志賀直哉のレビュー一覧
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どの作品も非常にウイットが効いており、面白い。
これが高校の教科書に載っていた小僧の神様か、、とおもいながら読んだりしていた。
後半の3遍の不倫話、続きものになっていて笑う。
私小説というか、それに加えて旅エッセイのような趣があり、それも含めて好きな感じだった。
自然や景色の色や匂いや手触りなども、無駄な言葉が一切省かれているのに正確に手に取るように分かる。谷崎が評していた、最低限の言葉を並べることで、その奥の人の心持ちまで読者に伝えてくる文体。
美しく歯切れ良く、心地よかった。だが現代人が朗読するとなると、一々つまづいてしまいそうなほどの日本語の高尚な難しさも感じた。 -
Posted by ブクログ
角川とてぬぐい店"かまわぬ"のコラボの和柄ブックカバーシリーズ。
私はてぬぐいコレクターでして家に100枚くらいあるのですが、これと同じ柄も持ってます。
さて。
志賀直哉は授業として習ったものと、「暗夜行路」しか読んだことはありませんでした。
改めて読んでみると実に素晴らしい文章。ただ何ということもない情景が、実直で淀みない言葉で語られる。小説の神様なんて言われるだけある。
『母の死と新しい母』
著者の実体験エッセイ。
妊娠中の実の母が悪阻が酷く寝込みそのまま他界した。
やがて父に後添いの話が来る。実母が亡くなったときに泣き暮らした著者だが、実母の死と新しい母が来るということは、徐々に事実として受け入れていった。
『清兵衛と瓢箪』
瓢箪が好きで小遣いを瓢箪に注ぎ込み暇さえあれば磨いている12歳の清兵衛。
そんな清兵衛と瓢箪との縁が断れて、その熱中を新たに絵を描くことに注ぐまで。
『正義派』
電車に轢き殺された幼い少女。
目撃した工夫は証言を申し出る。だが雇われ人である彼らも強いことはできない。
帰りに事故現場を通った。やりきれない、ああただやりきれない。
『小僧の神様』
秤屋で奉公する仙吉は、番頭たちの寿司話を聞いて自分も食べてみたくてたまらない。
使いの帰りに屋台の寿司屋に入るが、彼のなけなしの銭では一貫分にも足りなかった。
過ごすごと屋台を出るその様子をAという客が見ていた。Aは、この小僧にあまり目立たずに寿司を食べさせてやりたいなあと思うのだった。
『城の崎にて』
怪我の療養で城の崎を訪れた著者。
蜂、鼠、蜥蜴のような小動物の死を目の当たりにする。
普段は小動物を殺すことのあるし気にも止めないのだが、今はなんだか淋しい嫌な気持ちになってしまう。彼ら橋に自分が生きていることを感謝しなければすまないような気持ちだ。「自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのあることは恐ろしいことだ、死後の静寂に親しみを待つにしろ、死に到達するまでにああいう動騒は恐ろしいと思った(P53)」
だから滞在を早めて東京に帰ってきたのだ。
『好人物の夫婦』
秋の夜、夫婦の会話。
夫が気ままに旅行に出るということで浮気を心配する妻。
翌日妻は親族の病床に呼び出されて二ヶ月の留守をする。
家にいた夫は、若い女中の妊娠に気がつく。
妻も気がついたのだろうか、その場合自分が疑われるのだろうか…。
『雨蛙』
文学趣味の賛次郎は、妻のせきと行く予定だった知人の講演会に行けなくなり妻だけを送り出す。
せきは美しく健康的だが、溌剌とした光を持たない自己を持たない女だった。
翌朝宿にせきを迎えに行った賛次郎は、妻は別の宿に他の男女と泊まっていると聞き驚く。
せきに聞くべきか、聞いたら多分正直に答えるだろう。
そして賛次郎は、正直に答えたそのせきを愛おしく思うのだった。
===「暗夜行路」に別の結果を与えてみた、というかんじ。
『焚火』
山小屋での会話。
雪道を歩きながら眠りそうになっていた自分を母が「呼んでいる」と迎えを寄越したという話。
『真鶴』
少年は幼い弟と下駄を買いに来た。だが海兵に憧れる少年は小遣いを海兵帽に使ってしまい、さらに旅芸人の女に惹かれて跡を着いて行く。どうしようもなく兄に手を引かれて歩く弟。
遅くなり家に帰った母を見たときに、弟は本来の幼さを取り戻した。
『山科の記憶』
「Aという女がある。良妻賢母である。しかしこの女の一生でただ一度、はっきりとは意識せぬ恋を感じ、心をときめかしたことがある。それを良人だけがカンジダ、それと相手の男だけが感じた。しかし何事もなく、そういう機会もなく、そのままにそれは葬られた。Aという女も今はそのことを忘れている、Bという女がある、この女にも同じことがあった。しかしBという女はそのことを自ら意識さえしなかった」この場合、Bが妻だった。(P122)
『痴情』
女と分かれるように妻に言われた。
女がいても妻への気持ちは減らないと言っても納得しなかった。
女と別れて、最終の電車で家に帰った。
『些事』
京都まで仕事だといったが、本当は会いたい女がいたんだ。
===夫婦のちょっとした浮気心テーマが続くんだが、志賀直哉夫妻なにかあったのかな。
『堀端の住まい』
著者が山陰松山に住んだ時のことを書いたエッセイのようなもの。
隣の家の雌鳥が猫に殺され、罠にハマったその猫を殺すという出来事について少し考える著者。
『転生』
あるところに気の利かない妻を持つ男があった。男は常に妻への不満を持っていたが、だがそれなりに彼ら夫婦は仲良く二世を誓いあった。次の世では、夫婦仲の良い狐になるか、それとも鴛鴦(おしどり)になるか。やはり鴛鴦になって仲睦まじく暮らそうと誓う。
先に死んだ夫は鴛鴦になり妻を待った。しかし妻は、自分は狐になるべきか、鴛鴦になるべきかを忘れてしまっていたのだった。
===笑っていいの?いいよね(笑)
『プラトニック・ラブ』
私は昔通っていた芸者がいた。旧友にかけたはずの電話に出たのは彼女だったのだ。
今更名乗るわけにもゆかず切ったが、なぜ彼女に電話をかけてしまったのか?この十五年ぶりのプラトニックラブに笑ってしまう。次に彼女と触れ合うのはまた十五年後だろうか。 -
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志賀直哉の周りにはいつもいきものが溢れている。蟋蟀、蝗、蟷螂、蛇、鼠、雀、山鳩、百舌鳥、栗鼠、兎、猫、犬、熊たちをすぐに手懐けてしまう。といっても芸を仕込むわけでもなく、彼の周囲で自由に自然にさせているだけで、決して固執することもなく、去る者は追わず、いや去る生き物は追わずという感じだ。まるで手塚マンガに出てくるみたいな人だ。この本にたくさんの生き物が出てくる。印象的だったのは「堀端の住まい」だった。松江で暮らしていた頃、大家の飼う鶏が猫に殺された。大家は罠をしかけて猫を殺処分する話だ。志賀直哉は、その猫を救うべきがどうか逡巡するが、結局、気づいた時には処分されたあとだったという話。この話を読んだのは二度目だった。なのに僕はてっきり猫を逃してやるだろうという結末を描いていて了っていた。多分、経験されたことをそのまま書かれているんだと思うのだけれど、もしこれが創作だとしたら、やっぱり志賀直哉は小説の神様やなと、脈略は関係なく思った。
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作品紹介・あらすじ
仙吉が奉公する店に、ある日訪れた一人の客。まるで自分の心を見透かすように鮨屋に連れていってくれたこの客の正体に、仙吉は思いをめぐらせ-。少年の心情を鮮やかに切り取った「小僧の神様」をはじめ、白樺派を代表する作家三人の作品を収録。
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わけあって志賀直哉の「小僧の神様」が読みたくて書店に行った。本当は岩波書店から出版されている旧かなづかいの一冊が欲しい、なんて大それたことを思っていたのだけれど、残念ながら書店の検索機に引っ掛からず。たった一冊引っ掛かったのがこの「少年少女日本文学館」シリーズの中の一冊だった。対象年齢がいくつなのか分からないけれど、僕は多分「少年少女」の範疇外だと思うので「どうしようかな」と躊躇したのだけれど、結局購入。「現代かなづかい、現代送りがな」が使用されており、全ての漢字にルビが振られている。また分かりづらいと思われる言葉(例えば「触角」「君子」「カンテラ」)などには図解付きの注釈が付いている。至れり尽くせりの一冊なのだけれど、注釈はちょっと煩わしく感じられた。とは言っても、例えば「行李」「掛け茶屋」「按腹」など僕の知らない言葉にも注釈があり、「なるほどそういうことか」と頭が良くなったようにさせてくれるのだから、始末に悪い。それはそうとして。
収録されているのは志賀直哉の「小僧の神様」「網走まで」「母の死と新しい母」「正義派」「清兵衛と瓢箪」「城の崎にて」「雪の遠足」「焚火」「赤西蠣太」、武者小路実篤の「小学生と狐」「ある彫刻家」、有島武郎の「一房の蒲萄」「小さき者へ」の全13編。作者の名前は勿論、作品名も知っていたものが多いのだけれど、恥ずかしながらどれも読んだことはなかった。今回読んでみて「なるほど」とそれなりの面白さを感じることは出来た。特に志賀直哉の人間の心理状態の移り変わりを巧みに表現している内容にはぐっとくるものがあった。「小僧の神様」のA氏の仙吉や自身の行動に対する微妙な心の揺らぎや、「赤西蠣太」の女
性に対する心理に軽く振り回される様は、自分に置き換えることで読み手である僕も妙にドキドキさせられた。
明治から昭和初期くらいにかけての日本の小説家はあまり読んでこなかったのだけれど、これを機に少しずつ読んでみようかな、と思わせてくれた読書体験だった。