中島隆博のレビュー一覧
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「こんな時だからこそ先人の知恵に学ぼう!」というわけではないけれどもちくま新書から「初の」世界哲学史シリーズが刊行中ということで、シリーズの第1巻。第1巻は「古代1 知恵から愛知へ」。
世界哲学という概念は、大学生時代にカール・ヤスパースの『歴史の起源と目標』やヘーゲルの『歴史哲学』などを読んでいる身にとっては意外とハードルが低かったが、本シリーズの目標は当然これらの西洋哲学者の「限界」を超えていこうとするところにある。
第1巻は「哲学の誕生をめぐって」「古代西アジアにおける世界と魂」「旧約聖書とユダヤ教における世界と魂」「中国の諸子百家における世界と魂」「古代インドにおける世界と魂」とまずは古代人たちが世界をどう認識したのか、その中で人間の魂とはという問から入っていく。
第6章以下は、古代ギリシャの哲学誕生の場面からソクラテス、プラトン、アリストテレスとオーソドックスな西洋哲学史からの問い掛けがなされ、最後の第9章、10章で再びそれらがローマ世界、インド世界へと接続していく場面に立ち会う。
またティーブレークのように挟まれているコラムも読み応えがある。このシリーズは面白く、結構、はまりそう。 -
Posted by ブクログ
第1巻では、似ているところもあるものの、国ごとというか、地域ごとに別々に生まれてきた哲学が、第2巻ではすこし影響しあうところでてくる。第3巻にくると、文化圏間での相互影響関係がさらに高まってくる。
とは言っても、まだまだ哲学は、文化圏ごとにそれぞれの発展の道を歩んでいる感じかな?
この巻では、キリスト教関係の話が面白かったな。とくに、東方教会(ギリシャ正教)の発展が新鮮。なんだろう、ここでは身体性とか、神秘主義的なスピリチュアリティとのつながりが重視されている。この傾向は、カトリック的な世界では、しばしば出てくるものの、異端として弾圧された流れだな〜。
自分のなかに神性があって、それを身体があるから、感じることができるというのは、現代では、分かりやすい方向かな?
あと、ネオ・プラトニズムやグノーシス的なものとも統合されているのが面白いな。
一方、西方でも、スコラ哲学が発達しはじめていて、ここでもプラトンやアリストテレス思想とキリスト教の統合が進んでいる。
天才的というイメージがあるアベラールの展開する議論は、当時の最先端なのだが、彼が読むことができたアリストテレスは、「カテゴリー論」など、「論理学」的な著作が中心であった。その後、西方世界にやってきた「形而上学」の議論はしらなかった。このため、アベラールの議論は、限界があったとのこと。
そうか〜、アリストテレスの考えたことって、ほんと数世紀あるいは、10世紀くらい先を行っていたということなわけですね。
プラトンやアリストテレスなど、ギリシア哲学の水準のレベルの高さに改めて、驚く。
あと、面白かったのは、中国における儒教と老子などの思想の統合、さらには、仏教徒との関係とか、とてもスリリング。
そして、中国経由の儒教や仏教が日本にどういう影響を与えたのか、そして、空海という人がの思想の深さがほんと衝撃。
空海は、当時、ほんと世界的水準で、「世界哲学」の先端だな〜。
第4巻では、世界の資本主義システムとしての統合が進み始めてくるので、哲学の文化圏間での影響がさらに進んでくるはず。楽しみ。 -
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『世界哲学史7
近代Ⅱ自由と歴史的発展』
伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留さん達の本を読みました。
西欧ではようやくキリスト教から解放され、哲学の時代は終わり科学の時代となって行く事が記述されています。
フランスはナポレオンからの王政復古後の混乱から教育制度を変えて個人のレベルアップ。クザンは文学、科学を重視する教授資格試験アグレガシオンを設置、非宗教的な教育は面白いです。
アメリカでプラグマティズムが起こり、発展するのはゼロから価値創造を新世界ではぴったりの哲学です。欧州の哲学の父デカルトの懐疑論を真っ向から批判、個別テーマを実験でも確証、個別効率を高め、それらを多元的に集合して新しい価値が拡大される哲学は非常に面白いです。
ネオプラグマティズム、ニュープラグマティズムは初めて知りました。
このプラグマティズムは今のザッカーバーグ、イーロンマスク、ベゾスに繋がるのでしょうね。
日本は鎖国から文明開花の時代で西欧化に進む中で、薄ペラな開花を福澤諭吉は行ないます。日本的な発展に繋げてべきとの動きもあり、当時の日本の潜在的文化能力の高さを感じます。
おそらく日本は中国からの文化技術の導入の基盤と鎖国時代の自国の文化への熟成の基礎が非常に重要だったのだと思います。
習慣の哲学は最近の習慣ブームの基礎が分かります。
能動的なアクションの繰り返しで思想化出来る実用的な成果です。
インド哲学は植民地からの解放後に独自のルーツを再度研究して行く神秘哲学からの取り組みをしていて発展する国の将来性を感じます。
多くの哲学者が各章を分担しているので出来のバラツキがあります。
『数学と論理学の革命』の章は未だ著者ご自身でも分かっているのか怪しい説明で改善して欲しいです。 -
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『世界哲学史6
近代Ⅰ 啓蒙と人間感情論』
伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留さん達の本を読みました。
西洋史はキリスト教から社会契約説でまとまるのは理解していました。
アメリカの哲学は面白いです。フランクリン、ジェファーソンの実用主義と石工組合のフリーメイソンのカソリック教会との対抗、アメリカ独立革命はフリーメイソンが無かったら成立しなかったようです。
イスラム、中国、日本の哲学の記述は新鮮でした。
イスラムは宗教が優先して考えがちですが自然、習慣と宗教を分離した分析は驚きました。西洋思想、技術の侵略に対抗しているのは面白いです。
中国の孟子の情を優先する思想は非常に興味深いです。人間が色々と経験して材料をこね回して育成される説明は面白いです。
失敗、過ちも許容されて成長する考えは人間的で温かい思想です。
孟子を読んでみたいと思います。
日本の伊藤仁斎、荻生徂徠の情の思想は、日本人を理解する時に新たな切り口になります。
実用本意の朱子学を批判して通、粋に達する時の他者を思う共感、相手の思いの分かる経験を詩経から学ぶ重要性を主張され面白いです。
他者への共感には賄賂、忖度も含まれるので負の特性でもあり完成形でないことも興味を持ちました。
西洋一辺倒でない世界哲学のアプローチは新鮮です。
ありがとうございます。 -
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いい本ではあります。それぞれの分野で文句のつけようのない優秀な研究者、解説者を集め普遍的な悩みに古典を援用し、大人が読めば感心するような回答を出しています。ただ、本書が目的としている、10代の読者に、古典の世界へと興味を持たせたい、読ませたいという点で見るとちょっと「大人視点」すぎるのではないかと思いました。
どういうことかと言いますと、確かにそれぞれの思想の研究者が親との関係やなぜ生きるのかといったよくある悩みに、思想研究の観点からきれいに光を当てているのですが、きれいすぎて立派にすぎるのです。
若い読者が哲学というものに興味を持つうえで、立派すぎて別の世界のように見える人たちの言葉がどれほど的確でも立ち止まってくれるでしょうか。そういう点ではもっと砕けた文章と発想がそれぞれに求められたはずです。些細なことですが親ガチャとか少しガラの悪いミームを使って解説を試み、自分の専門の儒教すら疑うことを促した小倉紀蔵氏の解説が本書の中では模範例だと思いました。むしろ大人が読む分にこそ優れた入門書でしたね。 -
Posted by ブクログ
これからの世界について、今起きている戦争、AIの発展、資本主義、民主主義の今後など重要なテーマについて、複数の知識人たちの語りで展望が語られる。
ロシアのウクライナ侵攻を西欧ほどそのほかの国々は嫌っていないとか、戦後ロシアとドイツの接近こそアメリカが嫌っているとか斬新な切り口もあり、人口減少する先進国なので第二次世界大戦ほどの拡大戦争にはならないという見方もあれば、それはわからないという意見もある。
AIによるデータの大企業に寡占される様やソノ、IT企業組織はヒエラルキー型のトップダウンという保守的組織であるという指摘も興味深い。
ただAIはよくできて効率的なWikipediaのようなもので、何かを直接生み出すこともなければ、視覚聴覚に頼りがちな我々が体験したかのように錯覚するが、五感を通した体感とは別のものという指摘は忘れないようにしたい。
リベラルな民主主義とコミュニティの関係が制度とし述べられる中、一方でコミュニティのアソシエイトとしての責任と権限、そしてそれが体感できる規模感、そういった共通倫理や道徳感があってこその民主主義制度が機能するという中島氏の意見はまさに賛同する。
まさに無責任、手触り感のない暮らしは工業社会以降の先進国に多く生み出されている。それは仕事、暮らし、住居などが特定の土地、文化、共同体から切り離されたり、容易に変わらざる得ない現状が生み出したものでもあると思う。
また、コミュニティやアソシエイトの負の側面(同調圧力等)にも目を向けて、出入り可能なフレキシブルさ、レジリエントも必要という結びに賛同しつつ、それを作ってかないとなというところに読後感が着地した一冊。 -
購入済み
古代の諸子百家や朱子学などなら日本人にも馴染みがあると思うが(近代の胡適もか?)、本書では1949以降の新儒家の思想にも触れられている点が興味深い。一般書でこの部分に触れている書籍ってあまりないのではないかな。
本書は章分けが非常に多い(21章!)ですが、それだけ中国哲学の「流れ」を重視しているということかと思います。長大な中国史ですから、やはりそれくらいは必要になるのだろうと。それゆえに例えば孔子のような中国思想史上の大人物に割かれるページも必ずしも多くはありません(重要でないという意味ではありません)。
重要度を増す現代の中国を捉える意味でもぜひ手にとってみてください -
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17
老荘の再検討
20
チャン「思弁的・観想的な問題系」
「言語と論証的な理性の相対性に関する、荘子の哲学的考察」をし、のちに残るものを「自然」に提示する
42
胡蝶の夢
寝ているときに魂が交わり、目覚めると形がはたらく
神が形から遊離し神と神が接する=夢や旅
形と神は合離するもの
46
夢
74
胡適 荘子とヘーゲル弁証法
傍観者にすぎない?
79
純粋経験
81
スピノザの自然神論
86
魯迅
94
イベザル・ロビネ
ビルテール
99
動物
105
人のレジーム→天のレジーム→遊
107
グレアム「荘子斉物論」
111
チャド・ハンセン
分析的、言語の適合性
「語ることは何かを語るが、語られたことは決して固定されない」
116
王又如の脱構築
「無言の言」
128
伝達可能性のアポリア
130
「他者とのコミュニケーションの可能性が「忘言」を不可能にするというアイロニー」
131 ☆
136
忘却
144
アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』
171
物化
事物の変化にとどまらず、世界そのものの変化
182
トートロジーの反復→他者の経験を知る
189
楽しみ
203
ドゥルーズ「悪魔的現実性」
「世界そのものが生成変化を起こし、私たちは「みんな」になる」
ドゥルーズの生成変化
他になるものを模倣するのではない
自分自身でありながら、その構成分子のレベルで変える
207
技術=芸術
鶏となって時を告げよ。 -
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中世Ⅰ
古代で3つの枢軸であった3つの文化がついにユーラシア大陸の両端に達するのが中世である
冒頭に世界哲学史として、中世の特徴を俯瞰する
①民族の大規模な移動と侵入が世界を動かした時代(旅人の時代といっている)
②古典を形成するのではなく、古典を継承し、それに対する註解を蓄積する時代。
③思想の伝達と交換をする時代
④神と人間の対立⇒神の人間からの超越
ギリシア文化⇒ローマへ⇒(アカデミア→修道院、学校へ)西欧へ
⇒東方(ビサンチン)へ:コンスタンチノープル、東欧へ
⇒イスラム世界へ(シリア語→アラビア語)⇒再びヨーロッパへ
インド文化(仏教)⇒中国⇒日本へ
西洋思想というものは、とっつきがわるい、イメージがわかない、仏教や儒教はそれよりはまし。
気になったことは以下です。
・文化の伝播は民族や習慣ではなく、翻訳である。
・西欧における哲学とはアリストテレスが中心であり、ギリシア語からシリア語、アラビア語に訳されて、再びスペインのトレドで、ラテン語に翻訳されたものが西欧全体にひろがった。
・アリストテレスの著書に膨大な註解がつけられて、伝播していく。
・ビサンツに伝わった、キリスト教、ビサンツ正教が東方正教の中で、母体となって、ロシア、ルーマニア、ギリシアなどの伝播していく
・東欧は、制度としては、ローマ帝国を継承したのだが、文化としては、古代ギリシア、キリスト教を基盤として作られた
・受肉した神、イエス 前者では、血を滴るようにして苦しむイエスが、後者では栄光のイエスとして描写される
・ビサンツ正教が生んだ、特異な書物「フィロカリア」 修道生活の指南書がヨーロッパ全体に広がっていく。
・中世の2つの論理学、アリストテレスの古代ローマから継承されたものと、アラビア経由で再輸入されたもの、旧論理学(カテゴリー論)と新論理学(分析)とあるが、その明確な差異はよんでもわかりませんでした。
・ローマ法:ユスティニアヌス法典:は、スコラ学が援用されて、現在もヨーロッパ法の原点となっている。ゲルマン部族の侵入においても、異民族はローマ法を守ったのである。
・リベラルアーツ(自由学芸)がでてくるが、単なる教養ではなさそうだ。正しく話すこと、文法学の再構築などの言があるも、イメージがつかめなかった。
・イスラームの思想史、12イマーム派、シーア派、スンナ派。イスラームの宗教的な特徴は、宗教的な権威を一手に握る個人や組織が存在しないことである。時間が経るにつれて、イスラームにも、異端と正統が問題となる。啓典クルアーンの他に啓典の母というテクストがある。
・イスラームのペルシア派がギリシア哲学をイスラーム世界に取り込んだ。
・ギリシア哲学の伝統と継承では、註解書のスタイルを論ずる。註解書がもたらしたものは、既存概念の説明とともに、新しい概念を生み出す場でもあった。
・儒教には、仏教のいう、輪廻転生という概念がなく、死後の世界をめぐって、神滅不滅論争を引き起こしてしまう。仏教は、一切衆生悉有仏という生けとし、生けるものは、仏性をもつという如来蔵思想により不滅とする。
・仏教は、中華思想のように、1つの世界に固執しない。仏教の世界感を三千世界という
・インドにおける仏教、バラモン教、存在論の話があったが、各章、各段落の結論がわからなかった。残念
・日本の密教について、空海を中心に展開する。
・平安初期は、実力があれば、官僚にもなれ、遣唐使にも参加できた。空海の時代とはそのような空気の時代であった。
・空海の登場は、律令制=儒教が中心であった朝廷を、東アジアでもっともはやく仏教中心になるまでのインパクトがあった。
・空海の知られざる業績、それは、「文鏡秘府論」という音韻論、修辞法などのあらゆる詩論を網羅した漢文のテキストを残したことだ。松尾芭蕉も愛用したとある。
・空海は、さまざまな業績を残したもかかわらず、世俗を捨て、山野での修行をえらんだ。「家もなく国もなし、郷属を離れたり、子にあらず、臣にあらず」。これには官吏には理解されなかったようだ。
目次は以下の通りです。
はじめに
第1章 普遍と超越への知
1 中世という時代
2 超越ということ
3 普遍という視座
第2章 東方神学の系譜
1 ビサンツ帝国における哲学と神学の位置づけ
2 グレゴリオス・パラマスにおける身体へのまなざし
3 ビザンツ正教のその後と『フィロカリア』
第3章 教父哲学と修道院
1 教父たちと修道生活
2 アンセルムスの神学と哲学
3 11世紀から12世紀へ
第4章 存在の問題と中世論理学
1 はじめに
2 中世論理学のラフ・スケッチ
3 ボエティウス カモメの皮を被ったタカ?
4 アベラール 中世哲学の狼
第5章 自由学芸と文法学
1 複数の自由学芸(リベラルアーツ)
2 文法学と註解の伝統
第6章 イスラームにおける正義と異端
1 はじめに
2 イスマーイール派の起源
3 極端派と創世神話
4 10~11世紀における教義修正
5 おわりに
第7章 ギリシア哲学の伝統と継承
1 註解書というスタイル
2 ギリシア哲学の伝統と継承
3 おわりに 註解の営みの意義
第8章 仏教・道教・儒教
1 言語
2 精神、霊魂
3 孝
第9章 インドの形而上学
1 認識論的回転以後の論争史
2 実在をめぐる問い
3 認識論
第10章日本密教の世界観
1 はじめに 寓話から哲学史へ
2 空海の生きた時代と社会
3 文章経国的「正名」の理論と空海の密教的世界観
4 空海の密教的言語論の世界
5 まとめ 天皇の王権と真言化する
あとがき
編・執筆者紹介
年表
人名索引
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Posted by ブクログ
ネタバレ科学は倫理・道徳を推し進めない、哲学を実践する意味はそこにあるという。
なんでも広告やら資本主義に組み込まれる社会。その中で、民主主義は自壊していくという。
なんでもSNSやインターネットに公開することで、ある・ないの二元的に自身の行動を捉えられる(公開していないものはないものとされる。)し、Googleに対して個人データや検索履歴などあらゆる行動を与えている。ただそれらの行動自体がGoogleやSNS会社の養分になっている。そして、それらの会社が我々の行動をサジェスト機能等で規定しうる。我々自身が無自覚に巨大ソフトウェア会社に従うことになる。ただ、それらのソフトウェア会社は民主的ではない。検索アルゴリズムは民主プロセスを踏まず、ただGoogleの思うままに表示されるし、Airbnbで借りた家でのトラブルは自己責任となり、Airbnbを運営する会社は借用者の権利を保障しない。無自覚に自主的に、非民主的なテクノロジーに従わざるを得ない状況はまさに全体主義の形が表れていると。テクノロジーが規定するものに従うつまり全体主義に加担するということになるからだ。そして、この全体主義の萌芽が国家単位で発生していたこれまでとは違い、国家の単位を超えたグローバル規模で発生しているということが現代の病理。
便利になること、効率よくなることが良いことだとすること自体が特定の「普遍」の押しつけである。過去のナチズムや大日本帝国もその自分達の勝手な普遍性を押し付けるために理性的に侵略していたと。
科学ですら、ガブリエルから言わせると一つの神話に過ぎない。一つの信仰であって普遍とは言えない。
なぜなら、存在者の無限に長い連鎖(=おそらく原因と呼べるもの)は無限にあるから。それぞれの存在者の連鎖が無限であって、それらのすべてを包含する文脈、背景、原因は究極的にはない。宇宙の始まりであるビッグバンでさえなんらかが先行して、、、という話と思われる。その究極的な原因、根拠と呼べるようなものがなく、それぞれの存在者がお互いに影響を与え続けているようなこと自体が安定性をもたらしていると。その運動自体は法則がない。科学ですらそれがどこでも統一的に通用する根拠はない。
どのスケールにおいても量子力学における確率論が展開されると。シェリングのいう原偶然性を認めることが重要としている。それが「普遍」の押しつけに陥らないための哲学であり、彼の提唱する新実在論。
常に他者が入り込む隙間があることを認めるということ。
自由意志のような哲学(意志と己とが分かれていて、原因となる意志と結果の己の行動とが明確に存在し、いつどこでも意志が同じであれば同じ結果になるとするような考え)ではなく、自己や出来事それ自体が自由であるという考え方(つまりどうなるかは分からない、神すらもいない)のもとで、どう生きるかって話をしている。
想像を働かせること。立ち止まること。
今、目の前にあるチキンのもともとの鳥の姿を想像すること、ファストファッションが作られる労働環境を想像すること、自分達の消費行動が誰かの搾取の上に成立しているかもしれないことに目を向けること。そういった想像力が重要である。売れればOK、自分が便利になればOKという話からの脱却。
対話によって文化それぞれの非対称を感じることがなくなる世界、つまり様々な伝統が自分たちの歴史の一部だと考える世界を目指す。想像を世界にまで広げるて、社会的想像の刷新・更新をしていくということを掲げている。
そうして出来上がる社会的想像が全を取り込むような力を持たないか、またそもそも理想はそうだとして、どういうものになりうるのかが想像しにくい点が気になったし、今後ももう少し考えてみたい。 -
Posted by ブクログ
食べる•味わう、話す•聞く、触れる、知る、分ける、待つ•耐える、うたう、書く•隠れる……。
概念の再マッピングとして、「概念を名詞から解放し、動詞的なプロセスにあるものとして解釈し直す」本書の試み、面白い。
冒頭、「食べる•味わう」は、日本や東アジアの歴史において、どのように論じられてきたかを見ていき、最後に、こうした行為への倫理性が問われなくなった現代へと戻ってくる。
後に「待つ•耐える」では、資本主義の合理化、時間を稼ぐという価値観から、抜け出そうとしたスローフード、スローライフさえ、資本主義の「新たな」価値に組み込まれていってしまうという流れにも繋がって面白い。
分からないものについても、いつか分かるかもしれない時を「待つ」必要性。
本当にそうだ。変化の流れが速いからこそ、人はその時間の流れに巻き込まれていては、いけない気がする。
「分ける」の問題提起も面白かった。
ジェンダー、障害、年齢、能力、プロアマ……スポーツにおける分け方と、その乗り越え方。
そして、分かれていることで、注目度や賞金までもが違っていくという事実も。
確かにパラリンピックを観ていて、公平ってすごく難しいように思ったし、また、公平を推しすぎると歪なことにもなるのが、分かるような気がした。
と同時に「分ける」が「分かる」に繋がるというのをつい先日読んで、何が違うかを明らかにする、分けることによって私たちは分かろうともしている。
んー。難しい。
最後に。
大学におけるインターンシップといった体験的な学習が、体験して、経験して終わりになること。
いや、その体験や経験だけが本物だと思って終わりになることを残念と言っていたのが印象的だった。
その体験の意味を、普遍的な所にもう一度返してきた上で、問い直すことが、大学の価値なんだと。
それってまさに、哲学だと思うし、そこを侮ってはいけないと思わされた。 -
Posted by ブクログ
哲学=西欧哲学という常識を塗り替え、アジアやアフリカなどを含めた世界哲学の体系化を試みるという壮大な理念を掲げたシリーズである。
一巻ではメソポタミア文明からヘレニズム時代を扱う。メソポタミア文明を哲学史に組み入れること自体がすでに世界哲学への第一歩であり、その内容も大変興味深かった。
一点気になったのが、9章と10章の内容の矛盾である。9章ではヘレニズム時代にギリシャ人とインド人が出会ったエピソードを世界哲学の導入にはならないと切り捨てているが、10章ではそのエピソードを丸々取り扱っている。章ごとに作者が異なることに起因した矛盾であろう。
世界哲学を体系化しようという試みの中でこのような齟齬が生じるのは本末転倒に思える。