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犠牲者数百万といわれるナイジェリアのビアフラ戦争。この内戦の悲劇をスリリングなラブストーリーを軸に、心ゆさぶられる人間ドラマとして描く。最年少オレンジ賞受賞。映画化。
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Posted by ブクログ
ハードカバー・二段組みで500ページ弱の長編…、なかなか読む時間がなかったけど、、。 四月。突然の入院の事態に、この本を病院のベッドの上で読み続けた。 この物語は1960年代のナイジェリアが舞台。 1960年にイギリスから独立したナイジェリアだったが、国家権力をめぐる争いに国は不安定な状況にあった...続きを読む。 1967年には東部のイボ人を中心とした人々が「ビアフラ」国を宣言。ナイジェリアはビアフラの分離独立をめぐる内戦に突入した。 すぐに終わると思われた戦争は3年にも及び、ビアフラでは戦闘や飢餓で亡くなった人々の数は正確に知られていないものの、作中でも百万人以上にのぼるとされている。 本書で節目ごとに出てくる一節は「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」 タイトルの「半分のぼった黄色い太陽」、Half of Yellow Sunはビアフラの国旗に描かれていたのだそうだ。 物語はイボ人の富裕層に生まれた双子の姉妹、オランナとカイネネ、オランナの夫であるオデニボ、カイネネの婚約者となる英国人のリチャード、そしてオランナ・オデニボ夫妻のハウスボーイであるウグウが主要な登場人物となっている。 物語の前半は戦争の影はまだ薄く、ラブストーリー、姉妹の関係や、人間模様が中心で、独立後まもないナイジェリアの社会の様子や人々の暮らしを知ることもできる。ハラハラする展開もあり、これだけでも十分に面白いけれど、内戦が描かれる物語の最終盤(4部構成になっていて、その4部から)は、それまでに描写されてきた生活、人間関係が戦争によって大きく変わってくる。 様々な人が登場してくるが、私が好きなのは双子の姉妹であるオランナとカイネネの関係の変化だ。 ラストの終わりのオランナの一言にも涙を誘われた。 オランナとカイネネの関係は物語の当初からぎくしゃくした関係であったが、ある事件をきっかけに悪化。 しかし、戦争で目にした凄惨な光景、経験は過去のお互いのわだかまりを小さくさせ、徐々に関係性を回復させていく。 それを、カイネネは「あまりに許せないことがあると、ほかのことは簡単に許せるようになってしまうわね」、と。 お互いに親しみをこめて、再び「エジマ・ム ― マイ・ツイン(わたしの双子)」と呼びかけ合うようになる様子は心が温まる。 ただ、戦争がもたらす飢餓や貧困の悲惨な状況、そこで見えてくる人間の醜さや強欲、弱さ、脆さを感じるとともに、その中でも家族や友人を守り合い、支え合う様子が心に残る。 オランナとカイネネの会話の中でのやり取りも心に残った。 「この戦争が終わってほしい、彼がもとにもどるように。あの人、別人になってしまった」 「私たちはみんなこの戦争のただなかにいるの。別人になるかどうか決めるのは、私たち自身よ」と。 戦争はナイジェリアの連邦政府軍が勝利し、結局ビアフラ国の独立や見果てぬ夢となってしまう。 ナイジェリア連邦政府の首相であったゴウォンが「勝者も敗者もない」と述べた演説がラジオから流れた、とあった。 それは、和解を促すための言葉だったのだろう。だけど、この言葉に私はむしょうに腹が立った。 3年にも及ぶ戦争で、飢餓に苦しみ、多くの命が落とされたにもかかわらず、「勝者も敗者もない」。。 それは勝者の論理だ。
この作品を読むまで、ナイジェリアのことも、ビアフラ戦争のことも知らなかった。 幸せも不幸せもすべて、戦争、暴力は破壊して去ってしまう。あとには憎しみ、悲しみが残るだけだ。つくづく、戦争をしてはいけない、暴力はあってはならないと思った。 人間の本来の美しさ、賢さ、その対極にあるのが、戦争、暴力であ...続きを読むる、とつくづく感じた。 しかし、現在も、戦争が世界の各地で起こされている。どれだけ多くの人々が憎しみと悲しみにまみれていることか。
戦争はある日突然始まるものではなく、じわじわと気づいたら日常生活に入ってくるのだなと。長いけど読みやすくとても面白い。 カイネネの台詞が印象に残る。 「愛がほかのものの入る余地を残さないとあなたが考えるなら、それは間違いよ。なにかを愛しながら、それを見下すことも可能なんだから」
多分この作家は遠からずノーベル文学賞受賞するんじゃないかな。英語で書いているなら、ブッカー賞も… オデニボが崩れてゆく様が痛ましい。どこの国でもいざとなると女は強い。カイネネを失っても、オランナはオランナだろう。リチャードはどうだろう。ナイジェリアに残るのか。結局本を書き上げることはできないだろう。...続きを読む恐らく作家になるのはウドウ。ウグウが加害者となった経験が、彼が作家となる糧になるのだろうか。 欧米人のジャーナリスト、いかにもだな。
ナイジェリア1960年代の話。 60年代前半と後半で分けて話は進む。 壊れてしまった幸せな日々を思い出すような構成になっていて、読んでいて胸がヒリヒリする。 翻訳本は苦手な人にも一気に読める作品だと思う。 引用P.137 カイネネ「愛が他のものの入る余地を残さないとあなたが考えるなら、それは間違...続きを読むいよ。何かを愛しながら、それを見下すことも可能なんだから。」
物語の語り手の三人もバランスがよい。みんななにかしらの意味で「観察者」だよね。特に序盤はそれぞれアフリカハイクラスの、アフリカ庶民の、アフリカ社会の、観察者と行った具合に。だから前提が理解しやすい。中盤からはどんどん当事者になっていって、彼らの行く末が気になった。途中ちょっとダレたけど。 アフリカと...続きを読むして一般に語られがちな貧困や紛争は数ある要素の一つだと語る小説。それでも一般に語られる要素の重さも感じられる小説。面白かったです。
3人の視点から語られる、愛であり、一族の歴史であり、戦争であり、貧困、搾取、あらゆるものが大きな流れの中に組み込まれている。言葉も的確で、風景が広がるような感じがあった。 ことさらに、ビアフラ戦争を非難している訳ではないが、世界中で起きている戦争も大なり小なりこのような図式であることが、本当によく分...続きを読むかる。そして、何より大切なことは、生き延びることだ。
1960年代に起きたナイジェリア内のピアラフ戦争を題材とした作品。タイトルの「半分のぼった黄色い太陽」は旧ビアラフ共和国の国旗の絵柄。 戦争に伴う民族紛争や虐殺の悲惨さを描きながらも、本来的テーマは家族や恋人や姉妹のドラマである。なので戦争部分はファクトベースながらフィクションを織り交ぜる。後半は生...続きを読む々しい残酷な描写が続くものの、アフリカの独特な文化背景と米国留学経験の長い著者の欧米的感覚が絶妙なバランスとなり、小気味よいリズミカルな文章を生み出している。 日常的な出来事に対する心の脆さと戦争という異常事態のなかでのカイネネやウグウの強さや適応性という矛盾を違和感なく両立させ、人間そのものを巧く捉えている。また、構成を60年代前半と後半を交互に繰り返す4章仕立てとすることで重厚な作品となっている。アフリカ文学界の才能を感じさせる作家である。
「アフリカ」と大雑把に語ることの無意味さを改めて反省。自らの無知と偏見をいくつも自覚させられ、非常に勉強になった。
まるで目の前にアフリカナイジェリアの暮らしがあるような生き生きとしたストーリーテリングの果てにたどり着く、圧倒的な戦争の虚しさと喪失感よ。
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