【感想・ネタバレ】慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話のレビュー

あらすじ

“みんな”でいたくない“みんな”のために

「LGBT」に分類して整理したら、終わりじゃない。
「わからない」と「わかる」、「マイノリティ」と「マジョリティ」を
行き来しながら対話する、繊細で痛快なクィアの本。
ときに反抗的で、しなやかな態度は明日への希望に――。

性、恋愛、結婚、家族、子孫、幸福、身体、未来――
バラバラのままつながった壮大な「その他」たちが、
すべての「普通」と「規範」を問い直す。

「『普通』や『みんな』という言葉に己を託したり託さなかったり、託せたり託せなかったりする読者のみなさんを、風通しのよい、というよりは強風吹きすさぶ場所へと連れて行ってしまおうというのが私たちの企みです。どうぞ、遠くまで吹き飛ばされてください」(森山至貴「はじめに」より)

「ワクワクだけでも足りません。ヒヤヒヤするかもしれませんし、何か責められたような気分でイライラしたり、何様だコイツ、という思いでムカムカするかもしれません。逆に、全然言い足りてないぞ、と思うこともあるかもしれません。そのくらいのほうが普通じゃないかと思います。そのくらいでないと、私たちも語った甲斐がありません」(能町みね子「おわりに」より)

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Posted by ブクログ

とにかく語りがきめ細やかで、安易な言葉を選ぶととたんに矛盾するものをちゃんと語るような本なので安心できる。
性の問題だけではない不平等性についての話であると感じた。

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2025年04月08日

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ネタバレ

だいすき!わたしのアナザー バイブルになった。(ひとつは、確実に、「なかよしビッチ生活」!)
下に書ききれなかった名言もたくさんあった。定期的に見返したい。

*第5章(「そんな未来はいらないし、私の不幸は私が決める 流動する身体、異性愛的ではない未来」)特にすき。
◯P258-59がすごくすき。「私の幸せも私の不幸も私が決める。」
あとクィア・テンポラリティ。これめちゃ自分と重なった。No future と思ってしまいがちなのは、やっぱり未来が異性愛規範に沿いすぎていて、そうでないものを想像し難いから。
最後のみね子の「不幸さ、不愉快さの絶対値が変わることはないですけど、かけがえのない自分の不幸なのだ、としっかり把握することで、他人からの評価にまどわされることはなくなりそうです。」。
→"かけがえのない自分の不幸" (感涙)

*最後の章(第6章 「出過ぎた真似」と「踏み外し」が世界を広げる 「みんな」なんて疑ってやる)もすごく好きだった。=個人的に尻上がりな本で読めば読むほどたのしかったし元気が湧いた。
◯P306-308
森山さん: 「私たちが持っている『みんな』っていうイメージって、全然みんなじゃなくて(略)、『みんな』から取りこぼされるものに向き合おうとするとき、クィアっていう言葉がそこにスローガンとしてあると思うんです。(略)『みんな』は拒絶されるかもしれないし、新しい『みんな』が生まれるのかもしれない。そういう動きこそがクィアなんですよね。」
みね子: 「(略)クィアっていう態度には、『そういうのやってらんねえわ』っていうスピリットがある。そうすると、全力で逃げるか、使いこなしてやるとか、いろんなある種、不真面目と言われかねないようなやり方を進んでやるっていうところがあるんですね。 そもそも、それが不真面目に見えるのは、制度がそれを不真面目だと規定しているからなので、その不真面目さみたいなものを、けっこう本気で真面目にやってみる。」

◯P316
「最初にまず自分たちを箱に入れない」→「クィアな姿勢は人を楽にしますね」by みね子
→ほんとうに!!!

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2025年03月10日

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エンタメ、カルチャー好きにおすすめ、対談形式で読みやすいです。とても心に馴染む、時事を含む、「いまの本」なので、普段なら積極的には買わない本なのですが、ブッククラブを始めたし、と買ってしまいました。

改まって「お勉強」するより、カルチャー時評的な雑談、こういうのがいいんですけど。まあ、うん、なかなかね、承知しております。

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2024年11月11日

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クィアは本来強烈な侮蔑の言葉。
それを逆手にとって、森山先生と能町さんがクィア・スタディーズを語り合う。
かなり踏み込んでいるから、LGBTなどのベースになる知識がなかったら読み進めるのが少し難しいかも。でもとても面白く意義深い対談なのでぜひ読んでほしい。
今まで思いもしなかったLGBTQ+だけでは片付けられないクィアなことについて、なるほどと新たな発見を多々得ることができました。
LGBTなどの(それに限らず)マイノリティにある立場の人に対して、受け入れるって言葉を使うのは受け入れないという選択肢があるということでもある、それはおかしいんじゃないか、むしろマイノリティ扱いしないで当たり前にそういう人たちがいることに慣れろという考え方には目から鱗で、そっか、わざわざ受け入れてもらわなくていいんだ。と勇気をもらえました。
他にもたくさん感想を言いたいところはありますがこの辺で。
マイノリティって言うけど、本書はたくさんの立場の人たちにも焦点を当てて書かれており、LGBT以外の人たちも包括すれば、もうこれはマイノリティではないのでは?という思いが生まれました。マイノリティなんだけど、堂々とやっていこうと思えました。
ぜひさまざまな人に読んでほしい一冊です。

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2024年02月05日

Posted by ブクログ

“みんな”から取りこぼされるものとしての“クィア”
易々と包摂されなどしないのだということ

ままならない心と身体と共に生きる違和感を手放さないっていう話が面白かった。「ありのままで良い」のもそれはそれで違うだろって。

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2023年12月23日

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めちゃくちゃ良かった!!!!!色んな話をしているので感想はひと言では言えないけど。
なんかその言説ひっかかるんだよなーと思っていたことを、それキモいよなー違うよなーと言ってくれている感じがして爽快だった。

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2023年08月05日

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正直読み終わってもクィアってものを掴みきれていない。

LGBTQの話ではだけではなくて、フェミニズムとか男らしさ女らしさとか家族とか結婚制度に触れたはなしで、その一つ一つにはしっくりくるものがある。

それは自分の価値観に沿うものがあるっていう大前提があるんだが、それ以上に対談者2人が自分はこうであるがこれってどうなのか、という姿勢を保ちつつこういう考え方もある、学術的にはこうだよ、っていう話をしているので肯定も否定もされない、という感覚が強く持てる。

特に家族と結婚、私の不幸、の話は刺さりましたねぇ

2025.7.12
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2025年07月12日

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頭の良い人たちの会話。
こんな少ない言葉で理解し合ってる…という驚き。
性に関する本は最近読んでなかったけどたまにはアップデートが必要だなと思った。

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2024年03月15日

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対談の中で、LGBT、マイノリティとマジョリティ、そしてよく分からなかったクィアについて、体験談や識者の論説や社会制度などを踏まえて説明され、いろいろと勉強になった。

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2023年11月14日

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著者の森山至貴さんについてはまったく存じ上げなかったが、能町みね子さんの名前に惹かれて読んでみた。自分の身体や性の悩みや不安は他人とは比べられないし、人それぞれ好みも考え方もいろいろ。つくづく当事者にしかわからないこと、言われてみればなるほど、と思うことも多くて楽しく読みつつも、無知故に無神経な言動もあったはずの自分にため息しか出なかった。

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2023年11月12日

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ネタバレ

タイトルのインパクトと「クィア」って何?と思い読んでみました。

クィア・スタディーズを専門に研究している森山先生とエッセイストの能町みね子さん、二人によるクィア・スタディーズについての対談形式の本です。

いわゆるLGBTQ+の「Q」は、「クエスチョニング」と「クィアQueer」二つの言葉の頭文字を表しているそうです。

「クエスチョニング」はなんとなく意味わかりますよね。自分自身の性自認や性的指向がまだ定まっていない、またあえて定めていない人たちのこと。

それに対して「クィア」って耳慣れない言葉ですよね。私も今回初めて知った言葉でした。元々はとても侮辱的な言葉なんだそうで、あえて日本語に訳すと「オカマ」だそうです。

「クィア」とは、性的マイノリティや既存の性のカテゴリに当てはまらない人々の総称なのですが、この本の内容を私的にまとめてみると…
性的マイノリティの人々は実際に「いる」のだから、受け入れるとか受け入れないとかではなく、「いる」ことに「慣れろ」というスタンス。分類して整理したら終わりじゃない、カテゴライズするのではなく、踏み外して世界を広げようというような、いわば生き方だったり心意気のことのようです。

多くのセクシャル・マイノリティのアイデンティティの総称として、以下の13個が上がってたんですが、いくつわかりますか?

L:レズビアン
G:ゲイ
B:バイセクシャル
T:トランスジェンダー
Q:クエスチョニング
Q:クィア
I:インターセックス
A:アセクシャル
A:アライ
P:パンセクシャル
P:ポリアモリー
O:オムニセクシャル
2S:トゥー・スピリット

私はこの本を読むまでは7個しか知りませんでした。でもこれ以外にもまだまだいろんなセクシャリティがあるようです。そういえばアロマンティックもノンセクシャルも入ってない…。

ちなみに異性愛者のことはヘテロセクシャル、生まれたときの性と自身の性自認が一致している人のことはシスジェンダーといい、そしてそれ以外の人たちを総称して「クィア」と呼ぶようです。

正直なところ、カタカナ用語がめちゃめちゃ多いし、頭の良い方たちの対話なので、知らない言葉や考え方が当たり前のように話されていたりして、内容を理解するのがちょっと難しかったです。でも改めてセクシャリティってグラデーションだよなぁと。男とか女とか言う前に人間であること。たまには凝り固まった固定観念や「普通」を疑って問い直していかないといけないなぁ…と思いました。

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2024年05月03日

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ネタバレ

慣れろ、おちょくれ、踏み外せ
性と身体をめぐるクィアな対話

著者:森山至貴、能町みね子
発行:2023年7月1日
朝日出版社

書き出しから「クィア・スタディーズ」と出てくるので、クィアって何だ、から始めないといけない。「LGBTQ」とか「LGBTQ+」とかいった時に出てくる「Q」の一つがクィア(クエスチョニングの意味もあり)。6章立ての第1章で、まさにこの言葉についての説明を森山がしている。Queerという単語は、もともとは男性同性愛者やトランスジェンダーの女性に対するかなり侮辱的な言葉だった。日本語にあえて直すなら、ニュアンスは「オカマ」になるのかな、とも。クィア・スタディーズは1990年代に始まった学問で、東大助教である森山の専門分野。

言うまでもないが、LGBTやLGBTQ(+)は、セクシャル・マイノリティであるが、この本を読んでいると、そのマイノリティのなかにもマジョリティとマイノリティがあるのではと思えてくる。LGBTを二つに分ける場合、BとTの間に/が入ると解説している。なんとなく分かる。レズビアン、ゲイ、バイと、法律でもある意味で保護されているトランスジェンダーとは、確かに異質さがあるようにも思える。しかし、最近ではすっかりお馴染みになり、まだ一部の人たちではあるがある程度の市民権を得るようになったLGBも、Tと同じで、その他の性指向やセクシャリティであるQに比べると、マジョリティっぽいようにも感じる。

なお、QはLGBTに含まれない性指向やセクシャリティなどを差すだけではなく、LGBTを含めた全体を差す場合もあるらしい。クエスチョニングという意味で使うQでは、自身の性や、性的にひかれる他者の性について定まってない、もしくは定めないあり方を言う。

L,G,B,Tにおいても、それぞれに(各個人で)違うということを、まず対話を進める著者2人は確認する。そして、それに含まれないクィアは、さらにいろんなパターンがあることも確認しあう。能町が自らの経験(MtoFのトランスジェンダー)や感性により得た感覚や考え方を表現すると、森山が専門家として研究事例を引き合いに出しながらそれを解説していく、そんなパターンが多い。森山はゲイとのことだが、どちらも考え方はリベラルに属し、LGBTQには様々なパターンがあっていい、当然だ、という立場。読んでいるこちらも同じようなものなので、読み進むうちに、正直、少し退屈になるところもあった。

ただ、こちらは、人に迷惑をかけなければ(例えば小児性愛はいいが実行してはいけない)、個人がどういう性の指向だろうが自由だろうという考えは、当事者である彼らと、当事者でなく大きな関心を持っているわけではない僕とは、意見が一致しても、その思考の熱量が大きく違うという面はあるので、その意味で退屈してしまった要素は少なくないかもしれない。

最後まで読んで、結局、クィアというのは単なるセクシャルな分野でのカテゴリーではなくて、生き様というか、心意気というか、ムーブメントにもなりうる、セクシャル・マイノリティの自由な日常ではないかという気がする。個人的には、ジャズやジャジーという言葉と使い方は似ているようにも思える。ジャズはカテゴリーじゃない、ジャジーなやつがやる音楽だからジャズになるんだ、という言葉がタモリから出たことがある。能町みね子も出ていた「ヨルタモリ」という番組で。今の朝ドラ「ブギウギ」でも、服部良一役が似たようなことを言い、曲を作っているように思える。

私たちは「みんな」なんかじゃない。クィアは、既存の制度に乗っかりながら、それを自分なりに流用していくみたいなところもあるし、既存の制度に対して他の人が馴れ合っちゃうところですら馴れ合わず、徹底的に反旗を翻していくところもある。死に向かって突っ込んでいくみたいなものもクィアの態度。 
クィアっていう態度には、「そいうのやってらんねえわ」っていうスピリットがある。そうすると、全力で逃げるか、使いこなしてやるとか、いろんなある種、不真面目と言われかねないようなやり方を進んでやるっていうところがある。  森山(307-308P)

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LGBTという言葉自体は1980年代後半にはあった。日本だと2000年代ぐらいに散発的にマスメディアが使い、2012年にいくつかの経済誌が特集を組んだ。

いがみあっていたLGBTが連帯する契機になったのは、HIV/AIDSの流行。

1873(明治6)年に、肛門性交が鶏姦(けいかん)罪として犯罪化されたが、1882年の旧刑法制定でなくなった。実際に懲役刑を科された人は、ほとんどいなかった。

インターセックス:生物学的に非典型的な生物のあり方をしている人をそう呼んできたが、今はそう呼ぶこと自体も議論の的。疾患名ではDSD(Disorders of Sex Development)=性分化疾患。

アロマンティック:恋愛感情みたいなものを他者に抱かない
クワロマンティック:他者に抱く好意が恋愛か友情かわからなかったり、決めなくていいかなと考えたりする人たち
アセクシュアル:他者に性的な欲求を抱かない
ポリアモリー:複数人同士で恋愛関係を結ぶ
BDSM:Bondage(拘束) Discipline(懲罰) Dominance (支配)Submission(服従) Sadism Masochism

ヘテロセクシズム:セクシズム(性差別主義)をもとにした言葉。男は美人が好き、女はイケメンが好き、MCが男性でアシスタントが女性・・・

ホモフォビック:同性愛者に対する差別や嫌悪

アマトノーマティヴィティ:性愛規範性。1対1で成立しているカップルが素晴らしい、いい生き方だ、、、、

森山は幼稚園のときにあったお泊まり会で、男の子と同じ布団に入ってどきどきした。能町は、男女は恋愛するものと聞かされてきたため、女の子を好きになった経験があり、少し違和感があったものの、まあ男子として高校生ぐらいまで順応してきた。20歳を超えてから、女子とつきあってみたけど。セックスする段階になって吐き気を催したりしはじめた。

世の中にある男らしさ、女らしさのコードがなくなれば解決するというわけではない。例えば、男がスカートを穿いてもなにも抵抗のない社会になった時、ジェンダー規範がなくなったんだから、トランスの人はトランスしなくて済むと、トランジションの権利が保障されなくなることも考えられる。

マイノリティを題材にした物語(小説など)は、マジョリティのビルドゥングスロマン(教養小説)と呼ばれる。さまざまな体験を経て主人公が精神的に成長していくが、最初、マイノリティのことをしらないマジョリティが成長してくパターン。マイノリティをしらないうちに出てくる言葉は、見ていてしんどい。母親役がマイノリティに不理解で、父親は無関心とか許すパターンがなぜか多い。NHKの「恋せぬふたり」など。

最近、気になるのは、ゲイでありながら現状をものすごく肯定してナショナリズムや保守思想に走る人たち。ホモナショナリズム。

フェミニズム
第1波:19-20世紀前半
第2波:1960-80年代
第3波:90年代初頭に始まる(外見や行動における個人の自由や主体性をより重視)
第4波:2010年代から #MeToo運動など

「性同一性障害」という言葉が広まったとき、「体が男(女)だけど心は女(男)だ」という説明が広まったが、それがよくない。心が女かどうかなんてわからないし、体が男かどうかもわかないこと。心も体も二種類しかない、心は100パーセント女、なんて。個人個人でグラデーションがあるはず。

子育て支援、保育所、託児所の充実といった政策は雑な言い方をすれば左派的、少子化対策という言葉が乗ってくると右派的な感じがする。

能町が参加したBBSのオフ会で出会ったクィアな人。
巨大な女の人に酷い目に遭わされるということにしか性的興奮を得られない人。実在の人間では無理で、高さ何十メートルというイメージ。
また、ネット上では、ピアノにかけるビロードのカバーに興奮する人もいた。

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2024年02月07日

Posted by ブクログ

2023年刊。性の多様性を起点に、マイノリティの存在主張や自己保持、マジョリティとの関係性、何気なく使っている言葉に隠れた無意識や暴力性など、対談形式を踏み台として構成・積み上げられた書籍。
「クィア」という聞きなれない言葉はキャッチーだが、実はとてつもなく差別的で、マジョリティの自覚のある者が使う妥当性の有る言葉では無い、と来た。先ず、自身に性的マイノリティ・普通でない感がない人がじっくり読み込むのは辛いと感じた。ただ、クィアと言う点ではより普遍的な視点。何かしらの場面でアウェイ感を感じたことがある人なら、理解は可能だとも思った。もっとふざけて、オモシロトークかと想像して読み始めたが、かなり違っていた。無意識の言動に隠れた暴力を、自分も振るっていたかも知れない。思考の経験値を上げるためにも良い本じゃないかと思った。

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2023年10月28日

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