岬龍一郎のレビュー一覧
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「寿ければ恥多し(いのちながければ恥じ多し) 」
男の子が多いと、それだけ心配事が増える。 金持ちになればなったで、めんどうなことばかり増える。長生きをすればそれだけ恥をかくことも多くなる。
金銭に価値を見出す人は心を卑しくしていくし、ポストにしがみつくひとはさらに名誉を欲しがり、権力にしがみつく人は不振をつのらせる。これでは本当の心の平安や幸せは味わうことはできない。 彼らは財産、ポスト、権力を握っている間は、それを奪われまいといつもビクビクし、一度それを手放すと、今度は人間的価値までなくしたように憔悴してしまい、自分で不幸の種をまきながら、自分を不幸にして悲しんでいるからである。
「蟷螂の斧」蟷螂は、ものが近づくと車のような大きなものでも斧を振り上げて向かっていく。その意気込みはたいしたものだが、自分の実力も考えないで巨大なものに立ち向かっていくことは無謀というものだ。(蟷螂、その肘をいからせてもって車鉄にあたる。その任に堪えざることを知らざるなり) -
Posted by ブクログ
現在放送中の『軍師 官兵衛』を見てて、老子の言葉がかなり出ている。
後の黒田如水の名も「上善水の如し」から名付けたと知る。
年齢的に、生きることに少々疲れてきた。
黒田官兵衛の中で出てくる言葉が老子から来ていることに読んでみたくなった。
新訳ということで、読みやすく訳されているのだと思う。
納得できる部分とそうでない部分もあるが、心に沁みる。
雲のように、水のように生きられたらいいだろうな。
まだまだ人生の修業半ばにすぎず、煩悩まみれである自分自身。
少しでも、穏やかに生きることができたらと思う。
古くからのことわざも、中国から来ているとは聞いていたが、老子や孔子などの賢人が居た国も、今ではその教えすら消えてなくなった。
いい言葉や教えがあり、中国の歴史もあったはずなのに残念でならない。
そして、日本も同じ。
どこか、歯車がずれてしまったような気がする。
ずれた歯車を戻すことができるのだろうか。 -
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岬龍一郎著。
新渡戸稲造の『武士道』を翻訳している人です。
1946年生まれ、早稲田大学卒、情報会社・出版社の役員を歴任。
退職後、著述業の傍ら、人材育成のために「人間経営塾」を全国13ヶ所で主宰。
というようなことをやっていらっしゃる方。
新渡戸稲造や内村鑑三など、江戸から明治にかけて
日本人が持っていた精神を明治時代に著した著者の本に、
「人は、日本人は、いかにあるべきか」ということを求め、現代において普及している。
本書も、同様。
本書は、特に新渡戸の『武士道』の解説本という位置付けに近い。
『武士道』のエッセンスをかいつまんで、分かりやすく、現代との対比などを交えて説明している。
個人的には、新渡戸の『武士道』を先に読んでいたので、
この本から読み取ったことはそれほど多くはなかった。
『武士道』はやや難解なので、読みづらい人にはこの本は読みやすいものと思われます。
個人的には、次の社会モデルを考えていく上で、非常に示唆に富む考え方であり、本であると思います。『武士道』も含めて。
ちなみに本書は1995年刊行のものを加筆・修正されて、
初版2006年6月。252ページ。 -
Posted by ブクログ
超訳と書いてあるだけあって、かなりわかりやすいです。
漢文としてのよさがうにゃうにゃいうやつは読まないでください笑
始めて論語関連に触れましたが、これは!という気づきが多くてびっくり。
論語って、本当に普遍的なこと書いてるんだなぁと・・・。
自己啓発はよく読むけど、
論語はなにかを超越してる気がする。
違いをなんとなく書くとこんな感じ。
・他の自己啓発本
よーし、いけるいける!偉くなった!あしたから実践だー!(・∀・)
・論語(超訳だけど)
おお、、まだまだ足らんな。。精進しないと・・・!
いけいけごーごーでもいいんだけど、謙虚に自身のことを改善し続けるってのはすげーだいじだ。
本当に良い本に出会ったとおもう。 -
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■感想
仏教とか神道とか興味ありますね
絶対と自分を調和させる、いいですね
座禅やってみたいです。体験してみたいですね。
汝自身を知れって真理過ぎるだろ
知識というものは、これを学ぶものが心に同化させその人の品性に表れて初めて真の知識となる、ということ
→その通り過ぎる、知識として手に持ってるんじゃなくて、自分の自然の行動として表れて初めて意味を持つ敵なことだよね。
息をするようにできるってことだよな。
知行合一
高校生の時もこれってマジ大事!って思った気がする
絶対思ってたわ
貴族(力あるもの)を商業から離しておくことはある程度ごうりてきなのかもしれないな
お金持っている人が強い社会になっているもんな
これが当たり前じゃない世界もあるってことだ。
封建制度にも一定の合理性があるんだわ
ちょっとわからないけどさ
侍は本質的には行動の人であるからだ (第10章)
有機を養うのに役経つ場合に限って必要とした 知識は
もし1年で辞めるとするならば、目標とかどうでもいいし、評価とかどうでもいいんだから、
自分がやりたいことベースで考えたほうがいいんじゃん?
やる事やって、やりたいことだけやって、やめちまった方がいいんじゃねえの?
とか思ってたりするわけです。
日本人はほかの民族よりもはるかに多くの朝に何倍ももの度とに感じやすい性質をもっていると
→そんなことあるんかな?繊細な心キビとかは大事にしているんかな、わびさびとか
でももっと欧米とかは素直にすごいと機や楽しいときは喜ぶし、感情を表に出していくよね
こうしないと自分の気持ちにどんどん気づかなくなっていくと思うんだけどそれとはまた違うのかな
って思ったら次に書いてた
自然に発する感情を抑えようとすること自体が苦しみをともっているからである。
感情を顔に出すのは男らしくないとされた
→俺はこれをかっこいいとはもう思わないよ
感情を出していくやつの方が絶対かっこいい。素直に感情出せるやつの方がかっこいいんだから
思想隠す技術
→何でこれがいいんだろうか?
日本人にとっての笑いは、逆境によって乱されたこことの平衡を取り戻そうとする努力を、うまく隠す役目を果たしているからである
つまり笑は悲しみや怒りとのバランスを取るためのものなのだ。
→わからんでもない
逆に出さないから
その心の機微に気が付けるみたいなこともあるかもしれないね
その気持ちを詩にしたりとかして、違う表現方法に頼ってきたって言うのはあるかもしれないね
でもそれは表現方法の違いに過ぎなくて、日本人が感じやすいかって言われたらそうではないだろうっと思うよ。
絶対出していった方が良いもん
ポジショントーク多い
聞きたないねんそんなの
日本人の過度に感じやすく、激しやすい性質についても、私たちの名誉心にその責任がある。そして外国人からもよくして切れるような「日本人は尊大な自負心をもっている」という言葉も、これもまた名誉心の病的な行き過ぎによる結果であると言える
→自負心持ってるか?よくわからん。
人の目を気にして自分の物事言えない人の方が多いと思うんだけど。
それは自負心とは違うのか?
理想は自己を磨く宗教
→これは本当にそう、何か目指すべき像があるからこそ力が湧いてくるのであって、無いと何をすればいいのかわからない
結局、何を信じるか。何をしたいか。どうなりたいか。だ
それは自分の内面から出てくるものであっても、与えられるものであってもいいんだ
後者であればとても楽だ。宗教が無い日本はとても不親切といえるかもしれないな。
何も秀でないことを強制される。何も考えないことを強制される日本は優しくないかもしれないな。