ギ・ド・モーパッサンのレビュー一覧
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ネタバレ久々に良い本読んだ…ありがとう…ありがとう… 対極のロザリとジャンヌ…ふたりともなんの判断も選択もないまま生きて来たけど偶然に2人とも変わっていく…
ジャンヌが受身すぎるって酷評されてたけどでもちゃんと生きてないかな、って思った。ジャンヌしっかり自分の人生生きてるだろ…?って思いながら読んでた。つらいことがあってもそれでも。あとがきに私が言いたかったことが上手く書いてあったから引用すると、「そんなに簡単に自分の力でものごとを選択したりできないものじゃないか」っていうこと
まぁ受け身と感じられなかった私にもちょっと問題あるのではとは思う。確かに夫がクズすぎるけれども、キリスト教社会でそう簡単に離婚できないんだよねとも考えちゃうんだな。まぁしかしジャンヌは外部に自分の幸せ求めてはいけなかった。
なにぶん表現がうまいのがジャンヌが結婚する前後の心情だろうなぁ、ここから先何もないってところ。少女時代夢を見ていたものがこうも易々と手に入れられてしまって、その先が見えなかったって話はたぶん一歩間違えれば身近にもあり得る話だから -
Posted by ブクログ
「朝ドラ」ことNHK『連続テレビ小説』題材によくある
「波乱万丈な女性主人公の半生」もの
小説分野でいうなら女性が主役の教養小説
というものの古典
フランスの田舎の田園に生きたある女性の半生
書かれたのは1880年くらい
なので「女性」というものの扱いが現在とはいろいろ違うと思われる
題名の『女の一生』は大正二年に和訳されたとき付けられたらしいが
現在だったらこの題名にはならないのでなかろうか
「女性の生涯とはだいたいこのようなものであるとして、作者から客観的に外からながめられている」
というように解説には書いてある
ほほう
「朝ドラ」のようなものは小説の分野でいうなら何にあたるのだろうか
主人公が男性の場合だったらどうか
主材料における「仕事」「家庭」の割合の違いの他に
男性と女性はそれほど明確にわけられるものだろうか
この作品では「ある1人の女性の半生」を
「だいたいこのようなもの」と表現するには不十分
修道院時代がまるきり空白であるし
解説にあるように本編も短編の断片のつながりでしかなく
主人公の家族に向ける視点しか書かれていない
都会へのあこがれはなく田園に住みたがるのだが
新婚旅行はイタリアに行きたがるのである
主人公の行状に「だいたいこのような」とみられる
すなわち「朝ドラ」のような一面は確かにあるものの
それは男性側である彼女の夫も彼女の両親のどちらにも変わらずあるものだ
この時代のある「生涯」がこの小説のようで
それが100年後にも「だいたいこのような」普遍性を持つのは確かでも
「女性の」だけ
であることにはかなり疑問
同じように教養小説といったら男性のもので
女性は「少女」「娘」の次は「妻」で「母」で上がりであるのは
だいたいそうかもしれないが
男だっていつの時代でも家庭においてはだいたいそのようなものである
外では仕事で名誉で英雄で事跡で歴史で蹉跌で諦観で教養小説なのかもしれないが
家庭のなかだけだって仕事とだいたい同じようなものではないか
演じるひとは同じなのだから
と(この題名をよしとする)解説に文句を書いたが
内容には特になし
この前に読んだ武者小路せんせいの『友情』と比べると
どちらが「古い」のかわかったものではない
その時代を描くことの結果が
どの時代でも変わらぬひとの在りかたでなければならなく
そのほうが偉くて高くで良い
というわけではもちろんないが
100年後も読まれるのがどちらかは明らかである -
Posted by ブクログ
ネタバレ開高健「任意の一点」という小説や三原順「ロングアゴー」を思い出した。
叔母のリゾンが物語を通じて何度も現れる。ジャンヌは、最初は「かわいそうなリゾンおばさん」と見下していたのに、一緒に息子ポールに奉仕するのようになり、最後にはなぜ自分は愛されないのかとリゾンのように堕ちていくのが面白かった。
同時に、常にリゾンの影がちらつくことで「ジャンヌは自分を不幸だと思っているが、リゾンより不幸ということはないでしょう」と読者に思い出させようとしているのかと思った。それはロザリがジャンヌを農民よりマシという趣旨のことを言って叱咤するのと同じ効果があるのかもしれない。
ジャンヌも男爵もロザリも善良ではあるけれど、善良であるからといって幸福になれるとは限らない。
トルビアック神父のように、神を信奉したからといって幸福になれるわけでもない。
信じていた母も不倫をしていた、という展開はとてもよかった。 -
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恵まれた境遇で育てられた娘ジャンヌが、希望と期待を抱いて愛した男性のもとへ嫁ぎ結婚生活が始まる。しかし皮肉にも、そこから彼女の転落人生は始まった。
リアリズム文学の名作として挙げられる本作ですが、これが『女の一生』であったら人生に匙を投げたくなります。
女癖の悪い夫、心を通わせた友人、そして最愛の息子にさえ…。題名は『裏切り』でも良いのではと思うほどジャンヌには苦闘と絶望の日々が押し寄せます。薄幸な彼女がそれでも周囲に期待し、夢破れ打ちひしがれる姿に、もう可哀想すぎて読んでいられないと暗い気持ちになるか、悲劇のヒロインと化した主人公に好奇心すら湧き読み進めるかは読者によって異なるかと思いますが、私は訳の読みやすさにも助けられ後者でした。女中がポツリと漏らしたラスト1行に、この本が伝えたかった全てが詰まっているように思います。
自分の人生に悲観し嘆きながら生きるか、与えられた環境のなかで逞しく切り開きながら生きるか。実は様々な「女の一生」が垣間見える味わいのある作品です。 -
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ありふれた人生の惨めさ、滑稽さ。年齢をとってから読むと、それは笑えるし心安らぐし、救われる気がするから不思議だ。
人生に夢見ていた主人公が現実に打ちのめされていく。しかし自分は不幸だと考える主人公だけでなく、登場人物すべてが現実の中でみっともなさを晒しながらも、それでも何とかギリギリ現実社会の中に踏みとどまって夢を抱き続けるのだ。
自然主義文学の代表作と評されているが、リアリズムとは堅苦しいものではなく、現実社会の中でお互いに恥らいを持って知らないふりを決め込んでいる、人間のみっともなさをさらりさらりと描いてくれるのだ。
良いことでも悪いことでも、何かが自分の前で起こるのは不幸ではない。それはある意味で豊かな人生でさえある。
この物語の最重要人物はリゾン叔母である。だって彼女はいつも側にいるのに家族親戚にさえほとんど存在しないかのように人生を生きて死んでいくのだ。彼女の目から見たら、主人公の人生さえ幸せとしか言えないのではないだろうか。 -
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ネタバレ最初のあたりは、主人公ジャーヌの少女的な表現の連発にちょっと読むのが大変でしたが、
そこを越えるとわかりやすい描写でするすると読むことができました。
全体の3/4くらいまでは、主人公ジャーヌに対して気の毒に思いながらも、
「全てに対して受身だから、どんどん悲惨な状況になっていってしまっている。幸い資産家の娘なのだし、あまりにも最悪なジュリアンには見切りをつけて、次の幸せを探すべきでは?」と、行動を起こさないジャーヌに対しての怒りもありました。
でもよく考えてみると、この時代、離婚などは有り得ないことで、
そもそもそれを考えのひとつに入れられるようには教育されていなかったのだろうと気づき、深く考えさせられました。
誰もが自分で考え、努力すれば道を切り開くことができる世界になれば良いと、心から思いました。
結末に関して言えば、孫と一緒に生活できるようになり、本当に良かったです…。 -
Posted by ブクログ
壮絶な話だった。
女性版、ヨーロッパ版『暗夜行路』を感じた。
主人公ジャンヌはジュリアンと結婚するも、ジュリアンは乳姉妹のロザリを妊娠させ、ジャンヌは発狂しかける。しかしジャンヌはジュリアンとの間にできた我が子を溺愛し、生きる希望を見つける。ジャンヌが仲良くなった伯爵夫人とジュリアンが愛人関係になることが発覚する。母親が亡くなる。母の死に悲嘆に暮れるが、母が奔放な女性だったことを手紙で知り、心が荒れる。神父に入れ込むが、教義オタクのような神父に嫌気(?)が指す。ジュリアンと愛人関係にあった伯爵夫人の旦那が、ジュリアンと伯爵夫人を亡き者にする。ショックでジャンヌは流産。お父さん、叔母さんも亡くなる。ジャンヌは度重なる心労で老婆のようになる。息子は甘やかしすぎたため放蕩を繰り返し、ロザリがジャンヌを助けるために戻ってきて、住み慣れた家を手放すことになる。ジャンヌは息子が可愛いあまり、何度も息子の言いなりになり疲れ果てるが、最後に孫を抱いて希望を抱く?っぽい話だ。(あまりに出来事が多すぎるので、順番が違う部分があるかもしれない)
結局みんな自分勝手だと思った。
旦那のジュリアンは金銭感覚が合わない吝嗇家で、上っ面はいいが、頑固でマイルール強め。読んでいると、ジャンヌが好きだったのではなく、ジャンヌにはお金があるから&肉体を自由にできるから、という理由や目的で近づいたようにしか思えない。こんな人と結婚したら、しがらみだらけで不幸になることは目に見えているが、ジャンヌの世界には適齢期で良さそうな男性がきっとジュリアンしかいなかったのだろう。気の毒である。ジュリアンには怒りが湧く。全て自分の都合の良いように解釈、主張する。浮気をされても神父の教えによってジュリアンを許さないといけないことに、憤りを感じた。なんでも許すならやりたい放題ではないか。また自分の娘を汚された父である男爵と母の男爵夫人もジュリアンに対して怒っていたものの、自分たちも若かりし頃同じようなことをやっていたことを思い出して口をつぐむあたりは、自分が1番大事なんだなという調子の良さを感じて嫌だと思った。時代のこともあるが、ジャンヌは自分自身の世界を確立した方が生きやすかったのではないか。彼女はいつも他人に振り回されている。そして希望だと思った息子も溺愛しずきたあまり、息子に良いように利用されてしまっていた。子供を大事にすることは母親として素晴らしいことだが、旦那の浮気などで精神的にアクセルとブレーキが上手いバランスで働いていないように思う。結局他人に依存することが多かったのが、彼女の不幸だったのではないかと思う。
でも長い人生、こんな感じで大変なんだろうなと思った。ジュリアンがロザリを妊娠させたことが分かったあたりからこの話は読むのが面白くなっていった。そして世間知らずなのに?(だから?)妙に過激な行動をとるジャンヌももはや面白い。これがフランス文学かと思った。結婚の重み、しがらみにもなることを痛感した。
神父と叔母の役割は何か?
神父→神を信じて幸せになる、ではなく生の生命から生きる希望を感じることへの対比?
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Posted by ブクログ
1877年から1884年にかけての作品を収めた短編集。
なるほど、この「新訳」はとても読みやすい。新潮文庫のモーパッサン訳はやはりもう古びてしまっているのか・・・。日本語の世界がどんどん「簡単な」方向に推移してきたのだということを再確認した。
中編「脂肪の塊」は遥か昔読んだものだが、中身を全く覚えていないので面白く読んだ。ここでの人びとの娼婦に対する酷薄さは、集団心理に由来するものだろう。
エミール・ゾラは常に「破滅」への執拗な意志を持っているが、モーパッサンはそれほどでもない。同じように世間に対してペシミスティックな思いを抱いていたかもしれないが、モーパッサンには人情への肯定的な部分もときどき顕れるから、作品は多彩に感じられる。
日本で言えば明治10年代に活躍したモーパッサンを少し遅れながらもほぼリアルタイムに摂取吸収してきた日本文学との相互連関についても、いろいろ考えてみるのも楽しい。