河合祥一郎のレビュー一覧
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齋藤孝さんの「読書する人だけがたどり着ける場所」で紹介されていて読んでみた。
自身、文学に限らず古典にはこれまで全くと言っていい程触れる機会がなかったが、良いきっかけだと思って読んでみた。
まず何より、これだけのストーリー性のある話が、紀元前の時代に作られ、現代にまでその形を残している点に非常に感動した。
ストーリーはある程度わかった上で読んではみたが、それでも楽しく読ませていただいた。
オイディプス王自身が真実に気づいた後の狂気に満ちた行動もさる事ながら、解説にもある通り妻であるイオカステ妃が、いつどのタイミングでその事実に気づいたかという点において、諸説あるというところは非常に興味深かった。これは古典ならではの醍醐味であるのかもしれない。
もちろん現代の小説に比べれば、読みづらい点、理解しづらい点はあるものの、自身の古典への入り口として読むには、非常に良い本だと感じた。 -
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「不思議の国のアリス」から半年後のお話。
子ネコのキティとおしゃべりをするアリスは、暖炉の上の鏡をくぐり抜けて、鏡の国の部屋にかろやかに跳び降りてしまいます。
鏡の国では文字がさかさま。
赤と白のキングやクイーン、しゃべるお花たちや、卵のハンプティ・ダンプティに出会います。
小さな丘から見た田園は、大きなチェス盤みたいに仕切られていました。
次々と起こる不思議な出来事に想像力をかき立てられ、訳者のあとがきによって、この物語がより鮮やかものになりました。
「不思議の国」は、子どもの頃何度も繰り返し読んでいたのですが、「鏡の国」は初めて読みました。
もし子どもの頃にこの本に出会っていても、きっと今のようにに楽しめていなかったかもしれません。
韻を踏んだ詩の訳が、とても素晴らしく、挿絵も素敵です。 -
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嵐に遭遇し離ればなれになった双子の兄妹セバスチャンとヴァイオラ、妹のヴァイオラは男装し、シザーリオとしてオーシーノー公爵に仕える。シザーリオはオーシーノーの片想いの伝言役としてオリヴィアに伝えるが、オリヴィアはシザーリオに恋心を抱く。オーシーノーに興味はないが、シザーリオにまた会いたいオリヴィアの言葉が愛らしい。「でもまた来て。だって、あなたのせいで、あるいは、嫌いなあの方の愛が好きになるかもしれないわ。」”Yet come again; for thou perhaps mayst move That heart, which now abhors, to like his love.”
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リア王の悲劇の後は、軽い喜劇で心を中和。
序盤のビアトリスとベネディックの心を探り合うような辛辣且つ軽妙な掛け合いが楽しい。フェイクと姦計に振り回され一度は諦めながらもクローディオはヒアローを、ヒアローと侍女の作り話を聞かされたビアトリスはベネディックを愛することになる。二つの恋が悪意と善意のなかで撹拌されながら、やがて不純物が取り除かれ実を結ぶ。
「友情は不変といってよいが、色と恋が絡めば話は別になる。」”Friendship is constant in all other things,
Save in the office and affairs of love.”
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エピックって言葉がある。日本語だと叙事詩。
いろんな場面でよく聞く言葉。なんとなく意味は伝わるのだけど、なんでそんな偉大な文学ジャンルが今では書かれていないのか。
叙事詩は、過去の偉大な時代を舞台として、壮大さが過去のものになってしまった哀しさを描くらしい。
その意味では、アメリカから同じような作品が世に出ても、国として若すぎるために、叙事詩と認めることは難しいそう。
社会の変化の中で生まれてきた(西洋)文学の流れを、なんとなく知ることができる。どんな環境からどんな文学が生まれてきたのか知ることは、作品をより楽しむのに良いことなんだろうと思う。
いろんな本、ゆっくり読んでみたい。
若くなくてごめんなさいシリーズ、読むのはアメリカ史、経済学史、宗教史に続いて4作目。次は何を読もう。 -
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テレビドラマや小説、日常生活でもよく耳にしている『ドリトル先生』ですが、実は、ヒュー・ロフティングというイギリスの児童作家さんによって、第一次世界大戦後という古い時代に描かれた児童向けのシリーズ作品だったとは、恥ずかしながら知りませんでした。
このブグログの新刊情報で、新訳の最新刊を見つけた時に、「ん!?ドリトル先生!?」と思い、気になり、ドリトル先生シリーズを調べました。
そして、角川文庫から大人向けの新訳版が出版されたということにたどり着き、1巻を読んでみよう!と思いました。
これがドリトル先生かぁ~
想像以上に凄い先生だった!
こんなに動物の言葉が話せて、世界中の動物から愛されていて、誰にたいしても優しい心を持っている先生だったのか!
ドリトル先生のお金に対する危機感のなさは、もう笑えます。
そして、冒険小説でもあるんですね。
旅をしながら繰り広げられる、ドリトル先生と動物たちの物語が、とても愉快で楽しく、そしてなんといっても、ドリトル先生や動物たちの垣根を越えた温かさに、癒される作品です。
あとがきで、作者であるヒュー・ロフティングさんが、第一次世界大戦で戦線に赴き、傷ついた軍用馬が射殺されるのを見て心を痛めたのがきっかけで、この物語を考えたと知り、そこに作者の動物に対する思いや、助け合う気持ち、命の尊さも含めてこども達に伝えたいんだっていう気持ちが伝わってきて、後から染々と胸に沁み込みました。
そして、こうやって、世界中で、どの年代の人にも現代まで読まれ続けている作品なんだなと、切に思いました。私も出会えて良かったです。
2巻以降も読んでいきたいと思います! -
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ナルニア国物語シリーズ、
2冊目は新訳で読んでみた。
つばさ文庫版の新訳ともすこし違うらしい。
わたしは瀬田さんの訳が大好きだけれど、
新訳の河合さんもよかったです。
きちんと原作の雰囲気を残してくれているし、
解説からも愛が伝わる。
いまの子供たちは新訳と挿絵のほうが手に取りやすいだろうなあ。面白い作品なのでおすすめしていきたい。
個人的にはゲド戦記よりは読みやすさがあるシリーズだと思う。あちら自分との戦いだしな、、。
2冊目は「カスピアン王子」
4兄妹の世界では1年しかたっていないのに
ナルニアでは100年以上経過していた、という。
前作で出てきたあの角笛で
ナルニアに再び呼び戻される。
伏線(と言っていいのか)がまたお見事すぎて感服。
100年後のナルニアと
新しい王子をご堪能あれ。
この調子でシリーズ全部読んでしまいそうだな、、 -
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ドリトル先生シリーズを初めて読んだ。
なるほど、まさしく子ども向けのお話である。
ドリトル先生自体は、優しくて思いやりのある人。だが生活力は低い。ほとんどの問題は周りの動物たちが解決する。しゃべる鸚鵡の賢さ、フクロウの聴力、犬の嗅覚など、動物の特性を生かした活躍が楽しい。
新訳版は読みやすい。pattyのイラストはかわいらしく、今の子どもが読み進む助けになる。特にガブガブとジップが可愛い。まあ、原作のロフティングによる挿絵も味わいがあるのだが。
ストーリー展開は荒唐無稽というか、スケールがでかい。基本的にはトラブルがあり、動物の力により解決、というパターン。
ガブガブ、ダブダブ、ジップなど、動物たちのやり取りがわちゃわちゃしてて和む。
人種差別の話は、100年前のイギリスではそうだったんだな、という感想しかない。 -
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シェイクスピア研究の泰斗、と知っていた。
でも、自分の予備知識なんていい加減。
著者はアメリカ育ちで、所属もアメリカの大学。
そう思って読むと、四章冒頭の暴君の性格は、もしかして有名なあの人に当て書きしたのかと思えてくる。
(謝辞を見ると、その理解でよさそうだ。)
取り上げた作品は、『ヘンリー六世』『リチャード三世』『マクベス』『リア王』『冬物語』『ジュリアス・シーザー』『コリオレイナス』など。
これらの作品群を通して、暴君の特質、背景、そして周囲の人間のありようなどを分析する。
リチャードは、絵にかいたような暴君。
コンプレックスや愛情欠乏を権力で補償しようとする、ある意味わかりやすい悪者。
マクベスには「近代」的男性の悲劇が滲む。
妻から男性性を証明することを迫られ、正統な王殺害に追い込まれ王位を簒奪するが、狂気に陥る。
忠義の臣下や召使、親族は迫害される。
鶏まきは追従するか、沈黙する。
人々は、というと一筋縄ではいかない。
このあたりは古代ローマに材を取った『ジュリアス・シーザー』や、『コリオレイナス』から分析される。
混乱しながらも、民主制を守るためにシーザー殺害を決意するブルータス。
彼の理想主義は仲間のデマゴーグに踏みにじられ、肝心の市民から理解されることはない。
コリオレイナスは英雄軍人で、友人の貴族たちに執政官の候補として担ぎ上げられる。
彼自身は庶民を侮蔑しているが、貴族たちに選挙に勝つために、庶民に迎合せよと薦める。
しかし生来の性格から、その戦略を貫き通せず、結局ローマは内戦状態になる。
人々はコリオレイナスを憎んでいるはずだが、彼がローマを攻めてくると聞くと、彼の評価に「歴史修正主義」を適応しはじめる。
結局彼はローマから離れ、やがて死ぬことになるが、この暴君から民主制を救ったのは、庶民――とはならない。
私利私欲に走る俗物として描かれる護民官が、結果的には民主制を救う、という何とも皮肉な結末。
シェイクスピアの生きた時代の弾圧を思いやる。
けれど、「人民がいなくて、何が街だ?」というシェイクスピアのメッセージは、なかなか自分が作品から読み取ることは難しいとも思う。 -
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『ヘンリー六世』、『リチャード三世』、『マクベス』、『リア王』、『ジュリアス・シーザー』、『コレオレイナス』……。シェイクスピアは作家人生を通じて何度も〈暴君〉の有様を書き続けた。政治批判が直接命に関わるエリザベス一世の統治下で、シェイクスピアは〈暴君〉の政治をどう描いたのか。2020年の今につながる刺激的な一冊。
北村紗衣先生と鴻巣友季子さんがアメリカ大統領選にあわせておすすめしていたので、絶対に間違いないと思い手にとったがやっぱり面白かった。
グリーンブラットがこの本を書いた発端は2016年の大統領選でのトランプの勝利に絶望し、食卓で妻と息子に現代政治とシェイクスピア劇の〈暴君〉との類似性を語ったことにあるという。つまり本書は、女王の専制政治下で当時の劇団がさまざまな逃げ口を用意しながらどう政治劇を上演したかについての本であると共に、トランプの名前をださずに痛烈にトランプを批判する一冊でもある。その二重写しが読んでいて楽しいし、ときに背筋を正される。
元は食卓での会話だったと言うとおり、研究書ではなく世間話の延長のように軽快にシェイクスピアを語るので、エリザベス朝がとても身近に感じられる。時折「シェイクスピアは〜」という主語で明らかに自身の主張を語っている節もあるがそれも愛嬌のうちだろう。
ハッとさせられたのは、シェイクスピア作品のほとんどに種本があるのは、お上からクレームがついたときに「我々の創作じゃないですよ、元ネタに書いてあったんですよ」と言い逃れするためだったという説。他にも専制君主に対して反抗的な台詞は作中の狂人に言わせるなど、劇団はさまざまな逃げ道を用意していたらしい。現代のオリジナリティ至上主義と異なる視点から、社会学的にシェイクスピアを読んでみるのはとても面白そう。エリザベス女王が「リチャードは私だ」と言ったというエピソードも初めて知った。すべてに勘づきながらシェイクスピアとその劇団を泳がせ続けたのだとすれば、やっぱり賢い人ではあったのだろう。
あからさまにトランプ批判のためにシェイクスピアをダシにした一冊ではあるのだが、ちゃんと戯曲も読みたくなるのがグリーンブラットの面目躍如。最終章で扱われている『コリオレイナス』は未読だが、紹介されているあらすじからするに毒母とバイオレンスマザコン野郎の成り上がりと敗北の物語で、三島みたいなので興味が湧いた。コリオレイナスを束縛しておいて最後には棄てる母・ヴォラムニアが元老院議員たちの手でローマ救済のシンボルに持ち上げられるくだりは、直前に読んだ『イメージの歴史』でやったとこ!と進研ゼミ気分だった。
単純に「実はシェイクスピア劇には専制政治批判のメッセージが隠されていた!」などと言えるものではないが、少なくともシェイクスピアとその劇団は演目の解釈可能性を広く保ち、多義的であることによって観客ごとの感想の違いを許し、〈物語の専制君主〉にはならなかったのだと思う。だからこそ、2020年になってもこんなシェイクスピア本がだせるんだもんね。 -
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アブラゼミが姿を消し、ツクツクホウシとヒグラシが夏の終わりを告げる声を聞いて、滑り込むようにこの本を読んだ。日が落ちても暑さが抜けず、生暖かい夜風が肌を撫でる今日のような夜は、この作品の舞台にぴったりだ。
若い男女たちが好きだの嫌いだのとやりあうところに、妖精たちが茶々を入れて一晩中の大騒ぎが始まるというドタバタ物語に、いつしか私も紛れ込み、彼らとともに賑やかな夏の夜の遊びを楽しむと、心なしか私の肌も汗ばんでくる。
この本は、河合祥一郎氏の訳だが、この訳のすごいところは、わかりやすさとユーモアもさることながら、原文の押韻(ライム)をことごとく、日本語に訳しきってしまったところである。さらに、適当に音合わせで訳されているものではなく、実によく考えられた訳になっていて、感嘆の念を抱かずにはおれない。韻を踏むことによって、言葉のコミカルさに加えて、サウンドとしてもテンポが良くなり、読者も観客もグッと劇に吸い込まれてゆく。加えて、これは原文もそうなのだろうが、ファンタジーで話が展開する所は押韻調(英雄詩体)で進み、現実的な展開の所は散文調で進むなど巧妙な工夫がなされているのも面白い。この脚本で上演された『夏の夜の夢』を実際に観てみたくなった。
ところで、この作品の舞台は、注釈によれば5月1日の前夜、つまり4月30日の夜なのだそうだが(だから厳密には「夏の夜」ではなさそうだ)、聞くところによるとイギリスなどでは、夏至の夜には妖精や精霊たちが力を増して現れてくるので、その機にお祭りを催す所もあるらしい。夏の夜の草いきれの中から、様々な妖精がダンスをしながら現れてしばしの夜遊に興じることは、案外、あることなのだろうと思う。
おっと、夜が白々と明けてきたようだ。妖精たちもいつしか帰っていったようだ。そろそろ本を閉じることにしよう。
(2020.8) -
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ネタバレ改めてしっかり読んだことがなかったので手にとった。随所に使われる絵がとてもかわいくて上手い。
ずっとピーターパンは3兄弟のところに現れたのだと思っていたけど、ピーターパンはウェンディのところに来たんだな(弟2人はおまけ)。
ピーターパンは「おかあさん」のお話を聞きにきたという。ネバーランドの迷子たちも母を恋しがり、ウェンディは彼らのおままごとみたいな「おかあさん」になる。ピーターはおとうさん役。
でもどんなにティンカーベルやタイガー・リリー、そしてウェンディが熱視線を注いでも、ピーターパンは恋を理解しない。第二次成長はダメなのか。
この語り部は誰目線なのだろう?先にこれからの展開をバラしたり、ダーリング夫人に行っちゃおうかと考えたり。謎の語り部がこんなに前に出てくるのは珍しいと思う。
戦いのシーンは子供たちが平然と「海賊を殺した」と表現されたのには驚いた。
ウェンディが大人になってから、子供のままのピーターパンに会うシーンは、時の残酷さを感じた。
元々ピーターパンの物忘れがヤバいと思っていたが、フック船長やティンカーベルのことまで忘れていたのはショックだった。
ピーターパンは春の大そうじの時にウェンディや娘のジェイン、そのまた娘のマーガレットとダーリング家の少女の元に現れる。
親目線からは娘達が代々春に行方不明になるのは頭がおかしくなりそうだと思うんだがなぁ。