【感想・ネタバレ】兵士たちの戦後史 戦後日本社会を支えた人びとのレビュー

あらすじ

アジア・太平洋戦争を戦った兵士たちは敗戦後,市民として社会の中に戻っていった.戦友会に集う者,黙して往時を語らない者……戦場での不条理な経験は,彼らのその後の人生をどのように規定していったのか.「民主国家」「平和国家」日本の政治文化を底辺からささえた人びとの意識のありようを「兵士たちの戦後」の中にさぐる.

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Posted by ブクログ

吉田裕が書いた本作と『日本軍兵士』『続・日本軍兵士』の3冊を続けて読もうと買い込み、先ずこの本
から手をつけた。論調がスムーズで心地よく読んだ。これを「読書登録」しようとして、初めて数年前にも読んでいたことがわかった。読んだこと自体を完全に忘れていた。内容はもとより筆者の真意を受け止めきれていなかった。

「戦後日本を支えた人々」という副題からして、
執筆姿勢には惹かれるものを感じた。
アジア太平洋戦争で生き残った元兵士たちの戦後史
を彼らが生あるうちに聞き取って記録として残す。
現在の日本に彼らが果たした功績や意味を考える。
戦争体験につきまとう挫折感や贖罪意識の不条理を心の奥底に抱えながら、戦後の高度成長を担った元兵士たちの思い、心の揺れや闇を様々な視点から丁寧に掬い上げていく。統計やアンケートも多用し正確に事実を積み上げる。

敗戦時陸海軍の総兵力は789万人(本土436万・海外353万)であった。戦死者は230万人で、うち餓死・戦病死が140万人であった。一般の人は150万人が被災死した。因みにアジア全域の犠牲者は2千万人と言われている。日本民族が初めて経験した巨大な加害と犠牲であり、それを当事者として担わされた人たちの話である。
外地からの復員は混乱と現地人の怨嗟の仕打ちに晒され1947年中に大方終了した。60万人のシベリア抑流の兵士たちは8万人の死者を残して1956年迄に帰還する。帰還船では将校や上官を吊し上げる場面も見られた。

GHQの占領策は当初反軍の急激な民主化で始まる。
終戦直後の空気はまだ大本営の建前論や戦友同士の仲間意識を引きずり、彼らは戦争のことはあまり話さなかった。50年位経つと残る時間に迫られて、また何も言えずに死んでいった戦友のことを思い、後世に残すべきことを伝えなければとぽつぽつ語り出す。
戦史への投稿でも旧将校や上官の目が気になり本音を言えなかった暗黙の縛りも緩み、言うべきことは今言っておかなければと切実な経験を書く。
大本営や参謀本部の責任を、個別名も挙げて指摘する
批判も出た。

日本は1952年のサンフランシスコ講和条約の発効と東京裁判判決で戦争責任を認めアメリカの従属的同盟国としての地位をえる。朝鮮戦争が勃発し戦争特需で経済復興が達成され、同時に「逆コース」も始まる。戦争責任を事実上否定したり、責任棚上げの風潮も出てくる。軍人恩給が復活し、戦犯も復権し、旧軍人団体の結成が相次ぐ。1955年に在郷軍人会の戦後版ともいわれる「日本戦友団体連合会」(戦友連)が全国津々浦々の戦友会をまとめて結成される。会員数85万人で最も政治的でイデオロギッシュな団体となる。岡村寧次が副会長兼理事長となった。

陸軍大将で北支那方面軍総司令官であった岡村寧次は
戦争責任を問われて「老兵どもは早く消え失せろとよく言われる。確かに道義的責任を感じている。といってもわれわれが戦争を始めたのではない。政治家と大本営とがいけなかった。敗れた責任はあるが、大部分の軍人は大本命の命令で動いただけである」と答えている。こんな無恥で無責任な人間があの戦争を指揮していたのだ。自分自身の責任を世代論や軍人論にすり替えて晦ます。高級将校の本質見たりである。戦後も代表者面して公職に居座る感覚への違和感。

2011年の執筆時は軍人恩給受給者は89万人となり、戦友会も最盛期には5000から一万数千あったのが実質活動しているのは一割程度へと減り、元兵士たちの平均年齢は80歳を超えた。
因みに我が父は2度の応召で外地従軍を経験したが、戦争のことは殆ど語らず1997年78歳で他界した。

戦後補償、混乱と復員、旧軍人・戦友会の集まり、軍人恩給、戦記ものの出版、軍上層部への怒り・・・多角的な視点から克明に元兵士たちの歩んだ戦後史をまとめている。これをわれわれ子供世代・孫世代が如何に受け止め咀嚼して次の世代に繋げるか。それが日本の行く末を決める重要な役割であり世代責任であると、筆者は訴えているような気がする。
読む者の心にズシンと響く。

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2025年09月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

序章 一つの時代の終わり
著者が本書を上梓したのは2011年。2000年代後半は戦争体験者が続々と鬼籍に入り、軍人恩給本人受給者数や戦友会が一挙に減少した時代の節目にあたる。
著者は「戦無派」世代の研究者として、「あの戦争に直接のかかわりを持たなかったという『特権者』の高みから、彼らの戦後史を裁断」しないよう、丹念に資料を読み漁り、あの戦争に対峙していく。
彼と同世代の東京新聞社会部長、菅沼堅吾の書いた「(我々は)戦争体験の風化を許した最初の世代になるかもしれない」という言葉に励まされる思いがしたと記す著者の心情に、平成生まれの私が共感を覚えるなどというのはいささかおこがましい気もするが、やはり、どうにも心揺さぶられるものがある。

第一章 敗戦と占領
本章では兵士たちの経験した戦争と復員の実状を追っていく。その惨状については、先日読んだ同著者の『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』にかなり詳しく記載されていたが、とにかく、餓死者の数が尋常でない。

第二章 講和条約の発効
1951年調印(52年発効)のサンフランシスコ講和条約により連合国の占領は終了、日本はまがりなりにも国際社会への復帰を実現する。冷戦への移行という時代背景の元、日本の経済復興を重視したアメリカは対日無賠償政策をとり、主要交戦国に賠償請求権を放棄するよう圧力をかけた。また、それに加えて朝鮮特需が巻き起こったことにより、50年代前半、日本経済は急速な復興を果たすこととなる。時期を同じくして「逆コース(公職を追放されていた大物政治家のカムバック)」が開始。戦犯や靖国神社も復権し、旧軍人団体が相次いで結成されたのもこの頃である。世間の潮流としても、戦記ものがブームになったりしている。

第三章 高度成長と戦争体験者の風化
50年代の後半は、数量景気、神武景気、岩戸景気と長期の繁栄を謳歌し、高度成長が本格的な軌道に乗った時期である。この頃には日本国憲法を支持する人が多数となり、戦後民主主義がしだいに社会の中に定着していくようになる。それと同時に、戦争時代に対するノスタルジアが広がりをみせ、慰霊碑・記念碑が相次いで建立される。それに伴い戦友会もその規模を拡大していく。

第四章 高揚の中の対立と分化(1970年代ー1980年代)
1970年代に入りオイルショックに見舞われた日本は高度経済成長に終わりを告げ、減量経営の時代に突入する。この時期、外交面においては「米中和解」による影響の元、日本政府も日中共同声明に調印して国交正常化が実現。これにより、戦争責任の問題が浮上するようになる。さらに80年代に入ると民主化への動きを見せ始めたアジア諸国からの対日批判が激化。日本国内でも加害問題についての議論が活発化する。
また、この時期には高度成長、戦後日本の復興を担っていた「戦中派」世代が定年を迎えだしたこともあり、元兵士たちによる戦争体験の記録化が進む。
実は戦友会・旧軍人団体の活動が最盛期を迎えたのも70年代から80年代で、その背景には「遺骨収集事業の推進」と「軍恩連と自民党の癒着」が絡んでいるとのこと。

第五章 終焉の時代へ
1990年代には、村山内閣がかつての戦争の侵略性を認める方向に軌道修正を行ったが、それに対する反発は少なくなく、侵略戦争をめぐる論争が噴出するようになる。この時期には元兵士たちの語りもさらに増加。戦争体験者が鬼籍に入ることも多くなり、その証言は「遺言」的性質を帯びるようになっていく。
戦争や殺戮に関する証言が比較的容易に出現する一方で、性暴力に関するものがほとんど見受けられないという指摘が興味深い。

終章 経験を引き受けるということ
「何百万人もの男たちが、それも階級や階層、学歴や経歴、ライフスタイルなどが全く異なる男たちが、軍隊という場で遭遇し、彼らの人生が交差したという経験が戦後の日本社会に何をもたらしたのか」p345-346

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2025年08月12日

Posted by ブクログ

 亡き祖母の部屋には戦死した伯父の遺影が飾られていたし、ニューギニアから生還した叔父もいた。しかし、あまり関心を持つこともないうちに、当時を知る血縁者は皆いなくなってしまった。

 戦争を生き延びた人間がそれぞれの思いを抱えて、どのように戦後を生きていったのか、歴史経過を辿る叙述の中から具体像が浮かび上がってくる。

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2020年05月18日

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