岬龍一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
新渡戸稲造「武士道」について書く。今回読んだのは1899年にアメリカで出版された新渡戸稲造「武士道」"BUSHIDO The soul of japan"の現代語訳だ。訳者は人間学の講師を生業とする岬龍一郎氏だ。本書の正式なタイトルは「いま、拠って立つべき"日本の精神" 武士道」であって、日本の精神が強調されているのは原著の題名にある"The soul of japan"を訳したものだと思われる。本書が描かれた歴史的背景だが、明治維新から30年程度の年月が経過して、日本の国際的地位が固められる最中だった。しかし永続主義や封建主義を続けていたにも関わらず、革命に端を発してみるみるうちに進歩していく、日本の特異性に世界が目を向けた時期だ。その後の日露戦争で日本は白人国家であるロシアを破り、黄喎論という形で人種的な偏見を受ける羽目になる。当時本書が出版された際は非常に好評であったそうだが、そうした偏見が強まるにつれて本書も侮蔑の対象とされた。武士道は自虐的であり、日本人は生来の残酷的な本能を抑制できないとまで語られた。しかし侮蔑の対象になるということは本書が描いた戦前の日本人の気質というのは、まさに概ね正しかったということだろう。それにしても驚愕したのは、本書で描かれる武士道は、全てにおいて我が家の祖母にその影が見えるという点だった。それもそのはずで、祖母は武家の出であるから、幼少期からの教育や気質が異なるのだろう。しかしその気質は子供たちには引き継がれていない。また、本書の卓越した点として、西洋哲学と比較している点も面白い。武士道のみに注視するのではなく、より相対的な思想として、観念として説いているため、本来なら日本人の特異性を示す根拠にはならないだろうに、偏見というのは恐ろしい。最後に少量だけ描かれた訳者の解説は、解説にしては主張の激しいものであったが、昨今の裏金騒動の中で聞く分には心地よかった。歴史的な資料であるだけでなく、内容も非常に素晴らしいものだった。
-
Posted by ブクログ
個人の独立心が必要だ。他人の意見に流されるのではなく、他人に媚びるのではなく、自身で判断できるようにならなければならない。
独立心が無いと、他人に頼る。頼ることが当たり前になって、自身の不遇を他人の責任にするようになる。
集団全体にそういった意識が増えると、集団が腐って行く。
私にできることは、自身の独立心を高めること。そして、人の独立心を高めるように助けること。
そのためには、学び続けることが大切だと思う。難しい言葉を学ぶということではなく、生活を高めるために学ぶのだ。
その生活とは、私個人の生活を成り立たせるというわけではない。他者の生活に貢献し、集団全体の生活をより良くするということである。 -
Posted by ブクログ
武士道とは何か、日本の武士道精神そのものと、それが日本人の心や動作に浸透してきた背景が理解できる。著者が明治維新後30年くらいで外国人向けに書いたという視点で意識して読むと良いと思った。
時代が違うので当然価値観も違うが、少なくとも今でも日本人の心に受け継がれてきているものもたくさんあり、またそれは武士道の元になっている神道や仏教、儒教から今に受け継がれているものも多い。そういった先人の教えを武士道の視点から学べることはためになる。
学びメモ
・知識というものは、これを学ぶものが心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識になる。知識はそれ自体が目的とはならず、あくまで知恵を得るための手段である。陽明学の知行合一。
・文づかいや声音になんの乱れも見せないことは、心の広さであり、余裕である。そうした人は慌てることも混乱することもなく、多くのものを受け入れる余地を持っている。
・礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、憤らず、恨みを抱かないもの。心がこもっていなければ礼と呼べない。
・負けるが勝ちという格言。これは、真の勝利は乱暴な敵にむやみに対抗しないという意味。
・武士道が浸透していく中で、日本全体の道徳律として提供されていき、大和魂が象徴する言葉になっていった。
・日本に変化をもたらした行動力の源泉は、劣等国として見下されることに耐えられない名誉心からきている。
-
Posted by ブクログ
今日の会話の中で私たちは、「彼は侍だ」とか”大和魂”という言葉を使うことがある。しかし、それが何を示すのか明確な定義を教わることはなく、経典のようなものも少ない。だから、著者である新渡戸稲造はこれらを日本人に受け継がれる精神”武士道”として、まとめたのである。
孔子の教えである「五常の徳(仁・義・礼・智・信)」または「八つの徳(忠・孝・悌)」が武士道の基盤となっている。義は人の心、礼は礼儀作法・所作を指し、仁や義を型として表すことである。仁は人の良心、慈悲の心のことを言う。伊達政宗は「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる。」の言葉を遺している。仁義のバランスを取ることが大事であると説いている。
上記の特徴は、よく日本人に言われていることだが、その他にも特筆すべき点があった。これが名誉、忠義である。これらは、心の強さを指すものとして私は考える。名誉は、いかに恥を感じないようにするかと言い換えられる。自分の心に正直に生きることがより強い武士であった。忠義は、主君の義理に対する恩返しである。時には、家族よりも優先させるべき事であった。これらの名誉と忠義の強さが誠となると私は感じた。すなわち、誠とは面子を保つことである。
武士道は、強烈な覚悟と誇りによって成り立っている。その一つに克己心がある。敵前でもけっして怯まず殺される瞬間まで毅然とした態度で平静を保つのが立派な侍であった。また、切腹もこれらを表す姿勢である。切腹は罪状として存在していたそうだが、逃げることもできる状況下であった。それでも、切腹を受け入れるのはそれなりの責任を感じ、自らの腹の中が潔白であることの証明を示す行為だったそうだ。正直、この描写では常軌を逸していると思ってしまった。
本書では、ちょっと表現が強い場面があって、苦手な人もいると思った。それでも、今私たち日本人が持っている礼儀正しさがなぜ世界から称賛されているのか、外国と何が違うのか知ることができるので、一読すべきである。武士道は、一見誠実すぎて損をしてしまう考え方かもしれない。しかし、長期的に見たときに最後に笑うのは精神力、己の気持ちが強い者であると感じた。これからは、多様性の時代がやってくるが、武士道をどのように馴染ませていくのか考えていきたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ仏教は、運命を受け入れ、危険や災難を目にしてもストイックに落ち着き、生に執着せず、死に親しむ心をもたらした。
サムライ"義“は、自分の身の処し方を、道理に従い、ためらわず決断する心をいう。
死すべき時に死に、討つべきときに討つこと
勇敢な人は優しい人
愛のある人は勇敢な人
礼は、長い苦難にも耐え忍び、親切で妬みの心を持たず、誇らず、おごらず、非礼を行わず、自分の利を求めず、憤らず、慢心しない
人を泥棒呼ばわりすれば、彼は泥棒となる
「つまらないものですが」は、つまらないものをあなたに贈る、という物目線の言葉ではなく、
「あなたはいい人だからどんなものであってもあなたにふさわしいといったら失礼にあたる」という気持ちを表している