あらすじ
妻を失い、新しく芸術に生きようとする作家の覚悟と、残された小さき者たちに歴史の未来をたくそうとする父性愛にあふれたある夜の感想を綴る『小さき者へ』。“君”という語りかけで、すぐれた画才をもちながらも貧しさゆえに漁夫として生きなければならず、烈しい労働と不屈な芸術的意欲の相剋の間で逞しく生きる若者によせた限りない人間愛の書『生れ出づる悩み』の2編を収める。
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特に、「生れ出づる悩み」について。
本書の表現は端的にいえば力強く鮮やかで、「板子一枚下は地獄」に表現される通りに6章の嵐の緊張感はすさまじいものであった。この場面が「肝腎の」自殺を図る場面の印象を薄めるほど(本多解説・124頁)だという説明には共感できる。その表現力が背後にあるからこそ、山に執着する「君」と重なって、自然のもつ偉大さに説得力を感じられた。
自分のやりたいことと、現実にやらねばならないことの矛盾を抱える「君」が、行動では勇敢な姿を見せていても、内心、現実に正面から向き合っている漁夫等には疎外感を覚えている。そのような葛藤する精神を地球から「生れ出でた悩み」としているが、世界の中の同じような悩みをもつ若者に対しても、「私」はただ、春を迎えられるよう祈ることしかできない。
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●小さき者へ
私は有島武郎のこの二つの作品から、静謐と光を感じた。表現は繊細で情景が浮かんでくる。
「小さき者へ」は親の溢れる無償の愛が描かれている。
印象に残った部分①
〜お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。〜
これだけはっきりと親を踏み台にしろと言う深い愛情表現と、生きていく上での拠り所になる、深く愛されていたという事実を伝えるための部分。
印象に残った部分②
お前たちの母上は全快しない限りは死ぬともお前たちに逢わない覚悟の臍を堅めていた。〜略〜お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上に暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かなければならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過ごさして貰いたい。そうお前たちの母上は書いている。
「子を思う親の心は日の光世より世を照る大きさに似て」
とも詠じている。
子どもたちを思いやる深く、永遠に続く愛情。ここには、何かをやってやりたいというような、自己満足が混じる気配は一切ない。潔く、清らかだ。
印象に残った部分③
小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ。
最後の部分に光が見える。無条件で愛される幸せは何物にも代え難く、尊いものだと思う。自分自身が子として、また、子の親として、共感できるのは、自分もまた、恵まれているからであり、幸せだからであろう。
●生まれ出づる悩み
読み終わり、有島武郎のことを調べた。
木田金次郎をモデルとした本作。実際木田も漁業を生業としていたが、有島の死後、画家に専念。まさにこの作品の続きのようで、感慨深い。
生活か、夢か。
目の前の家族を支えるための生活が、
夢を選ぶことを悪のように感じさせ、また
自分の才能を自分自身が信じきれない思いもあり、
揺れ動く。
印象的な、少年との出会いの場面が好きだ。自分の絵を見せる少年の挑むような気迫と、対する「私」の緊張感と、絵に惹かれている気持ちや、絵に対する素直な反応が丁寧に書かれている。
時は流れて少年は青年になり「私」の目の前に現れた。少年は誰だかわからないくらいに見る面影もなく、漁業従事者として日々暮らす青年となっている。それでも自然に対する感受性が、未だに彼の根本であるらしい。
抜粋
パンのために精力のあらん限りを用い尽くさねばならぬ十年――それは短いものではない。それにもかかわらず、君は性格の中に植え込まれた憧憬どうけいを一刻も捨てなかったのだ。捨てる事ができなかったのだ。
土途中から、「私」が少年のこの10年を想像して執筆する場面になる。北国での厳しすぎる漁業従事者の様子が語られ、そこでは、一人芸術家の魂を持ちながら働く君が、漁業にも絵にも気持ちとしてはどちらともつかず揺れ動き、孤独を味わっている。
そして最後の9章は、すべての悩みを抱える「君」=読者に語りかける。魂の悩みは、考え抜き、答えは己が出すべきものであると。
抜粋
そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じい疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。
〜
君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る。
心の底から、すべての悩める魂に、春が来ると畳み掛けるようにしてエールを送り、最後を締める。
私がこの物語で考えたことは、凡人からすると羨ましいかぎりだが、才能ある創作者たちは、産み苦しむということだ。才能は自分で見つけても、またはだれかに見つけられても、必ずしも幸せに直結するものではなく、苦しみの始まりかもしれないということだ。歴史上振り返れば、幾人も幸せな一生には見えない天才たちが存在する。その天才たちが生み出した作品のおかげで、多くの人の心は震える。
改めて産み出す天才たちに敬意を払いたい。
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ひょんなことから読んでみたんだけど正解だった。芸術について、家族についてそれぞれ作者視点から描かれている。しんみりと読んだが良かったと思う。思ってることが小説に書いてあると励まされるような気がする。そういう感じのしたいい作品だったかな。
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大正時代に書かれたハナシ。
人間愛、自然愛に溢れた2つの作品。
私には子供がいないので想像でしか分からないが、子供がいる人には心を締め付けられる話かもしれない。小さき者へ。
もう一つの生まれ出づる悩みの方が私にはツボ。
絵を書く人、芸術に携わる人にはグッとくる場面がかなりあるはず。
主人公がどうなるのか、半ば心配しながら読み進めていった。
君と問いかけるように紡ぐ文が素敵。
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青空文庫。
Eテレの「にほんごであそぼ」の「小さき者よ」の歌に心を打たれ、これが出典だと知って読んでみました。まず、自分の親に感謝の念がわき、そして自分はその親の子として、またわが子の親としてしっかりしなくてはいけないと思いました。一生懸命働こうと。
「小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れないものの前に道は開ける。 行け。勇んで。小さき者よ。」
「小さき者へ 十分人世は淋しい。私たちは唯そういって澄ましている事が出来るだろうか。お前達と私とは、血を味った獣のように、愛を味った。行こう、そして出来るだけ私たちの周囲を淋しさから救うために働こう。私はお前たちを愛した。そして永遠に愛する。」
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『小さき者へ』は、妻を失った子供へ書かれた、筆者の複雑な心境が描かれている。
『生れ出づる悩み』は、芸術家として生きる決心がつかず、遂にはその夢を諦めたある漁師の、芸術に対する苦悩が描かれている。
どちらも中々暗いテーマを掲げているにも関わらず、文章に悲痛さを感じない。悩みや苦しみの中から、ほんの少しの希望を見出そうとする姿勢。人間が、自分の弱さの中から強さを見出す瞬間の苦悩が鮮やかに描写された作品であると感じた。
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子どもが生まれたので、改めて読みたくなって。
以前は私が子どもの立場だったため、私のこれからの人生へのエールだと感じた。今は親の立場で、幼子を残して逝く無念や、子どもへの想いに共感する。
エールを受け取る側から送る側へと立場が変わり、そうして世代が繋がっていくのだと実感する。私はもう「小さき者」ではないのだ。何となく寂しくもあり、嬉しくもある。
行け。勇んで。小さき者よ。
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この本は、私の親友の愛読書の一つであると言う理由で読み始めた。
順番は逆に、生まれ出づる悩み、から読み始めた。
以前、網走監獄を訪れて、そこから北海道開拓史に興味を持ち、その生活の厳しさを考えたことがあった。その時に感じた寒さ、厳しさは今のような明るく、本州からの避暑地と言ったイメージとはかけ離れた物であった。漁夫の家族として生まれた男、しかし、お金がないにも関わらず恐らくは画家としての才能を持ち合わせた男の、生まれ出づる悩み。
昔の文章なので読みにくい。しかし、表現の美しさは私のような者にも伝わる。
この時代ほどではないにしろ、生まれた場所によって生きる選択肢を制約されることはよくあることだ。そのことで、昔ほどではないにしろ、苦しんでいる人はいつの時代もいるものだ。
自分の才能を、限りある人生だからと、信じ切って生きられる人がどれほどいようか。
「この地球の上のそこここに君と同じ疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。
ほんとうに地球は生きている。生きて呼吸をしている。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み
それは湧き出て躍り上がる強い力の感じを以て僕を涙ぐませる。
君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。
君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春が微笑めよかし。僕はただそう心から祈る。」
この世は不平等だ。どこに生まれるかは本人が決められたものではない。だからこそ、地球をも動かすようなエネルギーで、物事を動かしてほしい。そんな人々への熱いメッセージ。
小さき者へ。
君たちは不幸だ、と書かれていたので、不幸な家のもとに生まれた子どもたちに対する話なのかと思った。しかし、そうではなかった。
「前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ。」
自分の子どもたちにも同じ気持ちを持てた、と同時に親から自分へのメッセージともとれた。
私達は、子どもを愛することから様々な学びを得る。それは見返りを求めるものではなく、その全ての気持ちが私達を豊かにするものなのだ。
だから、「お前たちの助けなければならないものは私ではない。お前たちの若々しい力は既に下り坂に向かおうとする私などに煩わされていてはならない。
力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。」
少子高齢化の中、家族の関係が問われることがあるが、私もこのような考えで子供と接したい。
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絶望と少しの希望。
希望の裏には常に絶望や不安の影が見える。北海道の冬の寒さと暗さを引きずっているかのような一貫した陰鬱さがあるのだ。
冒頭に筆者は母を亡くした子供達に対して「お前たちは不幸だ」と言い切る。私はこの「不幸だ」という言葉が子どもたちではなく筆者が自分自身に向けた言葉に思えてならなかった。彼は子供のことを思っているように見えて常に自分の不幸を気にしているのではなかろうか。作品の最後には子供の背中を押すような言葉がある。ほとんど確定した自分の死を念頭に、残される子供への遺言を残しているかのようだった。
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明治〜大正時代の小説家、キリスト教人道主義、白樺派の文学者であった、有島武郎の小作品。
『小さき者へ』は妻の死後に幼い子どもたちへ書いた手紙のような短い小説。亡くなった母の想いや、恵まれた生まれ、父である武郎のさまざまな反省などを伝え、母を失い不幸ながらも愛ある生を受けた子どもたちを祝福し勇気づける小説である(天空の城ラピュタの『君をのせて』でいうところの「父さんがくれた熱い想い、母さんがくれたあの眼差し」と似たような感じの内容と思って差し支えない)。
誰か大切な人の想いを背負うことや、世間から見れば小さな出来事を深く掘り下げ感じ入ること(有島は、人生に深入りすることと呼ぶ)は、人が生きていく指針を持ち、厳しい現実を切り拓いて(不幸ながらも勇気を持って)歩むために大切なことだと思った。
一方で、感傷的で説教臭い小説にも感じる面がある。本書は、子どもたちに何度も「不幸な」子どもたちと呼びかけ、その不幸な状況を生み出した世界の不条理や有島自身の至らなさを悔いることから始まり、それでも愛を注いだ母の偉大さや恵まれた出自に触れ子どもたちを励まし、父親有島を踏み台として登っていって欲しいと語りかける。これはこれで子どもへの愛だと思うが、どこかに自己犠牲を美化するような色や、人生を達観した目線を感じて、有島の自分自身の観察に浅いところがあるのではないかという疑問を覚える。もっと、有島自身の立場、気持ち、子どもたちへの揺れるさまざまな想いを描いていれば、本当の有島のことをもっと知れたのに、と思う。そしてそれは本当に人間らしさを描くことになるのに、また子どもたちとの会話になるのに、と思う。
なんとなく、白樺派ってそういうところがあるのかしら...。トルストイとかも説教くさい作品あるし。
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ちょっとセンチメンタル過ぎると思ったが、静かな中にも力があり、美しい文章。大正時代の文学。この時代の文章に接するのは幸せだ。
『小さき者へ』
妻を病気で亡くした後、残された幼い子供たちへ語りかける手紙のようなもの。以下は、心に響いた文章の抜粋。
抜粋1
私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代を嗤い憐れんでいるように、お前たちも私の古臭い心持ちを嗤い憐れむかもしれない。わたしはお前たちのためにそうあらんことを祈っている。お前たちは遠慮なく私を踏み台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。
抜粋2
お前たちが一人前に育ったとき、わたしは死んでいるかもしれない。一生懸命働いているかもしれない。老衰して物の役に立たないようになっているかもしれない。然しいずれの場合にしろ、お前たちの助けなければならないものは私ではない。お前たちの若々しい力は、下り坂に向かおうとする私などに煩わされてはならない。斃れた親を喰い尽くして力を貯える獅子の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。
あと、抜粋はしないが、妻が自分の病気を結核だと知らされ、間もなく自分は亡くなると悟ったとき、病気を子供たちに、移さないためだけでなく、子供たちに残酷な死の姿を見せて子供たちの心に傷跡を残して、その一生を暗くすることを恐れて、子供たちに死んでも会わない決心をしたという箇所、葬式には女中を子供たちにつけて楽しく過ごされてやりたいと遺書に書いている箇所、その芯が強さが美しく、心に響いた。
『生れ出づる悩み』
カバー裏からのあらすじの抜粋
“君”という語りかけで、すぐれた画才を持ちながらも貧しさ故に漁夫として生きねばならず、烈しい労働と不屈な芸術意欲の間で逞しく生きる若者によせた限りない人間愛の書
著者はこの若者が16才くらいの時に初めて会った。突然訪ねて来て、著者に自分の絵を見せたのだ。技巧的には幼さはあるものの驚くべき才能が見られる絵を見て、著者は驚いた。だが、その少年は絵のほうに進みたいが、実家に帰って、家業の漁業を手伝わねばならない。いつか、素晴らしい絵を描いて見せにくると言い残して、その場を去る。
何年かして、その少年から油紙に何重にも包んだスケッチブックが送られてきて、著者はその成長を喜ぶ。「一度会わないか」と手紙を書くと、その時の少年は吹雪の中、訪ねてきた、すっかり逞しくなった姿、人間的な成長の著者はあの時の少年とは別人だと初め思った。
その木本という若者から、毎日休む間もなく、死に直面しながら、家族を支えるため漁師として働いているという話、海が荒れて漁に出られない日に、近くの山の景色などをスケッチすることに勤しんでいるという話、しかしそのことも周りからは理解されず、本来ならば漁に出られない日も、網を直すなど仕事は山ほどあり、家族にすまない気持ちがするということなどを夜通し聞いて、著者の想像も交えて、木本という若者の苦悩の日々を描いている。
以下は、木本が天気が怪しい中、漁に出て、嵐に会い、船が転覆した中、九死に一生を得た後の抜粋
抜粋3
君は漁夫たちと膝を並べて、同じ握り飯を口に運びながら、心だけはまるで異邦人のように隔たってこんなことを想い出す。なんという真剣なそして険しい漁夫の生活だろう。人間というものは生きるためには、厭でも死の近くまで行かなければならないのだ。謂わば捨て身になって、こっちから死に近づいて、死の油断を見澄まして、かっぱらいのように生の一片をひったくって逃げてこなければならないのだ。
モデルになった若者は木田金次郎という画家で、有島武郎の死後、決心して、画家となった。グーグルで調べてみると、この小説の中に描写されているのと同じような絵。北海道、岩内の木田金次郎美術館に行ってみたい。
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友人に勧めてもらって読みました。
美しい文章を読みたい時にうってつけの本です。作者がかつて住んでいた北海道の情景は、さながら風景画を鑑賞するような感慨深さがあります。
また、当時の時代背景をもってしても、作者の女性や弱き者に対する優しさが読んでいて心地いいです。一見独りよがりなようで、そうでない話の内容からも、彼の人としての魅力が溢れんばかりに表現されています。
非常に著名な方であるのに、恥ずかしながら私は今まで知らなかったのですが、その人生の山谷にも引き込まれました。本作のような繊細さと周りへの尊敬を忘れない作者が、最後は不倫相手と心中してしまうというそのギャップにも目を向けざるをえません。有島武郎という人物についても、本書に書かれていますので、彼の繊細さ溢れるお話を読みつつ、大胆にも感じるその人生を考えながら読むことをお勧めします。
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古典文学の有島武郎の著書である。
小さき者へ、は、我が子たちへあてた手紙であり、その昔の様子を想像するに難くない。
いつの世も、夢半ばにして諦めることを選択せざるを得ない人がいる。生まれ出ずる悩みとはまさにそれを物語っている。
明治文学の真髄であり、難解ではあるが、奥深く味わいある内容である。
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「小さき者へ」
我が子への愛や願いがひしひしと伝わってくる、のにな・・・
「生まれ出づる悩み」
野心を抱き、他を犠牲にするには、あまりにも優しすぎる「君」。
才能あるよ、諦めないで、などと言うのは簡単だ。背中を押してやった、なんて自己満足に浸ることもできる。
それをしない「僕」も、やはり自分の生き方に自信など持ちあわせておらず、そして優しい人物なのだと思う。
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小さきものへの感想
失いそうになって初めて、大切なものに気づき、守ろうとした。しかし、その失われそうになっていたものは、自分にこれから守るべきものを与えてくれていたことに気がついた。それらをこれから守るという自分自身への決意表明のようなお話。
生まれ出づる悩みの感想
自分の希望する道へ進むことができず、家族のためについた仕事で不本意ながら汗をかく。生きるということはこういうことが大概あるのではないだろうか。
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母に貸してもらい読み終えた。
昭和30年西暦1955年の作品ということもあり、時代はとても昔に感じる。
しかし、だからこそというか、
生きるために、全力を尽くし、余暇などはほとんどない中で、自分の本当にしたいこととは何か…考え、苦悩している姿を見ていると、とても辛い現実の中に、美しい命を感じました。
自分はこんなに生き生きと生きているでしょうか。大した事ない苦しみに、音を上げてしまっていないだろうかと、反省させられました。
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[小さき者へ]妻を亡くした主人公、そして母親を亡くした3人の子供たち、主人公が子供たちに対して綴った手紙のような作品でした。極短い内容の中で、子供たちが自由に生きてほしいという主人公の思いが語られていたものとおもいます。星3つです。
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北海道は道央、ニセコや岩内町が舞台と言える「生れ出づる悩み」は、厳しい北海道の海の景色が細かく描写されており、短いながら読み応えのある作品。
「小さき者へ」も短編だが、親、夫の「子」への思いが溢れている。
北海道出身でもニセコ町や岩内町出身なら読むといいと思う。岩内港の荒波、そびえ立つ岩内岳…自然を思い起こすことができる。
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大正時代の作品だったため読みにくい表現もあるかなと思って読み進めるも、表現もくどい言い回しはなく読みやすかった。
『生れ出づる悩み』家業の漁業を手伝うために漁夫として故郷で奮闘するも、絵を描くことも諦めきれない若者が題材。
著者がその若者から夜通し聞いた話を元に書いた苦悩の日々から、若者の煩悶とした様子がよく伝わってきた。
両作品とも文章が美しかった。北の大地の自然についての文章からありありとその様子が伝わった。
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未来ある子ども達へのエール「小さき者へ」、芸術の崇高さを理解しつつも余りに厳しすぎる漁師の生き方とのギャップに苦しむ一人の男を描いた「生れ出づる悩み」。どっちもストレートでなかなか良い。後者は美しくも畏れを抱いてしまう自然描写が見事。
Posted by ブクログ
小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
Posted by ブクログ
ちょっと私には合わなかった…
生まれ出づる悩み、も、後半、振り落とされた感じ。
解説で、英語のような書き方?とあったので、そのせいなのかもしれない。
Posted by ブクログ
木本の想像以降が少し読みにくい小説ではあった。想像とは何か、同感とは?生と死、芸術と生活との関連など、問題は多岐にわたる。問題点としては、谷崎の『金色の死』とも重なる作品でもあったと思う。
Posted by ブクログ
『小さき者へ』は、母を亡くした子供に対して、
母親の愛情を説き、生きることを肯定的に描く作品。
自身の父として愛情を持って生き抜くことの決心も窺える。
『生まれ出づる悩み』は老齢の主人公と青年の交流から、
主人公がその青年の生活と夢(芸術家)の葛藤を空想し、
その青年にエールを送る内容の作品。
どちらもメッセージを、子供に対して送っている形をとりながら
読者に訴える作風を取っている。
『生まれ出づる悩み』のラスト。
序盤で青年の乗る漁船がひっくり返った時も
執拗に「死にはしない」という言葉を口にした青年が
自殺を考える展開になった時は驚いた。
唐突に感じるが、生活を取る人間が、芸術を志向した人間に
豹変している瞬間の現実なのだろう。
どちらも有島武郎の愛情、相手に対する盲愛にも近い思い入れを感じる作品だった。
これだけ、生きること、生活の中で苦しくも逞しく生きる青少年を
標榜した作品を描きながらも、その有島武郎も結局は人妻と心中する。
他の作品も読んでみたいと思った。
Posted by ブクログ
久しぶりに温かくて、やさしくて、愛情に満ち溢れた文章に出会うことが出来た。
これはお父さんのバイブル、というよりも大事な人を持つ全ての人々のバイブルになりえるだろう。
愛の影には残酷な出来事がある。故に愛は深く、豊かなものになってくのだろう。
押し付けない愛。それが有島の子供に対する愛なんだと感じた。
「お前たちは遠慮なく私を踏み台にして、高い遠いところに私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながら、お前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、あるいはいたかという事実は永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。」
また有島自身が愛する妻の死によって大きく成長した。そしてそのことをありのままに語るということ、そこに誠実さが観られる。
「私は鋭敏に自分の魯鈍を見抜き、大胆に自分の小心を認め、労役して自分の無能力を体験した。」
「私達はありがちな事柄の中からも人生の淋しさに深くぶつかってみることが出来る。小さなことが小さなことではない。大きなことが大きなことではない。それは心一つだ。」
「人生を生きる以上、人生に深入りしないものは災いである。」
Posted by ブクログ
Kodama's review
純文学は大の苦手ですが…。有島武郎さんも初めて読みました。著者は46歳の若さで自殺されてしまったようですが、この頃の物書きの人は本当に自殺が多いように思います。
(11.10.14)
お勧め度
★★★☆☆