河合祥一郎のレビュー一覧
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『ヘンリー六世』、『リチャード三世』、『マクベス』、『リア王』、『ジュリアス・シーザー』、『コレオレイナス』……。シェイクスピアは作家人生を通じて何度も〈暴君〉の有様を書き続けた。政治批判が直接命に関わるエリザベス一世の統治下で、シェイクスピアは〈暴君〉の政治をどう描いたのか。2020年の今につながる刺激的な一冊。
北村紗衣先生と鴻巣友季子さんがアメリカ大統領選にあわせておすすめしていたので、絶対に間違いないと思い手にとったがやっぱり面白かった。
グリーンブラットがこの本を書いた発端は2016年の大統領選でのトランプの勝利に絶望し、食卓で妻と息子に現代政治とシェイクスピア劇の〈暴君〉との類似性を語ったことにあるという。つまり本書は、女王の専制政治下で当時の劇団がさまざまな逃げ口を用意しながらどう政治劇を上演したかについての本であると共に、トランプの名前をださずに痛烈にトランプを批判する一冊でもある。その二重写しが読んでいて楽しいし、ときに背筋を正される。
元は食卓での会話だったと言うとおり、研究書ではなく世間話の延長のように軽快にシェイクスピアを語るので、エリザベス朝がとても身近に感じられる。時折「シェイクスピアは〜」という主語で明らかに自身の主張を語っている節もあるがそれも愛嬌のうちだろう。
ハッとさせられたのは、シェイクスピア作品のほとんどに種本があるのは、お上からクレームがついたときに「我々の創作じゃないですよ、元ネタに書いてあったんですよ」と言い逃れするためだったという説。他にも専制君主に対して反抗的な台詞は作中の狂人に言わせるなど、劇団はさまざまな逃げ道を用意していたらしい。現代のオリジナリティ至上主義と異なる視点から、社会学的にシェイクスピアを読んでみるのはとても面白そう。エリザベス女王が「リチャードは私だ」と言ったというエピソードも初めて知った。すべてに勘づきながらシェイクスピアとその劇団を泳がせ続けたのだとすれば、やっぱり賢い人ではあったのだろう。
あからさまにトランプ批判のためにシェイクスピアをダシにした一冊ではあるのだが、ちゃんと戯曲も読みたくなるのがグリーンブラットの面目躍如。最終章で扱われている『コリオレイナス』は未読だが、紹介されているあらすじからするに毒母とバイオレンスマザコン野郎の成り上がりと敗北の物語で、三島みたいなので興味が湧いた。コリオレイナスを束縛しておいて最後には棄てる母・ヴォラムニアが元老院議員たちの手でローマ救済のシンボルに持ち上げられるくだりは、直前に読んだ『イメージの歴史』でやったとこ!と進研ゼミ気分だった。
単純に「実はシェイクスピア劇には専制政治批判のメッセージが隠されていた!」などと言えるものではないが、少なくともシェイクスピアとその劇団は演目の解釈可能性を広く保ち、多義的であることによって観客ごとの感想の違いを許し、〈物語の専制君主〉にはならなかったのだと思う。だからこそ、2020年になってもこんなシェイクスピア本がだせるんだもんね。 -
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アブラゼミが姿を消し、ツクツクホウシとヒグラシが夏の終わりを告げる声を聞いて、滑り込むようにこの本を読んだ。日が落ちても暑さが抜けず、生暖かい夜風が肌を撫でる今日のような夜は、この作品の舞台にぴったりだ。
若い男女たちが好きだの嫌いだのとやりあうところに、妖精たちが茶々を入れて一晩中の大騒ぎが始まるというドタバタ物語に、いつしか私も紛れ込み、彼らとともに賑やかな夏の夜の遊びを楽しむと、心なしか私の肌も汗ばんでくる。
この本は、河合祥一郎氏の訳だが、この訳のすごいところは、わかりやすさとユーモアもさることながら、原文の押韻(ライム)をことごとく、日本語に訳しきってしまったところである。さらに、適当に音合わせで訳されているものではなく、実によく考えられた訳になっていて、感嘆の念を抱かずにはおれない。韻を踏むことによって、言葉のコミカルさに加えて、サウンドとしてもテンポが良くなり、読者も観客もグッと劇に吸い込まれてゆく。加えて、これは原文もそうなのだろうが、ファンタジーで話が展開する所は押韻調(英雄詩体)で進み、現実的な展開の所は散文調で進むなど巧妙な工夫がなされているのも面白い。この脚本で上演された『夏の夜の夢』を実際に観てみたくなった。
ところで、この作品の舞台は、注釈によれば5月1日の前夜、つまり4月30日の夜なのだそうだが(だから厳密には「夏の夜」ではなさそうだ)、聞くところによるとイギリスなどでは、夏至の夜には妖精や精霊たちが力を増して現れてくるので、その機にお祭りを催す所もあるらしい。夏の夜の草いきれの中から、様々な妖精がダンスをしながら現れてしばしの夜遊に興じることは、案外、あることなのだろうと思う。
おっと、夜が白々と明けてきたようだ。妖精たちもいつしか帰っていったようだ。そろそろ本を閉じることにしよう。
(2020.8) -
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ネタバレ改めてしっかり読んだことがなかったので手にとった。随所に使われる絵がとてもかわいくて上手い。
ずっとピーターパンは3兄弟のところに現れたのだと思っていたけど、ピーターパンはウェンディのところに来たんだな(弟2人はおまけ)。
ピーターパンは「おかあさん」のお話を聞きにきたという。ネバーランドの迷子たちも母を恋しがり、ウェンディは彼らのおままごとみたいな「おかあさん」になる。ピーターはおとうさん役。
でもどんなにティンカーベルやタイガー・リリー、そしてウェンディが熱視線を注いでも、ピーターパンは恋を理解しない。第二次成長はダメなのか。
この語り部は誰目線なのだろう?先にこれからの展開をバラしたり、ダーリング夫人に行っちゃおうかと考えたり。謎の語り部がこんなに前に出てくるのは珍しいと思う。
戦いのシーンは子供たちが平然と「海賊を殺した」と表現されたのには驚いた。
ウェンディが大人になってから、子供のままのピーターパンに会うシーンは、時の残酷さを感じた。
元々ピーターパンの物忘れがヤバいと思っていたが、フック船長やティンカーベルのことまで忘れていたのはショックだった。
ピーターパンは春の大そうじの時にウェンディや娘のジェイン、そのまた娘のマーガレットとダーリング家の少女の元に現れる。
親目線からは娘達が代々春に行方不明になるのは頭がおかしくなりそうだと思うんだがなぁ。
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シェイクスピアの喜劇。
恋の甘汁により人間関係がはちゃめちゃになるが、最後はいい塩梅に落ち着き皆が幸せになる。
妖精たちの劇はたしかに訳がわからずアマチュア感が強く感じられたが、楽しそうなギルドの集まりなのかな〜と想像が膨らむ。
グローブ座で劇を見た後に読んだので、登場人物のイメージがしやすかった。
当時は一人二役もよくある話で、そのおかげで劇だけではこんがらがっていた部分が本を読んで解けた。
韻文が80%を占め、神秘的な表現が多く使われるこの作品は文学的だと感じた次第。
わたしはハーミアの恋の捉え方、デミートリアスへの求愛の仕方がとっても正直でかっこいいと思った! -
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前半でシェイクスピアの人物像を、時代背景とともに、生立ちから亡くなるまでを概観。後半は作品を通して、その魅力や哲学、伝えたかったテーマなどを解説。
プライベートに関する資料は、本人が多くを処分したという下りがある。そのため、残っている記録などに推測を補って前半が構成されている。ロンドンで時に猛威を振るう疫病の恐怖、カトリックの弾圧、イギリス王位の交代による派閥の盛衰などが大きな時代背景。抜群の記憶力を駆使して、すらすらと美しい文章を綴ったシェイクスピアの作品は、人の心を強く打つ力を持っている、と締められている。
後半部分から
「場所が自在に変わり、時間を飛び越える」のも観客の想像力次第、これが魅力。
理屈を超えた面白さ、頭で理解するのではなく、感じるもの。
道化的な矛盾、主筋と副筋、二重のアイデンティティを可能にする変装、 暗さに支えられた光の劇。
悲劇の本質はヒューブリス(神々に対する思い上がり、傲慢)にある。
心の目で見る、信じる力、人は常に明日を信じて生きる、「信じる」行為には新たな世界を拓く力がある。
空き時間に少しずつ読んだので、前半と後半を並行して読んでいった。意外にも2〜3年前に出版された新しい本。 -
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「きれいはきたない、きたないはきれい」とか "Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow" の台詞で有名なシェイクスピア四大悲劇のひとつ、『マクベス』の河合先生による訳。日本語も原文と同じように、口に出すと心地よいリズムを刻むように意識して訳されたもの。
10年以上前に「演劇集団円」というところの金田明夫がマクベス役の芝居を観て、魔女たちが「きれいはきたない、きたないはきれい」と歌っている声が今でも耳に残っている。
あらためて読んでみると、色んな人が次々に殺されていく話で、特にマクダフの息子なんか出てきてひとしきり会話したと思ったら暗殺人が登場、「嘘だ。この毛むくじゃらの悪党!」と言ったら「何だ、このひよっ子?謀叛人の雑魚め。」と言われてあっけなく刺されてしまう。「やられたよ、お母さん。逃げて、お願い!」なんて、本当に可哀そう。訳の下についている注を読むのも面白かった。門番のシーン「コミック・リリーフ」というもの(p.48)があることを知った。「エリザベス朝に広く行われていた鷹の調教において、鷹の目蓋を縫い合わせることによって鷹をおとなしくさせるという慣習が広く行われていた」(p.75)って、なにそれって感じだった。「第三の暗殺者」(p.76)についての議論や「当時、帝王切開をした場合、必ず母親は死んだ」(p.147)という話も興味深い。"The night is long that never finds the day."(p.125) という英語も覚えておきたいと思った。『ハムレット』は前に読んだし、『オセロー』は大学の時の授業で読んだので、あと『リア王』を読めば四大悲劇を読んだことになる。ただその前に河合先生の訳で他の作品も読んでみたいなあと思った。(18/04/24) -
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シェイクスピアの生涯を辿る前半はやや退屈だったが、筆者が「シェイクスピア・マジック」と呼ぶその手法を解説する後半からは俄然面白く読めた。
・観客に興奮させたい場面ではわざと時間を速く進める。客観的時間の「クロノス」と主観的時間の「カイロス」を巧みに使い分ける。
・言葉一つで瞬時に場所を移動できる。
・自由自在な場所設定。場所の設定は観客の想像力に任される。
・オクシモロンであるうちは喜劇、悲劇の本質はヒューブリス
シェイクスピアの時代、舞台に幕はなく、狂言と同じ張り出し舞台だった。
プロセニアム(額縁)舞台が主流となった西洋近代演劇では、『三統一の法則』(時の統一・筋の統一・場所の統一)を守る写実性が志向されたが、シェイクスピアの時代は違ったのだ。
シェイクスピアは高校時代に読み漁った。もちろん面白いと思ったからこそ何冊も読んだわけだが、その全てを理解できたわけではないし、違和感を覚えることも少なくなかった。違和感を覚えるとはつまり、マジックにうまくはまれなかったということだが、それも仕方ない。シェイクスピアはお芝居なのだ。舞台で見てこそ真価を発揮する。しかも、三統一に慣れた感覚で読むことに間違いがあった。
ところで、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」
あまりに有名な翻訳だけど、これは罪作りな訳ではないか。自分含め誤解してる人は多いと思う。直球で「やるべきかやらぬべきか、それが問題だ」の方がまだ原文の意図は伝わったのではあるまいか。詩的でないという問題が残るけど。 -
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たいへん有名な児童文学を、21になって初めて読む。「なんだこのとめどない妄想癖は……」とドン引きしていたのだけど、次第にその振り幅の大きさに惹きつけられていったり。この物語で一番可愛いのはマリラおばさんだけどな! おばさんの笑顔が少しずつ増えていくのが嬉しくてしょうがない。
大きくない島の、大きくない村の大きくない学校と家という大きくない世界がこの世のすべてだと思っている、子供の無垢な愚かしさも生き生きと描かれていて、子供或いは子供時代への慈しみを感じる。けれどマリラをはじめとするおばさんたちも魅力的でかわいい。人間愛ってやつなのかな。 -
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ネタバレ「『マクベス』って、結局どんな話だったっけ?」
日本人は意外と知らない。しかし欧米人は、誰もが知っている。
究極の教養──それが、シェイクスピア!
40作品すべてと詩作品について、「あらすじ」「名セリフ」
「作品のポイント」「登場人物関係図」をわかりやすく掲載。
つぎのセリフは、どの作品にあるものかわかりますか?
「最悪だなどと言えるうちは、まだ最悪ではない」
「弱き者よ、なんじの名は女」
「何事にも潮時というものがある」
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」
「まことの愛の道は、けっして平坦ではない」
「まずは、信じる心をもっていただかなければなりません」
「慈悲とは、無理にしぼり出すものではない」
「人生は歩く影法師、哀れな役者だ」
「恋を語るなら、ささやいて」
「絶望して、死ね! 」 -
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子供の頃に岩波書店発行の井伏鱒二訳を読んだことがありましたが、内容を忘れてしまい、新訳があることを知ったので、こちらを読んでみました。
まず、挿絵が可愛くて、びっくりです。手元にある子供の頃に親に買って貰った岩波少年文庫版と比較すると、ドリトル先生の妹のサラや、バンポ王子がもの凄く可愛い絵になってます。
個人的には新訳のイラストが可愛くて気に入ってます。(ポリネシアのパラパラ漫画付き!)
訳自体も分かりやすくなっていて読みやすかったです。ただ、新訳で「ボクコチキミアチ」となっていた動物の訳は、井伏訳の「オシツオサレツ」でも良かったかなぁ、と思います。
また、人種差別問題に関係する表現については、編集部からのメッセージがあり、子供が読むための配慮もなされています。
続きのドリトル先生シリーズ、井伏訳か新訳のどちらで読むか悩んでます。