蛭子能収のレビュー一覧

  • ひとりぼっちを笑うな

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    ・こちらの方からあえて隙を見せることによって、相手が意見しやすい雰囲気を作る。

    ・「これをやらなきゃ」じゃなく、「これをしたい」で動く。

    ・その時、勝っている人がいつまでも勝ち続けるとは限りません。

    ・卑屈という、自分自身の心の縛りから解き放たれない限り、絶対に自由にはなれない。

    ・

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    2026年06月14日
  • ひとりぼっちを笑うな

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    古本屋で安くて購入したのだが思ってた以上に良かった。付箋貼った箇所も多い。今蛭子さんは認知症らしいが、そんな事を思いながら読むとまた色々考えさせられる。

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    2026年05月04日
  • 死にたくない 一億総終活時代の人生観

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    蛭子能収
    1947年10月21日生まれ。長崎商業高校卒業後、看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て、33歳で漫画家に。俳優、タレントとしても活躍中。おもな著作に『ひとりぼっちを笑うな』、『蛭子の論語』(ともに角川新書)、『芸能界 蛭子目線』(竹書房)、『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)、『ヘタウマな愛』(新潮文庫)などがある。O型、てんびん座。

    世の中には、他人に好かれようとして、さまざまな作戦を立てる人がいます。あまたあるビジネス書や美容雑誌や自己啓発書などでも、要するに言いたいことは、「どのようにみんなに好かれて成功できるか」ということではないですかね。  でも、これに関して僕の答えはとてもシンプルです。  それは、「他人に余計なことをしない」こと。もう、それだけで十分です。  僕は、他人に対して余計なことも言わないし、余計な頼みごとなどもしません。たとえなにか不快なことを言われても、まったく反論すらしません。これが他人に好かれるための、少なくとも嫌われないための王道だと確信しています。

    世の中の多くの人は、本当に「余計なお世話」ばかり焼いていますよ。  でも結局のところ、本当に望むことは本人にしかわからないのだから、僕はそんなときは、まったくなにもせずにただ待つことにしています。ちょっと薄情に思われる人もいるかもしれませんが、他人に「嫌われない」ことを考えれば、自ら積極的になにもしないことが最善の策だと考えているのです。

    僕にはほとんど友だちがいないのです。  そもそも友だちをつくることが苦手で、競艇場などでちょっと仲良くなりかけても、つい「長く付き合うといろいろ面倒なこともあるだろうなあ」とネガティブな考えになってしまう。そもそも他人なのだから、性格が合わないことは多いだろうし、もし気が合わなくなったらずっとしがらみにとらわれるだけじゃないですか。  せっかくの友だちなのに、 喧嘩 することもあるかもしれません。  喧嘩というのは、本音を言うから喧嘩になるわけであって、実際は仕事仲間よりも友だちと喧嘩するほうが割合として多いように感じます。だから、僕はとにかくトラブルを避けるために、友だちをつくらないようにしていました。  喧嘩しないために、友だちをつくらないということです。

    もしかしたら、僕はつねに母性的な愛情をどこかで求めているのかもしれません。  子どものころは末っ子で両親から可愛がられたし、いつも母親と一緒にいたので、まわりの人にも「よっちゃんは甘えん坊だから」とよく言われていました。  そのためか、女性に甘えるという性質がきっと僕の場合は強いのでしょう。甘えさせてくれて、たまに𠮟ってくれて、僕のお 尻 を 叩いてくれるよう

    生きている人には、必ず死んだ人以上に楽しいことがある。死んでしまったら経験できないことが、生きている人には経験できるのだから、そのチャンスを逃さないことです。本当は、つらいことの2倍くらい楽しいことが起きているかもしれませんよ。ただ、どうしても人間の心理としてつらさが勝ってしまい、それに気づけなくなっているだけなのです。  僕はいまこれを書いているときにコンビニで買ったペットボトルのお茶を飲んでいますけれど、こうして飲めて味わえることは、考えようによっては奇跡のようなことかもしれません。実際に、病気や貧困や飢餓によって、それができずに苦しんでいる人が世界中にたくさん存在しているのですから。それこそ、なんの罪もない子どもたちだってそういう境遇にいるわけです。本当にかわいそうで仕方ありません。

    生きている時間というのは、生きているあなたしか味わえないのだから、ときには悪いことが起きるかもしれないにせよ、お茶を飲んだり夜中にアイスを食べたり、僕はそんなことこそが「幸せなんだよな」と感じて毎日を生きています。

    いまはうつ病や自殺未遂など、精神的な悩みを抱えている人もたくさんいるけれど、そんな人が「やっぱり死のう」って思っても、僕は「それだけは絶対にやめよう」「まずはとにかく逃げよう」と言いたい。つらいことに囲まれているような日々にも、小さな幸せがどこかに必ず転がっているのだから。  夕方くらいにスタバまでとことこ歩いて来て、まったく味…

    とくに大きな幸せがなくても、僕はいつだって小さな幸せを感じています。だから、いまつらい人は、「幸せのランク」をちょっと落としてみるのもいいかもしれません。お金が大好きな僕が言うのもなんですが、人間って欲張りな生き物です。でも、それではきりがない。いくらお金を稼いでも、「もっとほしい」と願うだろうし、…

    だから、いまお互いに愛し合っている夫婦やパートナーがいれば、それはとても幸せなこと。別に友だちがたくさんいなくても、そうした絶対安心できる、心を許し合っている存在は、幸せに長生きしていくためには必要かもしれません。  これからの時代は、 60 代や 70 代以降の 30 年間を元気に過ごしていくために、やっぱりそんな人たちとの愛や信頼感が、かなり大切な条件になると感じます。やっぱり夫婦が仲良くできないと、途中で本当に沈没しがちになるじゃないですか。だからこそ、いまからでも遅くないので、自分のパートナーを大切にしたほうが幸せな人生を送れるはずです。

    たとえば、妻がどこかに行きたいと言ったら、そのとき多少腰が重く感じても、なるべく一緒に行動します。実際、自分のことは自分がいちばんよく知っているようで、案外自分の思いなんてあてにならないものですよ。言われるがまま、誘われるがまま一緒に出かけてみたら 凄く楽しかったり、気分が晴れ晴れしたりすることって本当にたくさんあるから。  そういう考えでいくと、妻(夫)という存在は家庭のなかの監督だと考えて、自分は俳優にたとえておけばわかりやすいかもしれません。監督の言うことを素直に聞いていれば、きっと全体として安定した生活ができるだろうし、監督の意図を尊重して接するようにしていれば、いいことだって起こるということです。

    目が悪くなったこともあるのだけど、少し前からブレーキを踏むタイミングがなんだか遅くなった感じがしていたのです。そして、ある日長距離を運転して帰ってきたとき、かつてないくらいにもの凄く疲れてしまった。 「なんだか疲れたなあ……」  帰ってきてからすぐにそうつぶやいたとき、「あ、俺もう車の運転なんかしちゃダメだ」と思ったのです。そこで、 60 代でしたが、運転をやめて免許を返納することにしました。なにか事故があったからやめたわけじゃなく、自分で考えて「もうやめよう」って決めたのです。

     長らく生きていると、誰もが人生のつらさを知っていきます。たとえば、現実的には日本社会は学歴社会なので、学歴が低ければそれだけで差別対象になりますよね。そんな社会で辛酸をなめて生きてきた大人たちは、若者に対して「とにかく勉強だけはしろ」「好きなことをしてもいいが、その前にいい学校には行っておけ」みたいなことを、わかったふうな顔で言いがちです。  でも、僕はそんなことよりも、「生きているだけで楽しい」と思えるような人間になったほうが、よほどいいのではないかという考えを持っています。生きているだけで楽しいと思える人生だったら、学歴なんてあってもなくてもどっちでもいいじゃないですか。そもそも毎日が楽しければ、そんなことにこだわる暇も惜しいはずですよ。

    勝っている人が、いつまでも勝ち続けるとは限らないのが人生というものです。有名な大学を出たり、一流企業を勤め上げたりしたような人が悲惨な老後を過ごすこともあれば、ツキに恵まれなかった人でも、老後に素敵な出会いがあって幸せに過ごすことだってふつうにあり得ます。だからこそ、ただ生きているだけで面白いと思うし、人生は素晴らしいものなのです。  こんなふうに考えるのも、僕が長いことギャンブルをやっているからかもしれない。大勝ちしている人がいきなり負けはじめてひどいことになっていく様子をいくらでも見てきているし、負け続きの人にいきなりツキが回ってくることだってよく起こります。むしろ、勝っているときこそ危ない。だから、勝ち負けに執着しても仕方ないし、そこで不安になってもなにひとついいことなんてないのです。

    芸能界というのは、プライドの高い人の集まりのようなところで、活躍されている人には、ボスタイプや大御所みたいな人もたくさんいます。  ただ、僕には、その人たちが威張っているようにも見えません。なぜなら、そんな人たちって、意外と人が集まる場所じゃなくて、ひとりでぽつんとしている姿もよく目にするからです。そんな光景を遠目に見ていると、「誰かあの人に話しかけにいかないのかな?」なんて心配になります。そして、僕はまったくボスタイプではないけれど、妙な共感を抱くこともある。  これはなにも芸能界に限らず、どの世界でも同じことではないでしょうか。まわりから「先生」と呼ばれたり、グループのなかでボス的な立場だったりする人って、じつはひとりぼっちの人も多いものです。

    いずれにせよ、ふだんから自分のことを低く見積もっておけば、逆にちょっとでもほめられたら、異様にうれしくなるというおまけが自動的についてきます。つねに自分をいちばん下に置いていれば、それ以上マイナスになることはなく、むしろプラスしかありません。

    たとえば、ある連続ドラマに出演したとき。共演した女優の 内藤 理 沙 さんが、僕にたくさん話しかけてくれました。彼女はとてもやさしい子で、そのときは自分でも「あ、僕も喋ることができるんだ」と思ったほどでした。そのくらいたくさん会話することができて、「なんかこの人に助けられたな」ってうれしくなった。そのあともバラエティー番組で会うことがあったのですが、そのときも少し会話をすることができた。自分の娘より若い女性に助けられているわけです。  もちろん、話しかけてくれる人はほかにもたくさんいて、ここで全部書けないのが心苦しいですけど、 島崎 遥 香 さんも、あるとき「蛭子さん、セリフ合わせしましょうよ」と話しかけてきてくれて、うれしかった。  また、『太川蛭子の旅バラ』でも共演したことがある 鈴木 奈々 さんはとても安心感のある女性で、とにかく元気で声も大きいし、向こうからどんどん話しかけてくれます。絶えず話しかけてくれるから、僕もそれに合わせて返すことができて、「変な間」がほとんどできずに会うたびに楽しくなります。

    また、僕もむかしは太っていましたが、歩いて瘦せたことでいまはそんなに老けた感じに見られないようです。「見た目」を整える意味でも、歩くことはとても大切です。 「歩いて健康になりましょう」ってよく言われるけれど、これがなかなかできません。僕も体重が少なくなったからといって、体がかつてと比べものにならないほど軽くなったと感じているわけでもないのです。なにせ高齢ですから、そういう実感というのはそれほどないのが実情です。実感が得られなければ、人ってなかなか続けることが難しくなる。  でも、マネージャーが言うには、以前の僕はちょっと歩いただけで「きつい、きつい」って口に出していたようです。その意味では、仕事で歩いただけでずいぶん体力が上がったみたい。食生活を変えるわけではなく、そのまま食べながら歩くだけで体重が減ったので、歩くことは凄くいいことだと実感しています。

    人は健康だから働ける。でも、同時に、僕は働くからこそ好奇心が衰えず、体も心も健康になれるという考えなのです。働くから健康になれて、生活も少しは安定したものになって、お金も手にして、少しだけ心が豊かになるのだと思うのです。

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    2024年02月21日
  • パチンコ 蛭子能収初期漫画傑作選 (角川ebook)

    購入済み

    蛭子さん。

    画力を超越したセンス。それに尽きる。ガロが似合う^ - ^

    #シュール #怖い #ダーク

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    2024年01月28日
  • ひとりぼっちを笑うな

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    蛭子能収
    1947年10月21日、長崎県生まれ。長崎商業高校卒業後、看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て、33歳で漫画家に。俳優、タレントとしても活躍中

    私正直自殺って他殺と変わらない罪深い行為だと思ってる。肉体にも病気があるから精神にも病気があるだろうから病気の症状なのかもしれないけど、自殺した人=可哀想みたいな風潮嫌い。これまでどれだけの人に助けられて世話になって生きてきたの?それはあなただけの力だったの?自殺なんて傲慢の極みにしか思えない。人間は1人では成り立たない存在なのであれば、お前の命はお前のものではない。自分で自分を殺すなんて今まで大事にしてくれた人、一度でもあたたかい気持ちをくれた人の気持ちを踏みにじってる。酷いよ。

     あと、テレビに出るようになってからは、同窓会などで地元の知り合いに会うと、「お前、こないだ若いタレントにテレビであんなこと言われていたけど、どうして怒らないんだ?」みたいなことを言われることがよくあるんです。「俺が代わりに言ってやるよ」とか。それは、正直なところ大きなお世話かもしれない。  だって、テレビっていうのはそういうものだし、それで僕はお金を稼いでいるわけだから仕方ないんだよ……内心ではそう思ってはいるんですけど、やっぱりその場では言えない自分がいる。  言ってもしょうがないことだと思うし、そんなことを言って相手に気分を害されても、ちょっと困っちゃう。だから、そういうときは、なるべく笑ってやりすごすようにしています。

    もちろん、そんな僕にだってお亡くなりになって悲しい人はいます。でも、両手で数えるほどはいません。この人がこの世からいなくなって二度と会えない状況になったら、本当に悲しいだろうな……って思っている人は、正直なところ2、3人しかいないんじゃないかな。それは僕に限った話ではなく、みなさんも本音としてはそんな感じじゃないですか? というのが僕の本音です。  そういうことを言うと、「その考え方はおかしいよ」「人が死んだのになんだその考えは!」って怒られてしまいそう。でも、誰も彼もが死んで悲しいと思っていたら、その人のほうこそ精神状態が異常なんじゃないかと勘ぐってしまうんですよ。

    以前、知り合いの漫画家さんが死んだときは、さすがに線香をあげに行ったんですけど、そのときもやっぱりちょっと笑ってしまって……。本当に尊敬している漫画家さんだったし、悲しくないかと言われたら、やっぱりちょっとは悲しかったのだけど、途中からどうにもおかしくなってしまった。一度おかしくなったら、止まらないんですよ。僕はどうやら、笑い上戸なところがあるようなんです。  でもそれは、儀式みたいなものに参加して一生懸命に周囲と同じように振る舞おうとしている自分のことが、おかしくなってしまうっていうことなんです。その場所にどこか違和感を持ちながらも、無理をしてやっているのが自分で痛いほどわかってしまうんです。

    差別的な感情っていうのは、多くの場合「誰かを見下したい」という、人間のなかにあるネガティブな欲求と結びついているような気がしてならないんです。誰か自分より下の相手を作ることによって、自分が偉くなったように錯覚するということかもしれない。自分が優位に立つために、他の誰かを 貶めるなんて、本当に愚かな行為だと思う。  ただ、そうやって誰かをいじめたり、差別したりするような人も、実際に一対一で会って話してみたら、普通にいい人だったりすることが多いからこれまた不思議。ちょっと拍子抜けするくらい、ごく普通の人だったりしますよ。だけど、 一旦 そのグループの一員になってしまうと、どんな非道なこともしかねないということなんです。

    政治のことはあまりよくわかりませんが、僕自身は、どちらかと言えば左翼っぽい考え方に近い気がしています。否定はしませんが、右翼的な考え方はどうにも苦手ですから……ね。僕が観て面白いと思う映画は、なぜかほとんどが左翼っぽいものだったりするんですよ。たとえば、大島渚 監督や 新藤兼人 監督の作品などです。

    心情的には左翼寄りな気がするし、裁判員制度にも反対ではあるんですけど……カンパをしたりデモに参加したりするのはダメ。そうやってみんなで群れて一緒に行動するということがやっぱり理解できない。もちろん、僕もそれなりの年齢ですから政治や世の中のことに対して、ほんの少しは思うことや意見したいことはあります。でも、それって各自でしっかり持っていればいいだけの話であって、別に群れなくてもいいことなんじゃないかなって思うわけです。

    人間の魅力というのは、その人が所属している集団から生まれるのではなく、あくまでもその人自身の技量や性格から生まれるもの。その本質だけは、見誤ってはいけないと思います。

    そして僕自身が内向的だからかもしれないけれど、明るくてワイワイ騒いでいる人よりは、ちょっと暗い感じのタイプの人を僕は好む傾向にあります。タレントでも、内向的な人間が最近ちょっと出てきましたよね。たとえばモデルの 栗原 類さんとかもそうです。長身でハットを 被って、根暗オーラを出している個性的な方。  ああいうネガティブな感じの人は好きなタイプかもしれない。いかにも友だちがいない感じがするじゃないですか(たくさんいたらすいません……)。僕と見た目はまったく違うのに、ちょっと同類のように感じてしまう自分がいます。

    とはいえ、実際に栗原さんと仕事で会う機会があったとしても、自分から積極的に話しかけるようなことは、きっとないですしできません。だから、友だちには多分ならないと思います。  けれど、そういう人たちは他人に対して、迷惑もあまりかけないし、絶対に意地悪もしないと断言できます。

    そういう「安心感」を求めるための「友だち」作りなんてやってもしょうがないですよ。「友だち」なんて、結局いつかはささいなことで離れるもの。「友だち」を作る努力をするくらいなら、「家族」を作る努力をしたほうがいい。  僕はそんなふうにとらえているんですよね。

    だから、内向的でも、とりあえずの趣味の世界というか、自分が没頭できるなにかを持っていたほうがいいかもしれませんよ。  僕の場合、仕事でもあるけれど、それが漫画なのかもしれない。そうやって自分が没頭できる世界を通じて、誰かとコミュニケーションを取れるかが重要になってきます。いくら他人と接触するのがイヤでも、趣味を通してなら接触できますからね。

    これまで散々ひとりが好きと書いてきましたが、僕だってひとりの世界に完全に閉じこもりたいわけではありません。別に世捨て人とか、 隠遁 者みたいな存在になりたいわけでもない。それはやっぱり、ちょっと寂しいから。ならば、自分を表現できるなにかを身につけて、その世界が好きな人たちとコミュニケーションを取ることくらいはしたいですよね。  だから、内向的「すぎる」のはよくないと感じるんです。

     内向的な人が好きだからといって、外向的でコミュニケーション能力の高い人を否定するつもりはありません。外向的な人は、相手を気遣ってくれる人も多いですから、そういう人と話すのはやっぱり楽しい時間ですからね。だから、否定などしませんし、自分はなかなかそういう人間にはなれないということなんです。

    仕事でいろいろなテレビ番組にも呼んでもらうのですが、そういう仕事の場だと、お笑い芸人の人などは、やっぱりコミュニケーションを取るのが 凄い。 有 吉 弘 行 さんやバナナマンの 設 楽 統 さんなど、司会もできる芸人さんには、とくに一目置いてしまいます。あと、アンジャッシュの 渡 部 建 さんや、FUJIWARAの 藤本 敏 史 さんの知識量も、圧倒的でビックリしてしまう。

    お笑いの人たちって、とにかくためになることからくだらないことまで情報をたくさん持っています。クイズ番組に出ても、お笑いの人にはまるで勝てませんよ。僕が情報を持っていなさすぎる、ということを差し引いても、本当にみなさんいろんなことをよく知っているなって感心するばかり。  多分、みんなが見ていないところで、新聞を読んだり、本を読んだり、努力をしていることでしょう。その情報を持っていて、なおかつ人前で活かせる能力というのは、やはり魅力的です。だから、お笑い芸人は異性からもモテるのかもしれません。

    石田 純一 さんと麻雀をしたことがあるのですが、あの人のコミュニケーション能力の高さには、本当に驚くばかりでした。麻雀をしながら、全員と軽快におしゃべりをするんですよ。しかも、全員に気を配りながら。「なるほど、女性にモテるわけだ!」とつくづく思ったものです。

    小学生くらいのとき、本当はその子のことが好きなのに、それが 上手く表現できなくて、結局からかったりしてしまうみたいなことってありましたよね。その子が可愛いから、思わずちょっかいを出してしまうような。

    というのも、僕の場合、誰かに「嫌われている」と思ったことがないんです。それを誰かに言うと驚かれるのですが……「嫌われている」とはまるで思わない。だから、「嫌われているから、いじめられている」という図式は、僕のなかにまったくないということです。むしろ、「自分は好かれているんだな」と思っていましたからね。好かれているからこそ、パンを買いに行かされたりしているんだって、そんなふうに解釈していましたよ。

    だから、好きか嫌いかと言えば、やっぱり好かれていたんでしょう。都合のよい解釈に見えるかもしれないけれど、これはこれで「あり」な考え方だし、そう解釈してしまった方が人生はとてもラクですよ。僕はくだらないことで深く悩みたくはないし、ラクな解釈で気が落ち込まずに済むなら、勝手にそうしてしまう頭の回路なのかもしれません。

    子どもに限らず、大人になってからもいじめで悩んでいる人は多いと聞きます。同僚や上司からの嫌がらせで精神的に追い詰められているとか、友だちのグループでもどこかのけものにされるとか。そういうのって、とても苦しいことだけど、そこで「自分は嫌われているんだ」なんて、自己嫌悪に陥る必要は絶対にありません。  むしろ、「好かれているからこそ、かまわれているんだ。ほんとに参るなあ。ハハハッ」くらいの発想でいたほうが、都合がいいんじゃないかな? だって、一般論として「好き」の反対は「嫌い」ではなく、「無関心」だって言うじゃないですか。

    なぜでしょうか? 僕はあいさつという行為そのものが、逆に相手の迷惑になってしまうんじゃないかって考えてしまうんです。僕のような人間に楽屋にあいさつにこられても、先輩の方々は、心のなかで「あ、蛭子さん。うっとうしいからいいよ」っていう感じになってしまうんじゃないかって。だから、なるべくあいさつには行かないようにするんです。  僕もテレビに出るようになってから、それなりのキャリアがあるので、最近では新人の若い女性のタレントさんなどが、僕の楽屋にあいさつにきてくれます。多分その人たちは、マネージャーさんから「とりあえずさ、蛭子さんの楽屋も顔出しときなよ」とアドバイスをされているだけなんでしょうけどね。大勢が出演するバラエティー番組などでは、本当にもう何人も何人も、僕の楽屋を訪ねてくる始末です。

    不器用で気の利いたことが言えない僕などは、そういう 類 の仕事がくると、いまでもすごく苦労しながらやっています。だって、もともと食に関するこだわりはほとんどないし、いろいろなものを食べる趣味もない。地方ロケとかに行っても、その土地の特産物とかに全然興味がないんですよ、これが……。  だから、そういう撮影でもそのとき自分が普通に食べたいものを注文しちゃいます。「はじめに」でも少し触れたように、カレーライスとかトンカツ、あとはラーメンとかをバカ正直に頼んでしまうんです。だって、それが食べたいから仕方ない。そういう意味では、本音で行動しているのですが、なかなか難しいものです。

    でもこれがまたテレビの不思議なところで、特産物を注文しないそんな僕がどうやら面白く見えるようなんですよ。自分では至って普通にしていることが、面白がられて「個性」になる。主張はしていずとも、それが面白いとされて仕事になるなんて、僕はやっぱり幸せ者なのかもしれませ

     そんなことからも、評価っていうのは文字で書いてあるくらいがちょうどいいんじゃないかなって、僕は思っているんです。文字で書いてあれば、たとえそれが自分の漫画に批判的な意見であっても、ちゃんとした〝批評〟になっているならば、しっかりと読みたくなる。「あ、こういうふうに思われているのか。じゃあ、機会があったらその意見も取り入れて作品を描いてみようかな」って、そこは 真摯 に受け止めます。  よいことも悪いことも、自分の漫画に対する感想や評価はすごく知りたいし、それを正しく知ることが、より面白い漫画を描くことにつながると思っています。多少批判されていようとも勉強になるじゃないですか。

    僕が描いているような雑誌の編集者は、僕と同じような内向的な人が多いので、面白くなかった場合、目の前にいる漫画家にいろいろ言うのがイヤなのかもしれないと分析しています。もし自分が逆の立場だったら、きっと同じようになにも言わずに原稿を受け取ってそそくさと編集部に戻るでしょうから。

    最近も集団的自衛権の解釈をめぐって、 安倍晋三 首相がいろいろな発言をしています。要は、アメリカがどこかを攻撃したら、日本もそれを助けに行かなくちゃいけないみたいな話だと思うのですが、それをいいことに憲法解釈を変えようとしているじゃないですか(本当は憲法そのものを変えたいんでしょうけど)。ここ最近の右翼的な動きは、とても怖い気がします。安倍首相は、恐らく中国と韓国を頭に入れた上で、それをとおそうとしているのでしょうけれど、僕はたとえどんな理由であれ、戦争は絶対やってはいけないものだと強く思っています。

    芸能界で仕事をするようになってからというもの、現場でよく会う人やたわいのない話をするような人もできました。『スーパーJOCKEY』の共演者として知り合った松村 邦 広 さんがそうです。ただ、松村さんが友だちかとなれば、やっぱりそうじゃない気がする。  向こうだって僕のことを友だちとは思っていないでしょう。松村さんも僕と同じで、いつも現場でひとりポツンとしている感じがあります。テレビで観る分にはわからないかもしれないけれど、彼には一匹狼のような雰囲気があるんですよね。誰かと顔を合わせればきちんとあいさつや会話をしていますが、それが終わるとまたひとりの世界にいる。僕からすると、そういう松村さんのような人は、なぜか話しかけやすい。

    ご想像どおり、僕はあまりに自由な生き方をすることから……同僚とたわいのない話をしたり、よく飲みにいったりといったコミュニケーションは取れません。でも自分のなかに、「俺は他の人とは違う」みたいな思考はまったくないんです。つまり、一種の上から目線的なものですよね。自分が特別な存在であるなんて、思ったことがない。ある意味、孤独感というのはその感情の裏返しの部分もあるように思えてなりません。自分は特別な人間なのに疎外されている、みたいな思考ですよ。  それって、孤独に酔っているだけじゃないかな? 少し極端な考えかもしれないけれど、〝孤独酔い〟する人に関しては、最近では犯罪者にも多いような気がする。孤独であると思い込んで、そしてその孤独に開き直って、普通の人には思いもよらない過激な事件を起こしてしまったり。先日もアイドルグループの握手会の会場で、のこぎりで切りつけるといった事件がありましたが、まさしく典型的な事件だったように感じます。孤独を狂気に変換するなんて、あまりに自分勝手な行為で許せませんよ。

    他人からどう見えているのかはわかりませんが、僕自身はごく普通の、特に秀でたところのない人間だと思って生きてきました。そして孤独だとも思わない。もしも孤独だと感じている人がいたら、あまり思い詰めないほうがいいんじゃないかな? 「俺は孤独だ、孤独だ」と思い続けていると、それはいつの間にか得体のしれない狂気のような感情に変わってしまうものだから。

    孤独の話で思い出しましたが、1回だけ、ひとりで海外旅行に出かけたことがありました。旅の計画は、別にひとり旅というわけではなく、本当は家族で一緒に行くことになっていたんです。でも、なにかの都合の問題で、僕だけ先に行ってその何日後かに家族がくるという段取りになったんですね。それで2日くらいひとりですごしたのですが、そのときは無性に寂しさがこみ上げてきました。

    日本にいるときなら、ひとりで知らない街を歩いていても、寂しいなんて思いませんよね。でも、これはやっぱり言葉の問題なのかな? そこはオーストラリアだったのですが、最初はみんな英語を話していて面白いなって思いながら見ていたんですよ。でも、なにを言っているのかわからないから、だんだん不安になってくる。向こうが言っていることがわからないということは、つまり僕の言うことも向こうはわからないんだと思った瞬間、急に不安になってしまった──。

    ペットを飼うことによって孤独を満たしている人は、どこか自分のなかで世界を閉じているような気がしてなりません。僕の推測では、動物の気持ちというのはその人の思い込みに過ぎないわけだから、ある意味、〝自己完結〟しているとも言える。ペットがいればそれで十分というのは、言い方を換えると、他の人間との接触を、あらかじめ避けていることになるんじゃないかな。  それではよくないと思うんですよね。ひとりぼっちでいる人よりも、むしろよくないかもしれない。ひとりぼっちの人は、心のどこかで寂しいと思っているから、他の誰かと少しはコミュニケーションを取りたいと願います。でも、「ペットがいれば十分」という人は、そこで他人と話したいとは考えない。それは、自分で自分を 騙している、一種のまやかしのように見えてきます。

    死んだらどうなるのか? 本当のところは誰にもわからないというのがますます怖い。わからないのであれば、死後のための準備も心構えもできないじゃないですか。でも、好きではない葬式にも出て、両親も死に、前妻も死んだ。そこでわかったんですよ。〝人は死んだら、なにも残らない〟って。だから年齢を重ねるたびに、死後の世界というものをまったく信じなくなりました。死は怖いものだけど、人は死んだら、きれいさっぱりなにもなくなるだけだと思えるようになったんです。

    肉親を失い、死んだらなにも残らないことも理解できた。そこで心に誓ったんです。死ぬことだけは、絶対にやめようと。それはもう〝決意〟に近いものかもしれない。  だから、僕の人生の一番の目的は、〝死なないこと〟です。

    この本を読んでいる方で、ほんの少しでも自殺を考えている人がいるのならば……そういう人たちには、「死ぬこと以上に怖いことはないよ」と、まずは伝えたい。死んだら、自分という存在自体がなくなってしまうのに、自らそうしなくてもいいじゃないですか。あなたは世界でひとつだけの個性です。その個性が集まって、世界は作られているもの。みんながいるから、面白いことや悲しいことが起こって、人生の面白さや厳しさを教えてくれる。そう感じてほしい。

    無闇に他人に迷惑をかけることを肯定はしませんが、ときとして他人を頼ることはいいと思うんです。さすがに僕だって、自分ひとりで人生を歩んでいるとは思っていません。いろいろな人に助けてもらいながら生きているんです。  もし、それでも他人に迷惑をかけたくないと思うのなら──、自殺ほどまわりの人に迷惑がかかる行為は他に存在しないと思うんですよ。自殺した本人は、それで終わりだけど、残された人たちはきっといつまでもあなたを考え続けるはずですからね。「近くにいながら、どうして自分は助けてやれなかったんだろう」って。はっきり言いますけど、それほど迷惑なことはないですよ。だって、残された人たちにとって、その答えは永遠に出ないのだから。

    それに……自殺するのって、大変ですよね? どんな死に方をしても、どこで死んでも、誰かに多大な迷惑をかけてしまう。電車に飛び込んだりすると、親族が大金を鉄道会社から請求されるとかいうじゃないですか。そもそも自分で自分を 殺めるために必要な意志の力って、相当なものがありますよね。よっぽどの決意や行動力がないと、絶対にできないこと。僕にはきっと無理でしょうね。  もし、仮にそんなにも強い決意や行動力があるのなら、その力を他のなにかに向けることはできないのかなあって思ってしまう。世の中、自殺するよりもラクにできることなんて、いくらでもありますよ。死ぬ前に、まずは、そっちをやってみてもいいんじゃないかなあ。

    だから、自分がもしそういう状態になったとしたら、やっぱり延命治療とかはしてもらいたくない。じつは僕、『日本尊厳死協会』っていうのに入っているんですよ。もし回復の見込みのない状態になったら、延命治療はしてくれなくていいから、もう尊厳死させてくださいっていう意思表示です。そういう宣言書にサインをして、その意思を表すカードを持っているんです。

    いまの妻は、僕が再婚を決意して、いろいろな媒体でお嫁さんを募集したときに出会いました。具体的には、雑誌の企画で応募してもらった人たちのなかのひとりだったんですね。最初に写真を見たときから、とってもタイプで──しかも、僕の漫画のファンだと書いてあるものだから、これはもうすぐにでも会いたいとなった。  僕の漫画のファンというくらいだから、変わっていると言えば変わっているかもしれないけど……会っているうちに、そんなことは気にならなくなりました。そのあたりは多分、お互いさまですよね。

    歳は 19 歳僕よりも若いのですが、いざつき合ってみたら、歳の差を感じるどころか、僕はもう怒られてばっかりです。でも、彼女に言われることによって、自分のダメな部分が、いろいろとわかるようになりました。彼女とつき合うようになってから、女性に対しての優しさみたいなものが芽生えたんです。恥ずかしながら、そういうものを僕はほとんど持ち合わせていなかったんですよね。

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    2023年12月29日
  • 認知症になった蛭子さん~介護する家族の心が「楽」になる本~

    Posted by ブクログ

    認知症になられた蛭子さんの人生相談はおとぼけぶりに磨きがかかって面白かった。それでも自分の頭で考えて決断して生きてきた蛭子さんが認知症になるなんて辛いよな…と考えたが、本人はそうでもなさそう。ただ、認知症になっても稼ぎ続けたい。その想いはどうか叶え続けてほしいなと、思う。

    奥さんやマネージャーさんが身をもって感じた蛭子さんの話も収録されていて、認知症かもしれない?と思い当たる人が身近にいる方は、共感し、また心も少し楽になれるのではないかな。

    最近、蛭子さんの人生哲学に共感しまくりで色んな書籍を読んでいる。
    これからも自由に楽しく長生きしてほしい。

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    2022年09月13日
  • 認知症になった蛭子さん~介護する家族の心が「楽」になる本~

    Posted by ブクログ

    蛭子さん オモロイ
    自分ファーストのとこも
    お金がなくなったら女房に捨てられるから 稼いでいたいとか
    「ま、いいか」の寛容さも
    笑ってればなんとかなりますよとか
    テキトーなとことか
    自分の気持ちに正直なとことか
    好きです
    声を出して笑いましたww
    もっとテレビで見たいです
    きっとこの本は 蛭子さんは 認知症にこれからなるかもしれないと不安になってる人 周りの人を元気づけます

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    2021年09月15日
  • エビスヨシカズの秘かな愉しみ

    Posted by ブクログ

    これはかなりイイ本でしたね…僕が蛭子ファンだからかもしれませんが…社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    冒頭の日常を綴ったような漫画もいいし、最後の章の映画の感想文なんかもいいですね! 妄想日記はちょっとよく分かりませんでしたが…でも、中には笑えるものもあってよかったですね。社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    蛭子さんに関心を持って僕もゴダールの「ウィークエンド」買って観たんですけれども、よく分かりませんでした…死にたい…社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    まあ、そんなアレであまりというか、ほとんど本を読まないらしい蛭子さんですが、文章はなかなかうまいと思いましたけれどもねぇ…あー、そうか、蛭子さんは本は読まなくても毎日新聞は読んでいるんだ! それで、漢字とか活字とかを覚えていっているんだなぁ…と僕なんかは推測しますね。

    さようなら…。

    ヽ(・ω・)/ズコー

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    2021年05月29日
  • 蛭子能収のゆるゆる人生相談

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    蛭子さん好きです。人生相談に真面目に回答してると思ったら気付いたら競艇の話をしていたり。そんな面白い本。仕事に対する考え方などとても参考になります。怒られることが仕事でお金をもらっているという考え方など。

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    2021年05月25日
  • ひとりぼっちを笑うな

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    自分もツルまず、趣味の遊びも独りを好む。したい事は自分のペースでしたいし、それを相手に付き合わせるのも悪いと思ってしまう。蛭子さんと同じだと思った。
    書かれている全てに共感出来たわけではないが、かなりの部分で同じだと思えた事から、自分は内向的な人間だと思う。外には出さずに自分なりに相手を気遣っていたり、迷惑をかけないようにしているつもりでも、やり方が間違っていて、思いがけずそうなってしまう事もある。こう言う周りからは不器用な人だな、と言う人もそれなりに考えているんだな、と思ってもらえたら良いと思った。

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    2020年03月29日
  • 笑われる勇気

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    最近バス旅にハマっていて、自分は蛭子さんに似ているな、と思い購入。読んでみて思った以上に似ていた。
    基本的には自分を貫くけど、周りに迷惑をかけないようには気を遣う、人にどう思われようと気にしない。ちょっと考える時間があれば気を遣えるけど、いきなりは本音が出てしまう。そんな人でしょうか。
    お金が必要というのも当たり前だけど、みんな本音を隠して生活してる。蛭子さんはブレずに考えている。すごいなと思う。
    なんかまとまらないけど、「気にしないこと」はとても大事な事だと再認識した。

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    2020年02月14日
  • ひとりぼっちを笑うな

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    2017/8/12自分に近く共感する箇所、多々あり。再読したい。★5 
    昨日は十条から石神井川沿いを板橋まで散歩。蛭子さんの性格と似ている所がかなりあることがわかります。内向的で友だちと居て気を遣ったり、相手を誘うと迷惑ではと気を揉むより一人のほうが気楽。だから職場でも一人で昼食、宴会の誘いも最近パスが多い。

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    2019年09月01日
  • ひとりぼっちを笑うな

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    自分も内向的なので共感する部分がとても多かった。
    そしてなりより良い事書いてます。蛭子さんを見直しましたよ。

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    2017年12月02日
  • 蛭子能収のゆるゆる人生相談

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    かなり面白かったですねぇ…競艇の合間に「人生相談」やっている様が浮かんでくるようで読み応えありました(笑)

    ヽ(・ω・)/ズコー

    1993年頃にも一度、人生相談本を出しているみたいなんですけれども(その内容も本書に収録)、そちらの方は今の蛭子さん以上に荒唐無稽な回答ばっかしで笑えました。何か…鬱屈としたものがあるような? 気配を感じましたね、昔の相談本には。まだ漫画家として四苦八苦していた時期だったのかな?

    ヽ(・ω・)/ズコー

    そんなわけで身の丈に合った生活、多くを望まない生活というのが実は一番幸せなことなのだっ! ということがよく分かる(?)本でしたね…さようなら。

    ヽ(・ω・)/ズコー

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    2017年08月19日
  • ひとりぼっちを笑うな

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    私が小さい頃、蛭子さんと言ったら、面白いか、面白くないか、よくわからない人で、漫画家らしいという印象だけでした。

    その蛭子さんが、なぜか最近ブレークしている。
    気になって購入しました。
    蛭子さんの人格が改めて、よくわかる著作に仕上がっています。

    マネを出来る部分は少ないですが、人間関係を考える上で参考になる部分は
    非常に多いと思います。蛭子イズム(私が勝手につけました)の根底に
    流れるものは、「自己肯定感」だと思います。

    もの凄く自分に自信を持っているがイヤらしくはない。そして、
    自然体のようで、気を使う所はつかう。

    やはり、芸能界で30年以上生き残っている人は、凄いと思います。

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    2017年06月06日
  • 蛭子の論語 自由に生きるためのヒント

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     蛭子さんの生活信条と論語がシンクロする、ということが判っただけでこの本の企画を立ち上げた意味はあったと思う。
     企画した編集者が偉ぇ。超えれぇ。

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    2016年02月09日
  • 蛭子能収のゆるゆる人生相談

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    まさに蛭子さんのキャラクター本。
    どこまで自分で書いたか不明だけど、
    笑えつつ深く、悩みが吹っ飛びそう。
    あとがきが特に蛭子さんらしく、共感。

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    2015年11月10日
  • 蛭子能収のゆるゆる人生相談

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    ネタバレ

    新聞や雑誌の真面目な人生相談のよりも、これくらい肩の力が抜けた回答の方が、心が救われたり前向きになれるような気すらしました。
    「仕事とは、雇い主に考え方も時間も拘束されること」
    「お金をもらえるなら何でも我慢すべき(ハイハイときいていれば給料をもらえるんだから)」
    この二つは「はー、言われてみればそうなんだよねー確かに」と妙に納得。

    私も競艇をちょっとやるので、ちょいちょいどころか結構な塩梅で差し込まれる蛭子さんの競艇トークが面白かったです。大村競艇、一度は行ってみたいなぁ。

    どうでもいいことかもしれないけれど、コース(章)ごとに回答のフォントが変えられてるのに途中で気づいてちょっとテンション上がりました!

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    2015年09月24日
  • 蛭子能収のゆるゆる人生相談

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    本の表装といい、内容といいトイレに置いておくのにピッタリな本!

    エビスさん普段の相談には2pで回答するのに
    競艇についてなら4p。しかもかなり具体的。
    競艇熱が伝わってかなり笑えた。

    すごい人なのに全くスゴさを感じない。
    そこが素晴らしいのかどうなのか…

    こんな風に周りと自分を比べない強さを俺も持ちたい。

    NICEな一冊でした。

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    2015年08月24日
  • こんなオレでも働けた

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    蛭子さんというと麻雀と競艇のイメージしかなくて、本業である漫画家であることすら忘れてしまうくらい個性の強い方だ。そんな蛭子さんが家族のためにサラリーマン生活を「真面目に」していたというのだから、驚きを隠さずにはいられない。まさか、蛭子さんにサラリーマンの心得を教わるとは思いもしなかった。

    どの章も読みやすいが、特に第5章と第8章は一読されることを推奨する。

    最後に、印象に残ったキーワードを羅列しておく。
    ・がんばり過ぎない
    ・サラリーマンも信用第一!
    ・借金はしない主義
    ・いつもニコニコサービス精神
    ・いつも心を自由にしておく
    ・飄々と自然に身を任せよう
    ・どんな職業にも貴賎はない
    ・どんな仕事だってやってみればいい

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    2015年06月17日