文明に悪態をついている。訳者がどうしてこの内容を上梓しようと思ったのか、意図が知れない。褒めちぎる建築物はどれも農業や牧畜に適った構造をもつものばかりのようで、簡素を求めているらしい。その一方で旅館の一番綺麗な部屋をイカモノ、イカモノと扱き下ろす癖があるらしく、総じてみると、簡素で屎尿の臭いのしない納屋が筆者の意に最も適う建造物ということになろうか。その時の気分で見方もころころかわるし、何が言いたいのかわからない。章末に「私は夕方散歩しながら秋田の建築に教えられるところが多大であった。」と一言あるが、何がよかったのかは一切説明なしなので、本当に駄文でしかない。書かれていることは「何月何日、この旅館は臭い。何月何日、すばらしい接待を受けて嬉しかった。何月何日、ゴリラをみるみたいな目でみられた。ここの人はろくでもない。」みたいなのの繰り返し。駄文。
「永遠なるもの」もただの感想文。上野君は、上野君は、と繰り返し上野(伊三郎)氏の考えをもちあげるなら一層のこと上野氏の考えを新書にしてほしい。「私達が見、考えまた語ったすべてを剰すところなくここに述べる……には別に一巻の著書を必要とするだろう。」それならむしろそれを本にしてほしかった。
増補された小二篇は数頁だけの内容であまり記憶にのこっていない。
邦題をみて期待したのは、日本の美しい風景や景観を書き留めて、そのほかの西欧人の旅行指南にでもしたような内容だが、実際の内容は上記の通り。『日本の家と人々』とでもしてくれていればもう少し客観的に読めたのに。残念。筆者自体を詰るわけではなく、あくまでもこの書籍が残念。気づきを与える箇所は勿論あるし、一欧州人の考えや、その目に映った日本の当時の姿を知れるという意味では価値ある本。この四章+二章を一つに括ったのがそもそもの間違いとしか思えない。
建築について興味があるのなら、今和次郎の『日本の民家』(岩波文庫) を読んだ方が得るものは多い。 -
Posted by ブクログ
著者は、ナチス政権下のドイツから、日本に亡命した建築家で合理性と美の一致を提唱した人。モダニズムの影響の下、伊勢神宮などシンプルな日本建築を称賛し、日光東照宮などは華美として批判。時代を超えた精神性や美意識をあますところなく述べ、日本の知識人の価値基準に大きな影響を与えた。本書の中ほどでは、著者が旅した日本の風景が日記として綴られ、当時はまだ珍しかった外国人が、日本をどのように旅していったのか、時にユーモラスや苦労話を交えながら、日本人のたたずまいのすばらしさを語る。古き良き日本は、日本人にとっても、既に遠い過去のもになってしまったようだけど、本書はまるでタイムカプセルのように、当時の光景が綴られているので、現在の私たちもこの本を通して、当にタイトル通り、あらためて日本の美を再発見できるのではないか、と思う。
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Posted by ブクログ
「戦争論」
クラウゼヴィッツ
「名著で学ぶ戦争論」を読んだ影響で読んでみようと。
クラウゼヴィッツの「戦争論」は
避けては通れない書物であるみたいなので、
上中下、全3巻1320ページを紐解くことにした。
「現代サラリーマンが読んで意味がある著書なのだろうか」
答えは否。
逆に1832年に出版された戦争に関する書物だから。
これは自明なんだけども。
それはともかくとしても。
何より読みにくい。
もともとこちらとしても実用書として挑んでいるワケではないので、
ある程度覚悟していたつもりだが「これほど」とは。
何故こんなに読みにくいのか。
理由としては、文章の一文一文を理解するのに、
著者の意図する総体を分かっていないと分かりづらいためだ。
正直、読んでいて苦痛。修行に近い。
何より、読んでも何一つとして現代サラリーマンの
自分に利するところが何もないというのが追い打ちをかける。
と、この点に関して言えば発想の転換によって、
大きく意味合いが違ってくる。
本書は現実的に可能な限り高次な視点で戦争を通観している。
いわば将軍の目線だ。
(ナポレオン・フリードリヒ大王etc)
一介のサラリーマンブ無勢が
そんな高度な目線に立ち会えるとは。ありがたい。
そんな気概をもって読まなければならない。
そう言った意味でいうならば、
時空と地位を飛び越えた書物といえる。
「戦場のetc」
上中下と分けられた本書において、
上巻は主に「全編に対する心構えをつくる」パートという印象を受ける。
対して中巻からは具体的に「本戦」「行軍」「要塞」「山地防御」「河川防御」
など、急に具体的な事項が書かれ始めて面食らう。
中でも印象に残った章といえば「退却」に触れた章だ。
敵軍敗戦後の退却に対して、
追撃を敢行することではじめて大きな戦果を出すことが出来るなど、
目からうろこ、どころかはじめて習う論法が妙に印象に残る。
NHKドラマ「坂の上の雲」で日清戦争中に阿部寛が演じる秋山好古が
「退却戦こそ難しいんじゃ」と言っていたシーンがよみがえった。
「中道へと転がりがちな分野における信念について」
現代サラリーマンが読んで意味があるのか。という問いに対して、
将軍目線で味わえるという、いわば屁理屈のような回答を出してみたが、
最後にもう一つ。本書に対して美徳を感じた点がある。
様々な要因が入り混じるために、
いくつもの誤った説がはびこる「戦争」という事象について、
再度、公正な立場で、論理的で体系的に語ろうとした点である。
門外漢の自分としても、この試みが途方もない作業であることが分かる。
現に本書の大部分のページがもっぱら
「誤った説を修正する」ことに割かれているからだ。
「戦争」という特異な分野であるものの、
この膨大なページに渡って語られる著者の気概が感じられ、
信念を持つことに対する勇気をもらえるような気がした。