森山至貴のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
同じ著者による『あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』を読んだことがあるけれど、こっちも良書。すごく勉強になった。
これは、前著の方を読んだときも感じた感想だけれども、紹介されている例を見ると、明らかにそれは問題発言だろう、と思うようなものが多くある。それでも、「はじめに」に書いてあるように、ここで書かれている事例が、「担当編集者さんを通じて何人かの女性に実例を教えていただ」いたものなのだから、まだまだ蔓延っていて、自分も気が付かないうちに言ってしまったことがあるのだろうなと思うと、言葉に対するアンテナが、まだまだ低いのだなと反省させられる。
著者も言っている通り、「男性である私は、その大変さを実感としては理解できないことも間違いない」。ただ、「実感」としては理解できないからこそ、頭と理屈で、閉じ込められた人たちの被害とその問題を「理解」する必要がある。
実際、この本は、「10代から」とタイトルにある割に、なぜその言葉が差別になるのか、分かりやすく説明しているようでいて、その説明には手抜きがないように感じる。p78〜79の「負のサンクション」のくだりなどは、普通に一読で意味が理解できなくて、読み直した。
逆に言えば、さりげない差別、感覚的には分かるけど説明が難しいものが、どうして人を傷つけることになるのか、そこに隠された差別は、何なのかを見極めるのは、頭を使うということだと思う。そこを、面倒くさがってはいけないなと、説明の難易度から感じとった。
とはいえ、説明の、考えることの難しさとは裏腹に、その目的は、単純で分かりやすいことだと思う。要するに、人が嫌がることを言うなということである。
相手が嫌がっているかどうか、そこに対するアンテナを高くして、自分の言ったこと、他の人が言っていることの何が問題なのかを考える習慣を身につけることが大切なのだと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ概ね共感できる言葉ばかりです。
少なくともこの本を読んで日本にいまだに残る男尊女卑の問題などに関して考えるきっかけになると思いますので、いろんな人に読んでいただきたいです。
子どもがいないからこそできることだね
あなたには子どもが子どもがいないからわからない
女性のわりには話が通じるね
その年齢の子どもがいるわりには若く見えるね
女にはわからない世界だから
嫁入り前
こんなことを言われたらもやっとしますよね
こんな明らかに嫌なことを言う人もそんなにいないと思いますが…
また女性は大学など行かなくてもいいとか、寿退社、出産を機に仕事を辞めなかればならない、独身と聞けばお局様、報酬の高い仕事は男に任せるなど、まだまだ女性は生きづらい社会だと感じました。
一方で
「皿洗いやっといたよ」
は「『大事にする』を勘違いした言葉」ではないと感じました。
皿洗い以外の「大事にする」を勘違いした言葉と、褒める言葉に関しては、著者の考えも理解できますし、性別で人を分けるべきではないという考えに則っていると思いますが、現実的に性別による筋力の差を全く見ないということにも無理があるような気がします。
何より褒めている言葉に悪意がなく、受け取る側にも不快に思わなければ何の問題もないような気がしますがこの考え自体がすでにフィルターがかかっていて間違っているのかもしれません。
かわいい
美人だ
かっこいい
こんな人を形容する言葉はどんどん廃れていってしまうのでしょうか。 -
Posted by ブクログ
性的傾向の少数派のひとたちのなかでも、レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシャル(B)、トランスジェンダー(T)という比較的知られている傾向のタイプから頭文字をとって「LGBT」とよく呼ばれます。しかしながら、性的な傾向、それは自身の性に対する違和感のあるひとがいますし、いわゆる男らしさのつよい男もいれば、女らしさのつよい女もいるわけですし、性愛対象も、男⇔女という異性愛に限らず、男⇔男、女⇔女があれば、肉体は男でも性自認は女で性愛対象は女という傾向の人もいるわけです。
つまり、LGBTと言ってしまえば、性的少数派をすべて網羅して言ってしまえていることにはならない。反対に、LGBTという言葉に性的少数派というバラエティの豊かさが無視され単純化されて押し込められてしまう危険性すらあります。……ということをまず考えさせられてスタートする本でした。
また、スタートラインとして踏まえておくべきこととしてもっと大切なものが以下の引用です。
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意外かもしれませんが、セクシュアルマイノリティを見下す心が見え隠れする人がよく使う枕詞は「私はセクシュアルマイノリティに対する偏見を持っていませんが……」です。曲者なのは最後の「(逆説の)が」で、当然ながらその後に続くのは質問や疑問の体を取ったセクシュアルマイノリティへの否定的な言葉です。それが否定的なニュアンスを持つものだからこそ「偏見ではない」前置きで宣言するわけですが、宣言すれば「偏見」でなくなるわけでは当然ありません。文句は言いたいが自分が「善人」であることは手放したくないという本音が透けて見えている辺り、むしろ痛々しくすらあります。(p7-8)
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→善人でありたいという希望ではなくとも、自分は模範的な人でありたいだとか、正しい人でありたいだとか、また他の分野ではそうやって自分を律して正しく生きてきてなかなかうまくやってこれた人が、この性的な分野では対応できない、ということもあるのではと思います。対応できないくらいややこしくもあるし、生まれた時点からの家庭環境や社会環境などの影響から植え付けられた鋼鉄の先入観もあると思います。セクシュアルマジョリティのひとは、だからこそかなり自覚的にならないと、意図せずとも差別してしまったり、差別意識に気付けなかったりするでしょう。僕も思い当たります。今ここで、女装をして女性らしいふるまいをする生殖的に男性の人と会話するようなことになったら、たぶんけっこう混乱してしまいます。まず、セクシュアルマイノリティの人たちの知識がなく、会った経験がほとんどないので、ここまで生きてきた社会の流れ・慣例をベースに行動してしまうようなオートマティック性が働くだろうからです。だから、やっぱり、知って、学んで、ということは大切なんですね。
また、p33に構造的差別という言葉が出てきますが、差別は人々の「心」の問題ではなく社会構造の問題だ、というのがその意味です。男らしさや女らしさを求め、異性婚しか認めない、というのは、社会の構造から来るものです。そういった前提を疑うことで割を食う人が減り、社会が滑らかになっていくきっかけが生まれるのがこういったセクシュアルマイノリティの問題へのアプローチの仕方なのではないかとも思います。うまくこういった問題に取り組めれば、社会はもっと角が取れたものになるかもしれない、なんていうイメージが湧きます。
さて、この問題から生まれたクィア・スタディーズという学問分野・批評分野があります。クィア・スタディーズには三つの基本的な視座があります。それは「差異に基づく連帯の志向」、「否定的な価値づけの積極的な引き受けによる価値転倒」、「アイデンティティの両義性や流動性に対する着目」です。その解説については本書やネット検索に譲るとしますが、アイデンティティの流動性については、一言残します。
アイデンティティの流動性を保持し自由度を高めることが大事で、アイデンティティを固定化し一つところに繋ぎ止めて流動性を否定する風潮に異を唱えるのが、クィア・スタディーズの姿勢のひとつなのですが、これにはとても賛成です。アイデンティティがあってその上にイデオロギーや価値観が乗っかるのではないかと考えると、なおのことアイデンティティの流動性を認めることをつよく言っていきたい気持ちになりました。
人が変化すると、変節だとか矛盾だとかの言葉を突きつけてその人を見下したり批判したりする風潮はつよいです。それはあまりに人間を枠にはめた思考からくるんじゃないでしょうか。枠にはめておくと情報処理面で楽ができますから、もう変化するなよという抑圧といったらいいでしょうか。いやいや、そこで楽をしないことは人生に不可欠のコストではないのだろうか。ただまあ、ころころと変化する人は詭弁や欺きを用いているということがあるから、騙されたくない心理の強さが関係してるところはあるかもしれないですが。
というところで。
セクシュアルマイノリティについて知ろうとし、できるだけ理解したいという姿勢を持とうとすること。それは、個別性というものを知っていくことですし、まず人の個別性に目を向けて考えていこうという考え方のクセをつけることでもあるかもしれません。集団社会のなかで他者に無関心な姿勢で生きていると忘れがちになりそうな、「ひとりひとりは違う」という大前提を忘れないことが、マイノリティの人たちの生きづらさを軽減する方法の大きな一つではないかな、と気づかされました。「ひとりひとりは違う」というのは、セクシュアルマイノリティのことに限らず、精神医学的なパーソナリティ障害のタイプから見えてくる個人それぞれの傾向というのもありますし、パーソナリティ心理学の本を読むと知ることができるようなさまざまな心理的な部分の個性的傾向というのもあります。
こういった、人それぞれの個別性を考えていくことは、すなわち人中心、人優先で世界を考えていくことに繋がっていくでしょう、社会中心、資本主義中心、国家中心のメンタリティが優勢かもしれない今日のありかたへのカウンターとなって。現今の社会というのは、個別性を考えず、集団の構成要素としてできるだけ同じような人たちを求めるところがあります。もう少し言うと、人は皆あまり深く考えずに、作業なり仕事なりにいそしめ、という経済偏重のありかたがそれです。想像するな、というわけです。想像したり考えすぎたら動けなくなるから、想像するなというわけですけれども、それはそれでひとつの生きる方法として使える姿勢ではあります。でも他方、想像しないからこそ戦争が起こり、他者への想像を排した人間が戦闘を行えるんですよね。だから、「想像してごらん」と歌う歌が支持されたわけでして。
僕の今年はどうやらこういったあたりをよく考えるような星のめぐりのようです。深く考えずに読んだ本が、こういうかたちで繋がってゆくのでした。 -
Posted by ブクログ
「あなたのためを思って言ってるんだから」
「本人が傷ついてないならいいでしょ」
「もっと早く言ってくれれば」
言われるとなんだかモヤモヤするような…でも確かにそれも正しい気がする…と思わせられるずるい言葉の心理や意図を深掘りして、本質を見抜くことの大切さに気づかせてくれる一冊。
主に中学生と高校生を対象としている。
子供は大人に守られないと生きていけない。
親と子ども、先生と生徒。
その上下関係に無自覚に付け込み 主観的な言葉で支配しようとする大人がたくさんいる。
中には肥大化したプライドから自分を正当化するためだけに発せられる詭弁も。
本当に自分のためを思って言ってくれている言葉とずるい言葉の見極めが大切だと思った。
モヤモヤや引っかかりを感じたらその言葉を真に受けるのではなく何らかの意図があることを前提に 噛み砕いていくことを習慣化していきたい。 -
Posted by ブクログ
知識がなければ偏見や差別はなくせない、本書全て読んでさらにこの言葉が刺さる。
理解していたつもりだったことも、偏見なんて無いつもりだったことも、まだまだ知らなかったし見通せていなかったなと痛感。。。
多様な性のあり方は知識ありきの「なんでもあり」であって、クィアスタディーズの基本的な視座を使ってニュースのあり方、報道の仕方、記事の読み方をどこまでも奥深く出来ると思う。
昨今ジェンダー差別発言やらで問題になってる方とかもいるけど、これも知らないからこういう発言ができるんだろうわけで。
自分全然世の中のこと知りません!!って堂々と発言してるようなもんだし。
色々書きたいけどどれも薄っぺらくなる気がしてまとめれない!
とにかくあの、色々な人にいろんなことがあって、マイノリティやマジョリティはあるけど普通なんてこの世になくて。完全な分類なんてできないしみんなが過ごしやすい世の中を作るなんてめちゃくちゃ難しいけど、作れるようにこういう学問があって、これまでの歴史やこれからの制度があるのかなと思う。薄っぺらいな。笑
クィアスタディーズの基礎のあたりは図も欲しかったな、慣れないカタカナが多くてなかなか整理できず、、、
まだまだ知らないし根付いてないから理解にも時間がかかるんだなーーーー