チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのレビュー一覧
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ナイジェリアで生まれ育った著者が、男女、民族、貧富、宗教など異なる世界を持つ人が交わるときに生まれるささやかな違和感を穏やかに描いた短編12編。
自分たちの国を民族を文化をまったく理解していない人に人生の舵を取られる屈辱。『象牙製品のようにエキゾチックな戦利品のように品定めされる』感覚。傲慢な西欧化の波にさらわれる戸惑い。
アフリカが辿ってきた歴史を思うととても同列に語ることなんてできないけれど、女性として、アジア人として、少し心当たりのある感覚でもあります。
自分の中にある無知と傲慢について考える機会になりました。出会えてよかった本。
「なにかが首のまわりに」
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ -
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この感想を書いてるのは読んでから1年以上経ってからのことです。
12の短編全てを思い出すことは出来ないので12タイトルは他の方の読書感想からコピペしてきた。
おそらく多くの方のベストは「ジャンピングモンキーヒル」か表題の「なにかが首のまわりに」もしくは「震え」とかでしょうか。
私も読んだ直後はそうだったかも知れない。でも思い出せない。
今は「イミテーション」のあらすじだけが残ってる。
不思議。
セル・ワン
イミテーション
ひそかな経験
ゴースト
先週の月曜日に
ジャンピング・モンキー・ヒル
なにかが首のまわりに
アメリカ大使館
震え
結婚の世話人
明日は遠すぎて
がんこな歴史家 -
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ナイジェリアに住んでいるイフェメルとオビンゼの夢は、英米に留学すること。そんな二人は高校生時代からの恋人同士だが、イフェメルだけがアメリカに留学することになると二人の中にも溝ができて…。イフェメルはアメリカに留学してからというもの日々カルチャーショックに見舞われていく。その最大とも言えるのが、人種のるつぼとも言えるアメリカで自分が「黒人」であるということを発見していくことだった。やがてイフェメルは「非アメリカ系」黒人として、自分の思いをブログに綴っていく。オビンゼとの関係も断絶し、恋人もでき、順風満帆に見えた時、イフェメルは突然恋人を捨てナイジェリアに帰る決意をする。昔の恋人オビンゼに会うために…。
本作は全米批評家協会賞を受賞したアディーチェ作の恋愛小説。ただ、これを恋愛だけで終わらせないのが、アメリカの内部に潜む人種問題に鋭く切り込んだ一冊であるからだろう。
恋愛小説として読んでも勿論面白いし、現代アメリカの文化批判として読んでも面白い。良作だった。 -
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アフリカ関係の本は、滝田明日香さん以来。(そうえいばキリマンジャロ登山の本とバッタの本は読んだ!)
滝田さんが繰り広げるエピソードは、私の知らない世界であり、わくわくしながら読んだことを覚えている。
本書の、チママンダさんは、世界的に活動されている。
本の評価が高いことは知っていたけれど、活動拠点はアフリカではなくアメリカ。来日もしていて、松たか子さんが朗読???
なんとも驚くものがある。
アフリカに私は行ったことなく、はっきり言って知らない世界である。
それをいいことにアフリカのイメージが作られてきた感がある。
それを証明するものが、FACTFULNESSのチンパンジーアンケートである。
にしても知らないことが多すぎる。
この本は、マスコミにつくられたものではなく、アフリカの暮しから出てきたもの。アメリカへの移住、査証取得に伴う面接に関する切実な対応・対策については、確かに驚いた。特別な心構えが必要なのである。
出張で同行していた人が(アフリカではありません)、イミグレーションで賄賂を要求されて払っていたけれど、まだまだどこもかしこも腐敗しているのかな。
今回滝田さん、チママンダさんに共通して感じたことは、治安の悪さと、腐敗した警察、根底にある宗教である。バッタの本にも(あまりにも有名な本なので、これだけでわかるひとはわかるとおもう)、信頼していたドライバーに盗まれた話がでてくる。
はやり怖いイメージはあるけれど、どうなんだろう。
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317頁
『闇の奥』的なイメージのアフリカは、アフリカを反人間としての「他者」と見なすことが可能な場です。つまり、西側諸国の人々がその人間らしさを試す場ということです。 -
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「発掘王への道#5」はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『パープル・ハイビスカス』です
海外作品も発掘します
王ってそういうことですから
苦手分野ないのが王ですから
まずは作者紹介から!
訳者あとがきから抜粋!(一部省略)
1977年生まれ。ナイジェリア南部のエヌグで、イボ人(ナイジェリアの民族の一つ)の両親の六人の子どもの五番目として生まれた。父親はナイジェリア初の統計学教授でナイジェリア大学の副学長を務めた人。
ナイジェリア大学で薬学と医学を学び始めたが、十九歳で米国にわたり、コミュニケーション学と政治学を学び、その頃から作品を書き始めました
本作は作者の第一長編で、ハーストン/ライト遺産賞やコモンウェルス初小説賞などを受賞
なんとナイジェリア文学発掘です!
舞台ももちろんナイジェリアですが、軍事クーデターが繰り返されていた1980年代あたりころのお話と思われます(間違ったらごめん!)
現在のナイジェリアは(他のアフリカ諸国に比べれば)比較的政治情勢は安定していて、アフリカ一の経済大国となっております
石油がでるのよね
GDPで言うたら世界第24位ですって
つまりG20なんて言って先進国づらしてる国々のすぐ次に位置してるってこと
急成長です
ラゴスなんてとんでもない大都会だし!もちろん写真でしか見たことないけど!
そしてナイジェリア文学です
なんか調べたらウォーレ・ショインカさんていうノーベル文学賞作家さんも輩出してるのよ
すげー!ナイジェリアすげー!
よし本編!
もうね、本を開いた瞬間ムワッとしました
これがナイジェリアか!と思いました
もう言葉数が凄いのよ!段落がほとんどなくて文字かみっしり詰まってるの
うわこりゃあしんどそうって思ったんよね正直
ただ読み始めたら作者の情熱みたいなんを感じたんよ
ナイジェリアを知ってもらいたい情熱みたいなんをすぐ感じられたんで嫌な感じはけっこう直ぐに無くなりました
わりと読みやすかったし
うーん、なんかね内容的にはちょっと難しかったかな〜
いわゆる白人文化と伝統文化が混ざって行く中で生まれた捻じれみたいなんが家族の中にも色んな歪みを発生させてみたいなお話だと思うんだけど
伝統を大切にしたいって気持ちと経済成長を遂げて豊かになるには白人の常識も受け入れないといけないみたいなね
無理に混ぜようとすると時に悲劇を生んでしまうというかね
そしてこの本の中でも、役人は賄賂をうけとるのが仕事みたいな感じですが、現在のナイジェリアでもまだまだ政治腐敗は続いているみたいです
ある年の石油収入150億ドルのうち100億ドルが使途不明とか恐すぎ
人身売買とかも普通に行われてるし
日本に生まれて良かった
なんかとりとめのないレビューになってしまった
まとめる力なしか! -
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ナイジェリア南部の町エヌグの大きな屋敷に住む、15歳の少女・カンビリ視点で描かれる物語。
物語、と読んでいいのか悩むほどに生々しい部分もある。
身一つで会社を起こし、世間では敬われているカンビリの父は、敬虔すぎるまでのカトリック教徒であり、腐敗したナイジェリア政権を批判し立て直すべく、政権批判の新聞社にも多大な協力をする人だ。
しかし尊敬される反面、過度に偏った思想と信仰心を持つ父親は、カンビリやカンビリの兄ジャジャには常に学校で一番でいることや、敬虔なカトリック教徒であることを強要し、家族が罪を犯したと認識した時には母親や子どもたちに酷い暴力と暴言を何度も何度も振るった。
異教徒である実の父親、パパ・ンクゥと子どもたちが同じ家の中で過ごすだけでも激怒した。
カンビリより下の兄弟がいないのは、おそらく度重なる身体的・精神的DVのせいだろう…
カンビリの母は何度も流産している。
強固な家父長制の一家には、お金はあっても自由はなかった。
カンビリが学校で一番の成績を取り続けるのも、取り続けたいからではなく、取らなければ恐ろしいことが起こるからであった。
自発的なものでも、自分の成長のためのものでもなかった。
抑圧された環境の中で、カンビリは誰にも自分の家の決まり事や事情、己の感情を何も語ることができず、学校ではお高くとまっていると誤解されていた。
そんな最中、父の妹…カンビリのおばさんといとこたちの住む家に一時的に滞在することになったカンビリとジャジャ。
この家ではお祈りも楽しそうにやっている。
議論も盛んに行われ、カンビリのように父親に決められたスケジュール通りにしか動けないようなことはなく、貧しくとも、そう、いい意味で自由な家であった。
自由な家の中で、カンビリ兄弟より年下のいとこたちは既に大人びており、自立していた。
そしておばさん宅に訪問してくるアマディ神父との出会い。
次第に変わっていくジャジャ。
遅れて自由というものを実感していくカンビリ。
同い年のいとこのアマカやおばさんに指摘され、自分の考えていることを怖がらず口に出すことができるようになっていくカンビリ。
ゆっくり生まれ気づき育まれる恋愛感情。
自由というものを知ってなお、自分のいた環境のおかしさに気づいてなお、父親に認めてもらいたい、愛してもらいたいと思ってしまうカンビリ。
物語は予想だにしない展開になっていく。
カンビリたち一家の変化や、その他の様々なことが多彩に描かれている作品だ。
ナイジェリアの文化(例えば現地語であるイボ語がカタカナ表記で読むことができ、パパ・ンクゥがカンビリやいとこたちにナイジェリアの口承伝承を語る場面を読める)や執筆当時の情勢を知ることができ、いろいろと新鮮であった。
本作は遅れて邦訳された、作者の処女作であるとのこと。
より洗練されているであろう作者の他の作品も読んでいきたい。 -
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ネタバレ愛の物語であるとともに、
主人公の成長、
すなわちアイデンティティの確立が語られる物語。
なぜ二人は外国に行かなければならなかったのか。
純粋に愛し合い、魂も美しいというのに。
それは、国内にいたままでは
自分で立つことができるほどの力はなく、
やがてナイジェリアに飲み込まれてしまうことになっただろうから。
それぞれが異文化の中で生きることで、
外国の醜さを感じつつも、
アメリカやイギリスという「個人」で生きることに触れて、彼らの魂も「自分自身」を形作っていくのだ。
やがて彼らは母国へと帰ることになるのだが、
それは敗北や逃避、あるいはただの郷愁ではない。
なぜなら帰国しても違和感を覚え続けたから。
それはアイデンティティが確立したからこそ、
もうナイジェリアという母性に飲み込まれることなく、
ひとりの人格として生きることになったからだろう。
美しい愛に、深みまで持たせた見事な物語。 -
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上手く口には出せない思い。表に出ることのない感情。そうしたものを可視化して、たくさんの人に伝えることが出来るのが、小説や文学の強みかな、と思います。
そして、その強みを存分に発揮している作家の一人が、このチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。彼女の描く”ナイジェリア人”から見たアメリカの姿は、社会や文化、そして生活に埋め込めまれ、意識されることすらなくなっているかもしれない、偏見や差別、アメリカに住むアフリカ系の人々の苦悩を映し出します。
上巻で主に描かれるのは、イフェメルというナイジェリア出身の女性。主に彼女が留学するまで、そして留学後のアメリカでの生活が描かれます。
希望を抱いてアメリカへ渡ったものの、待っていたのは厳しい現実。アルバイトをしようにも、職が見つからず家賃の支払いにおびえる日々、アメリカとナイジェリアの文化のギャップに苦しみ、アメリカの本や雑誌を読み、なんとかアメリカという国を知り、同化しようとするものの……
この上巻で印象的だったのは、母からもらったメンソレータムを鼻の下に塗って、その匂いをかいで涙ぐみそうになるイファメルの姿。
新天地へ期待に胸を膨らませながらも、現実とのギャップに苦しみ、故郷を思い出す姿は、進学や就職なんかで親元を離れた経験のある人は、多かれ少なかれ感じるものがあるんじゃないかなあ。アディーチェの作品は、日本人の自分からするとなじみの薄い設定が多いです。それでも心つかまれるのは、こうした共通して抱けるような感情を、しっかりと描いているからだと思います。
さらに、アディーチェ作品ですごいと思うのは、可視化されない思いや真実を描く視点を、アメリカの社会に向けるだけでなく、自分たちにも向けること。
アメリカ内では”黒人”というカテゴリに組み込まれるアフリカ系の人々。その人々の中にも嫉妬であったり、ヒエラルキーであったり、またアメリカに対する過剰な憧れであったり、そしてアメリカに住む中で、徐々に自身を黒人として受け入れアイデンティティを失っていく姿であったり。
自分で自分たちの常識や考え方に疑いを持ち、メスを入れるのは難しいと思うのですが、アディーチェはそれもやってのけてしまいます。
そしてそうしたものを、直接的に文章で書くのでなく、人々の言葉のやりとりや感情、実際の行動を通して描くのもまたすごい。文庫の著者紹介で『抜群の知性としなやかな感性で繊細な物語を紡ぎ出す』とあるけど、本当にその通りだと思います。
ジェンダーをめぐる視点も相変わらず鋭い。イファメル自身も性を売り物にせざるを得ない状況に直面するのですが、イファメルのおばであるウジュの描き方も印象的。ある意味で男性に振り回される彼女の半生も、結婚や恋愛のあり方、そして女性がどうあるべきなのか、男性はどうあるべきなのか、考えてしまいます。
ちなみにこの話は、イファメルと彼女のパートナーであった、オビンゼの話でもあります。序盤に登場した後、上巻の最後まで彼の視点は描かれないのですが、その最後の場面が、また波乱を予感させる出だし……
祖国では普通の人だと思っていた自分が、アメリカやイギリスに渡った途端に、ヒエラルキーの最下層に置かれるという、あまりにも酷で理不尽な現実。その社会の先で二人が何を見るのか。自分にはまったく想像がつかない展開が待っていそうで、楽しみでもあり、不安でもあり……。