堀越英美のレビュー一覧
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エモいってなんやねんと思いつつ、乙女な表紙に戦慄を覚えながら、おっさんは本書を入手した。一読なるほど、エモいのである。
「好きなキャラをエモく表現するために、感受性を爆上げしたい! 」そんな声に応えるべく、本書は編まれたという。「エモい」は現代人の専売特許ではない。「あはれ」や「をかし」がそれに当たる。そう思ってみてみると、古語はエモい言葉の宝庫である。
本書は、天文、自然、人生、物語、言葉のパートに分かれて構成され、文字通り辞典としてエモい言葉が例文とともに列挙される。誰そ彼時、雀色時、うそうそ時、天が紅…夕暮れを表すだけでもいくつもの言葉がある。なんと日本語は豊かなことかと感心する。
「小説、マンガ、歌詞などの創作活動全般に」、「アイデア集として」などと謳われた本書。確かにマンガやアニメ、どこかで見たような単語もちらほら。ネタはこれか、なんて楽しみ方もできる。古典好きな方、感受性を爆上げしたい方へオススメいたします。 -
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主に米国の医療現場で女性、なかでも有色人種の女性の患者の訴え、痛みが医師に無視された結果、亡くなったり予後が悪かったりする…という現実を統計と患者の声から描くロビイストの著作。
日本とは状況が異なるところも多々あるが、出産時の痛み、生理痛は当たり前だし、むしろ取り除いてはいけないという謎の信仰等重なるところも。著者は出産や出生そのもには前向きなのだが、具体事例があまりにも酷いので妊娠・出産自体を避けたほうがよいのでは…と思わせる。日本ではなんとなく出産=女性の幸せ幻想があるので、(仮に医師が女性患者の声を傾聴したとしても)こういうリスクがある、ということを子どものうちに知っておいたほうがいいと思う。 -
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ネタバレ著者とママ友になりたい。知識教養のレベルについていける自信はないが、話が絶対おもしろい。
昔から好きな童話作家であった小川未明について、別の視点を得られたのが良かった。
学校や大人によってこどもが「感動統治」されるって分かるなー。仕事ある事を言い訳に、学校の事にはあまり深く関わってないんだけど、知ったらいろいろ不満や疑問が増えそうだ。
あと、道徳、春休みこどもがやたら「家族」行動を推してくんな、と思ったら、通信簿(と今は呼ばないのよね)によると、なんやら家族で助け合う云々を学んだとか書いてある...多分道徳だろう...一体何を話したのか、少し前あれだけ話題になった道徳の教科入りも、何も話されなくなったけど、この本を読むと、きっと今の学校教育の道徳も、ツッコミどころあんだろうなー、むしろツッコめなきゃ、まずいなって思う。
著者の、古い話ばっかじゃなくて、現代の問題を含んだドラマや漫画を通じて、こどもが個として何が善いのか、を考えられるように、っていうのは、親として気をつけていきたいとこ。
cakes 連載のコンテンツであったとあとがきで知る。Twitterやめてから遠ざかってたんだけど、こんな面白いコンテンツあるなら、またチェックしてみようかな。
感想は以上でーす! -
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ネタバレ国民意識が芽生えた明治〜今の道徳感について。
Q「ごんぎつねが栗やマツタケを運んだのは何故ですか」
A「性器のメタファーだから」(以下略)
…これでまんまと最後まで読まされてしまったw
が、以降は真面目なものだった。
(自メモに詳細記載)
◆1章 読書と道徳
明治初年代の儒教濃い時期には、小説を読むと破滅したり死ぬと信じる知識層が珍しくなかった。
明治12年に自由民権運動の反動で儒教教育が復活、女子の裁縫必修と男女別学となって男子小学生が増えた。
明治21年、少年誌『少年園』創刊、以降冒険物が人気。
明治32年には中等教育男子に相応しい良妻賢母育成のため高等女学校令が発布される。
明治35年頃から少女誌が創刊される。従順or死というイエ制度維持の「婦徳」だけでなく、家族から「愛され」ようとする思想が三輪田真佐子より寄せられ、後に、少女は冒険はできずとも主体的に家族以外にも「愛され」るようになるべしという文化が受け入れられていった。
明治36(1903)年に16才のエリート青年、藤村操が遺書を残して自殺、「煩悶青年」として社会問題となる。
イエ共同体に従属するしかない自由の無い時代が終わり、教育を受け共同体の外を知れる時代となると、「男は立身出世、女は良妻賢母」という国民道徳を内面化できなかった若者は、異なる価値観を他に求めるしかなく、強い自我を抱えて文学に向かわざるを得なかった。
文学は自我を解放するロマンチックな恋愛も教えた。
存在意義を獲得するには恋愛が一番手っ取り早い。
大正11(1922)年『近代の恋愛感』で対等な恋愛と結婚を結びつける思想が掲げられ女学生の憧れとなったが、先進的な都市部であっても、大日本帝国憲法下では妻に一切の権限がなく、対等である結婚は無理だった。
で。
段々と大衆の識字率もあがり、娯楽要素の強い俗悪な雑誌も増え、カウンターとして道徳的な良書が求められるようになった。。。
◆2章 道徳としての母
自己犠牲の「母性」は大正デモクラシーからであり、
江戸や明治は「公に尽くす母」が人気だった。
庶民農家は家業家事に忙しく子供は子守へ。子守唄の歌詞も家長目線の口減しが当然で、母性的と言い難い。
大正期に入り、資本主義の進展と富国強兵の衰退によってホワイトカラーの主婦が増え、父兄にとって代わって母が子の教育責任を負うようになり、漢文より童話童謡が好まれるようになる。
対等な恋愛結婚がままならず、その都市文明である近代思想が幻滅されたために、「母の無償の愛」「郷土」「自然」「伝統」と結びつく北原白秋の「童心主義」が、守るべき「純真無垢な子供像」を造形していった。
大正5(1916)年『母と子』を女子修身教育家の下田二郎が刊行し、昭和5年までに23刷を超える大ヒットとなった。
ここではキリストの犠牲と菩薩の慈悲が、うけられなくなりつつある儒教に変わり、女性に忍従を促した。
母の犠牲によって成功する個人は増えていったが、古い共同体に閉じ込められたままの母に後ろめたさを感じざるを得ない。個人は罪悪感を持たないために母性幻想が必要だった。
恋愛に自我を求め伊藤野枝も結婚したが、「新しい男」は働きたがらないし、子供ができても家事育児も当然しない。破綻した恋愛結婚は新しい男に見切りをつけさせ自己犠牲の「母性愛」に自己確立を見出すのだった。
これ幸いと、母は自我を捨て子供に尽くすべきであり、母は権利を要求すべきでないという福島雅雄も現れる。
大正12(1923)年の関東大震災後、愛国主義が子供を戦争に送り出す愛国詩に結びついていく。何故か。母も子も自我を捨て祖国のために1つになれば、全員が無垢で健気な日本人になればどんなに安心できるだろうか。美しい日本という幻想が、自己犠牲が、国家主義に転化し感動を誘った。
国家的母性、ファシズムに巻き込まれないには、自我や自意識が全く美しく無く、みっともなくて目が当てられなくても、そういうものだと面白がって愛し、他人のそれも愛することではないだろうか。
私たちは皆それぞれに自我のある個人で、黙るでもなく黙らせるでなくぶつかり合いながら、どうにか調整して生きるしかないのだ。女や母親にも自我があることに慣れていただこう。
◆3章 感動する道徳
略
◆おわりに
自他の権利を尊重するふるまいや、それらを心外しようとするものに抗う方法も、知識として習得させたい。そうでなければ足の引っ張り合いで、みんなでジリ貧になるだけだ。
せめて個々の保護者は道徳以外にもさまざまな価値観があることを伝えてゆきたい。
『社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学』を読んでみたいと思う。
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Posted by ブクログ
強要される運動会の組体操、1/2成人式、PTA、道徳科目化、そして子育てに関わる数々の神話や良妻賢母である専業主婦への称賛、働く母への冷酷なまなざし、、自己犠牲、同調圧力、日本社会の変な美徳感、こちらの著者のご指摘には非常に共感できます。どうしてこのような日本風の異様な文化が出来上がってしまったのか、現代から明治、大正、昭和の戦後と、時代を遡って考察されている点、非常に面白かったです。やはり戦争時の軍国社会主義的な、天皇万歳!国家主義、あれがおかしかったのですね、今こそ過去の過ちを反省して本当の民主主義的な日本を取り戻して欲しい、将来の子どもたちにはもっと自由に生きて欲しい。そういう母親にならねばならないー
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Posted by ブクログ
表紙を見て、分かりやすく面白く書かれていることを想像していたが、はっきり言って思っていたより難しい本だった。特にライトな読み物に慣れた脳には。
国民の思想を束ねる政府が出来た明治に遡り、大量の文献を引いている…その原文を読むのがマシュマロ化した脳にはこたえた。
が、そこを耐えて二章、三章と進むと、この国の教育の流れ、国民を誘導したい思惑などがジワジワと分かり、そら恐ろしくなる。
小川未明の初期の作品を読んで反戦作家なのかと思っていたが、その後北原白秋と共に戦意高揚を掲げ、愛国主義に傾いていったこと。
教科書の新美南吉の「ごんぎつね」は、実は原文とは違い鈴木三重吉によって書き換えられていたこと、などなど。
知ろうとせずに生きることは、目を瞑ったまま歩かされていることに等しい。
気がつけば断崖絶壁に立っていたということにならぬよう、もっと現状に目を向けなければ。2019.7.28 -
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なんということ。
母の日にこの作品を読み終えるとは。
テレビ等で、ある女性にインタビューする時は「お子さんはいらっしゃるんですか」、
ある男性にインタビューする時は「お仕事は何をされてるんですか」。
逆もあるけれど、だいたいはこんな感じだ。
そして、メダルをとったオリンピック選手に必ず聴くアレ。「まず最初にどなたに伝えたいですか?」この質問で、「お母さん」と答えなければ日本中から干されるような空気。そう、空気だ。いつまで日本中に漂っているんだ、この空気は。
わたしは、親(母親)に感謝すべきなのに感謝できない、という苦しみの中で、ずうっと罪悪感を感じながら生きてきたけれど、ある日「感謝なんて自然に湧き上がってくる感情なんだから、感謝は『すべき』っていうのは違う」と描いてある本に触れて、親だって人間で、常に完璧だったわけじゃない、というのを徐々に落とし込んでいったクチです。なんならまだその途中です。
だから、「母親だから」で全てを片付けようとする風潮にはうんざりしていて、なんなら、吐きそう。「親だから」、これなら分かる。実際にそういう状況はあるからだ。それなのに、「母親だから」ということが、泣ける要素なんだよな。そして、これがエスカレートしたのが、今流行りの「毒親」だと思う。
なのに、そんな「母親」を推しまくっている空気の中で、結婚式で娘の隣を歩くという劇的な場面において、そのポジションにつくのは「父親」だ。急に!?急過ぎない!?今までずうーっと、子どものことで登場するのは母親だったのに、「娘がその家に最後に縛られている瞬間」に隣にいるのがお父さんて!表彰台で、一番感謝しているのはお母さんです言うたやん!みたいな(笑)そこをぐっと我慢して、父親をたてるのも母親の仕事って、そういうことでいいですか?我慢てそんなに美しいですか?
と、まあ、そのあたりつつき始めたら、結婚したら嫁に行くのはどうして女性なのか、であるとか、ジェンダーの話になりそうなので、このへんにしておきます。
価値観て、自分はBって思っているのにBって言うと、自分が体験してきたAっていう価値観を否定することになるから、Aに固執しちゃってる人もいて、価値観は、個人の生い立ちとも大きく関わってくる。
わたしは伊藤野枝が、こんなにも自己犠牲的な母性愛を述べた人だとは知らなかった。歴史では伊藤野枝はそういう人だとは学んでこなかったからだ。でもここで描かれている伊藤野枝は、「保育園落ちた日本死ね」とか言ってそうなお母さんで、自己犠牲を賛美する北原白秋や小原國芳は、生い立ちの中で、自己犠牲する女性に育てられて、そういう女性がいなかったら生きてこられなかったわけで。
そういう、経験や生い立ちを描いた作品が出版されることで、新たな価値観が世に呈示されるようになっていく。
今は、その役割を果たしているのがSNSとか、ブログとか、ネットの記事とか、そういったものなんだろう。
自分の思っていることや考えていることを、抑圧せずに表現できることって、その時代の背景や価値観を構築しうる。批判に晒されたり、苦しい思いをするのはしんどいけれど、それでも、新しい価値観を呈示できるって、すごいことだと思うんだ。
こんな風に、価値観の背景には時代があって、今は時の流れの中でたくさんの価値観が溢れていて、だからいろんな価値観を持っている人がいて、それを尊重しましょうって、そういう時代に入っている中、道徳が正式教科化されたわけで。その道徳という科目が、自分自身に向き合ったり、相手の価値観を尊重したりできるものになるよう、学生時代は道徳も国語も苦手だったけれど、今はいろいろな価値観を受け入れようとしながらそれなりに生きているアラサーは、祈るしかない。 -
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ネタバレ常識を常に疑うこと。正しいことは何かを自分で考え、自分で決め、修正していくこと。そういったことが大切だなと思ってはいるけど、道徳さえも疑うということはあまりしたことがなかった。
その点は目からうろこな情報がたくさんな本。いかに道徳が都合よく作り上げられてきているか、そしてその普及が推し進められているか。特に母性幻想については完全に自分の考え方の根底に植えつけられてしまっていることに気づかされた。子供に対しての母の自己犠牲ってどうしても感動してしまいがち、、、
日本の学校教育、つまらんね。
息子よ、染まるなよ。すべて自分で考えろ。 -
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ちょうど、三宅夏帆さんの「女の子の謎を解く」と同時並行で読んでいた本。こちらは、色々な物語を「ケア」の視点で考えていく。
三宅さんとは違う作品を扱っていて、読みたい本がさらに増えてしまう。
余談だけれども、こんまりさんさんの現在は
3人のお子さんの子育て真っ最中で、以前のように完璧に家の中を片付け続けるのではなく、「今は子どもと一緒に過ごす時間を優先し、多少散らかっていても心穏やかに暮らす」という柔軟なライフスタイルを発信しているらしい。
びっくりかも。
以下メモ
・軽んじられていた「ケア」が復権している。それは物語にもあらわれている。
鬼滅の刃:炭次郎
秩序を守るための原理ではなく、それぞれの異なる他者の感情を想像し、配慮し、手を差し伸べる具体的な実践に価値を置くケアの倫理
炭次郎たちは、お互いにケアをしあう関係。
反対に鬼たちは、「無償の愛」のような 一方的なケアを求める。
・人間味の世界で排除される者が「人間味を疎外している」システムで包摂される
例:紙に番号を記入して注文するシステムは、聴覚障害者の助けとなる
地方の温かみを失わせるショッピングモールは、車いすの障害者や、高齢者、子ども連れに使いやすい
マニュアル通りに動かなければいけないコンビニ定員はASDには働きやすい(コンビニ人間)
・かつて想定されていた「人間」は、健常で教育レベルが高く、弱者のケアの責任を負っていない上流階級の男性だけを意味していたのかもしれない
・服をたたむときは服を見る。目は手の従属物となる。
お風呂のタイル目をクレンザーで磨くとき心をどこかに飛ばすのは不可能。それは閉じ込められている感覚に近くて家事が嫌だった。
(自分と真逆で面白い。むしろ私は、目の前のことに集中できるから、家事が好き。タイル目磨くのも好き)
・最近のプリンセスは強い。子どもはそれにあこがれられるけど、すでに大人になった自分は純粋にはあこがれられない。
それは、プリンセスの持つ能力や美しさが簡単に手に入らないことを知っているから。
・すずめの戸締り
無垢な弱者が全体に奉仕するために自己犠牲をする姿はけなげで美しいと思えるか
それとも、弱者こそ真っ先にケアを受けなければならないと感じるか
この2つの価値観の違いが感動の違いになる
・絆だけではつながれなくなってきた社会。親切でつながることはできるのか