中島隆博のレビュー一覧
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本巻ではローマに入った哲学からキリスト教父たちの登場を扱う。西洋哲学の他には仏教、ゾロアスター教やマニ教が取り上げられた。
章ごとに筆者が異なることから内容の質に差があるが、マニ教と東方教父の章が大変参考になった。
マニ教では筆者がユーモアを交えながら解説するためスッと頭に入ってくる。中でも教祖のマーニーを「ストーリーテラーとしては優秀」と評したのは笑みがこぼれた。
東方教父の章では日本人には理解しにくい三位一体説についてわかりやすく解説されている。なぜ神とイエスと聖霊が同一視されるに至ったのか。そもそもそれはどういう意味か。それを知りたい方にこの章だけでも読む価値がある。 -
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私は以前から世の中には何か一つの真理があり、それをひたすら追い求めていた。その思考がロジカルであり、その最たるものが自然科学だと思っていた。
しかし、この自然科学だけを信じる思想は全体主義といって、その他の価値観、例えば宗教などを一切受け付けなくなってしまう。
実際に私は宗教を全否定していたし、空想に過ぎないと思っていた。
しかし、そうであるならば、国家という概念も空想に過ぎず、たしかに存在しているのに間違いではないことに矛盾する。
こういったように、すべてを一つのもので説明しようとしていた私にとって、とても心に刺さった内容だった。
現代は、デジタル化に伴い、公私の区別が曖昧になり、全体主 -
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世界哲学史シリーズの最終巻。12月に別巻が出るらしいが、一応、本巻でおしまい。
シリーズの掉尾を飾る第8巻では、「分析哲学の興亡」、「ヨーロッパの自意識と不安」、「ポストモダン、あるいはポスト構造主義の論理と倫理」「フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治」、「哲学と批評」、さらには「現代イスラーム哲学」、「中国の現代哲学」、「日本哲学の連続性」、「アジアの中の日本」「現代アフリカ哲学」とさまざまな角度から「世界哲学」の現在的諸相が扱われている。それぞれ興味深い論考が並んでいたが、自分自身はやや消化不良気味。その中でもやはり日本をテーマにした第8、9章は興味深かった。
全巻読み終わって、これ -
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近年、性善説、性悪説というのが気になっていた。
そもそも人間の本性は善か、悪かという議論は、なんだか、古いテーマな感じで、利己的か、利他的かというのと概ね同じ議論ではあるんだけど、多分、利己、利他という表現を使うと、進化論とか、脳科学とか、心理学とか、ゲーム理論とか、その辺を読めば、もう結論はでちゃっている感じがしているし、興味はあるのだけど、どっちかというと知的な理解の問題になるんだと思う。
わたしの感覚では、やっぱ善か、悪か、というのがやっぱふさわしい感じがしている。だけど、このテーマに付き合ってくれる人がいなくて寂しかった。
そういうなか、やっとわたしの問題にしっかりフォーカスして -
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西欧中心となりがちな哲学を世界規模で、文明間での同時代的な関係(かならずしも影響関係ではない)をみながら、8冊でその歴史を辿ってみようというチャレンジングな企画の6冊目。時代は、「近代」になって、18世紀を中心とした話。
最初の3巻くらいは、なるほどね〜、この問題って、今でも形を変えて、議論しているよね〜、と興味深く読んでいたのだが、4〜5巻になると議論が専門的になってくる感じがあって、「頑張ってお勉強のために読む」みたいな苦行になりつつあった。しかし、時代が「近代」にかわって、また視界がすっきり広がってきた感覚。
18世紀になると、良くも悪くも、世界の中心は西欧+アメリカになる。資本主義 -
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「道徳」というものについての考察。過去、この言葉がどのように捉えられ、政策者によって解釈され、人々に影響されてきたのかについて、東西の賢人の考え方を紹介される形で迫ろうとされています。洋の東西にかかわらず、人間に同質の性向があるということから、それをどのように捉えられてきたのかが、本書を読むことで少しずつ見えてくるようになります。利己的に生きることが当人にとっては一番のはずなのに、そうしないことは何故なのか。他者の苦しみに心動かされてしまうのは何故なのか。中国の孟子、西欧の哲学者達は、それをヒントにそれぞれ行動を起こし、それは奇しくも同じ時代に同じ動きをすることになります。
同じ時代に、東西そ -
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世界哲学史の3巻は「中世Ⅰ超越と普遍に向けて」のサブタイトルが付されている。全部で10章の構成。コラムが4つ。
最初に「超越と普遍について」が手際よく概説されている。中世が古代に付け加えたものの1つが「超越」という論点であった。また「超越と往還は一体の問題なのである」(p.20)と指摘され、「極言すれば、中世において、人間は「旅人(viator)」であった」(同上)。そして、「人間が旅する者(viator)」であったことは、中世という文明の基本的ありかたを示している」(p.24)。
同じく普遍について。中世という時代は、実体論を残しつつも、関係性や流動性を重んじ、聖霊が伝達の原理として中心