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東南アジア本読んでるけど、アンコールワットって有名遺跡があるけど、カンボジアが一番悲惨な国なんだね
アジア経済研究者の川島博之さんの本を立て続けに3冊読んでるが面白い。東南アジアに初めて行ったからこそ分かる。
稲作が人間の行動パターンや気質に影響してくるらしい。だから主食が米の国はなんとなく安心感があるのか。
川島 博之
(かわしま ひろゆき、1953年〈昭和28年〉11月29日 - )は、日本の開発経済学者。工学博士。ビングループ主席経済顧問。元東京大学大学院農学生命科学研究科准教授。専門は農業からみたアジア経済、開発経済学。東京都生まれ。1977年東京水産大学卒業、1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。1984年3月、東京大学工学博士(学位論文「都市河川汚濁回復に関する研究 」)[1]。
東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経てビングループ主席経済顧問、Martial Research and Management社チーフ・エコノミック・アドバイザー。2011年11月には日本政府行政刷新会議ワーキンググループ(提言型政策仕分け)の評価者を務める。
「それにもう一つの要素が加わった。島国であり外敵が攻めてこないことだ。そのため、強い権力が必要なかった。結果として、奇妙に権力が分散した社会ができあがった。 戦国時代が終わった時、権力と富は武士に集中していた。実力で領地を切り取った戦国武将は、いわばオーナー社長である。彼らは、権力と富を独占していた。しかし、それから 100年ほど経過した元禄時代になると、オーナー社長時代とは大きく異なった奇妙なシステムが動き出す。本来、強者であるはずの武士が貧しくなってしまった。貨幣経済の進展とともに豊かになる商人が出てきたのに、年貢に依存していた武士の収入がほとんど変わらなかったためである。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本は、トップに立つ者が豊かではない奇妙な社会を作り上げた。それは世界でも稀な平等な社会と言ってよい。この伝統は、大会社の社長になっても諸外国の社長に比べて著しく給与が低いという伝統になって残っている。外国から招かれて会社の再建に貢献した社長であっても、高い給与をもらうことは許されない。それが不満でインチキをして収入を増やそうと思った社長は、みんなで捕まえてひどい目に遭わせる。これは、現代人の心に今も江戸時代が息づいている証拠である。 社長について言えば、もう一つの伝統も生きている。トップが偉くなくても務まることである。外敵がいなくて協調性が重んじられる社会では、トップはお飾りでよい。そんな日本では、トップを血統で決めるとコンセンサスを得やすい。 それが、日本企業の地位が低下し続けた平成においてもトヨタがそれなりの地位を保ち続けている理由だと思う。血統で決まったトップは、よほどの暗君でない限り重臣が反乱を起こすこともなく社内のライバル同士が妙な争いを起こすこともない。秩序を保ちやすい。それは、トヨタを日産や東芝と比べるとよく分かる。日産や東芝は上層部の内紛で社業が傾いた。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「その結果、東南アジア、特に島嶼部にインドの文明がもたらされた。観光地として有名なインドネシアのバリ島では、今でもヒンドゥー教が強い影響力を持っている。インドネシアの航空会社の名前にもなっているガルーダは、インド神話に登場する神の鳥である。また、イスラム商人も海を渡ってやって来た。その結果、イスラム教がインドネシア、マレーシア、フィリピンのミンダナオ島に伝播した。 ここで不思議に思うのは、インドと共にアジアのもう一つの大国である中国の影響が東南アジアの島嶼部に及んでいないことである。現在、インドネシアやマレーシアには、たくさんの華僑が住んでいる。そのことについては後で触れるが、華僑が東南アジアに住み着いたのは、ここ 100年ほどのことに過ぎない。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「中国は、最近になって一帯一路などと称して、海外に対する影響力を強めようとしているが、歴史を振り返ってみれば中国人は、インド人のように海を渡って他国の人と交流することはなかった。文化や宗教を広めることもなかった。 筆者は、中国が力を入れている「一帯一路」政策は、単なる習近平国家主席の思いつきであり長くは続かないと考えている。それは、中国は大陸国家であり海を越えて外に打って出ることは好まないためである。中国は、太古から優れた文明を築いていたが、それを交易船に乗せてアジアの国々に輸出しようとはしなかった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本と中国の関係を見ても、日本が遣隋使や遣唐使を派遣したから中国文明が日本に伝わったのであり、もし遣隋使や遣唐使を派遣しなかったら、これほどまでに中国文明が日本に伝わることはなかっただろう。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本と中国の関係を見ても、日本が遣隋使や遣唐使を派遣したから中国文明が日本に伝わったのであり、もし遣隋使や遣唐使を派遣しなかったら、これほどまでに中国文明が日本に伝わることはなかっただろう。 今後、不動産バブルが崩壊するなどして経済が停滞すれば、中国は海外への影響力の強化を真っ先にやめるだろう。中国人は、自ら進んで海外と交流する人々ではない。それは、中国に近い東南アジアの島嶼部が中国文明の影響をほとんど受けていないことからも分かる。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「こう書くと差別と非難されるかもしれないが、ベトナムの知識人(ヨーロッパに留学した経験がある)が、ある時、「ベトナムには古典がほとんどない」と話していたので、当のベトナム人が言うくらいだから、それほどの差別発言には当たらないだろう。中国の影響を受けて比較的早期に文字を持ったベトナムでさえそうである。島嶼部には文学がほとんどないと言ってよい。 東南アジアで唯一長い歴史を有するのは、ベトナムである。ベトナム(現在のベトナム北部)は約 1000年前に中国から独立した。中国の影響を受けて比較的早い段階で国家を作っている。 タイとミャンマーにも数百年前に国家と呼べるものが成立している。ただ、どちらの歴史も文献資料が少なく、考古学的な手法に頼らざるを得ない。それは、国家としては原始的な段階に留まっていたことを示している。 近代になるまで東南アジアの歴史は、あまりハッキリしない。例えば、インドネシアのボロブドゥールに遺跡が残っているが、そこで栄えた文明は滅んでしまった。同じことはカンボジアのアンコールワットにも言える。比較的歴史のあるタイでも、現在のタイの領土に近い地域を統治するのはチャクリー朝になってからであり、チャクリー朝が始まったのは 18世紀後半である。 そんな東南アジアであったが、タイを除いた全ての地域は、 19世紀末までに西欧列強の植民地になってしまった。人々にとって植民地時代の記憶は鮮明なようで、東南アジアの歴史は、植民地になった時に始まると言っても過言ではない。第二次世界大戦を契機とした戦後の独立は、タイを除く全ての東南アジアの人々にとって輝かしい歴史になっている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは、東南アジアの中で唯一、中国文明に属している。東南アジアは、中国文明とインド文明が混ざり合った地域であるが、ベトナムはインド文化の影響をほとんど受けていない。そのほぼ全域が中国文明に属していると言ってよいだろう。 ベトナムは、南北に細長い国である。ハノイを中心とした北部は、その歴史の中でずっと中国文明の一員であった。ただし、中部にはチャンパと呼ばれるカンボジアのアンコールワットとよく似た文明を持つ国があった。チャンパはインド文明の影響を強く受けていた。しかし、北部が 15世紀頃から少しずつ中部へ侵攻して、 19世紀初頭のグエン朝になって、その国土は、ほぼ現在のベトナムと同じような形になった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 イギリスは、シンガポールを要塞化して、「東洋のジブラルタル」と豪語していた。シンガポールは、イギリスの東南アジア支配の拠点であった。シンガポールは、マレー半島の先端にある島である。マレー半島とはジョホール水道で隔てられている。マレー半島は熱帯雨林に覆われており、イギリスはマレー側から攻撃されることはないと考えていた。海側から艦砲射撃などによって攻撃されることを想定していた。 シンガポールの海側の守りは固い。そのために日本軍は、マレー側からジョホール水道を越えて攻め込むことを考え、マレー半島のコタバルに上陸した。その上陸の援護には、戦時中に歌や映画で大いに有名になった陸軍の加藤隼戦闘隊が当たっている。隼はフーコック島から出撃しているが、フーコック島はベトナム最南端の領土であり、現在はきれいな海が広がるアジア有数の観光地になっている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 先ほど例に挙げた米内光政の言と重なるが、全力をあげて戦えば恨みが残ることは少ない。全力で戦うとその後の関係は未来志向になる。もちろん、日本でも東京大空襲や広島、長崎に対する原爆投下に対してアメリカを恨む向きもあったが、それよりもアメリカの文化に憧れ、これからはアメリカと仲良くしていきたいと思う気持ちの方が強かった。だから、戦後の日米関係は良好なのだ。 また、先述のように爆撃だけの被害と地上戦の戦場になったのとでは、憎しみの感情に違いがあるように思える。例えば東京大空襲であるが、戦争が終わるとそれは関東大震災などの天災に対するものと同じような感情になってしまったのか、東京都の慰霊施設では東京大空襲の犠牲者は関東大震災の死者と並列して祀られている。どちらも下町で多くの焼死者を出したために、このような慰霊の方式がとられているのだろうか。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本と韓国の間のいわゆる慰安婦問題に関連して、ベトナムと韓国の間にはライダイハンの話がある。ベトナム戦争の際に韓国は、アメリカの要請に従ってベトナムに軍隊を派遣している。その際に韓国軍兵士とベトナム人女性との間にできた子供をライダイハンと呼んでいる。日本では強姦によって作られた子供と言われることもあるが、そのようなケースは稀である。 このことに関して韓国は、政府も民間もほぼ何も言っていない。沈黙を貫いている。韓国政府は謝罪する気はないようだ。日本には慰安婦問題で強く謝罪を求めるが、自分がしでかしたことに対しては沈黙している。 興味深いのは、この問題に対するベトナム人の態度である。ベトナムは、ライダイハン問題に対して謝罪や補償を求めていない。現在はこの問題を知る人も少なくなった。一部の知識人はこの問題を知っているが、今後、問題にするつもりはないという。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「グエン・フー・チョンは、庶民に人気がある。それは、汚職官僚を叩くからである。ベトナムの庶民は、何かにつけてお金を要求する汚職官僚に苦しんできた。また、莫大な財を築いた汚職官僚を憎んでいる。そんなベトナムでは、グエン・フー・チョンは日本の時代劇の水戸黄門のような存在になっている。病身の老人が最後の力を振り絞ってベトナムを綺麗な国に作り変えている。彼の汚職退治は、そんなイメージで捉えられている。 だが、そんなグエン・フー・チョンにも弱みがある。それは、彼がベトナム人から黎朝の昭統帝として見られていることだ。昭統帝の物語は庶民も広く知っている。グエン・フー・チョンは、そのようなイメージが付くことを極力避けようとしている。彼が習近平の 3期目突入を祝すために北京を訪問した際に、中国側は当然のこととして晩餐会を用意した。だが、グエン・フー・チョンは、健康が優れないとして晩餐会を断っている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「タイとミャンマーでは上座部仏教が社会に深く根ざしている。日本は大乗仏教国であり、同じ仏教といってもタイやミャンマーの仏教とは異なる。 タイやミャンマーは小さな部族が入り乱れて住む地域だった。現在の国境線は中近東やアフリカと同じように、 19世紀に列強の意向で決まったと言ってよい。それまで、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアの間の国境ははっきりしていなかった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「商売の上手な華僑はタイの経済界に大きな力を持っている。例えばタイの複合企業グループである C Pグループは、広東省東部の潮州出身の華僑である「謝家」が作り上げたものである。 CPはタイ社会と良好な関係を保っている。一般的に華僑は財力があり「黄色シャツ」の一部を構成していると考えればよいだろう。 現在、バンコクには中華街がある。その中華街は公式には非合法だそうだ。そんなわけで、中華街の入り口に中華門を立てる時には少しもめたという話を聞いたことがある。しかし、 1930年代とは異なり、現在の中国はアジアの超大国である。だから中華街は黙認されている。この辺りも外交が上手なタイならではの振る舞いと言えよう。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 よく知られているように、タイは親日国である。そんなタイに有名な映画がある。それはあの戦争の最中に日本軍の若い将校とタイの美しい女性が愛し合う物語である。『メナムの残照』という題名が付けられている。この映画は大ヒットして、何度もリメイクされている。そんな映画があるくらいだから、タイでは日本の軍人は嫌われていない。 なぜ、タイの人々は日本軍を嫌わないのだろうか。それは、タイが日本に協力して米英に戦いを宣言したからだ。タイは、日本の圧力に逆らえずに日本に協力したなどと言っているが、詳細に検討するならば、タイは帝国主義的な野心から日本に協力した。日本の言いなりではなかった。この事実を知る日本人は少ないように思う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「戦争が終わるとラーマ 8世は学業を終えてスイスより帰国した。そんなラーマ 8世を悲劇が襲った。 1946年6月 9日の朝、王は王宮の寝室で頭から血を流して死んでいた。額から後頭部に銃弾が貫通し、そばに拳銃が落ちていたとされる。事故、自殺などの可能性も考えられたが、最終的には他殺と断定されて侍従ら 5人が逮捕された。後にその中の 3人は死刑に処されている。 この事件には謎が多く、いまだに真相が解明されたとは言えない状況にある。ただ不敬罪のあるタイで、この事件について語ることは今でもタブーである。その真相は分からない。ただ一つ言えることは、米英に戦いを宣言した国王が亡くなったという事実である。 その後、弟がラーマ 9世として王位についた。ラーマ 9世はあの戦争には関係がない。ラーマ 9世は 2016年に 88歳で亡くなった。プミポンと呼ばれて広く国民に敬愛された。彼はタイが今日の隆盛を築く上で大きな役割を果たした。国内を回って民衆を一つにまとめるとともに、積極的に海外を訪問してタイと国際社会を結ぶ役割を果たした。 だが、もしラーマ 8世だったら、国際社会は彼をすんなり受け入れただろうか。昭和天皇がそうであったように、外国を訪問する度にいろいろな議論が持ち上がることになったのかもしれない。 微笑みの国はなかなか怖い。マキャベリではないが、政治・外交とはそのような冷徹さを含むものなのだろう。「タイは微笑みの国」で「親日国」、そんな思い込みだけでタイ人とお付き合いしていると、ひどい目に遭わされるかもしれない。日本人はタイから学ぶことが多いと思う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「大航海時代になって、西欧人が東南アジアに来るまで、マレー半島では海岸部に小さな国家(集落に毛の生えたようなもの)が点在していたに過ぎなかった。そんな伝統を反映して、実はマレーシアは現在も王国、正確に言えば連合王国である。 九つの州にそれぞれの王様がおり、マレーシア全体の王様は任期 5年制で各州の王様が持ち回りで務めている。このことからも分かるように、王様は儀礼的、象徴的な存在であり、政治権力は持っていない。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「対立が沈静化した真の理由を知ることは難しいが、マレーシアでは人口の 2割しかいない華僑が譲歩しているためと考えられる。華僑は宗教や民族感情よりも商売を優先しているようだ。事実、その後、マハティール首相によって、露骨なマレー人優遇政策(ブミプトラ政策)が行われることになったが、不満はあるものの華僑はその政策を受け入れている。一方、シンガポールは華僑の人口が圧倒的に多いために、マレー系が抑え込まれている。 日本では商売を優先する中国人の生き方を嫌う傾向が強いが、民族的感情を抑えて商売を優先させようと思うことは、必ずしも悪いことではない。グローバル化する世界で、民族の誇りを高く掲げることは、他の民族との間で深刻な対立を招きやすいからだ。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「まず、日本人にとって嬉しいインドネシアの話からしよう。インドネシアのボロブドゥール遺跡はアンコールワットと同様に、 19世紀になって西洋人によって発見されるまで密林の中に眠っていた。このことからも分かるように、インドネシアには継続した歴史が存在しない。そんな国に香辛料欲しさでオランダ人がやって来て、イギリスと争った後に、イギリス人を追い出してオランダの植民地にしてしまった。 1602年にオランダ東インド会社が設立されて本格化したオランダのインドネシア支配は過酷だったようだ。オランダはイギリスやフランスのように多くの植民地を持たなかった。目ぼしい植民地はインドネシアだけである。だから、インドネシアから搾り取れるだけ搾ろうとしたのだろう。独立運動に対しても過酷に取り締まった。 そんな経緯があったためか、インドネシア人は今でもオランダを嫌っている。そのために、インドネシアからオランダに留学する人は少ない。それはミャンマーやインドからイギリスに留学する人が多いこととは対照的である。ちなみにミャンマーのアウンサンスーチーもケンブリッジ大学に学んでいる。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「そんな記憶があるため、今でもインドネシアは親日国である。日本軍によって牢獄から解放された初代大統領スカルノは大の日本びいきであり、彼の第三夫人(イスラム教では妻は 4人まで持てる)は日本人である。彼女は今でもデヴィ夫人という名前で、日本で活躍している。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「その一方、フィリピンで日本人のイメージは悪い。フィリピンは貧富の格差が大きく、庶民は政治家と商人が組んで行う汚職に腹を立てている。そんな彼らをヒーローが凝らしめる映画がヒットする。悪代官と越後屋が最後の場面で必殺仕置人に斬られるテレビ・ドラマのフィリピン版である。 そんな映画で、日本人は悪徳商人の仲間として描かれることが多いという。最後に、ヒーローに追われてフィリピンの政治家や悪徳商人と一緒に逃げ出す日本人商社マンを見て、庶民は喝采を叫ぶのだそうだ。 フィリピンの日本に対する庶民感情はタイやインドネシアとは 180度異なっている。それは、あの戦争が作り上げたものに他ならない。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ある国について知りたい時に、その人口構成を見ることはとても重要な手がかりになる。例えば、若者が多い国は活気に溢れる。しかしその反面、政治は安定しない。反対に老人が多い国は、日本がそうであるように、政治は安定するが活気がなくなる。人口はある国のあり方を考える上で極めて雄弁なデータである。まず、そこから解説したい。 図 4に 1950年から 2050年までの東南アジアの人口を示した。参考のために図 5に東南アジア諸国の旧宗主国に当たるイギリス、フランス、オランダの人口を同じスケールで示す。両図を見比べてほしい。その違いに驚くだろう。東南アジア諸国は急速に増加しているが、旧宗主国はほぼ横ばいだ。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは中国の一人っ子政策の真似をして、二人っ子政策を推し進めてきた。中国の一人っ子政策ほど強い罰則はないが、公務員などは子供を 3人作ると左遷されたり昇進が止まったりする。中国と同様に人口爆発を恐れての措置だったのだが、 TFRがあまりに急速に低下したために、現在、その政策は見直されている。 だが、二人っ子政策を見直したからといって、ベトナムの人々が子供を 3人作るようになるとは思えない。中国は一人っ子政策をやめたが、出生率が上昇することはなかった。このようなことを考えると、今後、ベトナムの TFRが国連の予測のように 2前後で推移するとは考えにくい。経済が順調に発展すれば、 TFRが低下してなかなか上昇しないタイや日本と同じようになる可能性が高い。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「欧米の農業は酪農や有畜農業であり、農村地帯の人口は希薄である。そのために経済発展が始まっても、コメを作っているアジアほど都市に急激に人口が流入することはなかった。欧米の都市はアジアの都市ほど急速に膨張しない。 理由の一つは、欧米人が田舎に住むことを好むからだろう。投資家で世界有数のお金持ちとされるアメリカのウォーレン・バフェット氏は、今も生まれ故郷のネブラスカ州オマハに住む。金融の中心であるニューヨークや政治の中心であるワシントン DCには移り住まない。 ロンドンは大きな都市だが、大陸のパリ、フランクフルト、ベルリン、ミュンヘン、ウィーンなどはそれほど大きな都市ではない。現在、世界で最も大きな都市は東京である。その人口は周辺を含めて約 3000万人。北京、上海、ソウル、ジャカルタも大都市になった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「それに対して、人間関係が濃密なアジアでは、約束をいちいち紙に書く必要はない。約束を守らない人間は村にいられなくなるためである。そんな精神風土のアジアでは、人々が都市に密集して住むことを好む。 会社組織で考えてみても、日本では職場の飲み会が多い。一方、欧米では職場の仲間との飲み会はほとんどない。その対比はよく知られているが、ベトナムの会社の顧問になると、ベトナム社会のあり方が日本によく似ていることに気がつく。ベトナムでは一族や同郷の人々、そして昔からの友人とのつながりが大切である。だから何かあるごとに集まって飲み会を行う。他の東南アジア諸国も同様の気質と考えて大きな間違いにはならない。コメを作る地域の気質は日本人によく似ている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「カンボジアにはベトナム系の住民が多く住んでいる。ベトナム系住民は中国文明の影響を受けているためか経済に明るく、カンボジア経済の実権を握っていた。そんなベトナム系の人々に対して、カンボジアの人々は複雑な感情を抱いていた。このような背景があるために、ポル・ポト派が支配していた時代にベトナム系住民は虐殺の格好のターゲットになった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ある国を理解する上では、その国の歴史を理解することが極めて重要になる。日本人の行動パターンは、諸外国から見ると奇妙に思われることが多いが、奇妙な行動をとる原因は、近世に江戸時代( 1603〜 1867年)という 265年間にわたる奇跡とも言える平和な時代が続いたためである。その江戸時代に日本人の行動パターンの原型が作られた 1)。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本は、トップに立つ者が豊かではない奇妙な社会を作り上げた。それは世界でも稀な平等な社会と言ってよい。この伝統は、大会社の社長になっても諸外国の社長に比べて著しく給与が低いという伝統になって残っている。外国から招かれて会社の再建に貢献した社長であっても、高い給与をもらうことは許されない。それが不満でインチキをして収入を増やそうと思った社長は、みんなで捕まえてひどい目に遭わせる。これは、現代人の心に今も江戸時代が息づいている証拠である。 社長について言えば、もう一つの伝統も生きている。トップが偉くなくても務まることである。外敵がいなくて協調性が重んじられる社会では、トップはお飾りでよい。そんな日本では、トップを血統で決めるとコンセンサスを得やすい。 それが、日本企業の地位が低下し続けた平成においてもトヨタがそれなりの地位を保ち続けている理由だと思う。血統で決まったトップは、よほどの暗君でない限り重臣が反乱を起こすこともなく社内のライバル同士が妙な争いを起こすこともない。秩序を保ちやすい。それは、トヨタを日産や東芝と比べるとよく分かる。日産や東芝は上層部の内紛で社業が傾いた。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 そうは言っても、大陸部の歴史も中国や日本の歴史に比べれば短いものだ。どこから歴史が始まるかを定義することは難しいが、日本は少なくとも 1500年ほどの歴史を持っている。今から 1500年ほど前になると文字で書かれた歴史が始まる。それ以前は考古学の対象である。同じように考えると中国大陸には、約 3000年の歴史がある。それに対して、東南アジアの歴史は大陸部でもせいぜい数百年に留まる。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「東南アジアで唯一長い歴史を有するのは、ベトナムである。ベトナム(現在のベトナム北部)は約 1000年前に中国から独立した。中国の影響を受けて比較的早い段階で国家を作っている。 タイとミャンマーにも数百年前に国家と呼べるものが成立している。ただ、どちらの歴史も文献資料が少なく、考古学的な手法に頼らざるを得ない。それは、国家としては原始的な段階に留まっていたことを示している。 近代になるまで東南アジアの歴史は、あまりハッキリしない。例えば、インドネシアのボロブドゥールに遺跡が残っているが、そこで栄えた文明は滅んでしまった。同じことはカンボジアのアンコールワットにも言える。比較的歴史のあるタイでも、現在のタイの領土に近い地域を統治するのはチャクリー朝になってからであり、チャクリー朝が始まったのは 18世紀後半である。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「そんな東南アジアであったが、タイを除いた全ての地域は、 19世紀末までに西欧列強の植民地になってしまった。人々にとって植民地時代の記憶は鮮明なようで、東南アジアの歴史は、植民地になった時に始まると言っても過言ではない。第二次世界大戦を契機とした戦後の独立は、タイを除く全ての東南アジアの人々にとって輝かしい歴史になっている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは、東南アジアの中で唯一、中国文明に属している。東南アジアは、中国文明とインド文明が混ざり合った地域であるが、ベトナムはインド文化の影響をほとんど受けていない。そのほぼ全域が中国文明に属していると言ってよいだろう。 ベトナムは、南北に細長い国である。ハノイを中心とした北部は、その歴史の中でずっと中国文明の一員であった。ただし、中部にはチャンパと呼ばれるカンボジアのアンコールワットとよく似た文明を持つ国があった。チャンパはインド文明の影響を強く受けていた。しかし、北部が 15世紀頃から少しずつ中部へ侵攻して、 19世紀初頭のグエン朝になって、その国土は、ほぼ現在のベトナムと同じような形になった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「よくベトナム人は、東南アジアの中では勤勉だと言われるが、その文化が中国の影響を強く受けているためと考えられる 3)。言っては悪いが、東南アジアの〝おサボり文化〟(熱帯で暑いので、そのような文化になったのだと思うが)とは少々異なっている。ただ、それでもベトナムは熱帯から亜熱帯に位置しているので、日本などに比べればおサボリ文化ではあるのだが……。 もう一つ付け加えることがある。それは、ベトナムは中国文明の一員でありながら、中国が大嫌いなことである。これは、ベトナムの歴史を反映している。この事実は、日本ではほとんど知られていないと思う。第一の理由は、ベトナム人が「私は中国が大嫌いです!」と大声で言わないことにある。そして多くの日本人、とりわけ中高年にベトナム戦争の記憶が残っているためだ。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは、現在でも社会主義国であるから、多くの日本人は、ベトナムを中国の友好国と思ってしまう。しかし、これから書くような理由で、ベトナム人は中国を恐れると共に強く憎むようになった。ベトナム人のアイデンティティは、中国に対する恐怖と敵愾心から成り立っていると言ってもよい。 一方の中国は大きな国であるため、多くの中国人は隣国でありながらベトナムのことをよく知らない。一般の中国人は、東南アジアを南蛮として軽く見る傾向があり、ベトナムもそんな国の一つだと考えている。ただ、政府首脳や東南アジア外交を担当する部門は、タイ、ラオス、カンボジアに比べてベトナムを扱いにくい国と考えている。それは、歴史が証明している。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「これは日本人の自尊心を大いにくすぐったが、より大きな目で見れば、日本はやはり中国文明の一員だと思う。中国文明の影響なしに日本を語ることはできない。日本人が作り出した文字である「ひらがなやカタカナ」も中国から伝来した漢字をアレンジしたものである。日本の思想は、中国から輸入した儒教や仏教の影響を強く受けた。 朝鮮半島とベトナムも漢字を輸入している。そして日本と同様に漢字をそのまま使うのではなく、その言語に適するようにアレンジを試みた。朝鮮半島は、漢字とは全く別体系のハングルを考案して漢字と混ぜて使った。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 宗教についても、日本とベトナムは中国文明圏である。中国は、インドから大乗仏教を輸入した。それは 1世紀頃と推定されている。中国の仏教は、唐に入って大いに栄えた。日本文化に大きな影響を与えた禅も、唐時代に中国が生み出したものである。現在、インドから中国を通じてもたらされた大乗仏教は、朝鮮半島、ベトナム、そして日本に根付いている。宗教を考える時、朝鮮半島、ベトナム、そして日本は兄弟と言ってよい。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ところで、ベトナムでは一般に女性の地位が高い。古代では反乱の主役も女性だった。現在は中国文明の影響で、政治の世界では女性がトップになることを嫌うが、それでも女性は強く、政府諸機関において部長や課長が女性で男性が平社員などというケースにしばしば遭遇する。トップが女性の民間会社も多い。 ベトナムの女性は、職場でも家庭でも働き者である。妻の収入が夫を上回るケースも多い。男は酒飲みが多い。ベトナムのビールの一人当たり消費量はアジアのトップクラスであり、どの男性も口を揃えて「妻には頭が上がらない」と言う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは、中国から科挙の制度を取り入れていたために学問のある人物がいた。レ・ロイとグエン・チャイは、名コンビである。グエン・チャイは、今でもベトナムの人々の敬愛を集めている。 付言すれば、科挙の伝統のあるベトナム人は、勉強が好きであり、こういう点はラテン的であるフィリピンとはだいぶ違う気がする。また、ベトナム人は先生を大切にするが(休日ではないが祭日として「先生の日」がある。先生に花やプレゼントなどを贈る習慣がある)、そこにはグエン・チャイの物語も力になっていると思う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 民衆はフランスに反感を持ち、ベトナムでは戦前から独立運動が盛んだった。しかし、いくら抵抗しても西欧文明の中心とも言える強大なフランスに勝つことはできない。そんな時代、アジアに希望の星が現れた。日本である。 ベトナムの歴史に日本が絡むのはここからである。ベトナム中部の街ホイアンには、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて日本人町があった。だが、それは昔話であり、現在のベトナムと日本の関係を考える際には関係ない。「アジア人は西洋人にかなわない」と多くの人が思っていた時代に、日本はロシアと戦争して勝った。それは、アジアの人々を大いに勇気づけた。ベトナム人は、そんな日本に学びたいと考えた。東遊運動である。最初は、日本に武器を援助してくれるように頼んだのだが、日本は武力闘争を助けることはしなかった。これは正しい判断だろう。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
東南アジア本読んでるけど、アンコールワットって有名遺跡があるけど、カンボジアが一番悲惨な国なんだね
「ベトナムは、アメリカを恨んではいない。フランスへの思いは複雑だが、今更文句を言うことはないという心境のようだ。それは結局、ベトナムがフランスとアメリカに勝ったためである。 フランスとの独立戦争は、ディエンビエンフーの戦いという伝説を生んだ。あの戦争で日本が降伏すると、フランスはベトナムに帰ってきた。再び植民地としてベトナムを支配しようとした。それに対してベトナム人は、徹底的に抵抗した。近代兵器を持つフランス軍に対してベトナム軍は、ゲリラ戦で対抗した。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ただ、激しい地上戦が戦われた沖縄だけは、米軍や戦争に対して、本土の人々とは異なった感情を持つようになった。米軍の基地が沖縄に多く押し付けられているために、沖縄の人々に反米感情が強いと考えられているが、その根底には地上戦が行われ、それを直接体験したことがあると思う。 ベトナム戦争では南ベトナムで地上戦が戦われた。だが、その状況は沖縄の経験とも異なる。南ベトナムにおいて米軍は北ベトナムの援助を受けたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)と戦ったのであり、南ベトナムの正規軍は米軍と共にベトコンと戦っている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「東南アジアの大陸部には、少数民族が多く住む。そんなわけでどの国も政府は、少数民族との付き合いに苦労している。東南アジアの大陸部にはベトナム、タイ、ミャンマーの 3国の大国があるが、その中で少数民族との摩擦がほとんど問題になっていないのは、ベトナムだけである。 ベトナムでは、全人口の 86%をキン族が占める。つまり全人口の 14%もの少数民族がいるが、現在のところキン族と少数民族との間に深刻な対立は生まれていない。その理由の一つは、多くの少数民族が中国やラオス国境の山岳地帯に住んでおり、キン族との接触が少ないためだろう。 ベトナム政府は、少数民族の村に学校を造るなど、それなりに宥和政策に努めている。このような政策を採用する原因を大乗仏教に求めれば言い過ぎになるのだろうが、ベトナム人は少数民族に対してあまり偏見を持っていないように見える。日本と同様にその多くが大乗仏教徒であり、宗教に対していい加減なところが、少数民族問題を深刻化させないのかもしれない(少数民族は独自の宗教を持つ場合もあるからだ)。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「タイは、南部のマレーシア国境付近に住むイスラム系の人々との深刻な問題を抱えている。タイは仏教徒が人口の 93・ 5%を占め、イスラム教徒は 5・ 4%である。だが、彼らは独立を求めてバンコクで爆弾事件を起こすなど対立が続いている。タイ政府が強硬な姿勢を崩さないことも問題を深刻化させている。この問題は、宗教が絡むだけに容易に解決されない。 だが、ミャンマーの少数民族問題は、もっと複雑で深刻である。それは、ミャンマーには多くの少数民族がいるからだ。ミャンマーにはビルマ、カレン、カチン、モン、シャン、チン、ラカイン、カヤーの八つの民族がいる。各民族はそれぞれいくつかの部族に分かれており、その総数は国籍法で 135と定められている。そのうち、ビルマ族が人口の約 7割を占め、残り約 3割を少数民族が占める。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「敬虔な上座部仏教徒である彼らと接していると、同じ仏教徒といっても信仰においていい加減な生活を送っている日本人は、心が洗われるような思いがする。先に敗残兵になった日本兵にお粥を差し出したエピソードを紹介したが、人生において忘れていた大切な何かを思い出させてもらったような気になる。そんなことからミャンマーに関わった日本人の多くが、ミャンマーが大好きになる。ミャンマーにメロメロ、略して「ミャンメロ」などという言葉もあるくらいだ。 ミャンマー人との私的な交流は、それでいいと思う。しかし、外交やビジネスになると、「親日国だから大丈夫」とはいかない。それは、ミャンマーの国内が安定していないからに他ならない。日本人は竹山道雄の名作『ビルマの竪琴』の影響か、ミャンマーを好きな人が多いように思うが、実際のミャンマーは小説の中の世界ではない。中国の影響が極めて強く、かつ複雑な利害が絡まっている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「筆者は、過去約 30年にわたり農業分野からアジアを見てきた。ミャンマーの農村に入って農民の生活を直に見たこともある。少数民族が住む農村地帯も訪ねた。タイの農村に非合法で出稼ぎに行っているシャン族の人々に会ったこともある。彼らは、我々と直接話すことを拒んだが、その身なりや態度、また、タイでの雇用条件から、彼らの置かれた状況を理解することができた。タイの農家は、国境を越えて働きに来るシャン族を安い賃金で使っている。密航者であるために彼らの立場は弱い。 そんな姿を見てきたために、ミャンマーの大半を占める農村地帯や少数民族が住む地域では、政治が機能していないことをよく知っていた。中央の意向は農民や少数民族には及んでいない。そんな状態で選挙によって民主的な政府が作られても、農民や周辺の少数民族を巻き込んだ政府を作ることは不可能である。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「タイは外交が上手である。東南アジアにおいて唯一植民地にならなかった。個人のレベルでもタイの人々は外交がうまいと思う。「微笑みの国タイ」とは、よく観光ガイドブックに見られる文言である。タイ人は外国人に微笑みを見せてくれるが、心から微笑んでいるわけではなさそうだ。その心の中は他の国の人々と変わらないと思う。微笑んでおいた方がうまくいくと思って微笑んでいるのだろう。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「アンコールワットが長らく忘れ去られていたように、タイの王朝もカンボジアの王朝もその支配する範囲が限られており、多くの地域では国境はあってないような状態だった。そんなカンボジアとタイの間にフランスが線を引いただけのことであろう。 同様のことはラオスにも言えよう。ラオスは山国であり、長らく国とは言えないような小国(集落)が山によって分断されたような状態にあった。ルアンプラバンにあった国は比較的有名である。その他にも二つ有力な国があったとされるが、そのいずれもタイの支配下にあったという。しかし、当時の交通事情を考えると、山国の支配は弱いものだったと思う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 タイには土着と言ってよいタイの人もいる。彼らの多くは北部や東北部の農村地帯に住み、肌の色は浅黒い。デモを行う場合のシンボルカラーは赤であり、「赤シャツ」と呼ばれる。 近年のタクシン元首相を巡るタイの政治的な対立は、「黄色シャツ」と「赤シャツ」の争いである。タイでは「黄色シャツ」が政治と経済の実権を握り、「赤シャツ」は人数が多いものの被支配民の地位に甘んじていた。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「そんな仏教を批判して紀元 1世紀前後に出現したのが大乗仏教である。大乗仏教は、自分だけが悟りを開くとした仏教を小乗仏教と非難した。小乗とは小さな乗り物のことであり、これは漢訳された言葉だが、中国では「小」は悪い意味を含んでいる。 大乗仏教は広く衆生を救うことを目的としている。小乗仏教を批判していた大乗仏教が 4世紀頃に中国に伝わり、それが漢訳されたテキストとともに朝鮮半島、ベトナム、日本にもたらされた。その後、中国と朝鮮半島では儒教が強くなり仏教の影響力は弱まってしまったが、日本とベトナムでは大乗仏教は現在でもそれなりの影響力を有している。 我々日本人の心には知らず知らずのうちに大乗的な考えが浸透している。そんな日本人は、全ての人は仏様の前で平等と考える。そんな風土があるために、レストランの給仕が失敗した時に、あからさまに怒ることは控える。 しかし、タイのエリート層は、自分はしっかり修行したエリートであるとの感覚がどこかに存在するようだ。事実、タイでは男性は生涯に一度は仏門に入り修行を積む。女性は仏門に入ることを許されない。そんな背景があるためか、タイのエリート層は一般にエリート然とした態度をとり、庶民との違いを明確に表す。それが一層、庶民の反発を招いているようにも見える。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「中国人を王様の側室にしたくらいだから、タイにはたくさんの華僑が住んでいた。しかし、タイの人々はそのことを面白く思ってはいなかったようだ。東南アジアの中でタイはベトナムと共に古くからの歴史を誇る国である。その文化はインドの影響を強く受けている。敬虔な仏教徒が多い。そんなタイ人は世俗的な華僑がタイを跋扈することが許せなかったようだ。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著