原泰久のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ韓との大きな戦いが終わり、韓軍は敗走する。
思ったより早く韓軍との戦いが終わった。いつもこのぐらい早く終わってもらいたいのに……まあ、韓に至っては国が滅びるか否かの決断の方をクローズアップしているので、戦争パートはそうでもないんでしょう。
というわけで韓の中枢はえらいことになっており、確かに寧様以外の方々は保身に走るとかで国民のことを考えていない人ばかり。
しかも国民総動員して子供をも戦場へ、逆らうやつはぶち殺す、お国のために死んだ人を称えましょう、とどっかで聞いたことあるようなことをやるバカちんが現れる。
確かに国が滅びるのはえらいことだけど、限度ってもんがあるでしょ限度ってもんが。
個人 -
Posted by ブクログ
感想
洛亜完の凄さ加減がイマイチよく分からなかった。やはり常在戦場の秦は強かったか。
ヨコヨコが意外と普通のイケおじ。
あらすじ
韓大王は自分が普通の人だとして寧に降伏を決断するように迫る。迫る秦軍に対して、王と寧は開戦ギリギリのタイミングで鐘を鳴らす。
韓は降伏し、洛亜完は気の荒い兵のみ連れて王都を出る。これによって平穏が保たれる。騰は身投げしようとした寧姫を救う。
秦の文官が王都からやってきて、韓の王家を処断しないこと、国民を法の基に平等に扱うことを宣言する。昌平君はそのまま騰軍が趙に攻めることを言うが、騰は六将を辞する。
趙平定に向けてそれぞれの軍が侵攻しようとしていた。王翦は -
Posted by ブクログ
桓騎を失い、士気も戦力も落ち込んだ秦軍が、再び趙に挑む「第二次北部攻略戦」。その開戦の瞬間には、希望と不安が入り混じった“再出発”の空気が漂っていた。敗戦の痛みを抱えながらも、信たちは立ち上がる。桓騎の死を受け止め、それでも前に進もうとする姿に胸が熱くなる。彼らの戦いは、勝利を目指すだけではなく、“もう一度信じる”ための戦いだった。
趙側では、李牧が新たな将・司馬尚を迎え、かつてないほど盤石な布陣を敷く。その構えは恐ろしく冷静で、まるで全ての再戦を見越して準備されていたようだった。李牧の読みと司馬尚の不気味な存在感が合わさり、戦略の厚みがこれまでの戦いとは桁違い。秦軍に立ちはだかるのは、ただ -
Posted by ブクログ
70巻は、戦場だけではなく政の世界、裏の情報戦、そして日常の祝祭が交錯する深く豊かな巻だった。外交や思想が舞台を広げ、信たちの戦いとはまた違った戦いが描かれていく。
韓という国の法家思想を代表する韓非子が秦へ招かれ、李斯や昌平君らとの問答によって、善悪とは何か、人の本質とは何かが深く問われる。信は「命の火、思いの火」を語り、善悪の境を超える熱を見せる。一方、韓非子は秦を「犬のクソ以下」と断じ、明確に挑戦を突きつける。その緊張感は、ただの戦争漫画の範疇を超えて、思想の戦場へと読者を引き込んでいく。
それだけではなく、情報と諜報の駆け引きも見どころだ。姚賈という間者が、秦・趙・楚など複数の国を渡 -
Posted by ブクログ
ネタバレ山の民の戦いは圧巻。
楊端和は勿論、キタリも恰好良いです。
壁が情けないながらも男を見せてくれて良かったです。
一番良かったのは、信と王賁がそれぞれの隊の前に出て話すシーン。
策略というよりは信たちの素直な気持ちが兵士たちの心を打ったのが
読んでいるこちらも素直に感動し心が震えました。
対等な立場から語りかける信も、将軍の息子の立場から語りかける王賁も
それぞれ違いがあって、かつ芯にある熱さは変わらないところがグッと来ます。
自分は泥臭くて気取らない信の言葉がよりストレートに滲みました。
勿論戦略も大事ですが、兵も人です。
士気は戦局面においても非常に重要なもの。
心底尊敬する将のためな -
Posted by ブクログ
『キングダム 66巻』を読んだ。
この巻は、秦軍と趙軍がぶつかる「宜安の戦い」の中でも、特に重みのある展開だった。秦は14万、趙は31万。圧倒的不利の中で、李牧の緻密な策が光る。包囲網を築き、相手の動きをすべて読んだような布陣は、まるで時間までも操っているようだった。戦略だけでなく心理戦としても完成されていて、読みながら息が詰まる。李牧の頭脳の恐ろしさを改めて感じた。
その一方で、信は確実に「将」としての姿を見せていた。
飛信隊や楽華隊が次々と包囲される中、信は冷静に全体を見渡し、どこで動くべきかを判断していく。無茶な突撃ではなく、仲間と連携し、犠牲を背負いながらも生き延びる道を選ぶ。その姿 -
Posted by ブクログ
秦軍は、北部攻略という新しい戦線に向けて歩を進める。連合軍として複数の部隊が集い、北上する。希望の一歩かと思われたが、敵は簡単には道を開かせない。総大将・李牧 は、北辺に強固な守りを築き、長城を固めて秦軍の侵攻を阻む。守備陣や狼孟の部隊、その堅牢さと守備の巧妙さは、まるで鉄壁。思わず息を呑む苦境だった。
中盤、「宜安」を目指しての攻勢は、連合軍にとって転換点となる。北東部軍は狼孟攻勢により大きな打撃を受け、崩れゆく流れが見える。これはただの敗北ではなく、“策にハマった敗北”だった。戦線は揺らぎ、仲間の犠牲が痛みとして刻まれる。連合とはいえ、戦いとは甘くないことを痛感させられる。
その中で、 -
Posted by ブクログ
『キングダム 64巻』を読んだ。
勝利の果実は甘くも、そこには深い影が落ちていた。影丘を抜け、武城・平陽を攻略した秦軍。勝利を得たはずの戦地に漂うのは、静けさと違和感。歓声よりも、刃と血を見つめた者たちの喪失感が強く残る。
特に印象深かったのは、桓騎の“非情な戦法”。捕虜を首級として積み上げるという異様な光景は、ただの戦略ではなく心理戦の極致だった。恐怖を演出し、敵の心を折る。狂気と知略が不可分に混ざり合った桓騎のやり方は、勝利という名の代償を読者にも突きつけた。そこには冷たい合理があって、けれども確かな意志がある。彼が見せた勝ち方は残酷だが、その背後には戦を掌握する計算が見え隠れしていた。 -
Posted by ブクログ
この巻は戦場の熱さと人の信念がぶつかり合う、命を懸けた攻防だった。秦軍八万、趙軍は二十四万。飛信隊には“不可能”とも思われた断崖「影丘」が立ちはだかる。崖を登る歩兵たちは、一歩一歩を血と死の覚悟とともに刻み、崖上に作られた「狩り場」へと進む。落石や矢の雨をものともせず、仲間を足場にし、限界を超えて崖を登り切る姿は、生きる意志そのものだった。
信はこの戦いの中心にいた。崖上に達したとき、味方の別働隊や羌瘣率いる部隊と連携し、崖下からの挟撃が決まる。だが最後の壁は趙軍右翼の将・岳白。剣と体術を組み合わせた技で信を圧倒しようとする相手に対し、信は矛を預け剣に持ち替えて真正面から挑む。岳白の攻撃を受 -
Posted by ブクログ
『キングダム 第62巻』を読んだ。
前巻で描かれた“信義の戦い”が終わり、ここから物語は“現実を生き抜く戦い”へと舵を切る。什虎戦の勝利の余韻を残しつつも、国と国、人と人との関係は少しずつ形を変えていく。同盟が終われば、かつての味方も再び敵となる。それでも、歩みを止める者はいない。この巻は、そんな「勝利の後の静けさ」と「次の嵐の予兆」が同居した一冊だ。
序盤では、蒙武たちの戦後処理と魏との関係整理が描かれ、続いて秦国内の新たな動きが見えてくる。桓騎軍が再び前線に姿を現し、冷酷で計算高い桓騎の存在が、秦の中で異質な光を放つ。「致命的なこと」「任命の儀」では、戦の勝敗以上に、“誰が何を背負うのか -
Posted by ブクログ
『キングダム 第61巻』を読んだ。
この巻は、ただの戦ではない。国と国、そして人と人の「信義」を問う戦いだった。舞台は楚の要衝・什虎。秦と魏が三年の期限で結んだ“仮初の同盟”のもと、蒙武、騰、そして魏の呉鳳明が一斉に攻め込む。一見すれば利害の一致にすぎない共闘――けれど、戦場に立つ者たちの胸には、確かな“義”が灯っていた。自国の利益のために刃を交えながらも、互いの背を預け合う。その一瞬にだけ生まれる信頼のかたち。戦略の緻密さよりも、人の覚悟がものを言う巻だった。
一方で、この巻の核心にあるのは「裏切り」と「誇り」だ。楚の将・満羽と寿胡王は、かつて理想を掲げ、国を興した者たちだった。だがその理 -
Posted by ブクログ
ネタバレ韓の王様はどこか素人くさいところがあり、王様向いてねえんじゃないのかと思うところがあったんだけど、ちゃんと情報収集したりひとりで騒いでた戦争続行派のばかちんを躊躇なくころせと命じたりするところが、やっぱ王様だなと思ってしまった。
国も小さくて、仕方なく情報収集とかで生き延びてて、王族も寧様以外は王子がほぼ人質とか、この前の韓非子がスパイ活動しないとダメなぐらい人手不足な大変な国だったけど、博王谷とかヨコヨコとかラクアカンとか名将が多くてホントもったいない。特に韓を秦に引き渡す障害になる戦争続行派の兵士たちを連れていって自分もあっけなくしんでしまったラクアカン将軍には生きてほしかった。いやホント