河合祥一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
だいぶ久しぶりの感想・・・ちゃんと書けるかな?
面白かったです!
最初はそこまでだったけど、途中から夢中になって読みました!
ドリトル先生ちょっとお人好しすぎ!(笑)
あともうちょっとお金のこと考えたほうがいい(苦笑)
最初は次巻読むつもりなかったけど読みたくなっちゃった♪───O(≧∇≦)O────♪
(また読みたいが増える・・・)
どうしたら読みたいが減るんだろう(苦笑)
最初にあんまり面白くなくても一回波に乗れればハマっちゃうね(笑)
次は動物による動物のための動物園作るみたいだけどどうなっちゃうんだろう?
あーすぐにでも読みたくなっちゃった(苦笑) -
Posted by ブクログ
三人の魔女の予言が約束されたものであれば、人を殺めずとも自ずから王になる日が来ると思いつつも、欲に急かされ破滅に向かうマクベス夫婦。マクベスは妻の要望に応える為に、妻はマクベスの野心を叶えさせる為、短絡的に最悪の手段での予言の具現化を急ぐ。とはいえ、謀略に斃れた者たちの亡霊に怯え、夢遊病に侵される二人は、魔女に揶揄された誑かされ易い小心の善人だったのでは…
「女から生まれたものは誰一人マクベスを倒せはしない」
“For none of woman born shall harm Macbeth”
「人生はたかが歩く影、哀れな役者だ、出場のあいだは舞台で大見得を切っても袖へ入ればそれきりだ。」
“Life’s but a walking shadow, a poor player That struts and frets his hour upon the stage, And then is heard no more.” -
Posted by ブクログ
劇であるがゆえに小説とは異なり人間ドラマだけで物語が進む簡潔さ。しかし、人間の避けがたい運命がしかと刻印されている。河合祥一郎さんの解説も素晴らしい。とりわけ、コーディーリアのストア主義哲学、トルストイとオーウェルの論争の読み解き。
「…『わけのわからなさ』の中に意味がある、あるいは混沌の中に人間として生きる姿があるということを示唆しているのではないだろうか。どんなにまともに生きているつもりでも、人間である以上は愚かさを抱え、わけのわからない部分を秘めている――それがシェイクスピアの人間像だ。」
「…シェイクスピアには強烈な愛の発露がある。その愛があまりにも大きすぎるとき、『裏切られた』という思いも強烈なものとなる。嵐によって表現されるその激しさの中には、強い愛への思いとその欠如によって生じる痛みとの両方があるのであって、それゆえにこそリアは咆哮するのである。」
リア王という権威の権化の転落物語。シェイクスピア四大悲劇のひとつ、ということでやはり誰も救われぬのだけれども、コーンウォール公爵に反抗した民衆の気高さには胸を打たれた。なるほど、最近読んだアンティゴネにせよ、コーディーリアにせよ、誇り高き人間性(ヒューマニティー)の発現は常に抵抗とともにあるのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
アメリカのシェークスピア研究者グリーンブラットが、シェイクスピアの歴史劇が当時のイングランド(=エリザベス一世時代)の政治状況に対する諧謔を含めた批判であることを紐解きながら、実はこの本が書かれた(2018)当時のアメリカの政治状況を痛烈に批判しているという、二重構造。
つまり、リチャード2世、ヘンリー6世、リチャード3世、マクベス、リア王、シーザー、コリオレイナスという暴君を主人公に据えた演劇はエリザベス朝の暴君性を批判したものであるといいながら、その暴君性についての表現は誰が読んでもそのまま前大統領に当てはまる・・・そして、日本の読者にとっては某首相を想起させる。
「リチャードのことなど気にかけず、ほかの誰かがリーダーになるだろうとずっと考えているうちに、やがて手遅れの事態となる。ありえないと思っていたことが実際に起こっていると気づいたときには遅いのだ」(P85)
「ずっと虚偽を連続して浴びせ続けると、疑い深い人たちは隅に追いやられ、混乱を生み、本来なら起こるはずの抗議の声も生まれない」(P100)
「私たちは、悪党のとんでもない行動に何度も魅了され、普通の人間としての節度などどうでもいいとする態度に魅せられ、誰も信じていないときでさえ効果があるように思える嘘を楽しんでしまう」(P104)
「どんなに狡猾に頭角を現そうと、一旦権力の座に就くと、暴君は驚くほど無能なのだ。」(P186)
「シェイクスピアは巧みに描いたのであるー混乱の時代に頭角を現し、最も卑しい本能に訴え、同時代人の深い不安を利用する人物を。激しく派閥争いをする政党政治に支配された社会は、詐欺的ポピュリズムの餌食になりやすいとシェイクスピアは見ている」(P244)
シェイクスピアの良き読者にとっても再読のきっかけになるだろう。歴史劇は読んでないという私には、本書と同じ河合祥一郎訳で読んでみたいと思わせてくれる。 -
Posted by ブクログ
シェイクスピアが好きなので、副題の「シェイクスピアの政治学」という字句に興味を持って、手に取った。
開巻早々、シェイクスピアは、なぜ国全体が暴君の手に落ちてしまうなどということがあり得るのか?という納得のいかない問題に繰り返し取り組んできた、との魅力的な言明から始まる。
シェイクスピアの生きた時代には、治世者を暴君と呼ぶ者は謀叛人なりと法で定められており、そうした危険を避けるため、同時代より大分前の時代のイングランドを舞台設定したり、遠い外国を舞台とする芝居を上演した。
第二章以降が、実際の作品に登場する暴君自体、及び彼を取り巻く人々についての考察となり、第二章、第三章では、『ヘンリー六世』三部作が取り上げられる。戯曲の場面や登場人物のセリフを拾い上げながら、著者は丁寧に考察を進めるが、随所に現代の問題関心が示される。例えば、第三章では、王位を狙うヨーク公が、騒乱を引き起こすことを画策して自らの言うことを聞くジャック・ケイドを利用するのだが、「ポピュリズムは、持たざる者の味方をするように見えるが、実は巧みに民意を利用するものでしかない。」とあるように。
第四章から第六章にかけては、暴君と言えばこの人、『リチャード三世』についてである。この劇が探求しているのは、リチャードのように悪事や残酷さや裏切り体質を多くの人々が知っているにもかかわらず、そんな人間がどうして王位に就けるのかという問いである。様々なレベルでの共犯関係がある。すなわち、騙されてしまう者、脅されたりして怯え何もできなくなる者、あり得ないことは起きないと信じていて、気づいたときには手遅れになっている者、甘い汁を吸おうと企む連中、面倒を避けたいために、仕方なく従ってしまう者たち、これらが理性的なコントロールの利かない感情的な流れの中で、とんでもない決断をしてしまう様子を、偉大な演劇の力で見事に見事に描いている、と著者は言う。
第七章は『マクベス』、魔女の予言を契機に、マクベス夫人の唆し、叱咤に乗って、国王を殺し王座に就いたのに、心は休まらない。自分の王位を脅かす恐れのある者を次々に殺し、遂には完全な無意味さを味わうこととなる暴君の運命を描き出す。
第八章は、最初は正統な支配者であったのに、精神的不安定さのために暴君のように振る舞いだす人たちが引き起こす問題を取り上げた『リア王』、『冬物語』についてである。一旦国家が情緒不安定で衝動的で報復的な暴君の手に落ちれば、普通の調整機能は働かなくなる。分別ある忠告は無視され、重要な異議申立ては払いのけられる。結果として、リア王では完全な悲劇に終わり、冬物語でも調和は計られるが、失われたものは二度と戻らない。
第九章では、暴君を描く劇では、少なくとも共同体の再生と正統な秩序の回復を示唆して終わるのが常なのに、『リア王』では、秩序を回復し得る主要人物はいない。では全く希望はないのか。著者は、名前さえ明らかにされない召使いに希望を見出す。次女の夫の公爵が両目を抉り出そうとしたとき、見かねた召使いが止めようとする。主人と召使いの乱闘となり、召使いは殺されてしまうが、著者は、この召使いは、命懸けで、黙って見守ることを拒む、人間の品位を保って立ち上がる、シェイクスピアの偉大なる英雄の一人であると褒め称える。
(リア王の舞台を見ているのだが、ここまで称賛されているのに、記憶に残っていないのが残念。)。
第十章では、潜在的暴君に備わっている危険な特質は有用な場合がある、この両刃の剣の有用性を描いたものとして、『コリオレイナス』が紹介される。コリオレイナスは、エリート主義の武骨な武人で、平民を軽蔑し、それを隠しもしない。ところが、執政官になるためには、平民の支持が必要である。貴族たちは、その強固な信念は脇に置いて、一時のことなのだから、嘘をついて民衆に迎合し、デマゴーグを演じろという。著者の口調は辛辣である。「生まれついてあらゆる特権を持っていて、自分より下の連中を内心軽蔑していながら、選挙期間の間はポピュリズムのレトリックを口にして、選挙に勝ったとたんに手のひらを返すという、あれである。」
彼は反対派の策謀に乗せられ、自分の本音を爆発させてしまい、謀叛人として追放されてしまう。
このように、登場人物の暴君の運命と彼を取り巻く人々の行動を丹念に辿ってきた訳であるが、シェイクスピアは暴君についてどう考えていたのか、希望はあると考えていたのか。著者の総括が、最後の結部に示されている。
この数年、シェイクスピアの史劇が随分上演されてきており、本書で取り上げられた舞台は全部観たし、戯曲も全作読んでいたのだが、「暴君」という切り口で、こうした読み方があるのかと、感嘆しきりである。特に、著者の論旨展開におけるセリフの引用が絶妙であり、さすがシェイクスピア、それらのセリフを読むだけでも、いろいろな示唆が得られるであろう。
また、本書がどのような関心の下に書かれたかは、読み進めていくうちに、各所に挟まれた著者の見解から推測できたが、謝辞にある本書を著した経緯にあるとおり、同時代的な問題意識に貫かれている。正に、シェイクスピア作品を通して見た政治学である。文学畑、人文畑の人に、広くお勧めしたい。
-
Posted by ブクログ
2000年前に紡がれた、これは短編でありつつも緻密でおぞましく、逆転と認知の悲劇的なストーリーです。
辻褄があっているのか、疑問点を読み返して咀嚼してみたくなります。
最大の疑問は使者がオイディプス王に謁見した際、お互いにライオス殺害の現場に居ながらその時の場面について追求せず、それより遥か昔に両足を拘束された子どもについて固執し続けたことと、使者が複数人の犯行と証言したことがうやむやにされたことです。使者が王を殺された現場にいながら王を助けられなかった言い訳で虚偽の報告をしたんでしょうけど、その一点を頼りにしていたオイディプス王なのでキチンと回収されないと読み手としてはしっくりこないです。
翻訳もギリシャ語を英語に訳したものからの日本語訳とはいえ、かなり原作に配慮しながら訳したものであるとのことで安心しました。
そもそも我が子を預言者の言いなりに殺してしまおうと思う母が悲劇の元凶ではあるが、フロイトが提唱した、男子には近親相姦の本能があるかもしれない(エディプスコンプレックスの語源とされるのだと思い当たる)恐ろしさとともに深く考えさせられるミステリーでした。