中島隆博のレビュー一覧
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全8巻の「世界哲学史」も第7巻に到達し、時代は、主として19世紀。
第7巻から引き続いて、経済社会の中心は、まさに西欧+アメリカ中心で、それは哲学の分野でも同じなのかな?
「近代」(=modern)という時代が、まさに「欧米」の時代なのだということをあらためて確認した感じ。
19世紀の哲学ともなると、どこかで読んだことのあるような話が増えてくる。
・まずは、前巻でもでてきたカントを起点として、フィヒテ、ヘーゲルというドイツ観念論の展開。そして、それへの批判としてのヘーゲル左派からマルクスという流れ。
・理性中心の哲学に対する批判として、「生」を重視するショペンハウアーやニーチェ。
・進化論や功利主義、数学や論理学など、科学的?自然主義的な流れ。
・そして、アメリカという新世界からの哲学として、プラグマティズム。
みたいな話し。
こうした哲学は、まさに現代でもなんらかの形で生きていて、どの哲学者がどうだとか、一つ一つの話しがどうというより、やっぱ、私たちのいる世界って、こういう問題設定のなかにあるんだな〜という印象。
という感じなので、欧米以外ででてくるのは、インドと日本。古代のインド思想(ウパニシャッドや仏教)は、「生」の哲学との関係でインパクト大なんだけど、19世紀という時点では、微妙かな。やはり植民地支配というなかでの西洋との関係性のなかにあるなかで、スピリチュアリティという観点で、なんらかの動きを生み出しつつあるというところかな?
日本については、前巻までのところでは、中国からの影響を受けつつもなんらかの独自性を生み出していく感じで面白かったのだけど、この巻では、「文明開化」で、哲学を含めて欧米に追いつこうと一生懸命な感じ。と同時に、そういう表層的な西洋化に対する批判という対抗軸を出そうとしている感じはあるものの、いわゆる西洋哲学批判みたいなのも、実は、西洋のほうで徹底的になされているわけで、なにか中途半端な印象だな。
全体として、19世紀は哲学においても西洋の世紀であって、それ以外の国は、それを受容するにせよ、批判するにせよ、西洋との関係においてしか、自分の立ち位置を見出すことができないということだったんだな〜、と思った。
哲学史を「世界」の同時性のなかでみてみようというこのチャレンジングなシリーズも、あと1巻「現代」、つまり20世紀以降を残すのみ。この時代を1巻だけで扱おうということ自体がすごいチャレンジ。しかも、もちろん西洋だけでなくて、イスラーム、中国、日本、アフリカが語られるという構成になっていて、なんだかとても楽しみ。 -
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タイトルは、中世ということになっているのだけど、「バロックの哲学」というサブタイトルにあるように、西欧だと、いわゆるルネサンス〜バロック、フーコーなら「古典時代」とでもいいそうな時代の話になっている。日本だと江戸時代の儒学の話とかでてきて、いわゆる「中世」というより、「近世」という時代区分の話かな?
西欧哲学では、ついに(?)デカルトがでてきて、スピノザ、ライプニッツと続いて行く。神学なのか、哲学なのかよくわからない「スコラ哲学」が、いわゆる近代的な「哲学」に転換する時期と常識的には思うのだけど、ここでは、デカルトも「スコラ哲学」的な発展の連続性のなかででてきて、この辺にこのシリーズのスタンスがでているな。
そういういわゆる「中世」と「近代」の間に挟まれたこの時代は、ガリレオ以降の自然科学の発達も進み、キリスト教的には「宗教改革」がおきたり、イエズス会が世界に布教活動をおこして、西洋と東洋(とくに中国)の邂逅、緊張をともなった交流が生じたり、いよいよ「世界哲学」的な舞台がそろってくる。(一方、これまで大きな位置をしめていたイスラム的なものが背景に後退)
というわけで、面白い話はたくさんあるし、朝鮮哲学とか、これまで聞いたこともない面白いのだが、全体としては、なんか各論ぽい印象が高まってきているような。。。。
時代が現代に近づいてくると、世界はだんだん一つのものになってくる一方、現代の学問的な研究領域という観点では、専門化が進み、領域間の相互関係がわからなくなってくる印象。
あるいは、議論がだんだん高度になってきていて、私が細かいところについていけなくなっているということかな?
というわけで、個人的には、今ひとつスッキリしない読後感。
あと3冊。第6巻は、いよいよ「近代」、「啓蒙の時代」に突入する。きっと、カントやヘーゲルとかもでてくるに違いない。一方、ヨーロッパ以外ではどういう話題がでてくるか、まったくイメージできない。
どう展開するか? -
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全8巻の世界哲学史も第4巻と半分までやってきた。時代的には13世紀あたり。
第4巻の編者の山内さんは、都市の発達にともない個人の覚醒が世界同時多発的に生じ、哲学でもそういう傾向が生まれた、とする。
なるほど、面白い視点だな〜と思いつつも、章ごとの記述は、かならずしも「個人の覚醒」という感じでもないのかな〜、テーマごとの総括的な記述が中心で、今ひとつ、しっくりこなかったかな?
さて、13世紀になると、いよいよ西欧が世界の中心として浮上してくる感じがあって、哲学思想も西欧が最先端として勢いがでてくるという印象。
むしろ第2〜3巻くらいのほうが、文明ごとの哲学の差と交流みたいなのが描かれているが、4巻では、哲学でも西欧中心の世界システムができてきている感じ。
ギリシアに生まれた哲学が、アラビアに引き継がれそこで精緻化され、それが西欧に翻訳されてもどってくるところで、アリストテレスなどのギリシャ思想がキリスト教と緊張関係をもちながらも一体化していく。
4巻では、そういうわけで、いわゆるスコラ哲学の説明が多い。トマス・アクィナス、ロジャー・ベイコン、ドゥンス・スコトゥス、ウィリアム・オッカムなどの面々が展開するいわゆる神学論争の数々。
いろいろな本で何度読んでも意味がわからない「普遍論争」とか、これを読んでもやっぱわからない。
でも、そこでの議論が、いわゆる神学論争と揶揄されるようなものとはちょっと違っていて、現在の哲学にも通じていく議論であることはだんだんわかってきたかな?
編者は、この時代に西欧でうまれた托鉢修道会と日本の鎌倉仏教の対応関係に注目していて、大きな期待をもった。が、鎌倉仏教についての記述は、いわゆる鎌倉時代におきた新しい仏教運動だけでなく従来からの仏教との関係を含む、その時代の日本における仏教を俯瞰的にみるもので頭の整理にはなったが、世界哲学における意味という観点では、やや食い足りない感じかな?
第5巻のバロックの哲学での展開に期待。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
哲学のフロントは、哲学が哲学ではないものと向かい合うその境界にある。
哲学ではないものとは、科学でもあるだろうし、宗教でもあるだろう。
しかし、哲学がもっとも鋭く対立するものは、一見すると哲学にみえる準‐哲学である。
準‐哲学としてのアジア思想の側から、哲学とそのアクチュアリティを問い直す。
[ 目次 ]
1 哲学はどのように生まれたのか(哲学の始まり;中国哲学の始まり)
2 哲学と翻訳そして救済―哲学を学ぶ意味とは何か(翻訳の哲学;翻訳という概念 ほか)
3 哲学と政治―哲学は社会の役に立つのか(近代東アジアの哲学経験―西田幾多郎と新儒家;西田幾多郎の晩年性 ほか)
4 哲学の未来―哲学は今後何を問うべきなのか(奪われた声;被植民者の沈黙に言葉を返す ほか)
5 哲学を実践するために何を読むべきか
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[ 参考となる書評 ]