有島武郎のレビュー一覧
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ネタバレ特に、「生れ出づる悩み」について。
本書の表現は端的にいえば力強く鮮やかで、「板子一枚下は地獄」に表現される通りに6章の嵐の緊張感はすさまじいものであった。この場面が「肝腎の」自殺を図る場面の印象を薄めるほど(本多解説・124頁)だという説明には共感できる。その表現力が背後にあるからこそ、山に執着する「君」と重なって、自然のもつ偉大さに説得力を感じられた。
自分のやりたいことと、現実にやらねばならないことの矛盾を抱える「君」が、行動では勇敢な姿を見せていても、内心、現実に正面から向き合っている漁夫等には疎外感を覚えている。そのような葛藤する精神を地球から「生れ出でた悩み」としているが、世界の中の同じような悩みをもつ若者に対しても、「私」はただ、春を迎えられるよう祈ることしかできない。 -
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遥か昔のうっすらと残る記憶だが、小学校3~4年の担任の先生が、国語の授業とは別に読み聞かせをしてくれたのが「一房の葡萄」だった。
横浜の山の手が舞台であり、万国旗、西洋絵具など、異国の香り漂うのが、見知らぬ世界を覗いているような不思議な気分だった。
子供ながらに「ぼく」のやってしまった事に罪悪感からドキドキしたし、同時に、藍色と洋紅色はとても美しい色なのだろうと想像した。
そして先生が捥いでくれた西洋葡萄とはどんな葡萄なのだろうと想像した。
自分が普段口にする葡萄とは違う、何か特別なフルーツに思えた。
なにより「ぼく」に対して、いやな事をしてしまったと自分で分かっているのならそれでいいと、子供の立場に降りてきて話をしてくれる「受持の先生」に、とても安心感を得たのを覚えている。
こんなにも主人公に気持ちを寄せてしまうなんて、私自身、たまたま多感な時期だったのかもしれない。
けれど大人になり、ふと「一房の葡萄」を読み直したいと思えたのは、間違いなく3~4年の担任の先生のお陰だ。
改めて読み直すと、とても美しい日本語で、優しい響きを持って書かれている。
子供の世界を丁寧に捉えているからこそ、当時の私も主人公と共にドキドキしたし、優しい先生に安堵したのだと気付いた。
主人公と共に、私も救われていた。
小学校の教科書など、まれに、子供には少し難しいのでは?と思う作品ってないだろうか。
例えば、三好達治の「雪」や中原中也の「一つのメルヘン」など。
勿論、子供の頃から深く読み解く事が出来る方も居るだろうが、私は、
どう理解すればいいのだろう、意味が良く分からない、こんなに浅い解釈でいいのか…そんな作品が幾つかあった。
でも、それで良いのだと大人になってから思うようになった。
そういった作品に早々に出会っておく事こそが大事なのだ。
記憶の奥に忘れ去られていても、後の人生で必要とされる時があれば、人はちゃんと思い出す。
「ふと」読み直そうと思う。
その「ふと」の引出しを作っておく為に、学校の教科書や図書室はあるのではないだろうか。 -
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自分の仕事を神聖なものにしようとする作家・文学者の私は神がかりの様に夢中になって筆を運ばしていることもある。私の周囲には亡霊のような魂がひしめいtて、紙の中に生まれ出でようと苦しみあせっているのをはっきりと感じたこともあった。同じく絵という芸術を追い求める君は生きるために漁夫たちと死の側近くまで行かなければならない。悲壮だ、惨めだ。異邦人の様な気持ちで孤独と闘いながら。隣人への愛がテーマの「生まれ出づる悩み」の他、純粋な魂がテーマの「フランセスの顔」、信仰への精進にあこがれる「クララの出家」、妻への復讐の炎「石にひしがれた雑草」を収めた貴重な一冊。完成度の高い文学作品で何度読んでも新しい感動がある。40年以上前の高校時代に購入した改版16版。お気に入りの永久保存文庫本です。
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ネタバレ●小さき者へ
私は有島武郎のこの二つの作品から、静謐と光を感じた。表現は繊細で情景が浮かんでくる。
「小さき者へ」は親の溢れる無償の愛が描かれている。
印象に残った部分①
〜お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。〜
これだけはっきりと親を踏み台にしろと言う深い愛情表現と、生きていく上での拠り所になる、深く愛されていたという事実を伝えるための部分。
印象に残った部分②
お前たちの母上は全快しない限りは死ぬともお前たちに逢わない覚悟の臍を堅めていた。〜略〜お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上に暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かなければならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過ごさして貰いたい。そうお前たちの母上は書いている。
「子を思う親の心は日の光世より世を照る大きさに似て」
とも詠じている。
子どもたちを思いやる深く、永遠に続く愛情。ここには、何かをやってやりたいというような、自己満足が混じる気配は一切ない。潔く、清らかだ。
印象に残った部分③
小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ。
最後の部分に光が見える。無条件で愛される幸せは何物にも代え難く、尊いものだと思う。自分自身が子として、また、子の親として、共感できるのは、自分もまた、恵まれているからであり、幸せだからであろう。
●生まれ出づる悩み
読み終わり、有島武郎のことを調べた。
木田金次郎をモデルとした本作。実際木田も漁業を生業としていたが、有島の死後、画家に専念。まさにこの作品の続きのようで、感慨深い。
生活か、夢か。
目の前の家族を支えるための生活が、
夢を選ぶことを悪のように感じさせ、また
自分の才能を自分自身が信じきれない思いもあり、
揺れ動く。
印象的な、少年との出会いの場面が好きだ。自分の絵を見せる少年の挑むような気迫と、対する「私」の緊張感と、絵に惹かれている気持ちや、絵に対する素直な反応が丁寧に書かれている。
時は流れて少年は青年になり「私」の目の前に現れた。少年は誰だかわからないくらいに見る面影もなく、漁業従事者として日々暮らす青年となっている。それでも自然に対する感受性が、未だに彼の根本であるらしい。
抜粋
パンのために精力のあらん限りを用い尽くさねばならぬ十年――それは短いものではない。それにもかかわらず、君は性格の中に植え込まれた憧憬どうけいを一刻も捨てなかったのだ。捨てる事ができなかったのだ。
土途中から、「私」が少年のこの10年を想像して執筆する場面になる。北国での厳しすぎる漁業従事者の様子が語られ、そこでは、一人芸術家の魂を持ちながら働く君が、漁業にも絵にも気持ちとしてはどちらともつかず揺れ動き、孤独を味わっている。
そして最後の9章は、すべての悩みを抱える「君」=読者に語りかける。魂の悩みは、考え抜き、答えは己が出すべきものであると。
抜粋
そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じい疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。
〜
君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る。
心の底から、すべての悩める魂に、春が来ると畳み掛けるようにしてエールを送り、最後を締める。
私がこの物語で考えたことは、凡人からすると羨ましいかぎりだが、才能ある創作者たちは、産み苦しむということだ。才能は自分で見つけても、またはだれかに見つけられても、必ずしも幸せに直結するものではなく、苦しみの始まりかもしれないということだ。歴史上振り返れば、幾人も幸せな一生には見えない天才たちが存在する。その天才たちが生み出した作品のおかげで、多くの人の心は震える。
改めて産み出す天才たちに敬意を払いたい。 -
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ネタバレ青空文庫。
Eテレの「にほんごであそぼ」の「小さき者よ」の歌に心を打たれ、これが出典だと知って読んでみました。まず、自分の親に感謝の念がわき、そして自分はその親の子として、またわが子の親としてしっかりしなくてはいけないと思いました。一生懸命働こうと。
「小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れないものの前に道は開ける。 行け。勇んで。小さき者よ。」
「小さき者へ 十分人世は淋しい。私たちは唯そういって澄ましている事が出来るだろうか。お前達と私とは、血を味った獣のように、愛を味った。行こう、そして出来るだけ私たちの周囲を淋しさから救うために働こう。私はお前たちを愛した。そして永遠に愛する。」 -
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作品紹介・あらすじ
仙吉が奉公する店に、ある日訪れた一人の客。まるで自分の心を見透かすように鮨屋に連れていってくれたこの客の正体に、仙吉は思いをめぐらせ-。少年の心情を鮮やかに切り取った「小僧の神様」をはじめ、白樺派を代表する作家三人の作品を収録。
*****
わけあって志賀直哉の「小僧の神様」が読みたくて書店に行った。本当は岩波書店から出版されている旧かなづかいの一冊が欲しい、なんて大それたことを思っていたのだけれど、残念ながら書店の検索機に引っ掛からず。たった一冊引っ掛かったのがこの「少年少女日本文学館」シリーズの中の一冊だった。対象年齢がいくつなのか分からないけれど、僕は多分「少年少女」の範疇外だと思うので「どうしようかな」と躊躇したのだけれど、結局購入。「現代かなづかい、現代送りがな」が使用されており、全ての漢字にルビが振られている。また分かりづらいと思われる言葉(例えば「触角」「君子」「カンテラ」)などには図解付きの注釈が付いている。至れり尽くせりの一冊なのだけれど、注釈はちょっと煩わしく感じられた。とは言っても、例えば「行李」「掛け茶屋」「按腹」など僕の知らない言葉にも注釈があり、「なるほどそういうことか」と頭が良くなったようにさせてくれるのだから、始末に悪い。それはそうとして。
収録されているのは志賀直哉の「小僧の神様」「網走まで」「母の死と新しい母」「正義派」「清兵衛と瓢箪」「城の崎にて」「雪の遠足」「焚火」「赤西蠣太」、武者小路実篤の「小学生と狐」「ある彫刻家」、有島武郎の「一房の蒲萄」「小さき者へ」の全13編。作者の名前は勿論、作品名も知っていたものが多いのだけれど、恥ずかしながらどれも読んだことはなかった。今回読んでみて「なるほど」とそれなりの面白さを感じることは出来た。特に志賀直哉の人間の心理状態の移り変わりを巧みに表現している内容にはぐっとくるものがあった。「小僧の神様」のA氏の仙吉や自身の行動に対する微妙な心の揺らぎや、「赤西蠣太」の女
性に対する心理に軽く振り回される様は、自分に置き換えることで読み手である僕も妙にドキドキさせられた。
明治から昭和初期くらいにかけての日本の小説家はあまり読んでこなかったのだけれど、これを機に少しずつ読んでみようかな、と思わせてくれた読書体験だった。 -
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この本は、私の親友の愛読書の一つであると言う理由で読み始めた。
順番は逆に、生まれ出づる悩み、から読み始めた。
以前、網走監獄を訪れて、そこから北海道開拓史に興味を持ち、その生活の厳しさを考えたことがあった。その時に感じた寒さ、厳しさは今のような明るく、本州からの避暑地と言ったイメージとはかけ離れた物であった。漁夫の家族として生まれた男、しかし、お金がないにも関わらず恐らくは画家としての才能を持ち合わせた男の、生まれ出づる悩み。
昔の文章なので読みにくい。しかし、表現の美しさは私のような者にも伝わる。
この時代ほどではないにしろ、生まれた場所によって生きる選択肢を制約されることはよくあることだ。そのことで、昔ほどではないにしろ、苦しんでいる人はいつの時代もいるものだ。
自分の才能を、限りある人生だからと、信じ切って生きられる人がどれほどいようか。
「この地球の上のそこここに君と同じ疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。
ほんとうに地球は生きている。生きて呼吸をしている。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み
それは湧き出て躍り上がる強い力の感じを以て僕を涙ぐませる。
君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。
君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春が微笑めよかし。僕はただそう心から祈る。」
この世は不平等だ。どこに生まれるかは本人が決められたものではない。だからこそ、地球をも動かすようなエネルギーで、物事を動かしてほしい。そんな人々への熱いメッセージ。
小さき者へ。
君たちは不幸だ、と書かれていたので、不幸な家のもとに生まれた子どもたちに対する話なのかと思った。しかし、そうではなかった。
「前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ。」
自分の子どもたちにも同じ気持ちを持てた、と同時に親から自分へのメッセージともとれた。
私達は、子どもを愛することから様々な学びを得る。それは見返りを求めるものではなく、その全ての気持ちが私達を豊かにするものなのだ。
だから、「お前たちの助けなければならないものは私ではない。お前たちの若々しい力は既に下り坂に向かおうとする私などに煩わされていてはならない。
力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。」
少子高齢化の中、家族の関係が問われることがあるが、私もこのような考えで子供と接したい。 -
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明治〜大正時代の小説家、キリスト教人道主義、白樺派の文学者であった、有島武郎の小作品。
『小さき者へ』は妻の死後に幼い子どもたちへ書いた手紙のような短い小説。亡くなった母の想いや、恵まれた生まれ、父である武郎のさまざまな反省などを伝え、母を失い不幸ながらも愛ある生を受けた子どもたちを祝福し勇気づける小説である(天空の城ラピュタの『君をのせて』でいうところの「父さんがくれた熱い想い、母さんがくれたあの眼差し」と似たような感じの内容と思って差し支えない)。
誰か大切な人の想いを背負うことや、世間から見れば小さな出来事を深く掘り下げ感じ入ること(有島は、人生に深入りすることと呼ぶ)は、人が生きていく指針を持ち、厳しい現実を切り拓いて(不幸ながらも勇気を持って)歩むために大切なことだと思った。
一方で、感傷的で説教臭い小説にも感じる面がある。本書は、子どもたちに何度も「不幸な」子どもたちと呼びかけ、その不幸な状況を生み出した世界の不条理や有島自身の至らなさを悔いることから始まり、それでも愛を注いだ母の偉大さや恵まれた出自に触れ子どもたちを励まし、父親有島を踏み台として登っていって欲しいと語りかける。これはこれで子どもへの愛だと思うが、どこかに自己犠牲を美化するような色や、人生を達観した目線を感じて、有島の自分自身の観察に浅いところがあるのではないかという疑問を覚える。もっと、有島自身の立場、気持ち、子どもたちへの揺れるさまざまな想いを描いていれば、本当の有島のことをもっと知れたのに、と思う。そしてそれは本当に人間らしさを描くことになるのに、また子どもたちとの会話になるのに、と思う。
なんとなく、白樺派ってそういうところがあるのかしら...。トルストイとかも説教くさい作品あるし。