【感想・ネタバレ】日曜日/蜻蛉 生きものと子どもの小品集のレビュー

あらすじ

〝小説の神様〟志賀直哉は、生きものや子どもを好んで書いた。写実に徹した描写が何気ない小さな姿に新鮮な輪郭を与え、世代を問わず親しめる普遍的な名品となって多く生み出された。それらの短篇を集めた『日曜日』『蜻蛉』を合本とし二十四篇を収録。巻末に網野菊「先生と生きもの」を付す。〈解説〉阿部公彦


目次

日曜日
子供の読者に
日曜日
清兵衛とひょうたん
ある朝
菜の花と小娘
クマ
ジイドと水戸黄門
池の縁
子供三題


出来事
小僧の神様
雪の遠足
台風
母の死と新しい母

蜻蛉

蜻蛉
家守
城の崎にて
濠端の住まい
百舌
馬と木賊
虫と鳥

玄人素人

付録
先生と生きもの 網野菊

解 説 阿部公彦

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Posted by ブクログ

志賀直哉の周りにはいつもいきものが溢れている。蟋蟀、蝗、蟷螂、蛇、鼠、雀、山鳩、百舌鳥、栗鼠、兎、猫、犬、熊たちをすぐに手懐けてしまう。といっても芸を仕込むわけでもなく、彼の周囲で自由に自然にさせているだけで、決して固執することもなく、去る者は追わず、いや去る生き物は追わずという感じだ。まるで手塚マンガに出てくるみたいな人だ。この本にたくさんの生き物が出てくる。印象的だったのは「堀端の住まい」だった。松江で暮らしていた頃、大家の飼う鶏が猫に殺された。大家は罠をしかけて猫を殺処分する話だ。志賀直哉は、その猫を救うべきがどうか逡巡するが、結局、気づいた時には処分されたあとだったという話。この話を読んだのは二度目だった。なのに僕はてっきり猫を逃してやるだろうという結末を描いていて了っていた。多分、経験されたことをそのまま書かれているんだと思うのだけれど、もしこれが創作だとしたら、やっぱり志賀直哉は小説の神様やなと、脈略は関係なく思った。

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2025年03月27日

Posted by ブクログ

子どもの頃の出来事を思い出す。
トカゲに向かって石を投げた場面で。
まさか命中するなんて思わなかった。

0
2024年01月31日

Posted by ブクログ

 狭い世界でのことかもしれないが、この数年、中公文庫の文芸系文庫の編集が面白いと言われている。
 小説+関連する作家論とか、特定の括りで一作家の作品を纏めるとか、ちょっと違った切り口のアンソロジーを出すとか。

 志賀直哉と言えば、"小説の神様"。とは言え、実際今どのくらい読まれているのだろうか。自分にしても、主要な短編を高校時代に、『暗夜行路』を大学時代に読んで、ほぼそれっきり。
 今回、生きものと子どもの小品集として、戦後間もなくに刊行された『日曜日』と『蜻蛉』に収められた短編を一冊にまとめて収録した。

 「清兵衛とひょうたん」、「小僧の神様」、「城の崎にて」といった有名なものも収められているが、初めて読むものも多かった。

 1ページ目から順に読んでいったのだが、志賀直哉の文章はこんなに読みやすかったかな、と思い思いしながら、読み進めていく。印象に残ったのは、飼い犬がいなくなり心配しながら探す一所懸命さを描いた「クマ」や「犬」、母の死を淡々と描き、悲しむでもなく新しい母を迎える「母の死と新しい母」。

 ところが、『蜻蛉』になると、生きもの、動物に関する作品たちなのだが、『日曜日』収録作の表現とは雰囲気がだいぶ違って感じられる。家に入り込んだ家守を二度と入らないように、杉箸を使って殺してしまう「家守」。偶然投げた石が当たっていもりが死んでしまう「城の崎にて」、鶏を襲ったため殺されることになった野良猫のことを思う「濠端の住まい」など。
 今は、ペットを除けば、住んでいる周辺に生きものを見ることは少なくなったため、生き物を殺したり、殺すところを見たりすることはほとんどない。しかし、これらの作品が書かれた当時は、生きものは生活にもっと近く、その生も死も直接的だったのだろう。

 それにしても、志賀直哉家では、実にさまざまな生き物を飼っていたのだなあ。

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2022年03月07日

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