吉田裕のレビュー一覧
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岩波新書のシリーズ日本近現代史の6冊目は、太平洋戦争研究の第一人者である吉田裕(現・一橋大学大学院社会学研究科教授)が担当。
さすがにこの分野を長年手がけてきた研究者の書くものなので、新書ながらコンパクトにまとまっているし、読みやすい。
読みながら思うのだが、やはりこの分野の研究の蓄積量は並大抵のものではない。非常にアカデミックな実証研究から、一般市民の手記に至るまで数多くの刊行物があり、硬軟取り混ぜて記述しているのも入門編としての親切心というところだろうか。
しかしながら、本書には大きな欠陥があると感じる。それはわざわざ「アジア・太平洋戦争」という左派イデオロギーを感じるタイトルを選びとったことと、本書の記述の問題である。
冒頭においては戦場の広がりや対米・対英・対中戦争の区別といった多重的な概念を提唱し、末尾において「アジア・太平洋戦争」の最大の被害を受けたのはアジアの諸国民であることを強く印象づけて書いているにも拘わらず、本書での記述はほぼ大本営と政府の動向のみにしぼられている。
このような叙述の方法は、多様な価値観が交錯する戦争観を埋没化することにつながりはしないだろうか?
また、アメリカ、イギリス、中国といった交戦国の戦略なり対日意識が全く記述されていないのには驚いた。東南・東北アジア諸地域における日本軍政・日本のイデオロギーに対する反発・抵抗の具体例についての説明が無いのも片手落ちという気もする。
「アジア・太平洋」という言葉とは裏腹に、非常にドメスティックな問題意識の下に構成されている著作であるということを注記しておく。 -
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読みたい順に読み進めて、そろそろ後半に差しかかっている「シリーズ日本近現代史」。そうこうするうちに、「シリーズ日本古代史」の刊行も始まってしまったので、あんまりのんびり読んでもいられなくなってきた…。
今回は第二次近衛文麿内閣成立から、ポツダム宣言受諾までの太平洋戦争について論じた、「戦史」。最近話題になることの多い強制連行問題や、沖縄の集団自殺問題、都市空襲の是非などについても直近の研究成果を踏まえて記述されており、興味深い。
日本はなぜ戦争に負けたのか、という質問に対しては、次のデータが参考になるだろう。日中戦争以降の軍人・軍属の戦死者約230万人のうち、餓死(または栄養失調で抵抗力をなくし、マラリアなどの伝染病で病死)した人数は60% を越える 140万人。一方、アメリカは、戦争特需によって大恐慌の影響から脱っし、国民総生産が倍増(997億ドル→2119億ドル)するほど、戦時中に生活水準を向上させた。日本人が芋の葉っぱを噛りながら竹槍訓練をしているとき、アメリカ人はビール片手に野球観戦。勝てる道理は無かったのである。 -
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【感想要約】
日中戦争から太平洋戦争期の日本兵の悲惨な死の実態を、兵士の視点から克明に描いた書。分析より記録に重きを置き、美化された日本軍像への強いアンチテーゼとして、戦争が個人の命を消費する現実を突きつける。
【内容】
日中戦争から太平洋戦争(十五年戦争後半期、もしくは大東亜戦争)にかけての日本兵の凄惨な死に様を、兵士たちの目線から描き、その背後にある原因を紐解く。
全体の2/3以上のページを割いて、日本兵の絶望的環境のその実態を記述している。第1章では1940年以降の日本軍の餓死、栄養失調、病死、海没死、精神疾患、自殺、医師による「処置」(毒殺、もしくは自死の強要)といった実態を、克明に記している。第2章ではより兵士の身体に視線を向けて、徴兵環境の変遷、知的障碍者を取り巻く実態、結核対策、歯科衛生制度整備の遅れ、精神病の深刻化と組織的覚醒剤使用の進展、軍装の悪化といった実態とその背景にある日本軍の制度を描く。
第3章では上記を招いた歴史的背景として、短期決戦偏重主義、軍制の問題(統帥権、分権的組織、私的制裁の黙認、軍紀弛緩)、日本の基礎工業力不足の3点を筆者は指摘している。
【印象に残った点】
軍内の口腔衛生制度の整備の遅れ…第一次大戦以降欧米各国では歯科医将校の充実が進められていた一方で、日本では1940年になってようやく制度化されその絶対数も圧倒的に不足していた。そのため前線で歯痛に悩む兵士が多くいた。
歯科衛生が軍隊に与える影響は想像がつかず、私も軽視してしまうかもしれない。兵站は単に必要な物資を送るだけでなく、歯科衛生といった兵士の生活に必要なあらゆるものを用意する必要がある。そういう面でも、日本軍の兵站不足問題の一端がここにも垣間見える。しかしその根本にある当時の日本の圧倒的工業力、経済力不足とそれによる短期決戦主義が根本にあることを鑑みると、日本軍は兵站を軽視せざるを得ない構造的な問題を抱える軍隊であることが見えてくる。とはいえそのような環境で戦わさせられる前線の兵の心情を思うと、その悲惨さは想像を絶する。
【感想】
本書の意義は、あとがきの「無惨な死を遂げた兵士たちの死のありようを書き残しておきたい」という一文に凝縮されている。本書には美化されないありのままの日本兵の窮状が1、2章で克明に記載されている一方、3章の歴史的背景編は一般的な内容にとどまっており特筆すべき点はそれほどないように思われた。それは本書が、「失敗の本質」(戸部良一他)のように日本軍の数々の失敗からその本質的原因と現代にも通ずる普遍的問題を探ることよりかは、近年散見される過度に美化された虚構の日本軍像に対するアンチテーゼとして、一人一人の兵士の残酷な死のありようという真実を記述することに何よりも力点を置いているからだろう。そのため「失敗の本質」のような本を期待して読むと、その執拗な実態描写に疲れてしまうかもしれない。
当時の日本兵は、皇軍魂溢れる勇猛果敢な無敵の兵士でも皇国プロパガンダを盲信するファシズムの狂信者でもなく、現代の私たちと同じ感覚をもつ普通の人たちであった。そのような命が簡単に消費されてしまう戦争の恐ろしさを痛感した上で、一方で周辺国の対外膨張にも向き合わざるをえない国際環境下に生きるものとして、国際紛争の解決法としての戦争のありようと向き合わなければならない。 -
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『日本軍兵士』アジア太平洋戦争の現実 吉田裕
『続・日本軍兵士』帝国陸海軍の現実 “
アジア・太平洋戦争の「兵士の戦争史」である。
「兵隊は悲しいなあ、軍上層部の作戦計画などまったく知らされなくただ翻弄されるだけの存在だった」
従来日清戦争や日露戦争では参謀本部や軍令部が統計資料を収録した大部の戦史を編纂していた。第一次世界大戦でも戦史を残している。しかし満州事変と日中戦争以降は敗戦前後の公文書焼却に加え戦史の編纂を途中で打ち切ったためそれすらない。ただしアジア・太平洋戦争については戦後防衛庁防衛研修所戦史室が編纂した『戦史叢書』全102巻がある。それは旧陸海軍幕僚将校グループの専有物で相変わらず作戦第一主義的な性格が強く兵站、情報、衛生、教育などは軽視していて「戦訓研究」の傾向が色濃い。
開戦に至る経緯と終戦およびその後の占領政策に関する研究では政治史や近代史研究者の成果も多い。「煙管の筒」の部分は社会史や民衆史の視点から書いたものはあるが、現実の戦争や軍隊を客観的に捉え直す軍事史研究そのものには手がつけられなかった。
著者は歴史学の立場から
①連合軍側の記録と付き合わせ②兵士の目線、「死の現場」に焦点を合わせて③帝国陸海軍の軍事的特性が兵士たちの過酷な状況にどう関係したのか、という問題意識で兵士たちの現実を大きな歴史的文脈に位置付けることを意図してこの作品を書いた。
・15年間の戦争中1944年以降の最後の2年弱で戦没者は310万人中281万人を記録し91%に達する
政府、軍部、天皇中心の宮中グループの戦争終結の決意が遅れたことによる
・軍人・軍属の戦没者230万人のうち広義の餓死者は140万人(61%)と推定、これは制海・制空権の喪失による補給路寸断で食料不足の発生、栄養失調症・マラリア・脚気・精神神経症などの併発が多い
指導部の兵站を無視した無謀な作戦の結果である
・35万8000人の海没死(搭載量過重、船舶輸送居住区画の狭隘、坪当たり2.5人に対して5人も)
戦果に乏しい特攻死(陸海軍3848人)の蛮行
・戦没者中自殺者・自決者が世界一多い、これは戦陣訓(1941年)が元凶で「動けなくなった傷病兵は捕虜になることを恐れて自殺する」結果である。
インパール作戦の退却路「白骨街道」(戦死の30%は敵弾、残りの6割は自殺・1割他殺・一部事故死)など、自決できなければ他殺が不文律の空気による
・兵士の体格・体力の低下、結核の拡大、虫歯の蔓延、病む兵士の心(恐怖・疲労・罪悪感)、被服・装備の劣悪化、軍靴も粗悪化で裸足や草鞋履き鮫皮靴も
・異質な軍事思想により
短期決戦・作戦至上主義で補給・情報・衛生・防御・海上護衛などが悉く軽視された。
極端な精神主義と中国軍や米英軍の過小評価
・日本軍の構造的で根本的な欠陥として
統帥権の独立と両総長の権限、多元的・分権的で統一した国家戦略を決定できる政治システムを持たないまま戦争を戦った、私的制裁の横行、軍規の弛緩と退廃
・後発の近代国家であり資本主義の後進性故の兵力と労働力の取り合い
・軍の機械化・自動車化、兵站の整備、軍事衛生や軍事医療、給食の充実などの課題はすべて先送りとなり兵士に一層過重な負担を強いる
歩兵の行軍装備限界重量 体重比35-40%に対して50%超え(30k)、「激しい撃ち合いの戦闘よりも行軍による体力・気力・戦意の消耗はとてもひどかった」
・大日本帝国の悲惨な敗北を準備したのは軍事史的に見れば日中全面戦争の長期化と戦略的見通しを欠いた無統制な軍拡だった、「最大の犠牲者は中国の農民だが、補給を無視し略奪なしには生きていけないような作戦を強行した軍幹部の責任は大きい」
一部に例外はあっても、内向きの軍内出世競争を勝ち抜いた軍事エリートには「演習的机上作戦」はあっても現実の戦場とそれを担う兵士たちの存在や銃後の国民のことは眼中になかった。特殊社会育ちの彼らの思考空間は現実とはあまりにも乖離していた。部下兵士はもとより国家や国民がどうなるかよりも自分の出世競争に現を抜かす。彼らから本質的な政策や戦略・戦術は出てこず、考えが体制や構造に及ぶ術もない。立場の権限を振るうのみで、その影響や役割の責任意識はなかった。国力が圧倒的で常識的な指導者が率いる国には勝てるわけがない。
兵士たちの悲哀と軍指導部に対する怒りが最高潮に達したところで一連の作品は終わる。
指導者やリーダーの在り方を深く考える。
それによる兵士たちの犠牲の夥しさを。
実際の歴史を知る価値を痛感させる作品であった。
新書大賞・第30回アジア太平洋特別大賞 も宜なるかなである。
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日本人の戦争観について、一般に知られている通り、日本人の戦争観には被害者意識が強く、加害者意識が弱い。歴史認識についても近隣国に対して反省が弱いと考えられている。では、それはなぜかという答えがこの本で議論されているところである。加害者意識の弱さの根源としては、日本が終戦という形を持って植民地を手放したことである。他の宗主国は植民地との血みどろの独立運動を経て植民地を手放している一方であっさりと植民地を手放すこととなった日本人は帝国意識が強く、アジア近隣国に対して思慮が及んでいないとも考えられる。では、なぜ被害者意識が弱いのか。日本の賠償はアメリカによる一国精算であったと同時に、アメリカのアジア戦略の都合上、早くに日本の賠償問題を切り上げて日本を衛星国としたことで、反省の意識をもつ間もなく戦争の精算がなされたという理由もある。また、当時アジアの国の国際政治上の地位が低く、それを暗黙のうちに承認してしまった。もう一つ考えられるのは、戦後という観念について経済復興を指標に考えていたことである。もはや戦後ではないという標語は、戦後の経済水準を越えようとする意志であるという一方で、戦後という観念を経済復興に一元化する効果があったとも考えられる。
軍部の暴走というイメージのもと、国民が騙されたという意識を持っていたことも加害者意識を軽薄にさせた。しかし、やはり騙されたという話ではすまないもので、今日が終戦70年であるが、この本からの教訓として、騙されるような国民になってはならないという点を意識したい。また、もう一つ示唆的だったのは、騙されたという意識に付随するが、戦争中の負担の不平等である。戦争中だからこそ、負担はその前の社会的序列に基づいて分配される。戦争と貧困は安易に結びつくが、このような事態も忘れてはならない。 -
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ネタバレアジア、太平洋戦争を詳細に研究した書物
・2005年の世論調査で、中国との戦争は侵略戦争だったが、アメリカとの戦争は侵略戦争ではなかった。と答えた人が、34%。
→その通りだと思う。というのも、中国は領土侵略をして、中国現地で戦ったから当然。しかし、アメリカとの戦争は、アメリカ現地でなく、太平洋の島々で戦った。別にこの戦争を肯定も否定もしないが、ある種、自衛戦争の要素も含まれているのでは?その引き金が、日本の中国侵略であることは言うまでもないが。ただ、アメリカのいわゆる石油など禁輸措置もやりすぎ?感もある。
・ハル・ノートの中国からの撤兵に、「満州国」は含まれるか?
→ハル・ノートには中国からの撤兵の要求が書かれていたが、確かに、満州国が含まれるかどうかは微妙だと思った。外務省はそこを確認していないわけだし、当時、満州国は日本は独立国として認めている以上、中国に含まれない可能性も存在する。中国の範囲を確定させる行動を取っていれば、戦争は違った模様をみせたのかも。たらればの話だけど。
・開戦に伴う違法行為
日本は、アメリカへ宣戦布告をせず、真珠湾攻撃をしている。よって対米最終覚書をアメリカへ渡したのが12月8日午前4時20分。真珠湾攻撃が午前3時19分だから、1907年の「開戦に関する条約」違反。そもそも対米最終覚書は日米交渉の打ち切りを知らせたものだし、渡したとしても違反だった。この覚書を渡すのが遅れたのは、日本大使館員の過失と言われているが、外務省本省が「大至急」「至急」扱いでなく「普通電」で発電したため、意図的に遅らせた可能性もある。
→宣戦布告せず、真珠湾攻撃をしていたから、国際法違反と、日本大使館員の過失というのも知っていたけど、外務省本省にも過失?があったのは意外だった。おそらく、過失ではなく軍部の圧力も相当あったから、普通電にした可能性がかなり高いと思うけど。
・その他の違法行為
イギリスに対しては真珠湾攻撃の一時間前にマレー半島への強襲攻撃しているので、こっちの方が国際法違反が際立っている。だた、真珠湾攻撃後、天皇が国内向けに宣戦布告に言及しているから、ギリギリ。オランダの場合は宣戦布告すらしていない。
→真珠湾攻撃の国際法違反がかなり際立っているけど、確かにイギリスへの方も完全に国際法違反だわ。オランダに対しては宣戦布告すらしてないなら、日本政府の対応はどうしようもないわ。
・全般的なとこで、日本軍は、陸軍、海軍とも戦争で負け続けている中、敗北かを認めず(大本営の放送から明らか)、その敗北から学ぶことが大事なのにもかかわらず、何一つ学ばなかったことも敗戦の原因の一つだと思う。これは、戦後の司法、立法、行政機関の全てに繋がっていると思った。都合の悪いことからにはフタをして、無かったことにする。フタをするのは百歩譲っていいとしても、学ぶ姿勢は必要な気がする。あと、敵を甘く見る、すなわち過小評価も、戦後に繋がっていてどちらも活かされていない…
・女性の社会参加向上
労働力不足により、国家による労働動員政策を通じて、女性の社会進出を加速。戦前は、職業婦人はいたものの、縁遠くなると敬遠されていたり、「職工」「女工」と卑賤視する風潮もあった。基本的には、家事手伝いのまま、「花嫁修業」だった。
家庭外の活動の場も提供された。1942年に結成された大日本婦人会では、女性団体の活動。翼賛会、町内会の活動などである。
→これらが、戦後の女性の社会進出につながったの皮肉なものだと思う。もともと政府は、女性は家にいて夫の帰りを待つ、夫がいない間は、家を守る役割にしておきたかったはず。しかし、労働力不足などにより、結果的に戦後の女性の社会進出を加速させることにつながり、政府にとっては都合が悪くなったはずだ。
1942年に女性団体を結成したように、政府の対応は後手後手に回り、行き当たりばったりの印象が強い。
この対応も戦後に繋がっている気がする…
果たして気づいているのかも疑わしい…
・都市爆撃の有効性
アメリカは、都市爆撃ばかりやっていたが、鉄道施設への攻撃はほぼ行われなかった。具体的には、鉄道と軌道の戦争による被害率は7%。水力発電は無傷。鉄道への攻撃も行えば、日本の戦時経済の大動脈に致命的な打撃を与えられたはず。
→確かに、鉄道へ攻撃すれば、もっと日本は早く負けていたはず。都市爆撃によって、死傷者も増え日本の戦意を喪失させることにつながったとは思う。でも致命的では無かったのかも。
死傷者を増加させるより、経済へのダメージの方が政府はこたえるのかも。
・戦局と株
1944年下半期、6月の連合軍のノルマンディー上陸作戦の開始、B29の北九州爆撃、7月のサイパン島陥落の「悪材料」が出たのにもかかわらず、株式指数は高水準。
これは、売りの始まった軍需株を戦時金融金庫が買い支え、加えて、民需株(平和株)の買いが始まったから。
さらに1945年2月頃から、民需株の動きが目立ち始めた。主として、紡績株、人絹株、船舶株、セメント株、食品株、興業株。
これは、戦争終結を見越した動きだろう。当時、日本では、外国の放送を聴取できる短波ラジオの所有は禁止。ただ隠し持っていた人はいたと思われる。ポツダム宣言にも株式市場は敏感に反応していた。
→おそらくこの民需株の買いによって、戦後、大儲けした人がいたのだろう。隠れた情報は持っている人は持っているんだな。でも、短波ラジオの所有はリスクはあるにせよ、情報を手に入れないのがいけないわけだから、情報を得た人々はすごい。
・戦争終結へ
戦争終結の方向で動いた人々が、明確な形で戦後構想をほとんど持ち得ていなかった。例外は、近衛文麿。彼は、対ソ交渉の特使を引き受け、「和平交渉の要綱」を作成。これは、「国体の護持」を絶対条件、無理なら、領土は「固有領土」で満足、「民本政治」への復帰のため、「若干法規の改正、教育の革新」にも同意すること、最小限度の軍事力の保有が認められない場合、「一時完全なる武装解除に同意」など当時としては、思い切った内容の和平条件を決めていた。この要綱には、明治憲法の改正、天皇の退位の可能性にも触れていた。
結果的には、近衛文麿の自殺によって、自主改革構想は挫折。
→近衛文麿の戦争犯罪は問題あるにせよ、服毒自殺してしまったことは本当に残念。たらればの話だけど、生きていたらと思う。
連合国軍の戦後構想に近いものもあり、やはり有能だったのだと思う。
戦争終結の方向で動いた人々が、明確な形で戦後構想をほとんど持ち得ていなかったことは逆に、かなり問題だと思う。要するに、戦争を止めようとしていただけで、その後のことは全く考えていなかったに等しい。連合国軍は戦後構想を持っていたわけだし、そりゃ負けるわな。意識の違いは激しい。
こと「その後」のことを考えない姿勢も戦後に繋がっている気がする…
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Posted by ブクログ
戦時下を扱ったものは、大抵多少なりとも右か左かにずれていますが、この本はそういう風なことはあまり見受けられず、戦時下における政治・経済・社会・一般民衆・抑圧された人々などに対し客観的な目で見ているのではないでしょうか。研究者の間では自明のことかもしれませんし、単なる私の勉強不足だと思いますが、日本が植民地化の朝鮮に行ったとされる「創氏改名」について、「創氏」と「改名」が別物として語っている教科書はどれだけあるでしょうか。また、法制上「改名」が任意であるというのも、右の人は「朝鮮人が望んだもの」といい、左の人は触れません。この本では、「実際には圧力があり、拒否するのは難しかった」という立場です。山川出版社の用語集ではこの立場に立ちます(これに関しては多少疑問がある。今月中旬、西日本新聞に戦時中朝鮮で作られた国策映画の記事があったが、そこに掲載されていたポスターには、俳優が朝鮮名で数名書かれていたこの「実質的な強制」がどれだけのものだったのかを知りたい)。ともあれ、新書というコンパクトな中身に様々な立場の人の「言葉」が引用され、また様々な角度から分析されている。「戦争期の歴史を知る入門書」というには内容が濃すぎるかもしれませんが、是非一度読んでもらいたい本でもあります。