【感想・ネタバレ】ひとりぼっちを笑うなのレビュー

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Posted by ブクログ

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蛭子能収
1947年10月21日、長崎県生まれ。長崎商業高校卒業後、看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て、33歳で漫画家に。俳優、タレントとしても活躍中

私正直自殺って他殺と変わらない罪深い行為だと思ってる。肉体にも病気があるから精神にも病気があるだろうから病気の症状なのかもしれないけど、自殺した人=可哀想みたいな風潮嫌い。これまでどれだけの人に助けられて世話になって生きてきたの?それはあなただけの力だったの?自殺なんて傲慢の極みにしか思えない。人間は1人では成り立たない存在なのであれば、お前の命はお前のものではない。自分で自分を殺すなんて今まで大事にしてくれた人、一度でもあたたかい気持ちをくれた人の気持ちを踏みにじってる。酷いよ。

 あと、テレビに出るようになってからは、同窓会などで地元の知り合いに会うと、「お前、こないだ若いタレントにテレビであんなこと言われていたけど、どうして怒らないんだ?」みたいなことを言われることがよくあるんです。「俺が代わりに言ってやるよ」とか。それは、正直なところ大きなお世話かもしれない。  だって、テレビっていうのはそういうものだし、それで僕はお金を稼いでいるわけだから仕方ないんだよ……内心ではそう思ってはいるんですけど、やっぱりその場では言えない自分がいる。  言ってもしょうがないことだと思うし、そんなことを言って相手に気分を害されても、ちょっと困っちゃう。だから、そういうときは、なるべく笑ってやりすごすようにしています。

もちろん、そんな僕にだってお亡くなりになって悲しい人はいます。でも、両手で数えるほどはいません。この人がこの世からいなくなって二度と会えない状況になったら、本当に悲しいだろうな……って思っている人は、正直なところ2、3人しかいないんじゃないかな。それは僕に限った話ではなく、みなさんも本音としてはそんな感じじゃないですか? というのが僕の本音です。  そういうことを言うと、「その考え方はおかしいよ」「人が死んだのになんだその考えは!」って怒られてしまいそう。でも、誰も彼もが死んで悲しいと思っていたら、その人のほうこそ精神状態が異常なんじゃないかと勘ぐってしまうんですよ。

以前、知り合いの漫画家さんが死んだときは、さすがに線香をあげに行ったんですけど、そのときもやっぱりちょっと笑ってしまって……。本当に尊敬している漫画家さんだったし、悲しくないかと言われたら、やっぱりちょっとは悲しかったのだけど、途中からどうにもおかしくなってしまった。一度おかしくなったら、止まらないんですよ。僕はどうやら、笑い上戸なところがあるようなんです。  でもそれは、儀式みたいなものに参加して一生懸命に周囲と同じように振る舞おうとしている自分のことが、おかしくなってしまうっていうことなんです。その場所にどこか違和感を持ちながらも、無理をしてやっているのが自分で痛いほどわかってしまうんです。

差別的な感情っていうのは、多くの場合「誰かを見下したい」という、人間のなかにあるネガティブな欲求と結びついているような気がしてならないんです。誰か自分より下の相手を作ることによって、自分が偉くなったように錯覚するということかもしれない。自分が優位に立つために、他の誰かを 貶めるなんて、本当に愚かな行為だと思う。  ただ、そうやって誰かをいじめたり、差別したりするような人も、実際に一対一で会って話してみたら、普通にいい人だったりすることが多いからこれまた不思議。ちょっと拍子抜けするくらい、ごく普通の人だったりしますよ。だけど、 一旦 そのグループの一員になってしまうと、どんな非道なこともしかねないということなんです。

政治のことはあまりよくわかりませんが、僕自身は、どちらかと言えば左翼っぽい考え方に近い気がしています。否定はしませんが、右翼的な考え方はどうにも苦手ですから……ね。僕が観て面白いと思う映画は、なぜかほとんどが左翼っぽいものだったりするんですよ。たとえば、大島渚 監督や 新藤兼人 監督の作品などです。

心情的には左翼寄りな気がするし、裁判員制度にも反対ではあるんですけど……カンパをしたりデモに参加したりするのはダメ。そうやってみんなで群れて一緒に行動するということがやっぱり理解できない。もちろん、僕もそれなりの年齢ですから政治や世の中のことに対して、ほんの少しは思うことや意見したいことはあります。でも、それって各自でしっかり持っていればいいだけの話であって、別に群れなくてもいいことなんじゃないかなって思うわけです。

人間の魅力というのは、その人が所属している集団から生まれるのではなく、あくまでもその人自身の技量や性格から生まれるもの。その本質だけは、見誤ってはいけないと思います。

そして僕自身が内向的だからかもしれないけれど、明るくてワイワイ騒いでいる人よりは、ちょっと暗い感じのタイプの人を僕は好む傾向にあります。タレントでも、内向的な人間が最近ちょっと出てきましたよね。たとえばモデルの 栗原 類さんとかもそうです。長身でハットを 被って、根暗オーラを出している個性的な方。  ああいうネガティブな感じの人は好きなタイプかもしれない。いかにも友だちがいない感じがするじゃないですか(たくさんいたらすいません……)。僕と見た目はまったく違うのに、ちょっと同類のように感じてしまう自分がいます。

とはいえ、実際に栗原さんと仕事で会う機会があったとしても、自分から積極的に話しかけるようなことは、きっとないですしできません。だから、友だちには多分ならないと思います。  けれど、そういう人たちは他人に対して、迷惑もあまりかけないし、絶対に意地悪もしないと断言できます。

そういう「安心感」を求めるための「友だち」作りなんてやってもしょうがないですよ。「友だち」なんて、結局いつかはささいなことで離れるもの。「友だち」を作る努力をするくらいなら、「家族」を作る努力をしたほうがいい。  僕はそんなふうにとらえているんですよね。

だから、内向的でも、とりあえずの趣味の世界というか、自分が没頭できるなにかを持っていたほうがいいかもしれませんよ。  僕の場合、仕事でもあるけれど、それが漫画なのかもしれない。そうやって自分が没頭できる世界を通じて、誰かとコミュニケーションを取れるかが重要になってきます。いくら他人と接触するのがイヤでも、趣味を通してなら接触できますからね。

これまで散々ひとりが好きと書いてきましたが、僕だってひとりの世界に完全に閉じこもりたいわけではありません。別に世捨て人とか、 隠遁 者みたいな存在になりたいわけでもない。それはやっぱり、ちょっと寂しいから。ならば、自分を表現できるなにかを身につけて、その世界が好きな人たちとコミュニケーションを取ることくらいはしたいですよね。  だから、内向的「すぎる」のはよくないと感じるんです。

 内向的な人が好きだからといって、外向的でコミュニケーション能力の高い人を否定するつもりはありません。外向的な人は、相手を気遣ってくれる人も多いですから、そういう人と話すのはやっぱり楽しい時間ですからね。だから、否定などしませんし、自分はなかなかそういう人間にはなれないということなんです。

仕事でいろいろなテレビ番組にも呼んでもらうのですが、そういう仕事の場だと、お笑い芸人の人などは、やっぱりコミュニケーションを取るのが 凄い。 有 吉 弘 行 さんやバナナマンの 設 楽 統 さんなど、司会もできる芸人さんには、とくに一目置いてしまいます。あと、アンジャッシュの 渡 部 建 さんや、FUJIWARAの 藤本 敏 史 さんの知識量も、圧倒的でビックリしてしまう。

お笑いの人たちって、とにかくためになることからくだらないことまで情報をたくさん持っています。クイズ番組に出ても、お笑いの人にはまるで勝てませんよ。僕が情報を持っていなさすぎる、ということを差し引いても、本当にみなさんいろんなことをよく知っているなって感心するばかり。  多分、みんなが見ていないところで、新聞を読んだり、本を読んだり、努力をしていることでしょう。その情報を持っていて、なおかつ人前で活かせる能力というのは、やはり魅力的です。だから、お笑い芸人は異性からもモテるのかもしれません。

石田 純一 さんと麻雀をしたことがあるのですが、あの人のコミュニケーション能力の高さには、本当に驚くばかりでした。麻雀をしながら、全員と軽快におしゃべりをするんですよ。しかも、全員に気を配りながら。「なるほど、女性にモテるわけだ!」とつくづく思ったものです。

小学生くらいのとき、本当はその子のことが好きなのに、それが 上手く表現できなくて、結局からかったりしてしまうみたいなことってありましたよね。その子が可愛いから、思わずちょっかいを出してしまうような。

というのも、僕の場合、誰かに「嫌われている」と思ったことがないんです。それを誰かに言うと驚かれるのですが……「嫌われている」とはまるで思わない。だから、「嫌われているから、いじめられている」という図式は、僕のなかにまったくないということです。むしろ、「自分は好かれているんだな」と思っていましたからね。好かれているからこそ、パンを買いに行かされたりしているんだって、そんなふうに解釈していましたよ。

だから、好きか嫌いかと言えば、やっぱり好かれていたんでしょう。都合のよい解釈に見えるかもしれないけれど、これはこれで「あり」な考え方だし、そう解釈してしまった方が人生はとてもラクですよ。僕はくだらないことで深く悩みたくはないし、ラクな解釈で気が落ち込まずに済むなら、勝手にそうしてしまう頭の回路なのかもしれません。

子どもに限らず、大人になってからもいじめで悩んでいる人は多いと聞きます。同僚や上司からの嫌がらせで精神的に追い詰められているとか、友だちのグループでもどこかのけものにされるとか。そういうのって、とても苦しいことだけど、そこで「自分は嫌われているんだ」なんて、自己嫌悪に陥る必要は絶対にありません。  むしろ、「好かれているからこそ、かまわれているんだ。ほんとに参るなあ。ハハハッ」くらいの発想でいたほうが、都合がいいんじゃないかな? だって、一般論として「好き」の反対は「嫌い」ではなく、「無関心」だって言うじゃないですか。

なぜでしょうか? 僕はあいさつという行為そのものが、逆に相手の迷惑になってしまうんじゃないかって考えてしまうんです。僕のような人間に楽屋にあいさつにこられても、先輩の方々は、心のなかで「あ、蛭子さん。うっとうしいからいいよ」っていう感じになってしまうんじゃないかって。だから、なるべくあいさつには行かないようにするんです。  僕もテレビに出るようになってから、それなりのキャリアがあるので、最近では新人の若い女性のタレントさんなどが、僕の楽屋にあいさつにきてくれます。多分その人たちは、マネージャーさんから「とりあえずさ、蛭子さんの楽屋も顔出しときなよ」とアドバイスをされているだけなんでしょうけどね。大勢が出演するバラエティー番組などでは、本当にもう何人も何人も、僕の楽屋を訪ねてくる始末です。

不器用で気の利いたことが言えない僕などは、そういう 類 の仕事がくると、いまでもすごく苦労しながらやっています。だって、もともと食に関するこだわりはほとんどないし、いろいろなものを食べる趣味もない。地方ロケとかに行っても、その土地の特産物とかに全然興味がないんですよ、これが……。  だから、そういう撮影でもそのとき自分が普通に食べたいものを注文しちゃいます。「はじめに」でも少し触れたように、カレーライスとかトンカツ、あとはラーメンとかをバカ正直に頼んでしまうんです。だって、それが食べたいから仕方ない。そういう意味では、本音で行動しているのですが、なかなか難しいものです。

でもこれがまたテレビの不思議なところで、特産物を注文しないそんな僕がどうやら面白く見えるようなんですよ。自分では至って普通にしていることが、面白がられて「個性」になる。主張はしていずとも、それが面白いとされて仕事になるなんて、僕はやっぱり幸せ者なのかもしれませ

 そんなことからも、評価っていうのは文字で書いてあるくらいがちょうどいいんじゃないかなって、僕は思っているんです。文字で書いてあれば、たとえそれが自分の漫画に批判的な意見であっても、ちゃんとした〝批評〟になっているならば、しっかりと読みたくなる。「あ、こういうふうに思われているのか。じゃあ、機会があったらその意見も取り入れて作品を描いてみようかな」って、そこは 真摯 に受け止めます。  よいことも悪いことも、自分の漫画に対する感想や評価はすごく知りたいし、それを正しく知ることが、より面白い漫画を描くことにつながると思っています。多少批判されていようとも勉強になるじゃないですか。

僕が描いているような雑誌の編集者は、僕と同じような内向的な人が多いので、面白くなかった場合、目の前にいる漫画家にいろいろ言うのがイヤなのかもしれないと分析しています。もし自分が逆の立場だったら、きっと同じようになにも言わずに原稿を受け取ってそそくさと編集部に戻るでしょうから。

最近も集団的自衛権の解釈をめぐって、 安倍晋三 首相がいろいろな発言をしています。要は、アメリカがどこかを攻撃したら、日本もそれを助けに行かなくちゃいけないみたいな話だと思うのですが、それをいいことに憲法解釈を変えようとしているじゃないですか(本当は憲法そのものを変えたいんでしょうけど)。ここ最近の右翼的な動きは、とても怖い気がします。安倍首相は、恐らく中国と韓国を頭に入れた上で、それをとおそうとしているのでしょうけれど、僕はたとえどんな理由であれ、戦争は絶対やってはいけないものだと強く思っています。

芸能界で仕事をするようになってからというもの、現場でよく会う人やたわいのない話をするような人もできました。『スーパーJOCKEY』の共演者として知り合った松村 邦 広 さんがそうです。ただ、松村さんが友だちかとなれば、やっぱりそうじゃない気がする。  向こうだって僕のことを友だちとは思っていないでしょう。松村さんも僕と同じで、いつも現場でひとりポツンとしている感じがあります。テレビで観る分にはわからないかもしれないけれど、彼には一匹狼のような雰囲気があるんですよね。誰かと顔を合わせればきちんとあいさつや会話をしていますが、それが終わるとまたひとりの世界にいる。僕からすると、そういう松村さんのような人は、なぜか話しかけやすい。

ご想像どおり、僕はあまりに自由な生き方をすることから……同僚とたわいのない話をしたり、よく飲みにいったりといったコミュニケーションは取れません。でも自分のなかに、「俺は他の人とは違う」みたいな思考はまったくないんです。つまり、一種の上から目線的なものですよね。自分が特別な存在であるなんて、思ったことがない。ある意味、孤独感というのはその感情の裏返しの部分もあるように思えてなりません。自分は特別な人間なのに疎外されている、みたいな思考ですよ。  それって、孤独に酔っているだけじゃないかな? 少し極端な考えかもしれないけれど、〝孤独酔い〟する人に関しては、最近では犯罪者にも多いような気がする。孤独であると思い込んで、そしてその孤独に開き直って、普通の人には思いもよらない過激な事件を起こしてしまったり。先日もアイドルグループの握手会の会場で、のこぎりで切りつけるといった事件がありましたが、まさしく典型的な事件だったように感じます。孤独を狂気に変換するなんて、あまりに自分勝手な行為で許せませんよ。

他人からどう見えているのかはわかりませんが、僕自身はごく普通の、特に秀でたところのない人間だと思って生きてきました。そして孤独だとも思わない。もしも孤独だと感じている人がいたら、あまり思い詰めないほうがいいんじゃないかな? 「俺は孤独だ、孤独だ」と思い続けていると、それはいつの間にか得体のしれない狂気のような感情に変わってしまうものだから。

孤独の話で思い出しましたが、1回だけ、ひとりで海外旅行に出かけたことがありました。旅の計画は、別にひとり旅というわけではなく、本当は家族で一緒に行くことになっていたんです。でも、なにかの都合の問題で、僕だけ先に行ってその何日後かに家族がくるという段取りになったんですね。それで2日くらいひとりですごしたのですが、そのときは無性に寂しさがこみ上げてきました。

日本にいるときなら、ひとりで知らない街を歩いていても、寂しいなんて思いませんよね。でも、これはやっぱり言葉の問題なのかな? そこはオーストラリアだったのですが、最初はみんな英語を話していて面白いなって思いながら見ていたんですよ。でも、なにを言っているのかわからないから、だんだん不安になってくる。向こうが言っていることがわからないということは、つまり僕の言うことも向こうはわからないんだと思った瞬間、急に不安になってしまった──。

ペットを飼うことによって孤独を満たしている人は、どこか自分のなかで世界を閉じているような気がしてなりません。僕の推測では、動物の気持ちというのはその人の思い込みに過ぎないわけだから、ある意味、〝自己完結〟しているとも言える。ペットがいればそれで十分というのは、言い方を換えると、他の人間との接触を、あらかじめ避けていることになるんじゃないかな。  それではよくないと思うんですよね。ひとりぼっちでいる人よりも、むしろよくないかもしれない。ひとりぼっちの人は、心のどこかで寂しいと思っているから、他の誰かと少しはコミュニケーションを取りたいと願います。でも、「ペットがいれば十分」という人は、そこで他人と話したいとは考えない。それは、自分で自分を 騙している、一種のまやかしのように見えてきます。

死んだらどうなるのか? 本当のところは誰にもわからないというのがますます怖い。わからないのであれば、死後のための準備も心構えもできないじゃないですか。でも、好きではない葬式にも出て、両親も死に、前妻も死んだ。そこでわかったんですよ。〝人は死んだら、なにも残らない〟って。だから年齢を重ねるたびに、死後の世界というものをまったく信じなくなりました。死は怖いものだけど、人は死んだら、きれいさっぱりなにもなくなるだけだと思えるようになったんです。

肉親を失い、死んだらなにも残らないことも理解できた。そこで心に誓ったんです。死ぬことだけは、絶対にやめようと。それはもう〝決意〟に近いものかもしれない。  だから、僕の人生の一番の目的は、〝死なないこと〟です。

この本を読んでいる方で、ほんの少しでも自殺を考えている人がいるのならば……そういう人たちには、「死ぬこと以上に怖いことはないよ」と、まずは伝えたい。死んだら、自分という存在自体がなくなってしまうのに、自らそうしなくてもいいじゃないですか。あなたは世界でひとつだけの個性です。その個性が集まって、世界は作られているもの。みんながいるから、面白いことや悲しいことが起こって、人生の面白さや厳しさを教えてくれる。そう感じてほしい。

無闇に他人に迷惑をかけることを肯定はしませんが、ときとして他人を頼ることはいいと思うんです。さすがに僕だって、自分ひとりで人生を歩んでいるとは思っていません。いろいろな人に助けてもらいながら生きているんです。  もし、それでも他人に迷惑をかけたくないと思うのなら──、自殺ほどまわりの人に迷惑がかかる行為は他に存在しないと思うんですよ。自殺した本人は、それで終わりだけど、残された人たちはきっといつまでもあなたを考え続けるはずですからね。「近くにいながら、どうして自分は助けてやれなかったんだろう」って。はっきり言いますけど、それほど迷惑なことはないですよ。だって、残された人たちにとって、その答えは永遠に出ないのだから。

それに……自殺するのって、大変ですよね? どんな死に方をしても、どこで死んでも、誰かに多大な迷惑をかけてしまう。電車に飛び込んだりすると、親族が大金を鉄道会社から請求されるとかいうじゃないですか。そもそも自分で自分を 殺めるために必要な意志の力って、相当なものがありますよね。よっぽどの決意や行動力がないと、絶対にできないこと。僕にはきっと無理でしょうね。  もし、仮にそんなにも強い決意や行動力があるのなら、その力を他のなにかに向けることはできないのかなあって思ってしまう。世の中、自殺するよりもラクにできることなんて、いくらでもありますよ。死ぬ前に、まずは、そっちをやってみてもいいんじゃないかなあ。

だから、自分がもしそういう状態になったとしたら、やっぱり延命治療とかはしてもらいたくない。じつは僕、『日本尊厳死協会』っていうのに入っているんですよ。もし回復の見込みのない状態になったら、延命治療はしてくれなくていいから、もう尊厳死させてくださいっていう意思表示です。そういう宣言書にサインをして、その意思を表すカードを持っているんです。

いまの妻は、僕が再婚を決意して、いろいろな媒体でお嫁さんを募集したときに出会いました。具体的には、雑誌の企画で応募してもらった人たちのなかのひとりだったんですね。最初に写真を見たときから、とってもタイプで──しかも、僕の漫画のファンだと書いてあるものだから、これはもうすぐにでも会いたいとなった。  僕の漫画のファンというくらいだから、変わっていると言えば変わっているかもしれないけど……会っているうちに、そんなことは気にならなくなりました。そのあたりは多分、お互いさまですよね。

歳は 19 歳僕よりも若いのですが、いざつき合ってみたら、歳の差を感じるどころか、僕はもう怒られてばっかりです。でも、彼女に言われることによって、自分のダメな部分が、いろいろとわかるようになりました。彼女とつき合うようになってから、女性に対しての優しさみたいなものが芽生えたんです。恥ずかしながら、そういうものを僕はほとんど持ち合わせていなかったんですよね。

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2023年12月29日

Posted by ブクログ

自分もツルまず、趣味の遊びも独りを好む。したい事は自分のペースでしたいし、それを相手に付き合わせるのも悪いと思ってしまう。蛭子さんと同じだと思った。
書かれている全てに共感出来たわけではないが、かなりの部分で同じだと思えた事から、自分は内向的な人間だと思う。外には出さずに自分なりに相手を気遣っていたり、迷惑をかけないようにしているつもりでも、やり方が間違っていて、思いがけずそうなってしまう事もある。こう言う周りからは不器用な人だな、と言う人もそれなりに考えているんだな、と思ってもらえたら良いと思った。

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2020年03月29日

Posted by ブクログ

2017/8/12自分に近く共感する箇所、多々あり。再読したい。★5 
昨日は十条から石神井川沿いを板橋まで散歩。蛭子さんの性格と似ている所がかなりあることがわかります。内向的で友だちと居て気を遣ったり、相手を誘うと迷惑ではと気を揉むより一人のほうが気楽。だから職場でも一人で昼食、宴会の誘いも最近パスが多い。

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2019年09月01日

Posted by ブクログ

自分も内向的なので共感する部分がとても多かった。
そしてなりより良い事書いてます。蛭子さんを見直しましたよ。

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2017年12月02日

Posted by ブクログ

私が小さい頃、蛭子さんと言ったら、面白いか、面白くないか、よくわからない人で、漫画家らしいという印象だけでした。

その蛭子さんが、なぜか最近ブレークしている。
気になって購入しました。
蛭子さんの人格が改めて、よくわかる著作に仕上がっています。

マネを出来る部分は少ないですが、人間関係を考える上で参考になる部分は
非常に多いと思います。蛭子イズム(私が勝手につけました)の根底に
流れるものは、「自己肯定感」だと思います。

もの凄く自分に自信を持っているがイヤらしくはない。そして、
自然体のようで、気を使う所はつかう。

やはり、芸能界で30年以上生き残っている人は、凄いと思います。

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2017年06月06日

Posted by ブクログ

最強の癒し本であるとともに、最強のビジネス本かも。「オンリーワンでなく、むしろワンオブゼムになりたい」とか。
ほんとに蛭子さん本人が書いたのなら、とてつもなく賢くて正直だな〜とおもう。

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2016年03月17日

Posted by ブクログ

自分の自由を守るために、他人にも無闇に干渉しないというスタンス。
個性論には共感を覚える。個性はひとが決めることであって、自ら「個性的」であろうとするのは自意識過剰ではないか。
ひとりの人間としては平凡でありたいと思いながら、自分の作品は個性的だと思われたい。この矛盾とも思える考えに、強く共感する。

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2022年04月14日

Posted by ブクログ

蛭子さんって子供の頃からぼんやりしているけど、結構毒の有る事言うおじさんとしてインプットされていました。元々漫画家なのはしているけれど読んだ事無いし、何なら何がメインの人なのか良く分からない存在でした。
近年では太川陽介と路線バスで旅をする、マイペースおじさんとしての姿でしょうか。数年前に引退した時は意外な程寂しい気持ちになったのを覚えていますが、あの感情はなんだったんでしょう。別に何か特別好きだったわけでは無かったんですが。
そんまマイペースおじさんが一人で楽しむ事の尊さをじっくり語ってくれています。
僕はここまでではありませんが、人と過ごすことが苦手です。妻子供は大丈夫ですが、それ以外は出来るだけ短時間にしたいですね。ちなみに我が妻はかなり蛭子さんに近い所が有りそうです。
家族は物凄く大事だけれど、他人が何をしているのかは関心あまりない。そして自分がされて嫌な事はしない。不愉快にさせてしまう可能性のある冠婚葬祭には出席しない。それが常識外れだと言われても、自分の心のままに振る舞う。食べものも他者に迎合せず好きなものを食べる。これってかなり現代のライフスタイルとしては違和感無いですよね。読んでいて心にフィットして軽くなった気がしました。

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2022年04月11日

Posted by ブクログ

蛭子さんのイメージが変わった。
お葬式で笑ってしまうと聞いてあんまり好きじゃないなと思っていたけど、奥さんを無くして初めて悲しみや孤独を知ったり、孤独を紛らわすために自分を知らない人が集まるギャンブルへ出かけてぼーっとしていたり。
集団が苦手で息を潜めて目立たないようにして早く帰りたいというところもわかる!と思う部分も多かった。

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2019年12月25日

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ネタバレ

 蛭子能収さんの漫画では『黒いギャンブラー』というギャンブルをテーマにした作品集が好きで、お会いした際にその中の特に好きな漫画について話したら「描いたらすぐ忘れちゃうんだよね」と言って本当に全く覚えていないようだった。マッスル坂井さんに以前、オレが蛭子さんに似ていると言われたことがあって、どこが?と思ったのだけど、この本を読むとすごく同じ考えのところが多々あった。友達付き合いも用があるときしかしないところなど、本当に一緒だ。なので用を作らないと人付き合いが皆無になってしまうため、無理矢理用を作っているほどだ。

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2019年11月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

昔から感じていた違和感とか色々なものが上手いこと言語化されていたました。

締めくくりが、やはり漫画や小説とは違った現実がある話で凄く良かったです。

人柄が凄く伝わる、そしてテレビで見かける印象と少し違う印象も感じられました。

群れることについての考えも似通っていました。

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2019年07月10日

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・評価とは他人が決めるもの。
個性で悩む必要はない。個性は自分にとっての当たり前(=無意識にできてしまうこと)、つまり他人にとっての非当たり前。だから他人でないと気づきにくい。

自分の日常が、他者の視点を介して個性に変わる。

個性に縛られる必要はないよ。あなたがあなたらしくいること。

気になった箇所を抜粋。

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2019年02月28日

Posted by ブクログ

・俗に言う「プライド」みたいなものは、持っていたとしても、それをもの凄く低い場所に置いておくのが『蛭子の流儀』です。自分のことを、あらかじめ低く、低く見積もっていたほうが、人生ってラクですよ
・自分がいくら持っているとか、いくら稼いでいるとかということは、あまり他人には言いたくないし、知られたくもない。お金が介在することによって、人間関係がギクシャクしたり、おかしな感じになっていくことが嫌なんです
・自分のなかで限界がきているようだったら、そのときは迷わず逃げていいと思う。逃げてばっかりはダメだけど、人生のなかで何度かは、別に逃げてもいいんじゃないかなあ。僕は自分の経験からそう思っているんです
・どちらかといえば現実主義というか、目の前のことだけなんとかしようと考えるタイプのようです。過去なんて、どうせ戻れないのだから、考えてもしょうがないじゃないですか
・僕はあまりに自由な生き方をすることから、同僚とたわいない話をしたり、よく飲みにいったりといったコミュニケーションは取れません。でも自分の中に、「俺は他の人とは違う」みたいな思考はまったくないんです。つまり、一種の上から目線的なものですよね。自分が特別な存在であるなんて、思ったことがない。孤独感というのはその感情の裏返しの部分もあるように思えてなりません。自分は特別な人間なのに疎外されている、みたいな思考ですよ。それって、孤独に酔っているだけじゃないかな?

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2018年11月04日

Posted by ブクログ

思いの外良かった
・いじめ→とても苦しい事だけど自分は嫌われていると自己嫌悪に陥る必要はない。むしろ「好かれているからこそ構われる。参るな」という発想で。好きの反対は無関心。
他人に嫌われない為には「他人に余計な事をしない」頼み事も反論もしない。「自ら積極的には何もしない」
・運も実力のうち
・プライド→自分を低く見積もっておく。その方が人生楽。
・勝ち組/負け組→自分でお金を稼いでそれで自由に生活していけるなら、収入の多少にかかわらず、それだけで「勝ち組」。所詮勝ち負けはその時だけのもの。日頃から真面目にコツコツ「心を整えておく」
・死と孤独→「自分が幸せになる為には、一緒に暮らして、泣いたり、笑ったりしてくれる異性が必要」と思って再婚を考えた。

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2017年04月20日

Posted by ブクログ

これはなかなかにイイ本でしたね!

ヽ(・ω・)/ズコー

結構売れた新書らしいのですけれども、こういったタイトルの本が売れるということは「自分はひとりぼっちなのかも…」みたいに悩んでいる人が多いのですかね? 社畜死ね!!

ヽ(・ω・)/ズコー

でもまあ、蛭子さんもこの本でおっしゃっていたようにタイトルがちょっと語弊を含むアレになっていますかねぇ…もうちょっとこう…孤独と言うものを…ネガティブでないイメージで捉えてくれたら嬉しいですね! みたいな内容だったかと思います…。

内向的であっても決して他人に対して心を閉ざしている…という風ではないんだと蛭子さんは言っていましたねぇ…コミュニケーションも苦手なら苦手なりに話せばいいんじゃないかという…まあ、ネット界には「コミュ障」なんて言葉が溢れていますけれども、それに悩む必要なんてないんだ!! ということですね…ある意味、開き直れば新たな道が見えてくるのかもしれませぬ…さようなら。

ヽ(・ω・)/ズコー

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2017年02月15日

Posted by ブクログ

思っていたより色んなことをちゃんと考えている人なんだなあ、と意外だった。
内向的でもいいんだ、変わっててもいいんだ、と思えて癒やされる本だった。
人から「嫌われている」と思ったことがないという考え方がとてもいいと思った。

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2016年12月19日

Posted by ブクログ

寂しがり屋なのにみんなでワイワイするのが苦手。時間も無駄だし。そう思ってるからいつも孤立してしまう。生きづらいけど、これでいいんだと思えた本です。

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2016年10月04日

Posted by ブクログ

蛭子さんのインタビューをまとめたのかな?つらつらと思いが綴られていて、わかる!と思う部分とえー?と思う部分が半々くらいでした。一貫してないところが人間らしさなのかな。TVなどでは過剰なくらい空気を読むことを求められますが、こういう人もいないと世の中つまんないよなあ。夫や父だと困りますが(笑)読んだあと気持ちが軽くなります。

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2016年09月30日

Posted by ブクログ

争いを好まないとか、群れるの好きじゃないとか、ひとりの時間が好きとか、考え方にすごく共感できた。他人のことも認めつつも、自分はこういう考えである主張するところに謙虚さを感じられて心地よいね。蛭子さんって、テレビではダメ人間なイメージがあったけれど、実はまともな人だった。

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2016年04月03日

Posted by ブクログ

蛭子さんの奔放さをみていると子供がそのまま大人になったみたいで、みていて笑っちゃうけど、どこか他人事ではなく自分の中にも普段は抑えているこういう性格を持っていて、だからこそみていて感じる気持ちよさもあるような気がする いまはボケてきちゃってるみたいだけど長生きしてほしい

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2024年04月08日

Posted by ブクログ

数年前に買って、改めてもう1度読みました。

あくまで蛭子さんの本質は「自由」。

そのための処世と、心の持ちようがエピソードと共に書かれています。
蛭子さんの個性あふれるメンタリティが感じ取れました。

中々常人には理解しがたい感性もありますけどね(笑)

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2021年02月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

蛭子さんが結婚してると思わなかった。子供もいて、奥さんとは仲良さそうで、つまり「ひとりぼっち」とはあくまで「友達がいない」だけのこと。でも競艇場に行けば友達がいるし、おうちを訪ねることのできる漫画家仲間もいるから「群れない」だけかな。仲間を作ろうとすることが群れることになり、自分達のグループ以外の人を差別したり敵視したりする。。。みたいなことが書いてあって鋭いと思った。

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2020年12月15日

Posted by ブクログ

蛭子さんの考えを綴った本で、読む前の予想どおり押し付けがましくないものの、読む前の予想と違って確固たる信念に裏付けられた思想というか生き方が語られていたと感じた。
繋がり絆をやたらと価値あるものとして扱う昨今の風潮への疑念、自分ひとりでやりたいことができる自由こそが最上のものであり多くの場合で友だちは自由を奪う存在になりうるという達観、それでも他人とのふれあいは楽しかったりするし時には頼ることも大事という現実感、本来は自然と備わっているだけのはずである個性というものを目標と捉えてしまっているという指摘、今の世は生きにくいという不満は自分の人生の責任を自分でとる気のない者の態度であるとする批評など、共感したり、自分に良い影響をもたらしてくれるような内容が多かった。
最後の方の孤独と死については、本来的に死を恐れるというのは合理的な選択ではないと頭ではわかっているが、やはり死への恐怖を無視できない自分としては、蛭子さんに淡々と死なんて大したことはないのだとばっさり切り捨ててもらいたかったところだったが、そこは達観した意見ではなく、一般的な観念で締め括られた感じだったため、少し期待しすぎたかと反省。

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2020年03月01日

Posted by ブクログ

漫画家としての蛭子さんしか知らない、
「ガロ」に描いている蛭子さんのエッセイ集。
TV部分のところは、全く観たことがないので
なんとも言えませんが

そんなに無理してまでがんばらなくても
まぁ ほどほどに

ということだな
と読ませてもらいました

当たり前といえば当たり前のことなのでしょうが
いま その当たり前であることが
当たり前にさせてもらえない事情が
今風なのでしょうね

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2019年11月12日

Posted by ブクログ

友達が少なく、一人で行動することははずかしいことではない、とゆるく主張している。蛭子さんはむしろひとりで行動するほうが好きらしい。これには共感できる部分も多いことがわかった。

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2019年06月27日

Posted by ブクログ

"らしい" と言えば "らしい" のだろうが、何処までが本音なのか、筆者本人の周囲の人から客観的に見て実態と合っているのか?は分からない。
思っていたよりは筋が通っている印象を受けなくもないが、要は「自分の価値観で生きる」ことが出来ているのかな...
常に周囲に気を配ってる、というか気にせずにはいられない、のか...。
結果の行動が、"一般的な反応" と違うところが 、周囲からは "面白い" と見えるのだろうと思う。

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2019年03月14日

Posted by ブクログ

世が世なら発達障害と言われてしまう人なんだろうな。一貫性のなさが気になる所もあるが、全体的には共感できる事が多かった。孤独は喪失感から生まれると言うのも納得。
蛭子能収のサインペンで描いた独特なタッチが結構好きなんだけど、ひと目で彼の作品であることが判るのはそれだけ個性が強いと言うこと。仕事に対して一途な思いがあるのはさすがプロとして成功した人ならではだと思った。

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2019年03月12日

Posted by ブクログ

漫画家というよりもタレントとして有名な蛭子能収による自伝。

彼の生い立ちや人生観が知りたい人は楽しめるかと。

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2018年03月31日

Posted by ブクログ

蛭子さんの口調で脳内朗読されるから、なんだかふわふわした読後感に包まれたけど
「そうか、そういう考え方をすれば気持ちが楽になるんだな」
と感じるところもチラホラあって、心の片隅にでも覚えておきたいくだりもありました。

なんだかんだでやっぱり「笑門来福」なのかな。

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2017年04月12日

Posted by ブクログ

自由になるお金を稼ぎつつも、自由になる時間をつくって、自分が楽しいと思えることをする。群れずにひとりで楽しむ活動を貫くときも、ひとりで楽しむことに理解のあるひとがいることが望ましい。あのひとは人付き合いが悪い、変わり者だ…という指摘の前に、そういう状態がむしろ自然な人なのだ、と理解してもらえる間柄を先に構築することが大事のようです。

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2016年08月18日

購入済み

納得

蛭子さんのこと、あまり知らなかったのですがタイトルに惹かれて読んでみました。
自分と考え方感じ方がこんなに似ている人がいることに驚きました。
そして、今までの生活の中での疑問の答えが見つかったような気がします。
頭のなかでモヤモヤしていた気持ちを文字にしてもらえてスッキリしました(笑)

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2014年10月24日

購入済み

本当の孤独については語ってない

家族を失い社会からも疎外されてるような私には蛭子さんのようにひとりぼっちにしといてくださいとはとても言えません。
結局、蛭子は今のままで幸せだから周りの価値観押しつけずに放っといてくださいよってことのようです。
あなたの半生が羨ましいよ蛭子さん。

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2015年07月30日

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