志賀直哉のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
この短編集は志賀直哉の観察眼、それをそのまま文章化する繊細な言語選択力が遺憾なく発揮されていると感じた
本を開くと全く別の世界に脳内旅行するのはよくあるが、この本は極めてリアルな体験ができる
表題作「小僧の神様」は小僧の純粋な感性を、「正義派」は身を犠牲にして正義を果たしても次第に現実が忍び寄ってくる後味の悪さを、「母の死と新しい母」は死の無情さと新しい母との生活の対比を、見たまましっかり描写している
言うは易し行うは難し、見たまま書くのがどれだけ難しいか…
「城の崎にて」は事故をきっかけに、今まで漠然と考えていた「死」を身近に感じ、それでも生きようともがき続ける苦しみ、そして私は事故で偶然に生き残り、誰かは今偶然に死んでいる、という思考を3つの死に重ね合わせているのが素晴らしかった
高校の授業でも読んだが、その時より味わい深く感じた
「流行感冒」では前半はコロナウイルスでもあるような、異常なほどに気を使う主人と同居人や周囲の人々とのギャップが描写され、共感を覚えた
後半では人の内面の二面性にフォーカスを当て、完全な善人、完全な悪人はおらず、見る角度によってそれは異なり、決めつけてしまう事への愚かさを知らされた
読んでいて心地よく、違和感なく身体に沁みてくる文章
まさに、「目に見えるよう」な文章でした
他の作品も読んでみます! -
Posted by ブクログ
狭い世界でのことかもしれないが、この数年、中公文庫の文芸系文庫の編集が面白いと言われている。
小説+関連する作家論とか、特定の括りで一作家の作品を纏めるとか、ちょっと違った切り口のアンソロジーを出すとか。
志賀直哉と言えば、"小説の神様"。とは言え、実際今どのくらい読まれているのだろうか。自分にしても、主要な短編を高校時代に、『暗夜行路』を大学時代に読んで、ほぼそれっきり。
今回、生きものと子どもの小品集として、戦後間もなくに刊行された『日曜日』と『蜻蛉』に収められた短編を一冊にまとめて収録した。
「清兵衛とひょうたん」、「小僧の神様」、「城の崎にて」といった有名なものも収められているが、初めて読むものも多かった。
1ページ目から順に読んでいったのだが、志賀直哉の文章はこんなに読みやすかったかな、と思い思いしながら、読み進めていく。印象に残ったのは、飼い犬がいなくなり心配しながら探す一所懸命さを描いた「クマ」や「犬」、母の死を淡々と描き、悲しむでもなく新しい母を迎える「母の死と新しい母」。
ところが、『蜻蛉』になると、生きもの、動物に関する作品たちなのだが、『日曜日』収録作の表現とは雰囲気がだいぶ違って感じられる。家に入り込んだ家守を二度と入らないように、杉箸を使って殺してしまう「家守」。偶然投げた石が当たっていもりが死んでしまう「城の崎にて」、鶏を襲ったため殺されることになった野良猫のことを思う「濠端の住まい」など。
今は、ペットを除けば、住んでいる周辺に生きものを見ることは少なくなったため、生き物を殺したり、殺すところを見たりすることはほとんどない。しかし、これらの作品が書かれた当時は、生きものは生活にもっと近く、その生も死も直接的だったのだろう。
それにしても、志賀直哉家では、実にさまざまな生き物を飼っていたのだなあ。 -
Posted by ブクログ
志賀直哉の短編11偏が収録された短編集。
志賀直哉で長編というと、長年かけて完成させた"暗夜行路"くらいしかなく、また、暗夜行路は結構読みにくいため志賀直哉といえば短編というイメージがあります。
無駄の無い簡潔でわかりやすい文体は短編にこそ映えるもので、尚且つ、本作の収録されている作品は名著と呼ばれるものをほぼ抑えてあって志賀直哉を知るには十分な良書だと思います。
・小僧の神様 ...
志賀直哉の代表作。
本作をもじって、志賀直哉は"小説の神様"と呼ばれることがあります。白樺にて発表。
秤屋で奉公をしている小僧の仙吉が、番頭たちの噂で聞いていた立ち食い寿司に憧れる。
彼を偶然見かけた男が、小僧に寿司を奢るが、番頭たちが憧れた立ち食い寿司に連れていった男が神秘の存在に思えられ、小僧には神様であるかのように思われるという、その時代の寓話めいた展開はあまりにも有名ですね。
志賀直哉を象徴するような、流れるような無駄の無い文章で、読み手の印象に深く残る作品です。
・正義派 ...
志賀直哉初期の短編。
5歳ほどの女児が犠牲になった列車事故で、運転手がブレーキを掛け誤った決定的瞬間を目撃した3人の工夫が、熱に浮かされて証言台に立つが、時間が経つにつれ自分たちの行動に不快感を感じるようになる。
正義派を気どった彼らの行動は、女児の母親、鉄道会社、運転手、また彼ら自身の家族にとって良い事なのか。
初期の作品と思えないほど深いテーマ性のある作品でした。
あまり有名では無いですが、名著だと思います。
・赤西蠣太 ...
いわゆる伊達騒動を下敷きにした作品で、本作は映画化、ドラマ化をしています。
志賀直哉にしては少し難し目の内容でした。
ある不器量な密偵と、美しい腰元の恋物語なのですが、下敷きにした伊達騒動に詳しくないためか、密偵のポジションがよく分からなかったです。
ただ、その密偵(赤西蠣太)の複雑な心情描写は見事で、そこは色鮮やかだったように思いました。
・母の死と新しい母 ...
志賀直哉の私小説といえる作品。
幼少期、母を妊娠悪阻により亡くし、新しい母を迎えた、タイトルの通りの体験を綴った内容です。
本作は"正義派"よりさらに前に書かれています。
主人公の心理描写が客観的でありながら克明で、ため息の出る内容でした。
また、志賀直哉は同年父と不仲になり東京を離れますが、そういった経緯を知るにも貴重な作品だと思います。
・清兵衛と瓢箪 ...
"小僧の神様"と並び、志賀直哉の代表的な短編。
清兵衛という瓢箪の大好きな少年から、ものの価値の分からない大人に一方的に瓢箪を取り上げられる。
教訓のあるおとぎ話のようなストーリーです。
志賀直哉はアンデルセンを愛読していた時期があり、影響を受けたのかもしれないなと思いました。
また、父への不満が執筆の同期と語っており、直哉と父の関係が垣間見える一作でもあります。
・范の犯罪 ...
"白樺"掲載の短編小説。
奇術師の范が、ナイフ投げの舞台で妻の頸動脈を傷つけて殺してしまう。
これは故意か過失か、裁判官は周囲や本人の供述から解き明かそうとするが、という展開。
一種のミステリーのような要素があり、同年"清兵衛と瓢箪"を執筆したと思うと、やはり素晴らしく才能のある作家だったんだなと感じました。
この判決は、是非読んで確かめて欲しいです。
・城の崎にて ...
本作も志賀直哉の代表作として有名な一遍。
電車にはねられ重症を負うも入院し助かったが、後療養のため訪れた城崎温泉での出来事を描いた私小説で、日本における私小説の代表的な作品としても有名です。
そこで目にした生き物たちの死と、今運良く生きている自分について思いをめぐらせる内容で、生と死は偶然のいたずらでうっかりそうなるレベルのものであるということを非常の短い短編で納得できる文面になっています。
文体の素晴らしさもそうですが、テーマについても考えさせられる内容です。
・好人物の夫婦 ...
他の作品に比較するとそれほど有名では無いと思います。
タイトルの通り好人物の夫婦がいて、夫はプレイボーイなのですが、ある日妻が実家に帰る必要ができ、その間に女中が妊娠してしまう。
夫を信じていながらも不貞を疑いきれない妻と、気まずい夫のストーリー。
特に深い教訓的なものも感じられず、普通に読んで面白い作品でした。
・流行感冒 ...
第一子を病気で亡くした夫婦が、必要以上に健康に気を使うことになり、流行性の感冒が流行ったことで夫は暴君めいた対応となる。
日本でも流行ったスペイン風邪を下敷きにして書かれた作品で、外出自粛やクラスタ感染防止など、新型コロナ対策に近しい対応を行っているところが興味深いです。
なお、内容は石という女中がメインで、病気は舞台設定程度です。
"スペイン風邪"について書かれた話ではないので、ご注意を。
・焚火 ...
赤城山の宿の主が体験した不思議な話について書かれた作品。
本作もあまり有名ではないですね。
短編ですが、内容も印象に残りづらく、サラッと読める作品だと思います。
・真鶴 ...
伊豆半島の真鶴町の漁師の息子が主人公。
短いストーリーでありながら主人公の心情変化が激しく、読み応えのある作品です。
短く文章に無駄がないということは、一言一句大切にされているということで、本作は一読では理解ができなかったです。
少年が大人になる展開で、心理描写が直接ではないまでも感ぜられる書き方となっています。
-
Posted by ブクログ
ああ『小僧の神様』の、この感覚。
本名を明かさない。店から足が遠のく。気が小さいという。
自分にもあるちょっと後ろめたいような、モヤリとした部分。
「寂しい」と表現に、そういう面もあるのかもと思いが巡る。
最後のわざわざ書き残された作者としての迷いには、文豪とも言われる方ながら近しいものを感じてしまった。
祠で終わらなくてよかった。
そして『真鶴』
幼いと若々しいとの間くらいの心持ち、かな。
町で見かけた大人の女性に、弟の手を引きつつも気持ちをすっと持っていかれる様子が、なんとも甘酸っぱい。
弟君の我慢強さもほほえましかった。
その他、どの作品も情緒があった。時が過ぎたらまた読み返したくなりそうである。 -
Posted by ブクログ
中学?の国語の教科書に載っていた?あやふやな記憶を頼りに読んでみました。
掲題作「城の崎にて」は圧巻でした。わずか8ページの短編ながら、身近な出来事から死への恐怖を連想させられます。
本書は短編集ですが、他の作品も、日常のある部分を切り取り、鮮明なイメージを植え付ける「山椒は小粒でも…」的な作品が多いです。
解説を読むと、この短編を描いた時期は、志賀直哉の私小説的部分と空想小説的部分が曖昧になっているとのこと。その事実を聞いた上で、妻の情事を聞き、がっかりしながらも心の底では興奮を禁じ得ない主人公を描いた「雨蛙」は、ぴりりを飛び越え、若干ぞっとします。
「小僧の神様」は痛快なヒーロー小説?になっており、作者の幅の広さを再確認できます。
空いた時間に読めるので、おススメです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「ところが、どうだろう、この変に寂しい、いやな気持ちは。」
評判通り、文章が非常に綺麗だった。
小僧の神様では、善行の後に残る不快感をみごとに表現している。
赤西蠣太では、ふと芽生えた愛情に揺れる男が描かれている。
清兵衛と瓢箪は、昔読んだ懐かしい作品だった。
范の犯罪では、妻から強く逃げられない男の弱さがうかがえる。
流行感冒では、人間的にできていない”石”が悪くも、良くも活躍する。
清兵衛と瓢箪は、小学校の授業か何かで読んだ作品で、最後の瓢箪を売られる場面を今でも覚えていました。その作品に再び会えたことに驚き、また、よいものを小さいころから読ませられていたんだなと、改めて思いました。 -
Posted by ブクログ
今年5月に初めて城崎温泉に行った。
翌日帰る間際に、1軒ある小さな書店でこれを見つけて購入。
ひさしぶりに角川文庫手にしたかも。
この表紙はとても風情があってかわいい。
こんなに有名な作家さんなのに、
実はこれまで読んだことがなく、
なのであの名作の「暗夜行路」なんかも残念ながら読んだことがなく、
全くもっていい齢してお恥ずかしい限りですが、
きっかけはともあれ、この時代の文学に触れ直すきっかけをもらった1冊。
印象的だったのは「城崎にて」もさることながら、
「母の死と新しい母」
「小僧の神様」
そして「雨蛙」
追記
志賀直哉が城崎を訪れてから、今年がちょうど100周年とのこと。わたしにとってもタイムリー。 -
Posted by ブクログ
わたしはふだん、装丁なんかどーでもいい、本は中身、装丁はいいから安くしてくれ、とか、とんでもないことを思っているが、この本は異様にカバーに惹かれ、なんの脈略もなく志賀直哉。たぶん三十年ぶりくらいの志賀直哉。
いや、でも、おもしろかった。ものすっごく短い短編ばかりだけれど、文章が濃く、なんというか水気のあるというかしっとりしているというか。話もどうとはいうことがないのだけれど印象深い。「小僧の神様」なんてすごく好き。「転生」もおもしろくてキュートで好き。
こういう日本文学もやっぱり読まないと、と思った。
短編より長編が好きなので「暗夜行路」読もうかな。 -
Posted by ブクログ
志賀直哉の代表的な作品を集めた短編集。
『城の崎にて』は1917年、『小僧の神様』は1920年発表。
百年前の作品でありながら、読みやすくて率直に面白かった。
文体が簡潔で無駄がなく、テンポが良い。
状況説明と心情描写が上手いので、ストーリーがすんなり頭に入ってきた。
一番面白かったのは『城の崎にて』だった。
大怪我を負った「私」は、城崎(兵庫県北部の温泉地)に湯治にやってくる。
静かで平穏な生活の中で、立て続けに蜂と鼠の死に出会う。そして、「私」が何気なく投げた石が当たってイモリが死んでしまう。
「私」は、自分が生き物を殺してしまったことを哀しみ、さらに命の儚さを痛感する。
そして、これらの生き物の死を目の当たりにしたことで「生」と「死」が相反する両極端なものではなく、裏表一体、隣り合うものであると悟る。
大怪我から助かった自分も、そこに必然性はなく、やがて静かな死を迎えることを受け入れ、静けさを胸に城崎を去る。
このプロットが簡潔で美しい日本語でまとめられている。
志賀直哉が、日本文学における「小説の神様」と呼ばれる理由がすこし分かった。