志賀直哉さんの作品、腰をすえて読むのは今回が始めてだ。
確か中学か高校のときに国語の試験(塾の模試だったか)で
「城の崎にて」を読んで生き物の儚さというか、
変な気持ちを抱いたような記憶がある。
短編は僕の苦手とするところなんだが、この小僧の神様とその他10篇の中でも
特に印象的だったのが、「清
...続きを読む兵衛と瓢箪」だ。
前にも書いたが、教育の成功とは生徒が自分のやりたいこと、
熱中できるものを見つけることだと僕は思っている。
この清兵衛にとって瓢箪とは彼が熱中できるものだった。
友人と遊ぶことを忘れてまで熱中できるというのはなんという素晴らしいことか。
それを教師によって清兵衛の瓢箪好きを否定され、
彼の持っている大切な何かが失われた。
教育の最大の失敗は先生や両親によって子供の興味、
創造性が破壊されてしまうことだ。
志賀直哉さんの時代からこういう事が行われており、
未だに僕はこういう慣習が似たりよったり残っていると思っている。
21世紀は20世紀の始めに比べ時代や社会のあり方が異なっているのにも関わらず、
教育のあり方というものは当時とほとんど変わっていない。
日本でi phoneやfacebookのような革新的なものが生まれない一つの原因に、
子供の興味や創造性、その他もてる無限大のエネルギーが
幼いときに破壊されてしまっていることではないかと僕は思っている。
ではどうすれば防げるか?
一つは親や教育をする者が子供の可能性を理解してあげることではないか。
子供の持つ無限大の可能性を信じ、暖かくそして忍耐強く見守ってあげること、
子供の興味を示す機会や場所を与えてあげること。
そのためには親や教師が成熟した大人でないといけない。
文中の先生や清兵衛の親は僕から見れば未成熟の大人だ。
瓢箪を取り上げられた清兵衛が次に絵画に夢中になろうとしているのに
また余計な小言が入ろうとしているから、本当に恐ろしい。
What can I do to education?
I do not know what to do but just try whatever I can do!