中島隆博のレビュー一覧
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ちくま新書の世界哲学史シリーズ第2巻。古代哲学の後半を扱う本書では、キリスト教、仏教、儒教等、後に世界宗教へと発展していく各宗教の展開が扱われる。新書だからと侮るなかれ。いずれの論考も高度な内容で、読みこなすのはなかなかに骨が折れる。でもそれだけに知的刺激をビリビリと受けることができる。
本書を読みつつ、先日読み終えた『天才・富永仲基』(釈徹宗・著)を何度か思い出した。思想や言説は、先行する思想を足がかりに、それを超克しようとする。その際には新たな要素が加えられるとする加上説を仲基は説いた。さらに、時代や言語が異なれば、説かれる考えも変わるということも指摘している。本書を読むと、プラトン然り、仏説然り、キリスト教然り、仲基の説が如何に的を射ていたかがよくわかる。そして、その変容こそが、思想をより豊饒なものとし、世界哲学へのステップであると感じる。
本書で興味深かったのは、大乗仏教の成立過程に関する論考。この逆転の発想はなかった。古典中国の成立の章も、頭の中が非常に整理された。ゾロアスター教とマニ教の章は、今までほとんど触れたことがなく面白かった。
今のような科学技術もない中、人類がいかに己の知恵と理性の腕を伸ばし、真理をつかみ取ろうとしたか。とても興奮を覚える。 -
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2人の著者が現代社会の問題について、新たな全体主義の脅威への対応という視点から対談されています。まず、全体主義とは何なのか、それが現代にどのような形で存在しているのかについて明らかにされています。また、過去の例を採り、それらは全体主義にどう相対したのかを振り返る形を採られています。著者のガブリエルさんの新実在論と、東アジアの哲学(主として中国)をヒントに、資本主義を変化させることによって、将来の危機を克服することができるという光明があるということについて語られています。私たち全員の意識の問題だと思いますが、自分や仲間だけ良ければ良いという考え方ではなく、また自分の価値観が普遍だという誤った認識も改めないといけない、そうではないのだということを意識する必要性を考えさせられます。
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イントロ二篇がつまらなかったので投げ捨てようとしたが、最後まで読んでみた。
とっちらかった雑談を、無理やりまとめた感のある本。
それだけに、他人の悪口の部分があけっぴろげて面白い。
ハイデガーだけでなく、ハーバーマスへのディスり方はなかなか鋭い。
しかし、王弼の「老子道徳経注」にまでマルクス・ガブリエルの話が及んだのには驚いた。
ヨーロッパ世界、更にはユダヤ・キリスト教世界から離れた思想は構築しうるか、しかし同時に多元的世界の存在を前提とした場合には、実は全体主義的思考も、ひとつの考え方に過ぎないとなるのではないか。
習近平中国の自信は、脱ヨーロッパの新たな中華思想構築の試みだからか? -
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マルクス・ガブリエルと「世界哲学史全8巻」の編纂者の一人中島さんの対話にもとづく本。
マルクス・ガブリエルは、なんだか面白そうなんだけど、どこが新しいのかはよくわからなかった。ポストモダーンの構築主義を批判する「あたらしい実在論」というのだが、「世界は存在しない」と主張していて、超越的な「1」を否定するポストモダーンの哲学者にみえる。
つまりは、構築主義が「あれも構築、これも構築。実在とか、本質なんてない」というところを「あれも実在、これも実在。すべてを包含する一つの世界はない」といっているだけ?たしかに「すべて構築」というより、「すべて実在」というほうが、なんか元気がでるけどね。。。。
みたいな印象を持っていた。
で、これを読んで、ようやくガブリエルが問題にしていることがわかった気がした。反「全体主義」だったんだ!
となると、急速にガブリエルの問題意識、なんとなく詭弁的に思われたロジック展開に込められたパッションが理解できてきた。
そうか、この熱さ、情熱があるから、なんだか〜と思いつつも、ついガブリエルを読んでしまうのか!と了解した。
で、この本は、哲学それ自体というより、ハイデガーやハーバーマスの言行に対する批判というか、ゴシップ話しみたいなのがあって、こんなんでいいかな?とか思うのだけど、そこには反「全体主義」という思いがあって、こういう哲学業界話しをあえて、活字にするということの意味が読み進めていくなかでわかってくる。
ガブリエルの主張に納得できないところもあるが、彼の問題としているところには共感できる。
多様性をメタレベルで包含する普遍ではなくて、多様性を乗っける共通のプラットフォームづくりみたいなのが大事なのかな?
だと哲学の思想それ自体というより、哲学業界というか、大学というシステム、そして大学間でのネットワークという哲学を生み出す仕組み自体が課題になってくる。
なので、ハイデガーやハーバーマスの言行と思想を切り分けて、思想だけを論じるということはできないわけだ。彼らの全体主義につながる思想を論じるとしても、それを脱構築する読みが必要になるということか?
それにしても、ガブリエルは、ポストモダーン批判の旗手みたいに言われるけど、実は、デリダを丁寧に読んでいるみたいで、やっぱこれって「ポスト・ポストモダーン」だなとあらためて思った。
ガブリエルの話がメインな本だが、中島さんはそのお話しをうまく引き出しているというだけでもすごいが、中国哲学を脱構築していくところがすごく面白い。
ちょっと中島さんの「中国哲学」系の本も読んでみようかな? -
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今年1月からスタートした「世界哲学史」、8巻でついに完結!!!!!
近代に入ってからは、概ね、1冊で1世紀というスピードで進んできていて、この最終巻も20世紀〜現在という概ね100年間の話し。
この世界にとっても、哲学にとっても激動の100年をどう1冊にまとめるのだろう?と思っていたんだけど、なんと最初の3章100ページ足らずで、欧米系の哲学の100年が語られている!!!!!扱われている視点は、分析哲学(いわゆる英米系哲学)、ヨーロッパ系の哲学(大衆社会とか、現象学とか、ハイデガーとか)、ポストモダン哲学。
これは予想を遥かにこえた圧縮度、スピードなのだけど、なんだか、とてもスッキリした。つまりには、デカルトの二元論を乗り越えようとしつつ、違う形でのさまざまな二元論に帰着してしまうという人間の思考。これはもう言語を使う以上しかなたのないこと、哲学って、なんらかの二元論だと腹を括ったところでどうするか?という地点にあるポストモダン思考とその後。ポスト・モダンが陥りやすい相対主義を乗り越えようという懐古主義もいまさら機能しなし、新実在論とか切り口を変えても、やっぱポスト・ポスト・モダンにしかならないんだろうな〜。この辺の議論って、もう中世のスコラ哲学的なレベルになってて、どうなんだろうと思ってしまう。
みたいな薄々感じていたこと、まだ言語にできずにいたことが、この圧縮度の高い100ページをもって、しっくりと頭に染み入ったな〜と思う。
とすごい読書体験につづき、フェミニズムという視点からモダンからポストモダンにいたる議論の流れを再整理しつつ、そのあとは、日本や中国、イスラム、アフリカと地域ごとの展開となる。
世界哲学ということなので、いわゆる欧米哲学だけではないのだけど、20世紀という時代は(18〜19世紀、あるいは16世紀以降)、やっぱ欧米の時代で、他の地域での哲学も欧米の哲学と自分たちの伝統的な思考をどうすりあわせるか、あるいはどう独自性を主張するかという話しが多く、ある意味、ポストコロニアルとでもいうべき状況なのかな?
前半のスピード感にたいして、やや散漫な印象も残ってしまうかな?
ほんとにこれが編者が提示しようとしていた世界哲学になっているのかどうかはわからないけど、まずは、この多元性とともに思想の相互連関性をみていこうという取り組みが一応の完結をみたことはすごいことだな〜と思う。
あともう1冊、別巻が12月にでて、この8冊でカバーできなかったトピックがあつかわれるそうなので、それもまた楽しみ。 -
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全8巻の世界哲学史シリーズも第7巻となり、大詰めを迎えつつある。本書は「近代Ⅱ 自由と歴史的発展」という副題で、まず伊藤邦武先生のいつもながら見事な要約(「第1章理性と自由」)に続き、ドイツ観念論哲学の発展過程(「第2章 ドイツの国家意識」)、ショーペンハウアー、ニーチェによる西洋哲学の転回を扱った「第3章 西洋批判の哲学」、そして「第4章 マルクスの資本主義批判」「第5章 進化論と功利主義の道徳論」と続く。
本書で一番難解なのは、「第6章 数学と論理学の革命」。私はまったく歯が立たず、撃沈。
ここで1回本書を閉じようとしたが、アメリカのプラグマティズムを扱った「第7章 「新世界」という自己認識」は非常に面白かった。編者の一人である伊藤先生はこの辺の専門家のはずだが、あえて異なる著者(小川仁志)による。
以下、「第8章 スピリチュアリスムの変遷」はベルクソン以外の名前にはまったく馴染みなく、よくわからなかった。「第9章 近代インドの普遍思想」はわからないながらも「スピリチュアリティという「近代的宗教概念」は、西洋近代が構築しインドに押し付けたものではなく、東西が交わる中でインド人が見出したものだっということになる」(p.240)は新しい指摘であったし、「近代というものを多元化、多重化し、共有できる何かとして捉え直そうとしている我々は、ただ彼ら[近代インド思想の担い手たち]を分析できる立場にはなく、彼らと同じく、自分たちの<穴>の問題に向かわざるを得ないだろう」(p.251)との感覚には共感できる。
そして最後の「第10章「文明」と日本」(苅部直)はコンパクトにまとまった良い章。自分自身の問題関心にも重なるのでよく理解できた・笑 -
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『世界哲学史6』は近代Ⅰで啓蒙と人間感情論について概説されている。理性と感情という人間精神の2つの柱の間の揺れ動きを世界哲学史というパースペクティブにおいて捉え直すというのが、本巻の目的である。スコットランド啓蒙の話、社会契約論のロジック、啓蒙と革命、啓蒙と宗教、植民地独立思想、そしてカントの批判哲学の企てまでで一区切り。第8章〜10章でイスラーム世界での啓蒙主義、9章では中国の感情の哲学、最終章では江戸時代の「情」の思想が取り上げられている。
それぞれに興味深いが、個人的には徹底的に理性主義と普遍主義を追求したカントの批判哲学に惹かれる。「スミスの道徳感情論にも、知的能力による自己批判という要素が含まれることになる。「道徳的」であるためには、「自己批判的」であることが求められるのである。そしてその一般性を厳密な普遍性にまで高めるために、理性に規準を求めたのがカントの立場であ」(p.199)り、「批判哲学の意義とは、多様な地域・時代の哲学を比較検討する際に参照されるべき、西洋近代哲学の基軸を示した、という点に求められる」(p.206)からである。 -
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世界哲学史も西洋の歴史区分でいう中世から近世へと時代が進んできた。近世をアーリーモダンというならば、すでに近代の賭場口か。
自分自身の本巻への興味関心は何と言っても「第3章 西洋中世の経済と倫理」に集中するのだが、「第2章 西洋近世の神秘主義」ではあらためて「知への愛」に気がつかされたし、「第5章 イエズス会とキリシタン」では東アジアから西欧へのインパクト、あるいは「理」と理性をめぐってのスリリングな東西の議論、「第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論」ではホッブズ、スピノザ、ライプニッツそれぞれの「方法と自然哲学」の比較考察が興味深かった。
第3章の叙述によれば古代以来の「等価性を基本とする理論的枠組みは現実から乖離したものであ」り、その枠組みは13世紀まで続いていたのだが、「一三世紀末には利子肯定論が登場するのである。これは、単なる経済史の問題ではなく、法学、哲学、神学などの基本的枠組みの変更をめぐる根本的変革であった」(pp.77-78)。第3章2節「清貧と経済思想」以降は全部引用したいほどだが、オリヴィという「謎の」思想家の思想に、13世紀に原型が成立していた数多ある資本主義の諸契機、つまり「営利活動の霊的世俗的側面の両面における正当化、資本の自己増殖、人間の目的論的意識的活動を越えた経済システム、実体主義から関数主義へ、価値の抽象化、数量性、未来の時間概念の組み込み、非存在の実在性、貨幣概念の変革、交通流通システムの激変、空間性の消失などなど」(p.93)の思想的裏付けが見出されるという点は非常に重要だろう。
そして、オリヴィの思想の根幹にある聖霊主義は、フィオーレのヨアキム、アッシジのフランチェスコに由来するものであり、「富とは蓄積されるものではなく、「情報」と同様に、社会に貫流し流通し続ける限りにおいて富であるという点で共通する。
詳細は大黒俊二『嘘と貪欲』(名大出版、2006年)を読めということなので、是非読んでみたい。 -
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哲学から、西洋哲学、東洋哲学といった枠を取っ払い、あらためて世界的、普遍的な視座から構成し直そうという壮大な試み。同様の動きは歴史学にもあるが、グローバル化の進展する世界にあって、当然の流れかもしれない。新書ではあるが、内容はなかなかに高度で読みこなすのは相当にしんどい。個人的には西アジアの章が刺激的だった。学生時代に学んでいたエジプトの論考がほとんど無かったのは残念だったが、メソポタミアの時代から不可知論が議論されていたことに驚かされた。その一事だけでも文明の進化論には懐疑的にならざるを得ない。あとがきによると、世界哲学の構想は日本発とのこと。以後の続刊にも要注目。
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「古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開」の副題をもつ第2巻はローマ哲学、キリスト教の成立、大乗仏教の成立、古典中国の成立、仏教と儒教の論争、ゾロアスター教とマニ教、プラトン主義の伝統、東方教父の伝統、ラテン教父とアウグスティヌスの各章が並ぶのをみてわかるように「宗教と哲学」、そしてその世界的な広がりを捉えようとする。
後半はほぼ知らないことばかり。ゾロアスター教って何? マニ教?聞いたことはあるけど重要なの? といった感じ。ニーチェの「ツァラストラはかく語りき」は読んだことあっても、そのペルシャ語読みがザラスシュトラというのははじめて知った。
そんなド素人が読んだ第2巻全体の印象は、善悪二元論と超越とは何か?という観点から宗教を哲学として捉え、その洞察のありようを世界哲学史に位置付けようとしているんだなということ。三位一体論や最終章で語られたアウグスティヌスの哲学についてはとくに面白かった。
第4章の「大乗仏教の成立」はそうした観点から言えば、やや異質な印象だが、テクストとしての大乗経典と歴史研究という視点は非常に面白く読んだ。 -
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西欧中心の「哲学史」を世界的な「哲学史」に再構成しようというチャレンジの2巻目。
1巻目では、ギリシア、インド、中国などの文明において、ほぼ時を同じくして立ち上がってきた「哲学」が並列的に(といってもやっぱギリシャ〜ヘレニズムの記述が多いが)紹介された。
この同時性に驚くところはありつつ、最後の方ではギリシャ思想とインド思想のコミュニケーションの話はでてくるものの、各地域における哲学は基本独立した動きであった。
まあ、こんなものかなと思って、第2巻にはいると、途端に「世界哲学」な議論が増えて、とてもスリリング。
それは、文明間の交流が盛んになったということなのだが、
・ギリシア哲学がローマでどう受容されていったか
・キリスト教がギリシャ哲学とどう対峙しつつ、その知恵を受け入れていったか
・キリスト教がマニ教などにどう影響したか
・仏教と中国思想との対立と受容
・さまざまな思想があるなかで、なぜ儒教が中国思想の支配的イデオロギーになったか などなど
なるほどな議論が盛りだくさん。
こうした文明間の対話という視点に加えて、面白かったのは、現代哲学という視点からの哲学的な対話の部分。1章の「哲学の世界化と制度・伝統」は、2巻全体の議論へのイントロなのだが、そこには、フーコーやデリダの議論が下敷きになっていて、古代・古典とポストモダーン思想との対話が展開される。
そういう流れを踏まえつつ、具体論で面白かったのは、第4章の「大乗仏教の成立」。われわれは、なんとなく、大乗仏教の教団が上座仏教とは別に存在していたのだろうと想定してしまうのだが、そうしたものは存在しない。大乗仏教とは、まずは経典を書くという活動であったということ。
う〜ん、デリダっぽい。面白いね〜。
各章は、それぞれのテーマに詳しい人が分担して執筆していて、本当にたくさんの人がこの「世界哲学史」に参加しているわけなのだが、各著者が、全体としてのプロジェクトの主旨と全体の議論の構成をよく理解したうえで書いていることが伝わってくる。
日本の悪いところばかりが目につく今日この頃だが、こうして、この「世界哲学」プロジェクトを進めることができるということは、世界のいろいろな哲学を研究してきた日本らしいことで、ちょっとすごいじゃないかと元気がでてきた。 -
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哲学史というと、普通、ギリシア哲学から始まり、西欧の「大陸系」と英米の「分析哲学」という西洋哲学の流れの説明というのが一般的で、日本、アジア、イスラム圏というのがでてきても、それは「思想」、というか、西洋哲学との比較で論じられてきたのだと思う。
それを「世界哲学」として、時代ごとに論じていこうというチャレンジ。そして、これがその1巻目。
といっても、こうした「古代」においては、文明圏間の交流、影響関係はあまりなさそうなのだが、不思議なことに同じような時期に、同じようなことが当時の先端の文明の各地で問題として浮上してくるということが不思議。
もちろん、問題に対する答えは違うのだけど、、、、なんだか、「人間」とか、「人間」と「人間」の関係性といったことが問題になってきているんだね。
「世界はどのように始まり、どのように動いているのか」といった問いは古代哲学にもあるし、今だに哲学の重要な問いなんだけど、フォーカスはより「人間」「人間の内面」「人間関係」に移っていく。
「汝自身を知れ」ということか。
世界哲学といっても、やはりこの1巻目の中心は、ギリシア時代。そして、それがヘレニズムとなり、最後は、ヘレニズム哲学とインド哲学との対話というところでこの巻は終わる。
このシリーズは8巻なんだけど、プラトンやアリストテレスといった西洋哲学の始祖、そして東洋哲学の始祖というのは変だが、ある種の徹底した認識の転換を行なったブッダがさらっとしか言及されずに、どんどん次に議論が進んでいくところがすごいと思った。ちょっと新鮮というか、爽快。
次の展開が楽しみ。