川島博之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
267P
東南アジア本読んでるけど、アンコールワットって有名遺跡があるけど、カンボジアが一番悲惨な国なんだね
アジア経済研究者の川島博之さんの本を立て続けに3冊読んでるが面白い。東南アジアに初めて行ったからこそ分かる。
稲作が人間の行動パターンや気質に影響してくるらしい。だから主食が米の国はなんとなく安心感があるのか。
川島 博之
(かわしま ひろゆき、1953年〈昭和28年〉11月29日 - )は、日本の開発経済学者。工学博士。ビングループ主席経済顧問。元東京大学大学院農学生命科学研究科准教授。専門は農業からみたアジア経済、開発経済学。東京都生まれ。1977年東京水産大学卒業、1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。1984年3月、東京大学工学博士(学位論文「都市河川汚濁回復に関する研究 」)[1]。
東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経てビングループ主席経済顧問、Martial Research and Management社チーフ・エコノミック・アドバイザー。2011年11月には日本政府行政刷新会議ワーキンググループ(提言型政策仕分け)の評価者を務める。
「それにもう一つの要素が加わった。島国であり外敵が攻めてこないことだ。そのため、強い権力が必要なかった。結果として、奇妙に権力が分散した社会ができあがった。 戦国時代が終わった時、権力と富は武士に集中していた。実力で領地を切り取った戦国武将は、いわばオーナー社長である。彼らは、権力と富を独占していた。しかし、それから 100年ほど経過した元禄時代になると、オーナー社長時代とは大きく異なった奇妙なシステムが動き出す。本来、強者であるはずの武士が貧しくなってしまった。貨幣経済の進展とともに豊かになる商人が出てきたのに、年貢に依存していた武士の収入がほとんど変わらなかったためである。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本は、トップに立つ者が豊かではない奇妙な社会を作り上げた。それは世界でも稀な平等な社会と言ってよい。この伝統は、大会社の社長になっても諸外国の社長に比べて著しく給与が低いという伝統になって残っている。外国から招かれて会社の再建に貢献した社長であっても、高い給与をもらうことは許されない。それが不満でインチキをして収入を増やそうと思った社長は、みんなで捕まえてひどい目に遭わせる。これは、現代人の心に今も江戸時代が息づいている証拠である。 社長について言えば、もう一つの伝統も生きている。トップが偉くなくても務まることである。外敵がいなくて協調性が重んじられる社会では、トップはお飾りでよい。そんな日本では、トップを血統で決めるとコンセンサスを得やすい。 それが、日本企業の地位が低下し続けた平成においてもトヨタがそれなりの地位を保ち続けている理由だと思う。血統で決まったトップは、よほどの暗君でない限り重臣が反乱を起こすこともなく社内のライバル同士が妙な争いを起こすこともない。秩序を保ちやすい。それは、トヨタを日産や東芝と比べるとよく分かる。日産や東芝は上層部の内紛で社業が傾いた。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「その結果、東南アジア、特に島嶼部にインドの文明がもたらされた。観光地として有名なインドネシアのバリ島では、今でもヒンドゥー教が強い影響力を持っている。インドネシアの航空会社の名前にもなっているガルーダは、インド神話に登場する神の鳥である。また、イスラム商人も海を渡ってやって来た。その結果、イスラム教がインドネシア、マレーシア、フィリピンのミンダナオ島に伝播した。 ここで不思議に思うのは、インドと共にアジアのもう一つの大国である中国の影響が東南アジアの島嶼部に及んでいないことである。現在、インドネシアやマレーシアには、たくさんの華僑が住んでいる。そのことについては後で触れるが、華僑が東南アジアに住み着いたのは、ここ 100年ほどのことに過ぎない。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「中国は、最近になって一帯一路などと称して、海外に対する影響力を強めようとしているが、歴史を振り返ってみれば中国人は、インド人のように海を渡って他国の人と交流することはなかった。文化や宗教を広めることもなかった。 筆者は、中国が力を入れている「一帯一路」政策は、単なる習近平国家主席の思いつきであり長くは続かないと考えている。それは、中国は大陸国家であり海を越えて外に打って出ることは好まないためである。中国は、太古から優れた文明を築いていたが、それを交易船に乗せてアジアの国々に輸出しようとはしなかった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本と中国の関係を見ても、日本が遣隋使や遣唐使を派遣したから中国文明が日本に伝わったのであり、もし遣隋使や遣唐使を派遣しなかったら、これほどまでに中国文明が日本に伝わることはなかっただろう。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本と中国の関係を見ても、日本が遣隋使や遣唐使を派遣したから中国文明が日本に伝わったのであり、もし遣隋使や遣唐使を派遣しなかったら、これほどまでに中国文明が日本に伝わることはなかっただろう。 今後、不動産バブルが崩壊するなどして経済が停滞すれば、中国は海外への影響力の強化を真っ先にやめるだろう。中国人は、自ら進んで海外と交流する人々ではない。それは、中国に近い東南アジアの島嶼部が中国文明の影響をほとんど受けていないことからも分かる。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「こう書くと差別と非難されるかもしれないが、ベトナムの知識人(ヨーロッパに留学した経験がある)が、ある時、「ベトナムには古典がほとんどない」と話していたので、当のベトナム人が言うくらいだから、それほどの差別発言には当たらないだろう。中国の影響を受けて比較的早期に文字を持ったベトナムでさえそうである。島嶼部には文学がほとんどないと言ってよい。 東南アジアで唯一長い歴史を有するのは、ベトナムである。ベトナム(現在のベトナム北部)は約 1000年前に中国から独立した。中国の影響を受けて比較的早い段階で国家を作っている。 タイとミャンマーにも数百年前に国家と呼べるものが成立している。ただ、どちらの歴史も文献資料が少なく、考古学的な手法に頼らざるを得ない。それは、国家としては原始的な段階に留まっていたことを示している。 近代になるまで東南アジアの歴史は、あまりハッキリしない。例えば、インドネシアのボロブドゥールに遺跡が残っているが、そこで栄えた文明は滅んでしまった。同じことはカンボジアのアンコールワットにも言える。比較的歴史のあるタイでも、現在のタイの領土に近い地域を統治するのはチャクリー朝になってからであり、チャクリー朝が始まったのは 18世紀後半である。 そんな東南アジアであったが、タイを除いた全ての地域は、 19世紀末までに西欧列強の植民地になってしまった。人々にとって植民地時代の記憶は鮮明なようで、東南アジアの歴史は、植民地になった時に始まると言っても過言ではない。第二次世界大戦を契機とした戦後の独立は、タイを除く全ての東南アジアの人々にとって輝かしい歴史になっている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは、東南アジアの中で唯一、中国文明に属している。東南アジアは、中国文明とインド文明が混ざり合った地域であるが、ベトナムはインド文化の影響をほとんど受けていない。そのほぼ全域が中国文明に属していると言ってよいだろう。 ベトナムは、南北に細長い国である。ハノイを中心とした北部は、その歴史の中でずっと中国文明の一員であった。ただし、中部にはチャンパと呼ばれるカンボジアのアンコールワットとよく似た文明を持つ国があった。チャンパはインド文明の影響を強く受けていた。しかし、北部が 15世紀頃から少しずつ中部へ侵攻して、 19世紀初頭のグエン朝になって、その国土は、ほぼ現在のベトナムと同じような形になった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 イギリスは、シンガポールを要塞化して、「東洋のジブラルタル」と豪語していた。シンガポールは、イギリスの東南アジア支配の拠点であった。シンガポールは、マレー半島の先端にある島である。マレー半島とはジョホール水道で隔てられている。マレー半島は熱帯雨林に覆われており、イギリスはマレー側から攻撃されることはないと考えていた。海側から艦砲射撃などによって攻撃されることを想定していた。 シンガポールの海側の守りは固い。そのために日本軍は、マレー側からジョホール水道を越えて攻め込むことを考え、マレー半島のコタバルに上陸した。その上陸の援護には、戦時中に歌や映画で大いに有名になった陸軍の加藤隼戦闘隊が当たっている。隼はフーコック島から出撃しているが、フーコック島はベトナム最南端の領土であり、現在はきれいな海が広がるアジア有数の観光地になっている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 先ほど例に挙げた米内光政の言と重なるが、全力をあげて戦えば恨みが残ることは少ない。全力で戦うとその後の関係は未来志向になる。もちろん、日本でも東京大空襲や広島、長崎に対する原爆投下に対してアメリカを恨む向きもあったが、それよりもアメリカの文化に憧れ、これからはアメリカと仲良くしていきたいと思う気持ちの方が強かった。だから、戦後の日米関係は良好なのだ。 また、先述のように爆撃だけの被害と地上戦の戦場になったのとでは、憎しみの感情に違いがあるように思える。例えば東京大空襲であるが、戦争が終わるとそれは関東大震災などの天災に対するものと同じような感情になってしまったのか、東京都の慰霊施設では東京大空襲の犠牲者は関東大震災の死者と並列して祀られている。どちらも下町で多くの焼死者を出したために、このような慰霊の方式がとられているのだろうか。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本と韓国の間のいわゆる慰安婦問題に関連して、ベトナムと韓国の間にはライダイハンの話がある。ベトナム戦争の際に韓国は、アメリカの要請に従ってベトナムに軍隊を派遣している。その際に韓国軍兵士とベトナム人女性との間にできた子供をライダイハンと呼んでいる。日本では強姦によって作られた子供と言われることもあるが、そのようなケースは稀である。 このことに関して韓国は、政府も民間もほぼ何も言っていない。沈黙を貫いている。韓国政府は謝罪する気はないようだ。日本には慰安婦問題で強く謝罪を求めるが、自分がしでかしたことに対しては沈黙している。 興味深いのは、この問題に対するベトナム人の態度である。ベトナムは、ライダイハン問題に対して謝罪や補償を求めていない。現在はこの問題を知る人も少なくなった。一部の知識人はこの問題を知っているが、今後、問題にするつもりはないという。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「グエン・フー・チョンは、庶民に人気がある。それは、汚職官僚を叩くからである。ベトナムの庶民は、何かにつけてお金を要求する汚職官僚に苦しんできた。また、莫大な財を築いた汚職官僚を憎んでいる。そんなベトナムでは、グエン・フー・チョンは日本の時代劇の水戸黄門のような存在になっている。病身の老人が最後の力を振り絞ってベトナムを綺麗な国に作り変えている。彼の汚職退治は、そんなイメージで捉えられている。 だが、そんなグエン・フー・チョンにも弱みがある。それは、彼がベトナム人から黎朝の昭統帝として見られていることだ。昭統帝の物語は庶民も広く知っている。グエン・フー・チョンは、そのようなイメージが付くことを極力避けようとしている。彼が習近平の 3期目突入を祝すために北京を訪問した際に、中国側は当然のこととして晩餐会を用意した。だが、グエン・フー・チョンは、健康が優れないとして晩餐会を断っている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「タイとミャンマーでは上座部仏教が社会に深く根ざしている。日本は大乗仏教国であり、同じ仏教といってもタイやミャンマーの仏教とは異なる。 タイやミャンマーは小さな部族が入り乱れて住む地域だった。現在の国境線は中近東やアフリカと同じように、 19世紀に列強の意向で決まったと言ってよい。それまで、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアの間の国境ははっきりしていなかった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「商売の上手な華僑はタイの経済界に大きな力を持っている。例えばタイの複合企業グループである C Pグループは、広東省東部の潮州出身の華僑である「謝家」が作り上げたものである。 CPはタイ社会と良好な関係を保っている。一般的に華僑は財力があり「黄色シャツ」の一部を構成していると考えればよいだろう。 現在、バンコクには中華街がある。その中華街は公式には非合法だそうだ。そんなわけで、中華街の入り口に中華門を立てる時には少しもめたという話を聞いたことがある。しかし、 1930年代とは異なり、現在の中国はアジアの超大国である。だから中華街は黙認されている。この辺りも外交が上手なタイならではの振る舞いと言えよう。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 よく知られているように、タイは親日国である。そんなタイに有名な映画がある。それはあの戦争の最中に日本軍の若い将校とタイの美しい女性が愛し合う物語である。『メナムの残照』という題名が付けられている。この映画は大ヒットして、何度もリメイクされている。そんな映画があるくらいだから、タイでは日本の軍人は嫌われていない。 なぜ、タイの人々は日本軍を嫌わないのだろうか。それは、タイが日本に協力して米英に戦いを宣言したからだ。タイは、日本の圧力に逆らえずに日本に協力したなどと言っているが、詳細に検討するならば、タイは帝国主義的な野心から日本に協力した。日本の言いなりではなかった。この事実を知る日本人は少ないように思う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「戦争が終わるとラーマ 8世は学業を終えてスイスより帰国した。そんなラーマ 8世を悲劇が襲った。 1946年6月 9日の朝、王は王宮の寝室で頭から血を流して死んでいた。額から後頭部に銃弾が貫通し、そばに拳銃が落ちていたとされる。事故、自殺などの可能性も考えられたが、最終的には他殺と断定されて侍従ら 5人が逮捕された。後にその中の 3人は死刑に処されている。 この事件には謎が多く、いまだに真相が解明されたとは言えない状況にある。ただ不敬罪のあるタイで、この事件について語ることは今でもタブーである。その真相は分からない。ただ一つ言えることは、米英に戦いを宣言した国王が亡くなったという事実である。 その後、弟がラーマ 9世として王位についた。ラーマ 9世はあの戦争には関係がない。ラーマ 9世は 2016年に 88歳で亡くなった。プミポンと呼ばれて広く国民に敬愛された。彼はタイが今日の隆盛を築く上で大きな役割を果たした。国内を回って民衆を一つにまとめるとともに、積極的に海外を訪問してタイと国際社会を結ぶ役割を果たした。 だが、もしラーマ 8世だったら、国際社会は彼をすんなり受け入れただろうか。昭和天皇がそうであったように、外国を訪問する度にいろいろな議論が持ち上がることになったのかもしれない。 微笑みの国はなかなか怖い。マキャベリではないが、政治・外交とはそのような冷徹さを含むものなのだろう。「タイは微笑みの国」で「親日国」、そんな思い込みだけでタイ人とお付き合いしていると、ひどい目に遭わされるかもしれない。日本人はタイから学ぶことが多いと思う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「大航海時代になって、西欧人が東南アジアに来るまで、マレー半島では海岸部に小さな国家(集落に毛の生えたようなもの)が点在していたに過ぎなかった。そんな伝統を反映して、実はマレーシアは現在も王国、正確に言えば連合王国である。 九つの州にそれぞれの王様がおり、マレーシア全体の王様は任期 5年制で各州の王様が持ち回りで務めている。このことからも分かるように、王様は儀礼的、象徴的な存在であり、政治権力は持っていない。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「対立が沈静化した真の理由を知ることは難しいが、マレーシアでは人口の 2割しかいない華僑が譲歩しているためと考えられる。華僑は宗教や民族感情よりも商売を優先しているようだ。事実、その後、マハティール首相によって、露骨なマレー人優遇政策(ブミプトラ政策)が行われることになったが、不満はあるものの華僑はその政策を受け入れている。一方、シンガポールは華僑の人口が圧倒的に多いために、マレー系が抑え込まれている。 日本では商売を優先する中国人の生き方を嫌う傾向が強いが、民族的感情を抑えて商売を優先させようと思うことは、必ずしも悪いことではない。グローバル化する世界で、民族の誇りを高く掲げることは、他の民族との間で深刻な対立を招きやすいからだ。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「まず、日本人にとって嬉しいインドネシアの話からしよう。インドネシアのボロブドゥール遺跡はアンコールワットと同様に、 19世紀になって西洋人によって発見されるまで密林の中に眠っていた。このことからも分かるように、インドネシアには継続した歴史が存在しない。そんな国に香辛料欲しさでオランダ人がやって来て、イギリスと争った後に、イギリス人を追い出してオランダの植民地にしてしまった。 1602年にオランダ東インド会社が設立されて本格化したオランダのインドネシア支配は過酷だったようだ。オランダはイギリスやフランスのように多くの植民地を持たなかった。目ぼしい植民地はインドネシアだけである。だから、インドネシアから搾り取れるだけ搾ろうとしたのだろう。独立運動に対しても過酷に取り締まった。 そんな経緯があったためか、インドネシア人は今でもオランダを嫌っている。そのために、インドネシアからオランダに留学する人は少ない。それはミャンマーやインドからイギリスに留学する人が多いこととは対照的である。ちなみにミャンマーのアウンサンスーチーもケンブリッジ大学に学んでいる。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「そんな記憶があるため、今でもインドネシアは親日国である。日本軍によって牢獄から解放された初代大統領スカルノは大の日本びいきであり、彼の第三夫人(イスラム教では妻は 4人まで持てる)は日本人である。彼女は今でもデヴィ夫人という名前で、日本で活躍している。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「その一方、フィリピンで日本人のイメージは悪い。フィリピンは貧富の格差が大きく、庶民は政治家と商人が組んで行う汚職に腹を立てている。そんな彼らをヒーローが凝らしめる映画がヒットする。悪代官と越後屋が最後の場面で必殺仕置人に斬られるテレビ・ドラマのフィリピン版である。 そんな映画で、日本人は悪徳商人の仲間として描かれることが多いという。最後に、ヒーローに追われてフィリピンの政治家や悪徳商人と一緒に逃げ出す日本人商社マンを見て、庶民は喝采を叫ぶのだそうだ。 フィリピンの日本に対する庶民感情はタイやインドネシアとは 180度異なっている。それは、あの戦争が作り上げたものに他ならない。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ある国について知りたい時に、その人口構成を見ることはとても重要な手がかりになる。例えば、若者が多い国は活気に溢れる。しかしその反面、政治は安定しない。反対に老人が多い国は、日本がそうであるように、政治は安定するが活気がなくなる。人口はある国のあり方を考える上で極めて雄弁なデータである。まず、そこから解説したい。 図 4に 1950年から 2050年までの東南アジアの人口を示した。参考のために図 5に東南アジア諸国の旧宗主国に当たるイギリス、フランス、オランダの人口を同じスケールで示す。両図を見比べてほしい。その違いに驚くだろう。東南アジア諸国は急速に増加しているが、旧宗主国はほぼ横ばいだ。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは中国の一人っ子政策の真似をして、二人っ子政策を推し進めてきた。中国の一人っ子政策ほど強い罰則はないが、公務員などは子供を 3人作ると左遷されたり昇進が止まったりする。中国と同様に人口爆発を恐れての措置だったのだが、 TFRがあまりに急速に低下したために、現在、その政策は見直されている。 だが、二人っ子政策を見直したからといって、ベトナムの人々が子供を 3人作るようになるとは思えない。中国は一人っ子政策をやめたが、出生率が上昇することはなかった。このようなことを考えると、今後、ベトナムの TFRが国連の予測のように 2前後で推移するとは考えにくい。経済が順調に発展すれば、 TFRが低下してなかなか上昇しないタイや日本と同じようになる可能性が高い。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「欧米の農業は酪農や有畜農業であり、農村地帯の人口は希薄である。そのために経済発展が始まっても、コメを作っているアジアほど都市に急激に人口が流入することはなかった。欧米の都市はアジアの都市ほど急速に膨張しない。 理由の一つは、欧米人が田舎に住むことを好むからだろう。投資家で世界有数のお金持ちとされるアメリカのウォーレン・バフェット氏は、今も生まれ故郷のネブラスカ州オマハに住む。金融の中心であるニューヨークや政治の中心であるワシントン DCには移り住まない。 ロンドンは大きな都市だが、大陸のパリ、フランクフルト、ベルリン、ミュンヘン、ウィーンなどはそれほど大きな都市ではない。現在、世界で最も大きな都市は東京である。その人口は周辺を含めて約 3000万人。北京、上海、ソウル、ジャカルタも大都市になった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「それに対して、人間関係が濃密なアジアでは、約束をいちいち紙に書く必要はない。約束を守らない人間は村にいられなくなるためである。そんな精神風土のアジアでは、人々が都市に密集して住むことを好む。 会社組織で考えてみても、日本では職場の飲み会が多い。一方、欧米では職場の仲間との飲み会はほとんどない。その対比はよく知られているが、ベトナムの会社の顧問になると、ベトナム社会のあり方が日本によく似ていることに気がつく。ベトナムでは一族や同郷の人々、そして昔からの友人とのつながりが大切である。だから何かあるごとに集まって飲み会を行う。他の東南アジア諸国も同様の気質と考えて大きな間違いにはならない。コメを作る地域の気質は日本人によく似ている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「カンボジアにはベトナム系の住民が多く住んでいる。ベトナム系住民は中国文明の影響を受けているためか経済に明るく、カンボジア経済の実権を握っていた。そんなベトナム系の人々に対して、カンボジアの人々は複雑な感情を抱いていた。このような背景があるために、ポル・ポト派が支配していた時代にベトナム系住民は虐殺の格好のターゲットになった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ある国を理解する上では、その国の歴史を理解することが極めて重要になる。日本人の行動パターンは、諸外国から見ると奇妙に思われることが多いが、奇妙な行動をとる原因は、近世に江戸時代( 1603〜 1867年)という 265年間にわたる奇跡とも言える平和な時代が続いたためである。その江戸時代に日本人の行動パターンの原型が作られた 1)。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本は、トップに立つ者が豊かではない奇妙な社会を作り上げた。それは世界でも稀な平等な社会と言ってよい。この伝統は、大会社の社長になっても諸外国の社長に比べて著しく給与が低いという伝統になって残っている。外国から招かれて会社の再建に貢献した社長であっても、高い給与をもらうことは許されない。それが不満でインチキをして収入を増やそうと思った社長は、みんなで捕まえてひどい目に遭わせる。これは、現代人の心に今も江戸時代が息づいている証拠である。 社長について言えば、もう一つの伝統も生きている。トップが偉くなくても務まることである。外敵がいなくて協調性が重んじられる社会では、トップはお飾りでよい。そんな日本では、トップを血統で決めるとコンセンサスを得やすい。 それが、日本企業の地位が低下し続けた平成においてもトヨタがそれなりの地位を保ち続けている理由だと思う。血統で決まったトップは、よほどの暗君でない限り重臣が反乱を起こすこともなく社内のライバル同士が妙な争いを起こすこともない。秩序を保ちやすい。それは、トヨタを日産や東芝と比べるとよく分かる。日産や東芝は上層部の内紛で社業が傾いた。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 そうは言っても、大陸部の歴史も中国や日本の歴史に比べれば短いものだ。どこから歴史が始まるかを定義することは難しいが、日本は少なくとも 1500年ほどの歴史を持っている。今から 1500年ほど前になると文字で書かれた歴史が始まる。それ以前は考古学の対象である。同じように考えると中国大陸には、約 3000年の歴史がある。それに対して、東南アジアの歴史は大陸部でもせいぜい数百年に留まる。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「東南アジアで唯一長い歴史を有するのは、ベトナムである。ベトナム(現在のベトナム北部)は約 1000年前に中国から独立した。中国の影響を受けて比較的早い段階で国家を作っている。 タイとミャンマーにも数百年前に国家と呼べるものが成立している。ただ、どちらの歴史も文献資料が少なく、考古学的な手法に頼らざるを得ない。それは、国家としては原始的な段階に留まっていたことを示している。 近代になるまで東南アジアの歴史は、あまりハッキリしない。例えば、インドネシアのボロブドゥールに遺跡が残っているが、そこで栄えた文明は滅んでしまった。同じことはカンボジアのアンコールワットにも言える。比較的歴史のあるタイでも、現在のタイの領土に近い地域を統治するのはチャクリー朝になってからであり、チャクリー朝が始まったのは 18世紀後半である。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「そんな東南アジアであったが、タイを除いた全ての地域は、 19世紀末までに西欧列強の植民地になってしまった。人々にとって植民地時代の記憶は鮮明なようで、東南アジアの歴史は、植民地になった時に始まると言っても過言ではない。第二次世界大戦を契機とした戦後の独立は、タイを除く全ての東南アジアの人々にとって輝かしい歴史になっている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは、東南アジアの中で唯一、中国文明に属している。東南アジアは、中国文明とインド文明が混ざり合った地域であるが、ベトナムはインド文化の影響をほとんど受けていない。そのほぼ全域が中国文明に属していると言ってよいだろう。 ベトナムは、南北に細長い国である。ハノイを中心とした北部は、その歴史の中でずっと中国文明の一員であった。ただし、中部にはチャンパと呼ばれるカンボジアのアンコールワットとよく似た文明を持つ国があった。チャンパはインド文明の影響を強く受けていた。しかし、北部が 15世紀頃から少しずつ中部へ侵攻して、 19世紀初頭のグエン朝になって、その国土は、ほぼ現在のベトナムと同じような形になった。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「よくベトナム人は、東南アジアの中では勤勉だと言われるが、その文化が中国の影響を強く受けているためと考えられる 3)。言っては悪いが、東南アジアの〝おサボり文化〟(熱帯で暑いので、そのような文化になったのだと思うが)とは少々異なっている。ただ、それでもベトナムは熱帯から亜熱帯に位置しているので、日本などに比べればおサボリ文化ではあるのだが……。 もう一つ付け加えることがある。それは、ベトナムは中国文明の一員でありながら、中国が大嫌いなことである。これは、ベトナムの歴史を反映している。この事実は、日本ではほとんど知られていないと思う。第一の理由は、ベトナム人が「私は中国が大嫌いです!」と大声で言わないことにある。そして多くの日本人、とりわけ中高年にベトナム戦争の記憶が残っているためだ。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは、現在でも社会主義国であるから、多くの日本人は、ベトナムを中国の友好国と思ってしまう。しかし、これから書くような理由で、ベトナム人は中国を恐れると共に強く憎むようになった。ベトナム人のアイデンティティは、中国に対する恐怖と敵愾心から成り立っていると言ってもよい。 一方の中国は大きな国であるため、多くの中国人は隣国でありながらベトナムのことをよく知らない。一般の中国人は、東南アジアを南蛮として軽く見る傾向があり、ベトナムもそんな国の一つだと考えている。ただ、政府首脳や東南アジア外交を担当する部門は、タイ、ラオス、カンボジアに比べてベトナムを扱いにくい国と考えている。それは、歴史が証明している。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「これは日本人の自尊心を大いにくすぐったが、より大きな目で見れば、日本はやはり中国文明の一員だと思う。中国文明の影響なしに日本を語ることはできない。日本人が作り出した文字である「ひらがなやカタカナ」も中国から伝来した漢字をアレンジしたものである。日本の思想は、中国から輸入した儒教や仏教の影響を強く受けた。 朝鮮半島とベトナムも漢字を輸入している。そして日本と同様に漢字をそのまま使うのではなく、その言語に適するようにアレンジを試みた。朝鮮半島は、漢字とは全く別体系のハングルを考案して漢字と混ぜて使った。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 宗教についても、日本とベトナムは中国文明圏である。中国は、インドから大乗仏教を輸入した。それは 1世紀頃と推定されている。中国の仏教は、唐に入って大いに栄えた。日本文化に大きな影響を与えた禅も、唐時代に中国が生み出したものである。現在、インドから中国を通じてもたらされた大乗仏教は、朝鮮半島、ベトナム、そして日本に根付いている。宗教を考える時、朝鮮半島、ベトナム、そして日本は兄弟と言ってよい。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ところで、ベトナムでは一般に女性の地位が高い。古代では反乱の主役も女性だった。現在は中国文明の影響で、政治の世界では女性がトップになることを嫌うが、それでも女性は強く、政府諸機関において部長や課長が女性で男性が平社員などというケースにしばしば遭遇する。トップが女性の民間会社も多い。 ベトナムの女性は、職場でも家庭でも働き者である。妻の収入が夫を上回るケースも多い。男は酒飲みが多い。ベトナムのビールの一人当たり消費量はアジアのトップクラスであり、どの男性も口を揃えて「妻には頭が上がらない」と言う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは、中国から科挙の制度を取り入れていたために学問のある人物がいた。レ・ロイとグエン・チャイは、名コンビである。グエン・チャイは、今でもベトナムの人々の敬愛を集めている。 付言すれば、科挙の伝統のあるベトナム人は、勉強が好きであり、こういう点はラテン的であるフィリピンとはだいぶ違う気がする。また、ベトナム人は先生を大切にするが(休日ではないが祭日として「先生の日」がある。先生に花やプレゼントなどを贈る習慣がある)、そこにはグエン・チャイの物語も力になっていると思う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 民衆はフランスに反感を持ち、ベトナムでは戦前から独立運動が盛んだった。しかし、いくら抵抗しても西欧文明の中心とも言える強大なフランスに勝つことはできない。そんな時代、アジアに希望の星が現れた。日本である。 ベトナムの歴史に日本が絡むのはここからである。ベトナム中部の街ホイアンには、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて日本人町があった。だが、それは昔話であり、現在のベトナムと日本の関係を考える際には関係ない。「アジア人は西洋人にかなわない」と多くの人が思っていた時代に、日本はロシアと戦争して勝った。それは、アジアの人々を大いに勇気づけた。ベトナム人は、そんな日本に学びたいと考えた。東遊運動である。最初は、日本に武器を援助してくれるように頼んだのだが、日本は武力闘争を助けることはしなかった。これは正しい判断だろう。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
東南アジア本読んでるけど、アンコールワットって有名遺跡があるけど、カンボジアが一番悲惨な国なんだね
「ベトナムは、アメリカを恨んではいない。フランスへの思いは複雑だが、今更文句を言うことはないという心境のようだ。それは結局、ベトナムがフランスとアメリカに勝ったためである。 フランスとの独立戦争は、ディエンビエンフーの戦いという伝説を生んだ。あの戦争で日本が降伏すると、フランスはベトナムに帰ってきた。再び植民地としてベトナムを支配しようとした。それに対してベトナム人は、徹底的に抵抗した。近代兵器を持つフランス軍に対してベトナム軍は、ゲリラ戦で対抗した。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ただ、激しい地上戦が戦われた沖縄だけは、米軍や戦争に対して、本土の人々とは異なった感情を持つようになった。米軍の基地が沖縄に多く押し付けられているために、沖縄の人々に反米感情が強いと考えられているが、その根底には地上戦が行われ、それを直接体験したことがあると思う。 ベトナム戦争では南ベトナムで地上戦が戦われた。だが、その状況は沖縄の経験とも異なる。南ベトナムにおいて米軍は北ベトナムの援助を受けたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)と戦ったのであり、南ベトナムの正規軍は米軍と共にベトコンと戦っている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「東南アジアの大陸部には、少数民族が多く住む。そんなわけでどの国も政府は、少数民族との付き合いに苦労している。東南アジアの大陸部にはベトナム、タイ、ミャンマーの 3国の大国があるが、その中で少数民族との摩擦がほとんど問題になっていないのは、ベトナムだけである。 ベトナムでは、全人口の 86%をキン族が占める。つまり全人口の 14%もの少数民族がいるが、現在のところキン族と少数民族との間に深刻な対立は生まれていない。その理由の一つは、多くの少数民族が中国やラオス国境の山岳地帯に住んでおり、キン族との接触が少ないためだろう。 ベトナム政府は、少数民族の村に学校を造るなど、それなりに宥和政策に努めている。このような政策を採用する原因を大乗仏教に求めれば言い過ぎになるのだろうが、ベトナム人は少数民族に対してあまり偏見を持っていないように見える。日本と同様にその多くが大乗仏教徒であり、宗教に対していい加減なところが、少数民族問題を深刻化させないのかもしれない(少数民族は独自の宗教を持つ場合もあるからだ)。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「タイは、南部のマレーシア国境付近に住むイスラム系の人々との深刻な問題を抱えている。タイは仏教徒が人口の 93・ 5%を占め、イスラム教徒は 5・ 4%である。だが、彼らは独立を求めてバンコクで爆弾事件を起こすなど対立が続いている。タイ政府が強硬な姿勢を崩さないことも問題を深刻化させている。この問題は、宗教が絡むだけに容易に解決されない。 だが、ミャンマーの少数民族問題は、もっと複雑で深刻である。それは、ミャンマーには多くの少数民族がいるからだ。ミャンマーにはビルマ、カレン、カチン、モン、シャン、チン、ラカイン、カヤーの八つの民族がいる。各民族はそれぞれいくつかの部族に分かれており、その総数は国籍法で 135と定められている。そのうち、ビルマ族が人口の約 7割を占め、残り約 3割を少数民族が占める。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「敬虔な上座部仏教徒である彼らと接していると、同じ仏教徒といっても信仰においていい加減な生活を送っている日本人は、心が洗われるような思いがする。先に敗残兵になった日本兵にお粥を差し出したエピソードを紹介したが、人生において忘れていた大切な何かを思い出させてもらったような気になる。そんなことからミャンマーに関わった日本人の多くが、ミャンマーが大好きになる。ミャンマーにメロメロ、略して「ミャンメロ」などという言葉もあるくらいだ。 ミャンマー人との私的な交流は、それでいいと思う。しかし、外交やビジネスになると、「親日国だから大丈夫」とはいかない。それは、ミャンマーの国内が安定していないからに他ならない。日本人は竹山道雄の名作『ビルマの竪琴』の影響か、ミャンマーを好きな人が多いように思うが、実際のミャンマーは小説の中の世界ではない。中国の影響が極めて強く、かつ複雑な利害が絡まっている。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「筆者は、過去約 30年にわたり農業分野からアジアを見てきた。ミャンマーの農村に入って農民の生活を直に見たこともある。少数民族が住む農村地帯も訪ねた。タイの農村に非合法で出稼ぎに行っているシャン族の人々に会ったこともある。彼らは、我々と直接話すことを拒んだが、その身なりや態度、また、タイでの雇用条件から、彼らの置かれた状況を理解することができた。タイの農家は、国境を越えて働きに来るシャン族を安い賃金で使っている。密航者であるために彼らの立場は弱い。 そんな姿を見てきたために、ミャンマーの大半を占める農村地帯や少数民族が住む地域では、政治が機能していないことをよく知っていた。中央の意向は農民や少数民族には及んでいない。そんな状態で選挙によって民主的な政府が作られても、農民や周辺の少数民族を巻き込んだ政府を作ることは不可能である。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「タイは外交が上手である。東南アジアにおいて唯一植民地にならなかった。個人のレベルでもタイの人々は外交がうまいと思う。「微笑みの国タイ」とは、よく観光ガイドブックに見られる文言である。タイ人は外国人に微笑みを見せてくれるが、心から微笑んでいるわけではなさそうだ。その心の中は他の国の人々と変わらないと思う。微笑んでおいた方がうまくいくと思って微笑んでいるのだろう。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「アンコールワットが長らく忘れ去られていたように、タイの王朝もカンボジアの王朝もその支配する範囲が限られており、多くの地域では国境はあってないような状態だった。そんなカンボジアとタイの間にフランスが線を引いただけのことであろう。 同様のことはラオスにも言えよう。ラオスは山国であり、長らく国とは言えないような小国(集落)が山によって分断されたような状態にあった。ルアンプラバンにあった国は比較的有名である。その他にも二つ有力な国があったとされるが、そのいずれもタイの支配下にあったという。しかし、当時の交通事情を考えると、山国の支配は弱いものだったと思う。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 タイには土着と言ってよいタイの人もいる。彼らの多くは北部や東北部の農村地帯に住み、肌の色は浅黒い。デモを行う場合のシンボルカラーは赤であり、「赤シャツ」と呼ばれる。 近年のタクシン元首相を巡るタイの政治的な対立は、「黄色シャツ」と「赤シャツ」の争いである。タイでは「黄色シャツ」が政治と経済の実権を握り、「赤シャツ」は人数が多いものの被支配民の地位に甘んじていた。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「そんな仏教を批判して紀元 1世紀前後に出現したのが大乗仏教である。大乗仏教は、自分だけが悟りを開くとした仏教を小乗仏教と非難した。小乗とは小さな乗り物のことであり、これは漢訳された言葉だが、中国では「小」は悪い意味を含んでいる。 大乗仏教は広く衆生を救うことを目的としている。小乗仏教を批判していた大乗仏教が 4世紀頃に中国に伝わり、それが漢訳されたテキストとともに朝鮮半島、ベトナム、日本にもたらされた。その後、中国と朝鮮半島では儒教が強くなり仏教の影響力は弱まってしまったが、日本とベトナムでは大乗仏教は現在でもそれなりの影響力を有している。 我々日本人の心には知らず知らずのうちに大乗的な考えが浸透している。そんな日本人は、全ての人は仏様の前で平等と考える。そんな風土があるために、レストランの給仕が失敗した時に、あからさまに怒ることは控える。 しかし、タイのエリート層は、自分はしっかり修行したエリートであるとの感覚がどこかに存在するようだ。事実、タイでは男性は生涯に一度は仏門に入り修行を積む。女性は仏門に入ることを許されない。そんな背景があるためか、タイのエリート層は一般にエリート然とした態度をとり、庶民との違いを明確に表す。それが一層、庶民の反発を招いているようにも見える。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「中国人を王様の側室にしたくらいだから、タイにはたくさんの華僑が住んでいた。しかし、タイの人々はそのことを面白く思ってはいなかったようだ。東南アジアの中でタイはベトナムと共に古くからの歴史を誇る国である。その文化はインドの影響を強く受けている。敬虔な仏教徒が多い。そんなタイ人は世俗的な華僑がタイを跋扈することが許せなかったようだ。」
—『歴史と人口から読み解く東南アジア (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
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川島 博之
(かわしま ひろゆき、1953年〈昭和28年〉11月29日 - )は、日本の開発経済学者。工学博士。ビングループ主席経済顧問。元東京大学大学院農学生命科学研究科准教授。専門は農業からみたアジア経済、開発経済学。東京都生まれ。1977年東京水産大学卒業、1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。1984年3月、東京大学工学博士(学位論文「都市河川汚濁回復に関する研究 」)[1]。
東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経てビングループ主席経済顧問、Martial Research and Management社チーフ・エコノミック・アドバイザー。2011年11月には日本政府行政刷新会議ワーキンググループ(提言型政策仕分け)の評価者を務める。
「ベトナムの政治システムは中国によく似ている。ほぼ同じと言ってよいが、それはロシアのレーニンが生み、ソ連のスターリンが育てたシステムである。よくマルクス・レーニン主義と言われるが、マルクスはこのシステムに関係がない。彼はドイツの思想家であり、経済学者である。私はマルクスが現在の共産党を見たら、そのやり方に賛成しないと思っている。それは、ベトナムで政治の実状を近い場所から見た人間の率直な感想である。 ベトナム政治を理解するには、まず「党が政府を指導する」、このフレーズを覚えなければならない。日本や米国では、内閣総理大臣や大統領が政府のトップに立って政治を行う。与党と政府の関係は微妙だが、指導を受けることはない。通常は与党のトップが首相である。 しかし、ベトナムでは首相といえども共産党の指導を受けなければならない。もちろん首相も共産党員であるが、ベトナムでは首相は共産党の序列 3位の者が就任する慣例になっている。 共産党の最高意思決定機関は政治局である。現在、ベトナムの政治局のメンバーは 16人。第 13期が発足した時は 18人であったが、現時点( 2024年5月末)は 16人である。発足時から 6人が失脚して 4人が補充された。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムでは三権は分立していない。行政も司法も立法も共産党の指導下にある。誰が有罪かは共産党が決める。特に重要な案件では政治局が決めている。日本でも一度起訴されたら無罪を勝ち取るのは難しいが、ベトナムでは日本以上に難しい。ほぼ確実に有罪になる。話題になった事件の裁判は大きく報道されるが、それは裁判ではなく「見せ物」であるとされる。裁判で審理などを行うつもりはない。既に判決は決まっており、共産党の方針を民衆に知らしめるための裁判であると言われている。 司法は共産党の制度の枠組みの中で行われているが、立法の過程は少しずつ変わり始めている。立法は国会で行われる。国会の会期は 30日から 40日程度で、年 2回開催が通例とされる。国会議員は固定給が支払われるわけではなく、国会会期中の手当が支払われるだけである。国会議員は他の仕事を持っている。最近は党の高官や閣僚などは国会議員になることが奨励されている。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「現在、ハノイやホーチミン市では、夫婦 2人と子供 1人の世帯は最低でも 1か月に 10万円程度ないと暮らしていけないと言われる。夫婦共稼ぎが普通としても、公務員の給与だけで生活していくのは苦しい。このことが、公務員が汚職を行う最大の原因になっている。 そして部長クラスを考えた場合には、同年代の人々との所得格差を考慮しなければならない。役所に入るための試験はおざなりであり、出世もコネが重要とされるが、それでも主要な官庁やハノイやホーチミン市で部長や局長クラスに出世する人は優秀である。彼らはベトナムの名門大学を出ているケースが多く、かつ学校時代も優等生だった。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「そのような経済情勢の中で最も豊かになったのは、企業経営者や商店主であった。ベトナムは労働者の賃金が安い。その反面、その安い賃金を利用して経営者が成功するチャンスが多い。そして公務員は労働者と同様に雇用される側にいる。 20年前に同じ大学を出た仲間が、企業を経営したり商店主になったりして豊かになった。学生だった時は俺の方が優秀だったのに……。そうぼやく役所の局長や部長クラスは多い。その複雑な思いが、彼らを汚職に走らせている。 局長や部長は、給料は安いが許認可権を持っている。商売で成功した昔の仲間はお金を持っている。商売を広げようとした時には役所の許認可が必要になる。そこから、何が起こるかは想像に難くないだろう。 ベトナムで汚職を撲滅するには、役人の給料を同程度の能力がある民間人と同じ水準にする必要がある。しかし、ベトナム政府はそれを行うことができない。最大の理由は、政府にお金がないからだ。ベトナム政府はいつもお金が不足している。 政府にお金がない理由として、税制の不備がある。日本企業だけなくすべての外資系企業が、自分たちだけが税金を取られていると思っている。基本的に外国から来た企業は法律に基づいて税金を支払う。脱税がゼロとは言わないが、遵法精神で会社を運営している。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「このような状況が続けば、人々の共産党に対する信頼が低下し、共産党政権が崩壊してしまう。そんな危機感がグエン・フー・チョン書記長を汚職退治に走らせた。 2016年に第二期目に入ったグエン・フー・チョン書記長は、汚職退治を開始した。それは、中国の習近平が 2012年に共産党書記に就任して始めた汚職退治とよく似た動機である。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムには報道の自由がない。最も有名なメディアは共産党の機関紙である「ニャンザン」(ベトナム語で人民)である。その他にも国営 Vietnam Newsなどがあるが、その記事はニャンザンと瓜二つと言ってもよい。メディアは完全に共産党のコントロール下にある。 そんな国ではニュースは口コミで伝わる。ベトナム人はカフェが大好きだ。安価なコーヒーを飲むカフェが多く存在する。ベトナムのカフェは椅子が低い。路上に低い椅子を置いてベトナム茶(日本茶に近い味がする)やコーヒーを提供する店が数多くある。路上なら 1杯 10 kドン(約 50円)、店なら 20 kから 40 kドン(約 100円から約 200円)程度である。ベトナム人は仕事中でも平気でカフェに行く。ある経営者は、腹立たしい習慣であるがこれを禁じると社員が辞めてしまうので、 1日に 1回程度は見て見ぬふりをすることにしているなどと言っていた。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムのインターネットは検閲があるものの、その検閲は緩やかである。あからさまに共産党を批判するものでなければ野放し状態にある。あるベトナム人は、「ベトナム共産党は中国共産党ほど有能ではない。中国には数十万人ものネット警察官がいると聞くが、ベトナムでは数十人程度だろう」と言って笑っていた。ネット警察官が本当に数十人かどうかは分からないが、ネット検閲が緩やかなことは確かである。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 ①の「南北の対立」から説明したい。ベトナムは南北に長い国であり、ハノイとホーチミン市は直線距離で 1160 ㎞も離れている。これは東京と大阪の距離の約 2倍である。東京人と大阪人の間に大きな気質の違いがあることを考えれば、ハノイの人とホーチミン市の人の間に大きな気質の違いがあることが理解できよう。その言葉の違いは、東京で話される標準語と大阪弁の違いよりもずっと大きいという。ただ北も南もキン族が中心であり、民族的な対立があるわけではない。それは東京と大阪で民族的な対立がないことと同じである。 現在の対立の原因は気質の違いではない。それはベトナム戦争にある。北ベトナムは戦勝国であり、南ベトナムは敗戦国である。このことが対立の背景になっている。戦勝国は敗戦国を支配下に置く。戦争に負けた南ベトナム政府の官僚や政府に協力した人々、また華僑は、ボートピープルとして国を逃げ出さなければならなかった。そしてベトナムに残った南の人々も敗戦国の国民として北の支配下に置かれた。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「チョン書記長はそれがよほど悔しかったのだろう。それが、今日に至るチョン書記長とズン元首相の確執につながった。チョン書記長はズンが憎いために、彼が決めた原発や新幹線の計画をひっくり返したと噂される。老人の嫉妬ほど恐ろしいものはない。 ズン元首相を憎んだのはチョン一人ではない。共産党エリートは、ズンが推し進める政策を恐れた。たしかに経済は順調に成長しているが、このような状態が続けば、ベトナムは資本主義の国に戻ってしまう。 先ほども述べたように、そんな国ではビングループのブオンのような人物が政治に対して強い影響力を及ぼすようになる。そうなると自分たち共産党エリートは居場所がなくなってしまう。ズン首相が共産党の牙城である国営企業の民営化を推し進めようとすると、共産党エリートの恐怖はピークに達した。それがチョン書記長の悔しさと相まって、 2015年 12月の政変を引き起こした。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「当時、ニャンはズン首相の愛人との噂があったが、知人はそれもゲスな世間の勘繰りだろうと言っていた。当時のズンは六十代半ばであり、かつ忙しく、プライベートな時間はなかった。日本の首相が愛人を持つのが難しいのと同じである。ただ、パーティーなどでニャンがズンと親しくしていたことは確かである。ニャンは要人に取り入るのが上手く、一代で財を築いた。 ズンが失脚した後、チンとニャンが親しかったことは事実である。ニャンは馬を乗り換えた。チンは次期首相との呼び声が高かった。そんなチンは政治資金が欲しかった。どの国でも首相になるにはお金が必要になる。ニャンは将来への投資と思ってチンにお金を渡して、両者は親しくなった。ニャンは大きな会社の社長である。登場人物全員が超多忙であり、 1度か 2度の情事はあったのかも知れないが、愛人関係などではなかった。ドライな大人の関係だ。知人はそう言っていた。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナム政府も民衆も、少数民族に寛容である。ベトナム人から少数民族の悪口を聞いたことがない。第一の理由は、少数民族は山岳地帯に暮らしており、平地のキン族とあまり交わらないからだろう。 筆者はある時、ベトナム人(キン族)と一緒に山岳地帯におけるカカオ栽培の調査に行ったことがあるが、その時に山道をオートバイに二人乗りした若者が勢いよく駆け下って来るのに出会った。若者たちは陽気な声(挨拶だったのだろう)を上げながら、筆者たちの横を通り過ぎて行った。筆者に同行していたベトナム人は笑っていた。 筆者が何者かと尋ねると、楽しげに「山猿だよ」と答えた。そのベトナム人によると、政府は山岳地帯に住む少数民族に何らかの補助金を与えている。おそらく、その補助金でオートバイを買ったのではないか。若者がそれに乗って麓に買い出しに行ったのではないか。そんな解説だった。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ただ、カンボジアとの国境付近では、国境が明確に定まっていない地域もあり、その周辺では少数民族を巻き込んだ問題があるとされる。第 2章で詳しく述べるが、カンボジア人はベトナムに領土を奪われたと思っている。そのため、対立の根は深い。 現在のカンボジア政府は、ベトナムの軍事侵攻によって作られたヘン・サムリン政権の流れにあるが、ベトナムではなく中国との結びつきが深い。しかし、カンボジアの一般民衆は中国と中国人をひどく嫌っている。国境付近にはカンボジア系少数民族が多く暮らす。 そのような情勢の中で、中国の不動産バブルが崩壊して、中国からの投資が減り始めている。カンボジア政府は困難な立場に追い込まれているが、それがベトナムとの関係にどのような影響をもたらすか、現在は不透明である。 ベトナムとカンボジアの国境は、見た目には平穏であるが火種はある。メコンデルタのカンボジアに近い地域で事業を展開する場合には、この辺りのことに細心の注意を払う必要がある。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「本章ではベトナムの歴史を概説する。歴史を知ることは、ベトナム人の考え方や行動を理解する上で大いに役に立つ。本書は歴史の教科書ではないので、細かな出来事や年号はなるべく省略して、おおまかな流れのみを書いた。またベトナム人の心に残っている英雄にスポットを当てた。英雄の多くは中国との戦いで生まれたが、現在、その名は地域や大通りの名前になっている。英雄の事績を知っておくと、ベトナム人との共通の話題作りに役立つ。 どの国でも同じであろうが、特にベトナムでは幼い頃に父母や祖父母から聞いた話が人々の歴史観を作っているように思われる。そして、それがベトナム人の国民感情である「反中」の根底をなしている。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「現在、多くのベトナム人はこの南越国をベトナムの始祖と考えている。そんなベトナムで「海南島は昔ベトナムの領土であったが、中国に取られてしまった」と真顔で言う人に何度も出会ったことがある。男女含めて複数である。男性はちょっと酔うと、国力を付けていつか中国から海南島を取り戻したいなどと言う。かなりのインテリでもその話をするから、それがベトナム人の歴史観なのだろう。 ベトナム人の名前はその昔は漢字で書かれていた。現在はローマ字表記になっているが、それぞれに漢字を当てはめることができる。ホー・チ・ミンは胡志明、グエンは阮、ファムは范、ブオンは王、ブーあるいはヴォーは武である。ベトナムでは、それぞれ氏族の始祖は中国人と考えているようで、あるブーさんは自分の始祖は武則天(則天武后)であり、名門の出身だと誇らしげに言っていた。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは古代から中世にわたる長い間に、中国から移り住んだ人々が現地人と交わることによって作り上げられた国と言えよう。その文化や文明が中国によく似たものになるのは当然である。我々は、ベトナムは ASEANに属しているから東南アジアの国であると思ってしまうが、ベトナムを中国文明の支流と考えた方が理解しやすい。筆者はベトナム人を「中国が大嫌いな中国人」と理解している。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムが中国の植民地だった時代、日本は海を挟んでいたために中国の植民地になることはなかったが、遣隋使、遣唐使などによって中国大陸の文化や文明を取り入れることができた。一方、ベトナムは植民地時代に独自の文化や文明を発達させることができなかった。ベトナムを語る場合には、このことをよく認識しておく必要がある。 この時代の日本に関係したエピソードを書き加えておく。それは百人一首に採用された歌である「天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」を詠んだ阿倍仲麻呂( 698‐ 770年)が 761年から 767年までの 6年間、安南(ベトナム)の節度使(地方長官)を務めたことだ。 阿倍仲麻呂は遣唐使として入党した後に外国人枠の科挙に合格したとも、異国趣味だった唐の玄宗皇帝の意向で採用されたとも言われる。いずれにしろ外国人でありながら学識が認められて官僚に登用されて、高い地位に上った。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「東南アジアには、「マンダラ型」と呼ばれる権力構造がある。そこでは一つの王権が大きくならず、国の内部にいくつもの王朝が並立する。仏教の曼荼羅図に似ているのでこのような名称で呼ばれる。東南アジアでは父系だけでなく母系も強く、その結果、後継者候補が多くなる。後継者は多くのライバルとの争いを勝ち抜かなければならず、それに力をすり減らすために、大きな王朝を作る余裕がない。その結果、同じ国の中に小さな王権が並立することになる。 ベトナムの南部にはチャンパと呼ばれる王朝があったが、その勢力が強大になることはなかった。チャンパはマンダラ型国家の一つである。ベトナム紅河流域は東南アジア型のゆるい王権と中国型の強い王権が混じり合う地域であった。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「余談であるが、パターン ①の逆と言ってよいが、中国に強い皇帝が出現することは、ベトナムの危機につながる。ベトナムを植民地にした漢の武帝、ハイバーチュンを鎮圧した後漢の光武帝、前期黎朝を攻めた北宋の太宗、後に語るが陳朝を滅ぼして再びベトナムを植民地にした明の永楽帝、黎愍帝(昭統帝)の依頼を受けてハノイに進駐した清の乾隆帝、これらは中国の歴史において明君とされ、現在でも人々の尊敬を集めている強い君主である。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「一方、稲作社会には水路で囲まれた農村が点在する。稲作では水管理が重要になり、隣人との共同作業が欠かせない。そのために村の結束が強くなる。稲作を行う村は攻めにくい。だから地方の豪族の顔を立てる政権を作らなければならない。それにもかかわらず、ベトナムでは中国型の強い王朝を作ろうとした。これがベトナム政治の失敗の本質である。 ちなみに、日本の政権は現在でも弱い。自民党政権は派閥の連合体であり、首相の権限は弱い。時に米国の大統領制のような強い政権が必要だという議論も出るが、いつの間にか話題にならなくなってしまう。稲作文化が根底にある社会には、派閥政治が向いている。ベトナム政治を眺める際にこの視点を持っておくと、現代でもしばしば起こる政権内でのゴタゴタ(パターン ②)が理解しやすくなる。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 ここに現在のベトナムとカンボジアの関係の原点がある。カンボジアはベトナムに領土を侵略され続けたと考えている。現在でも両国の間には国境線が確定していない地域がある。国境付近はベトナム系カンボジア人とカンボジア系ベトナム人が入り組んで住んでおり、アジア有数の観光地になったベトナム領のフーコック島についても、カンボジアは領有権を主張している。ホーチミン市周辺に住むベトナム人は、自分はキン族であるというアイデンティティを持っており北部と一体感があるが、カンボジアとは対立している。 このような歴史的な経緯があるために、ベトナム南部に住む人々は、北部に不満があっても北部からの独立を口にすることはない。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムの近世を開いたのは二人の阮である。阮恵( 1753‐ 92年、在位 1788‐ 92年)と阮福暎( 1762‐ 1820年、在位 1802‐ 20年)。どちらもグエンであるが両者に血縁はない。阮恵はクイニョンのある南中部ビンディン省の西山の無名の一族に生まれ、一方の阮福暎は、南部を支配していた名門の阮氏の出身である。 阮恵には兄と弟があり、阮三兄弟と呼ばれる。この三兄弟は 1771年に南部阮氏の悪政に対して反乱を起こした。南部阮氏の治世は退廃していた。阮三兄弟は反乱を起こしてから 6年後の 1777年に南部阮氏を滅ぼして南部をほぼ手中にした。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「1820年に即位した第二代皇帝の明命帝( 1791‐ 1841年、在位 1820‐ 41年)は、キリスト教の布教を厳しく禁じた。フランスにしてみれば、それは話が違うというところだろう。明命帝は儒教的規律を重んじた。阮朝の建国にはフランス人宣教師が深く関わったのに、王朝ができると儒教を重んじて、キリスト教を迫害した。明命帝はヨーロッパから派遣された宣教師 7人を処刑した。これは 16世紀から 17世紀初頭、豊臣政権や徳川時代初期ならば国を揺るがす事態に発展することはなかったが、それから 200年が経過した 19世紀になってヨーロッパの大国を怒らせたことは高くついた。フランスはベトナムを植民地にしようと画策し始めた。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「同時代のベトナムには教養を持った人物は少なく、その少ないインテリも科挙の合格をめざして勉強してきたものばかりであった。彼らの頭は朱子学で凝り固まっており、大義名分論を振りかざすしか能がなかった。また、儒教を学んだものの常として、実学をバカにして兵士を下賤な連中と見ていた。それが阮朝に兵士が少なく、かつ士気が低かった最大の原因である。 以上のような条件が重なり、ベトナムはフランスの植民地になり、日本が植民地になることはなかった。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「フランスは 1887年にインドシナ総督府を設置し、ベトナムはフランスの植民地になった。フランスは英国に比べて植民地の統治が下手だった。その統治は今でもベトナム人の強い反発を招いている。インドは英国の植民地だった。インドはガンジーに代表される人々の抵抗運動の結果、第二次世界対戦後にベトナムと同様に独立を果たしたが、独立後の英国に対する感情はそれほど悪いものではない。インドのエリートの多くがケンブリッジやオックスフォード大学に留学している。インドは英連邦の一員であり、また英語は今でも広く使われている。 同じく英国の植民地であったミャンマーでも、英国に対する感情は概して悪くない。日本でも有名なアウンサンスーチーは、若い時にケンブリッジ大学に留学している。英国は世界情勢をよく見極めて、第二次世界大戦終了直後にインドやミャンマーを独立させた。また、植民地時代も、インドやミャンマーの部族や民族間の争いを巧みに利用して、英国が直接の悪者にならないような方法で統治していた。そんなこともあって、インドやミャンマーの人々は、独立した後に英国をそれほど憎んではいない。 一方、ベトナム人は今もフランスを憎み、かつ嫌っている。その第一の理由は、フランスはホー・チ・ミンが独立を宣言した後に舞い戻って来て、 1954年まで戦いを続けたことにあろう。フランスがベトナムをなかなか手放さなかったことが、米軍がベトナムに介入する原因になってしまった。フランスはアルジェリアの独立においても泥沼戦争を行い、その結果としてフランスに多くのアルジェリア人が暮らすことになり、かつ現在になってもアルジェリアとの関係は円滑とは言い難い状態にある。フランスは世界史の流れを見据えることが苦手である。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「フランスは世界史の流れを見据えることが苦手である。 植民地時代にはフランス語を話すベトナム人もいたが、現在は全くと言ってよいほどフランス語は話されていない。よく旅行ガイドブックなどに、ベトナムはフランスの植民地だったので料理が美味しいなどと書かれているが、それは浅薄な見方である。ベトナム料理の多くは伝統的な味付けで、そこにフランスの影響を見ることはできない。バインミーというパンに野菜などを挟んだ名物があるが、食材としてパンを使用しているだけで、その味はベトナム料理と変わるところはない。高級ホテルを除けば、フランス料理を出すレストランも少ない。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「フランスに留学するベトナム人もほとんどいない。フランスからの投資も少なく、貿易も少ない。ベトナム人はヨーロッパに留学する際に、主に英国とドイツを選んでいる。それほどまでにフランスを嫌っている。アフリカでフランスの植民地だった国々では今でもフランス語が話されており、フランスが政治・経済の両面で大きな影響力を持っているケースがあるが、ベトナムに関する限り、フランスの影響力はゼロと考えてよい。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「米国のアジア戦略はいつも同じだ。アジアに強国ができることを嫌う。それは米国がアジアを支配したいからに他ならない。戦前のアジアにおける強国は日本だったので、米国は中国を使って日本の勢いを減じようとした。米国は英国と組んで、重慶に逃げ込んだ蔣介石政府を支援することにした。 ちなみに共産中国ができると米国は安保条約を結んで日本を支援した。それが日本の戦後復興を助けたが、 1980年代になって日本が経済大国として強い力を持ち始めると、米国は日本を叩き始めた。中国を支援して日本の成長を抑えようとした。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「キッシンジャーは中国と和解することが目的ではなかった。ベトナム戦争を終わらせることが目的だった。中国と北ベトナムを切り離したかっただけだ。本書に書いたように中国とベトナムは仲が悪い。マクナマラは中国と北ベトナムは同じ共産主義国で仲が良いと思っていたが、キッシンジャーは、両国は仲が悪く、米国が上手く立ち回れば両者を切り離すことができると考えた。 キッシンジャー訪中後に中国から北ベトナムに対する支援は減った。北ベトナムは中国に対して不信感を強めた。中国共産党は世界革命のために北ベトナムを支援するはずだ。北ベトナムの共産主義者はそのように考えていたが、そんな北ベトナムの共産主義者は青臭い。歴史が証明しているように、中国はベトナムを仲間とは考えていない。中国にとってベトナムは下僕であり、国際戦略においては駒でしかなかった。北ベトナムの共産主義者が現実を思い知らされた瞬間だった。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「キッシンジャーの活躍によって中国という後ろ盾を失ったベトナムは、 1973年にパリ講和を受け入れた。その交渉の最中に、米国は交渉を有利に運ぶためにハノイを猛烈に爆撃した。これは日本人として記憶しておくべきことであろう。パリで交渉をしている最中にハノイを爆撃して、北ベトナムから譲歩を引き出そうとしたのだ。米国のやり方は野蛮である。広島・長崎に原爆を落として降伏を迫ったのと同じ発想である。ただ、日本とは異なり、北ベトナムは猛烈に反撃した。北ベトナムはこのような米国のやり方を予期していたようで、ソ連から新型の対空ミサイルを大量に導入していた。 米軍はタイとグアムから B 52爆撃機を飛ばしてハノイを爆撃したが、北ベトナムはミサイルで迎撃した。米軍は北ベトナムの迎撃を舐めていた。ソ連製の SA Mミサイルは強力だった。ミサイルによって多くの B 52が撃墜された。ベトナム側発表と米軍の発表が異なるために、何機撃墜されたのかいまだに不明であるが、あまりに撃墜される爆撃機が多いので、米軍の搭乗員が出撃を嫌がったなどといった報道があったくらいである。これをベトナムは「空のディエンビエンフー」と呼んでおり、今も誇らしい記憶になっている。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「日本では中国が好きか嫌いか、アンケート調査が行われることがあるが、ベトナムでそのようなことが行われたことはないだろう。常に中国を嫌っているからだ。時によって変化することはない。それはベトナム以外の東南アジアの大陸部に住む人々も同じであると思う。長く中国と国境を接してきた国々は、少々のことで中国に対する感情は変わらない。恐れると共に嫌っている。ミャンマーなどには多くの華僑が住むが、東南アジアの人々は華僑も嫌いである。そんな気持ちを抱きながら共存している。 中国人は東南アジアに住む人々を「南蛮」と呼んで、太古の昔から蔑んできた。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「第 3節で述べたように、ベトナムはカンボジアと近い文明を持っていたチャンパ王国を滅ぼして南進した。そんな歴史があるので、ベトナムとカンボジアは仲が悪い。アンコールワットを作ったクメール王朝はチャンパとは別だが、現在のカンボジアの源流にあたり、アンコールワットの遺跡はカンボジアの紙幣のデザインにも取り入れられている。クメール王朝は東南アジア大陸部の多くを支配下に置いていたが、今のカンボジアは東南アジアの中で経済開発が遅れた国になってしまった。 その理由の一つはポル・ポト政権が行った言語に絶する蛮行にある。それを語るにまずノドム・シアヌーク( 1922‐ 2012年)について語らなければならない。 シアヌークはカンボジアの王族であり、 1941年にカンボジア王に即位した。シアヌークは王様でありながら左翼思想に理解を示す、ちょっと変わった人物だった。経済だけでなく文化・文明の点でも遅れていたカンボジアでは、そのような変わった王様の存在が許されたのかもしれない。ベトナム戦争が行われている最中も、シアヌークは共産勢力に同情的だった。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「図 2に東南アジア 5か国と G7の 1人当たり GDPの推移を同時に示す。これを見ると、東南アジア 5か国と G7の間に明確な差異があることが分かる。東南アジア 5か国の中で 1人当たり GDPが最も高いのはマレーシアであるが、そのマレーシアも G7の遥か下方に位置する。 ちなみに日本ではバブル崩壊後は悲観的なことばかりが語られるが、 G7の国々と比較してみた時、それほど悲観すべきものでもないことが分かる。円安であったために 2022年の値は急速に低下しているが、それを除けば日本の 1人当たり GDPは英国、フランス、ドイツ、カナダとほぼ同じと言ってよく、イタリアを少々上回っている。日本はここ 10年ほどデフレ脱却を目的に極端な金融緩和政策を続けているために、円安が定着してドルベースの GDPは低くなってしまったが、それでも先進国の一員でなくなったわけではない。東南アジア 5か国との間には明確な差異がある。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「特に中国については危険である。中国は米国に次ぐ世界第二の経済大国であり、国際機関に多額の資金を提供している。多額の資金を提供する国は、その機関に多くの人を送り込むことができる。今日、すべての国際機関において多くの中国人が働いており、それのみならず FAO(国連食糧農業機関)などでは中国人が組織のトップになっている。 中国が国際機関に送り込んでくる人材は、すべてが共産党員と考えてよい。そして彼らは共産党の中でもエリートである。そんな彼らは、国際機関が独自で調査を行い、中国政府が発表するデータと異なるデータを発表しようとすると、全力で阻止する。そんなわけで IMFや世界銀行が、中国政府の公表するデータに疑念を持ったとしても、それに近い値を発表せざるを得なくなる。 中国の GDPは多分に粉飾されている。人工衛星から夜に地表を見ると、山岳や森林は暗く都市は明るく見える。発展している都市であればあるほど明るく見える。このことを利用して各国の GDPを推計した研究*がある。夜の明るさから推計した GDPと政府が公表する GDPの間には差異がある。権威的な政権ほど自国の GDPを多めに公表する傾向があり、中国もその例外ではなかった。 その研究によると、中国の実際の GDPは公表されている値より 40%ほど少ないという。中国の GDPは 40%ほど水増しされている。中国の GDPについてはこれまでも水増しが指摘されてきたが、人工衛星が撮影した画像という客観的なデータによってそれが裏付けられたと言えよう。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「余談になるが、チャイメリカが進化する過程で最も被害を受けたのは日本である。日本は明治以来、自分の努力によって営々と資本を蓄えて、それによって工業部門を発展させてきた。 1960年代になると、そんな日本の工場で作った製品を米国に輸出して儲けた。日本の工場の資本は日本のものだから、製品を輸出して儲けたお金はすべて日本のものになる。日本の製品は安くて性能が良いために米国民は喜んで日本の製品を買う。その結果として米国は日本に大幅な貿易赤字を計上することになってしまった。それが貿易戦争を引き起こした。 1980年代は日米貿易戦争の時代であった。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「しかし、西欧先進国、そして日本に住む人々には、それに加えて公平な社会や国家を作り上げたいとの思いがある。公平な社会や国を作りたいと思う人々は、汚職を悪いものと考える。だが、多くの開発途上国では、人々は先進国に住む人々ほど汚職を悪いこととは思っていない。もちろん制度面の不備もあるが、汚職を悪いことと思う倫理観が育っていない。 多くの人々は、親族や知り合いを優先して何が悪いと思っている。自分の家族や親族、そして同じ村の人のために隣の村から物や土地を奪うことがあっても、それが正義と考えている。そのような状態では内戦や、内戦とまではいかなくても地域間の争いは絶えない。「公共」という概念は、そんなに簡単には育たない。開発途上国の人々は、公平な税制や透明性のある行政システムの構築が苦手である。たとえ先進国の援助によって公平な税制や透明性のある行政システムが作られたとしても、それを公平に運用することができない。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「これは筆者の主観かも知れないが、開発途上国の人々は格差があることを問題にしない。多くの人は、自分が豊かになればよいと考える。そして、国全体の格差を是正するようなシステムを議論することを好まない。健康保険制度や年金システムが国を挙げての議論になることもない。どうしたら自分や自分の親族が豊かになれるかばかりを考えている。これが約 35年間にわたって中国やベトナムの農村を訪ね歩いた筆者の結論である。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「近年、ベトナムの GDPは順調に増加しており、わずかではあるが 2022年に停滞気味のマレーシアを追い抜いた。この勢いが続けばタイを追い越す日も近いだろう。ちなみにベトナムの人口は約 1億人、タイは約 7000万人だから、 1人当たり GDPがタイの 7割程度になればタイを抜くことができる。このように順調に GDPが増加していることが「チャイナ・プラス・ワン」としてベトナムが注目される所以である。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「タイは王政が残る世界でも数少ない国である。立憲君主制になっているが、日本や英国に比べてタイ王室は大きな力を持っている。タイの王様は世界の王様の中で一番のお金持ちとされる。それは財力だけではない。タイ王室は政治にも大きな影響力を有している。現在でもタイには不敬罪が存在する。その廃止は 2023年に行われた総選挙の争点になっていたが、廃止を公約に掲げた政党は選挙で第一党になったにもかかわらず、過半数に達しなかったために政権を取ることができなかった。 タイではバンコクに住む既得権益層と東部や東北部の農民との間の争いが続いている。既得権益層には王室の縁者も多く、王室のカラーである黄色をシンボルにしている。一方、東部や東北部の農民は赤をシンボルカラーにしている。 21世紀に入った頃から、黄色シャツと赤シャツの対立が続いており、これがタイ政治の底流を形成しているが、それはタイが格差社会であることを示している。 そんなタイは先に述べたが「中進国の罠」にハマり込んでしまった。その原因の一つは農村部が経済発展から取り残されてしまったことにある。タイの政治は格差是正に取り組むことができない。先にも述べたが、このような政治を行っていたのでは「中進国の罠」から抜け出すことはできない。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「フィリピンは東南アジアの中でも異質な国である。スペインの植民地であった時代が長かったために、カトリック系住民が国民の大半を占めており、アジアで唯一ラテン文化が根付いた国である。ベトナムは工業に力を入れているが、フィリピンは工業には力を注がない。それでも 1人当たり GDPにおいてベトナムとフィリピンはほぼ同じ水準にある。このことは、 21世紀における経済発展戦略を考える際に留意すべきことである。 ベトナム人の思考の底には、日本人と同じように儒教がある。儒教に由来する生真面目さがあるために、ベトナム人は国を発展させるためには工業を発達させなければならないと考えるようだ。しかし、ラテン文化が思考の底にあるフィリピン人はそのようには考えない。この違いは、海外に進出しようと考える日本人や日本企業が頭に入れておくべきことである。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ここで一言付け加えると、ベトナムに関する国連のデータは、中国ほどバイアスがかかっていないと思う。お金がないので国際機関にお金や人材をほとんど供給していない。その結果、ベトナムの国際機関に対する影響力は弱く、データを大きく変えるほどの力は持っていない。 ベトナムの統計が信頼に欠ける原因の一つは、ここで見たように統計総局、公安省、外務省などがそれぞれ別個に統計をとっているが、その結果について議論し、正しいデータを作ろうと努力しないためだ。ベトナムの行政機関は縦割り主義であり、横の連携が悪い。このことはベトナムを考える場合に、常に頭に入れておかなければならない。ベトナムのデータが日本と同等の信頼性を持つと思ってはいけない。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ただ、幼児死亡率が低下しても、すぐに出生率が減少することはない。それは結婚年齢や産む子供の数は文明や文化の一部を成しているためである。たくさんの子供を産むために女性は 20歳頃までには結婚するべきだ。そして多くの子供を産むべきだ。人口を維持するために、どんな文明・文化でもそのような規範を持っていた。そんな規範が変化するには時間を要する。 その結果として、多くの子供が生まれ、その多くが成人に達する時期が生じる。その時期に人口は爆発的に増加する。このような時期を人口学では「多産少死」と称している。その後、生まれた子供の多くが成人することが認識されると、生まれる子供の数が減ってゆく。「多産多死」から「多産少子」を経て「少産少死」に至る。このような過程を総称して「人口転換」と呼ぶ。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「傾向は似ているものの、東南アジア 5か国の中に若干の差異が見られる。まず目につくのは、フィリピンの TFRがほぼ一貫して高いことである。先に GDPの構成において、フィリピンでは工業の割合が低くサービスの割合が著しく高いなど、他の東南アジア諸国とは傾向が異なることを述べたが、 TFRにおいてもフィリピンは他の 4か国とは異なっている。フィリピンではカトリック信仰が盛んであり、アジアにあるラテンの国と言ってもよい。そのことが、フィリピンにおいて多くの指標が他のアジア諸国と異なる理由であろう。 一般に経済が発展すると TFRが低下する。マレーシアはここにあげた 5カ国の中では最も一人当たり GDPが高いが、 2番目に高いタイよりも TFRが高くなっている。これはマレーシアの人口の約 6割がイスラム教徒であり、イスラム教の教義では子供を産むことが奨励されているためと考えられる。イスラム教徒が多い西アジア諸国も TFRが高い。 ただ、そんなマレーシアでも TFRは低下し続けており、 2016年に 2を割り込み、 2021年には 1・ 80まで低下した。このような状態が続けば、そう遠くない将来にマレーシアの人口は減少に転じることになろう。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「大都市で女性の初婚年齢は確実に上昇している。信頼できる統計に接してはいないが、 2016年頃のハノイでは女性は 20歳を過ぎたら結婚すべきだとの考えが強いように感じた。だが、現在は 30歳になっても結婚していない女性の話を聞くことも稀ではない。ベトナム社会はこの 10年ほどで大きく変化した。経済成長が人々の心までも変え始めた。今後、女性が 20歳前後で結婚して子供を 2人作るというライフスタイルは急速に変化していくことになろう。 私見だが、若者の意識の急速な変化はスマートフォン(スマホ)が作り出したと考えている。世界でスマホが広く普及したのは 2010年代である。ベトナムもほぼ同時期にスマホが普及したが、スマホを操作していれば、ボーイフレンドやガールフレンドがいなくても暇がつぶせる。それが少子化を加速しているようにも思える。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムは沖合で天然ガスを産出するが、十分な量は出ないので、今後、天然ガスの輸入量を増やす必要がある。 地球環境問題はこれから発展しようとする国に対して足枷になる。ヨーロッパ諸国や米国は、 19世紀から大量の石炭を使用して経済発展してきた。日本が経済成長を遂げた 1950年代から 1990年にかけても、化石燃料の使用を制限するような議論はなかった。そして中国も石炭を大量に使用することによって、米国と対峙するほどの経済力を持つことができた。しかし、中国に 20年ほど遅れてベトナムが経済発展しようとすると、そこに地球環境問題が立ちはだかることになった。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムでは工業部門が消費する石油が少ない。 2020年の割合は 8%に留まる。これはベトナムでは重化学工業が発展していないことを示している。ベトナムは、 21世紀に入ってから経済が本格的に発展したために、工業部門はサムソンのスマホ工場に象徴されるような I T産業が中心になっている。石油を大量に消費する産業はベトナムに存在しない。 その一方で、農林水産業での消費量が増加している。これはベトナムではエビの養殖などが盛んであり、それらがポンプの動力源として石油を使用しているためと思われる。 ベトナムでは、石油は主に輸送部門で消費されている。その輸送用部門での消費が伸び悩んでいる。理由としては、日本と同様に自動車の燃費が向上していることがあろう。ただ、ベトナムではオートバイが広く普及しているが、オートバイの燃費は自動車のように向上していないから、消費が伸び悩む原因を燃費の向上だけで説明するには無理がある。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「 現在、最も輸出額が多いものはナッツ類であり、 34・ 1億ドルと全農産物輸出額の 21%を占めている。ベトナムのカシューナッツは有名である。 歴史の中でベトナム人はコメを作って生きてきた。だから 1986年にドイモイが始まると、ベトナム政府はコメを輸出産業に育てることに力を注いだ。コメ輸出は 1990年代にはベトナム経済において大きな役割を果たしたが、 21世紀に入った頃から急速に縮小した。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「マレーシアとベトナムの肉消費量は日本と大差ない。 1人当たり GDPはマレーシアが約 1万ドル、ベトナムが約 4000ドル、そして日本は約 4万ドルである。この 3国は経済力には差があるが、肉消費量にはそれほどの差はない。貧しい国では肉消費量が少ない傾向があるが、ベトナム程度の発展段階になれば経済力が肉消費量に影響を与えることはないとしてよい。 一方、インドネシア、タイ、フィリピンの肉消費量は日本、マレーシア、ベトナムに比べて有意に少ない。これを経済力の違いによって説明することはできないと思う。タイの 1人当たり GDPは約 8000ドルであり、ベトナムを上回っている。インドネシアとフィリピンの 1人当たり GDPはベトナムと大差がない。ベトナムの人々が日本と変わらない量の肉を食べているのだから、これら 3か国は貧しいから肉が食べられないわけではないだろう。それではなぜ、少ないのであろうか。 理由は宗教や食習慣にあると思われる。インドネシアの肉消費量は特に少ないが、これはイスラム教の影響と考えられる。イスラム教では豚肉を食べることを禁じているが、それ以外の肉もハラルによって屠殺された肉しか食さないなど、肉に関わる禁忌が多い。伝統的にイスラム圏では羊肉を食べてきたが、インドネシアは熱帯に位置しており羊の飼育に適していない。そんなこともあって肉を食べる習慣が根付かなかったのであろう。 インドネシアに次いでタイの肉消費量も少ない。タイでは上座部仏教が大きな影響力を持っている。仏教は肉食を禁じるものではないが、それでも肉食は忌避される傾向がある。肉の消費量が少ないのは、その影響と考えられる。インドネシアでは豚肉は食されていないが、タイでは豚肉が食されている。この辺りにも宗教の影響を伺うことができる。なお、マレーシアでは多くの人がイスラム教を信仰しているが、中国系の人々も多いために豚肉が食されている。マレーシアのイスラム教徒は鶏肉をよく食べる。マレーシア料理として茹でたチキンを乗せたライスは有名である。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「筆者の個人的な感想であるが、フィリピンの料理の味付けが一般に甘く、肉料理には適していないように思う。ただ、それだけで肉消費量が少ないことを説明するのは無理なようにも思う。 1人当たり GDPがベトナムとほぼ同じでありながら、肉消費量が少ない理由はよく分からないとしか言いようがない。 ここでベトナムに話を戻すと、現在、ベトナムでは日本とほぼ同じ量の肉を食べている。その構成も日本によく似ている。牛肉、豚肉、鶏肉を食しており、その中で牛肉がやや少ない。これは豚や鶏に比べて牛を飼育するには多くの飼料が必要になり、その結果として価格が高いためと考えられる。 食生活の満足度と肉の消費量には相関がある。貧しい時代に肉は貴重品である。日本では昭和 20年代がそんな時代だった。もはや戦後ではないと言われた昭和 30年頃から肉の消費量は増加し始めて、昭和 50年代に入ると消費量は現在とほとんど変わらなくなった。誰もが好きな時に好きなだけ肉を食べることができる時代になった。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「タイは例外と言ってよい。タイの人々もコメを主食としており、タイの歴史とコメは切っても切れない関係にある。それでもタイは 1人当たりの耕地面積が多い。これはタイの文明がチャオプラヤー川流域で発展し、東部や東北地方の開発が遅れていたためである。 もう少し詳しく説明すると、伝統的なタイの国土は現在のバンコク周辺に留まり、東部や東北部は歴史的にはカンボジア(アンコールワットを築いたクメール)の領地だった。そしてアンコールワットが森に埋もれていたように、その多くは森林だった。近世になってそこをタイが領有して開墾を進めたが、その時間は歴史の中では短く、東部や東北部の人口密度は低い状態が続いている。この辺りにもタイとカンボジアの不仲な理由が隠されている。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「少し余談になるが、コメとエビに関する皮肉な物語を書いておきたい。ベトナム人にとってコメは重要な作物だった。現在は「だった」と過去形で語るべき時代になっているが、ベトナムがドイモイを行い、国際社会に復帰した後に、ベトナムは自分たちの主要農産物であるコメを輸出して外貨を稼ごうとした。それは自然な発想と言えよう。 ベトナムのコメ所はメコン川下流域である。メコン川は国際河川であり、中国に源を発し、その流域はビルマ、タイ、ラオス、カンボジアに及ぶ。 このメコン川に多くのダム建設計画が持ち上がった。それは発電用のダムであり、農業用水用のダムでもあった。発電用のダムは水流を大きく減らすことはない。それは貯めた水を再び流すためである。しかし貯めた水を農業用に使うと農地で蒸散して、下流の水量が減る。 メコン川の最下流に位置するベトナムは、メコン川の水量に神経質になった。それは水量が減少すると、下流域で満潮時に海水が遡上する現象が起きるためである。メコン川下流域はベトナムのコメ所である。そのメコン川下流域に海水が遡上して、コメが栽培できなくなったら大変である。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「しかし、そのようなプロジェクトが実現することはなかった。それは、しばしば飢饉に襲われたインドがコメの輸出国に転じるなど、世界的に農作物が余り始めたからだ。その結果、タイでもコメを輸出して国を豊かにするモデルは崩壊してしまった。 同様のことはベトナムでも生じた。 21世紀に入って世界的に農作物が余り始めると、農作物の価格は低迷して、ベトナムもコメ輸出によって外貨を稼ぐ時代ではなくなった。 その一方で、ベトナムではエビの養殖が盛んになった。その生産の中心はメコン川下流域である。ここで皮肉なことが起きた。それはエビの養殖は汽水域(海水と淡水が混じり合った水域)が適していることである。 メコンデルタでは、元は水田だったところに汽水を導入してエビを養殖している。そしてメコン川の水位が下がると海水は上流にまで遡上する。それはエビ養殖に好適な水田が増えることを意味する。コメを作るには海水が遡上しないほうが良いが、エビを養殖するには海水が上流まで遡上してくれた方が都合がよい。そしてエビを養殖するとコメを生産するよりも何倍も儲かる。それは先ほども書いたように農産物の輸出額が 18・ 5億ドルであったのに対して、エビが中心を占める水産物の輸出額が 88・ 8億ドルであったことからも分かる。エビ養殖は外貨獲得に役立つ。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ベトナムの日本軽視発言の理由の一つは、貿易額が減少していることにある。ベトナムは歴史上、中国に何度も侵略されたから、中国を嫌うと共に強く警戒している。だが、隣国であり、かつ近年経済が急成長したことから、現在はベトナムの最大の貿易相手になっている。ベトナムに来た駐在員などが、「ベトナム人は中国が嫌いと言いながら、経済では結構蜜月だ」などと発言する理由がここにある。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「表 6にベトナムに対する国別の投資額を示す。これも単年度では変動が激しいので、 2020年と 2021年の平均値を示した。ベトナムへの投資額が最も多いのはシンガポールである。それに韓国が続き、日本は第 3位である。シンガポールは投資資金の中継地的な役割も果たしている。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「韓国からの投資は日本を上回っている。韓国は 21世紀に入ってから東南アジアの投資先としてベトナムを選んだ。そのことは表 6によく表れている。日本は貿易額だけでなく投資額でも韓国の後塵を拝している。ベトナムには米国からの投資が少ない。米国はベトナムから携帯電話やコンピューターなどを大量に輸入しているが、投資はわずかでしかない。これは、米国にいまだにベトナム戦争のトラウマが存在するためと思われる。オランダからの投資は第 4位になっているが、オランダ以外のヨーロッパの国々は表に入っていない。 旧宗主国であるフランスも入っていない。旧宗主国は独立した後もそれなりの影響力を持ち続ける場合が多いが、フランスはベトナムに対して全くと言っていいほど影響力を保持していない。ベトナム人はフランスを嫌い、交流を避けている。その結果として、フランスからベトナムへの投資も少ない。」
—『日本人の知らないベトナムの真実 (扶桑社BOOKS新書)』川島 博之著
「ちなみに、インドネシアの首都ジャカルタにはビルが林立し、その経済発展に -
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毛沢東の時代が終わり、と小平が経済重視と共産党独裁の国家を両立させる政策を感が出した。その方向性に対して米と日本などが力を貸して世界第二位の経済力を実現させた。このとき、米も日本も極貧の国民が多数を占める国が経済が成長し人々が豊かさを手にしたときには共産主義は自ずと消滅し西欧的な民主主義の国に近付き独裁者は抹殺されると考えていた。しかし、実際は習近平が主席になり二期目を迎えた今、共産党独裁はより強固になり独裁国家ますます強化されていく気配である。この独裁を貫く基本がデジタル文化大革命であるといのが本書の趣旨。
ウイグル自治区における弾圧政策が如何に大規模であり人権無視のものであるかが、次第に世界に漏れ出てきている。いつの間にか中国全土に監視カメラが張り巡らされ、すべての人が国家の関しの元におかれる国になってしまった。この路線はより強力に進められ、インターネットに自由は無く政権に協力的であるか従順であるかがビッグデータやAIにより全て把握される国になりつつある。
筆者は、自由の無い監視国家には早晩行き詰まりが訪れると予言する。習近平の3期目は無いだろうと... -
Posted by ブクログ
中国を題材にして、データをこのように
料理するセンスに すばらしいものを感じた。
仮説、推論が うまい具合に炸裂している。
データを分析するには センスなくしてできない。
『敵を知り、己を知れば、百戦殆うからず』
ということが、わかりすぎるほどわかっているが
中国の実体を正確につかむと言うことの
困難性があり、それに意欲的に取り組んだことは
一番見るべき本書の特徴だろう。
中国のデータは信用できないと思っていたが
そりゃ。目標を達成する責任をもっている人が、
統計の集計の責任者だから、出世ということを
考えれば、ゴマカスだろうね。
なんと言うニンゲン臭い、子供っぽい、レベルの低さを
感じるなぁ。
結局 中国は 自分の国の統計を正確にできないということから、
一流の国とはいえない ことははっきりしている。
社会主義を掲げて、科学的でないこと自体が、不具合を生み出す。
それが 中国なんだよね と納得してしまった。
でも、小さな嘘しかつけないところに、小心さを感じる。
反日、そして 南シナ海の中国の暴走は、
歴史的な必然があることを 納得。
しかし、少子化と高齢化で そんなことは言っておれなくなる。
という指摘は、わかりそうで、少し楽観論だね。
共産党は、省の書記、省長などの任命権もっている。
しかし、そいつ等が 賄賂を受けとって逮捕されても
任命した人の責任は 表に出てこないのが おかしいのだけどね。
貧富の差がなぜ生まれているのか?
そして、汚職の金額のスケールが大きいのはなぜか?
それを適切に解明した分析力が頼もしい。
農民籍と都市籍と言う二重構造をつくったのが
中国の 経済発展のひとつの原動力になり、
コストを下げることができた。
しかし、所得や貯金、外国の資本投資、生産高の向上だけでは、
どうやっても、説明できない。
都市部の所得上位10%でも、クルマやマンションが購入できない。
土地をめぐって 地方と全国の共産党が暗躍してる。
共産党による 中国全土の地上げ政策が功を奏した。
しかも、土地は公有制。
農民から 使用権をただ同然に買い受けて、
デベロッパーに高く売りつける。
地上げをすることで、賄賂も大きくなった。
ふーむ。それを野放しにしておいたのが
一番の問題なんだよね。
でも、土地代が 上がらなくなり、下落すると
中国の ウラマネーが、役割を果たせなくなる。
中国は スパイラルの失速をしていくことになる。
農民が貧乏なのは、そんなに面積は増えなかったが
生産力が上がり、豊作貧乏となった。
団塊の世代が 日本と中国では違うという指摘が
なるほどと納得した。
では、どんなカタチで中国は変革を行なわれるのか?
一人っ子政策の廃止は 極めて重要な決定であるが、
そのことで、中国は 少子化高齢化の社会の問題をどこまで避けられるのか?
その緩和のしくみが 定年を65歳に延期するのもアリだね。
こうやって、出された データが
もっと深い ウラの話につながっていけば、
中国のスキマが よく見えていいなぁ。