深緑野分作品の中には雑誌で発表しているが本になっていない作品がいくつかある。今回は「石のスープ」が収録されていると言う事で即買いした。帯には「人類と食にまつわる8編のSF小説アンソロジー」と書かれてあった。しかも、この本には人間六度と新井素子の書き下ろしも収録されているのでお得感満載。他の5人は初めて見る作家。書き下ろし作品以外は全て「集英社WebマガジンCobalt」で公開されたものとのこと。このマガジン名は初めて知った。また帯には「豪華執筆陣が贈る空想科学ごはん小説」と書かれてあった。私の知っている3名以外の人も豪華執筆陣なのか。知らなかった、後で読んでみよう。
〇 石のスープ/深緑野分
SFなので、石の機能発現の理由なんて特に説明する必要はないが、元々の素材の味よりも悪くなる理由は知りたかったかな。普通は食材の組み合わせで味が良くなったり悪くなったりもするし、スープの濃さも味の旨さに影響する。単にこのような事は言わなくとも、十分にあり得ることなのかもしれない。しかし、栄養素はあるのだから、あとは調味料でなんとでも味をごまかせると思うのだが。この時代はアミノ酸の合成技術がなかったのだろうか。それよりも、この石に振り回される人たちの心の動きに着目した方が遥かに面白い。全く人間って奴は愚かなのかな。愚かだから本作品は面白いのか。
〇 敗北の味/人間六度
食生活は子供の頃と現在ではまるで異なる。今や野菜ばかり食べていても生きていける。油だけ飲んでも生きていける。体はうまくできているもので、炭水化物を全くとらなくても生きていけるので健全に痩せることができる。食に関する知識が桁違いに増えているからだ。どの様な形でも、食物からエネルギーを得ることで生きていけるが、エネルギーへの変換効率は実に悪い。従って、直接電池でエネルギーを取り込むことができれば生きていくために効率はこの上ない。
味だって、食品は化学物質の集合体なので、成分分析が完璧であればどんな食材の風味を完全コピーできる。食品会社の研究所ではそれが現実化している。そもそも味とか匂いとかなくても生きていける。点滴だけでも生きていける。実際、コロナに罹患した時も味覚が全くない状態で食事をしたし、酢の一気飲みもできたし、CoCoイチの10倍カレーも問題なく食べることができた。
これら食事の究極の形が電池なのだが、人間の体の細胞には記憶が眠っていたようだ。生物はいくら進化したとしても、脳には昔の記憶が片隅に残っていたのだろう。最近、鯨の刺身を食べたが、昔たくさん食べていた頃の記憶が一輝に蘇った。涙は出なかったが、脳全体にビビビと電気が走って、瞳孔が一気に開いた気がした。
〇 切り株のあちらに/新井素子
新井素子のデビュー作、勿論オンタイムで読みましたよ。でも、それ以降は全く読んでいない。何故かというと、新井素子の文体を全く受け付けないから。これは生理的レベルの嫌悪感と言える。それにも拘わらず今回読んだのは、歴史を経てさすがに文体が変化しているだろうと考えたから。しかし、昔と全く変わっていなかった。勿論この文体が良いと思う読者はいる訳だが、私は花粉症レベルのアレルギーがある。もうくしゃみをしたくないので、今後も読まないだろう。新井素子さん、ごめんなさい。
他の作品を一つ読んでみたが、どの作品とは言わないがちょっとレベルが違い過ぎるので残りの作品を読むことを諦めた。途中で諦めるのは、宮内悠介の「スペース金融道」以来だ。