白川静のレビュー一覧
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白川静 「孔子伝」
聖人というより人間孔子という感じの評伝。史記を批判したり、孔子の巫女の子説を展開したり、始めは過激に感じたが、固定的な孔子像ではなく、時代によって 異なる孔子像を作ることで、孔子の生き方から普遍性を抽出しようとしている。
孔子像
*巫女の子〜孔子の人間性の原点
*挫折と亡命〜反体制としての孔子
*周の礼楽文化の伝統を理想とする孔子〜五十にして天明を知る(斯文への自覚)
*平穏で平凡な死〜いまだ生を知らず焉んぞ死を知らず
孔子像を明らかにする論語の言葉
*述べて作らず、信じて古を好む。ひそかに我が老彭(ろうほう)に比す
*詩に興り、礼に立ち、楽に成る
仁とは何か
*己れに克ち 礼に復るを仁となす〜イデアが実現する場所としての仁
*仁を為すは己れに由る。人に由るならんや
述べて作らず、信じて古を好む
ひそかに我が老彭(ろうほう)に比す
*祖述者であって創作者ではない
*その一生を老彭に求める〜老彭=孔子の出発点である巫祝の世界
*古代の神巫の生き方を典型とし、思想と文化のよるべきところを求めて、周の礼教文化の創始者である周公を理想とした
詩に興り、礼に立ち、楽に成る
*興=心が開かれ、他を理解できる
*詩への理解、感情への共感こそ人倫の道に連なる
*詩は人を「思うこと邪無し」という純粋の思惟の世界に導く
*礼の本質が現在の秩序を支える社会的な合意にあり、合意の根底には仁がある
*楽に成る=人間形成の最終段階〜美と善の結合
孔子の死は平穏であり平凡
*ソクラテスやキリストの死は、死することが生きる
*いまだ生を知らず、焉んぞ死を知らず〜生きることが死への意味づけであり、死は生に含まれている
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ネタバレタイトルが内容をうまく表していません。
私は中国の「神話」の本だと思って読み始めたのですが、「中国の神」話が正しい。
結構世界各地の神話を読んでいるのですが、中国の神話って確かに聞いた覚えがない。
中国にいるのは神様ではなく仙人だから。
と思っていたのです。ずっと。
ところが中国の「神話」の本がある。
神話というからには多神教なのでしょう。
どんな物語があるんだろう。わくわく。
漢字漢字漢字漢宇漢字漢字勤字漢字漢字漢字……(中に二つ間違いがあります。気がついたかな?)
襲いかかる漢字の波を払いのけてようやく理解したところによると、この本の前半部分は中国の文献を読み解き先史時代を炙り出したのち、日本の先史時代について記されている…っぽい。
古代日本の〈神話時代の〉風習が、漢字を成り立ちを分析することによって明らかにされていく。
それ自体は素晴らしい研究だと思うのですが、これは神話の本では?と思いつつ読み進めていくと、中国もやはり国造りから始まる神話が、古代の帝の血筋へと続いていくらしい。
しかし中国って、大昔からいろいろな民族が土地を奪ったり奪われたりしながら国を作ってきたわけで、いくつもの系統の国や地域が複雑に絡み合っているのである。
負けた部族〈氏族、姓〉が信じる神は、悪神に変えられたり、存在を抹消される。
しかし勝った方も、次もまた勝つという保障はなく。
そうやって神々は変貌を遂げていく。
“天下的世界観のなかで成立した神話の体系は、すでに神話の原生的な基盤をはなれ、抽象化したものにすぎない。中国の神話は、こうしてその政治的な道統感のうちに自己を解消し、むしろ儒家的経典のうちに、新しい伝統をもつのである。これが中国を神話なき国とし、神話的に不毛の地とし、その神話を「枯れたる神話」とする理由であった。”
物語としての神話は枯れている。
そして、神は何も語らない。
“神々の言葉は何も残されておらず、事件としてそのことが記されているのみである。そこにはロゴスの世界がない。また神々は人間的に行動することもなく、著しく非人間的である。”
非人間だもの まぴを
“ここに再構成を試みた中国の神話は、わが国の神話とはなはだしく異質のものである。しかしその異質性のうちに、むしろ民族固有の様式を求めることができよう。またその異質性は、神話の展開の上にみられることであって、神話の形成過程には、東アジア世界の原質としてとらえうる、多くの類同性を指摘することができる。”
中国の神さまを知らん、と最初に書きましたが、「封神演義」は読んでいるの。
そのうえで、神様じゃなくて仙人の国だと思っていたんだよね。
この本では西王母は神様ということになっているけれど、普通は仙女の大元締めみたいな書き方をされていると思う。
時々人間から神様になっちゃうこともあるけれど(菅原道真とか)、たいてい神様は生まれついての神様で、修業をした人間がなるのが仙人だと思うんだけど、どうも中国は神様と仙人の境があいまいなのではないかと思うのだ。
結局自信をもって言えるようなことが何ひとつ書けないくらい難しい本だったということだけ断言しておきます。 -
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あけましておめでとうございます。
新年最初の本は、以前から一度読みたいと思っていた白川静さんの『漢字』。
最初に言葉があり、次に文字があるという話から始まり、漢字を大切にしなければいけない気持ちにさせる本。
(1)文字は、その成立の当初においては、神とともにあり、神と交通するためのものであったからである。(p188)
(2)父は斧をもつ形である。母は、たらちねの母の姿に書かれている。(p176)
(3)戦争は呪力の戦いであり、さらに言えば、氏族の奉ずる神々の威霊の戦いであった。(p127)
白川さんは漢字が神とのやりとりを記載したものという畏れをもって分析しており、読者を敬虔なきもちにさせる。
正月にふさわしい読書をした。 -
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個人的な話。中学入学のとき、幼馴染で1年先輩のAさんがyuuちゃん、僕のクラブへおいでよ、というので入部した。何と校長先生の元、論語を読むクラブ。毎週1回だったけれど、論語って読みやすくて、記憶に残るんですよね。
白川先生の孔子論。期待に違わず。
儒教は坐祝を母体としている。孔子は学を好んだが、それは古典ではない。古典は未成熟だった。
陽虎は孔子の影のようだと云われるが、実際、占いをし、門下を持ち、孔子に良く似た存在だった。
仁は全人間的なありかたを表現する言葉。老荘思想は南方の楚、また滅んだ殷の人々の国、宋から生まれた。
へ〜、と思うこと多し。魯からの亡命が孔子の思索を深めたという指摘がこの本の論旨の中心。学而篇はその晩年のエピソード。
中学時代に読んだ論語を思い出し、納得。
論語の成立の謎も明らかにしている。亡命時代に孔子に最後まで付き従ったのは子路と顔回。顔回の記録したエピソードに孔子の死後に家を守った子貢が纏めたものに後の時代の思惑が幾重にも追加されていったと論証されていく。
「論語の文章は、簡潔で美しい」
確かに、その通り。その簡潔な文章で伝えられる孔子と弟子たちのやり取りを読むのは楽しい。子路は忠義者の一番弟子。いつも孔子に怒られたり、へこまされている。ヤクザ上がりで、オツムが弱いのかと思っていたが、本当は家宰としての能力もあるのだという。
白川先生は子路は師に誉めてもらいたくて話をふっているという。ああ、そうか。顔回か子貢が記したのだろうか。そう思うと、兄弟子と師への尊敬と愛情が感じられる。
顔回のことを記したのは子貢か。顔回への称賛も、その早すぎる死を悼む気持ちが書かせたものだろう。世俗的な立身出世に無頓着。孔子の後を継げるはずの英才。孔子が手放しに誉めた弟子。
こうしたエピソードと昔、授業で読んだ孟子の長くクドイ文章を比べ、まったく雲泥の差だと思う。
しかし、孔子の思想とは何なのだろう。本当のことを云えば、論語を読んでもさっぱり判らない。礼を重んじた。仁という言葉でイデアに名を与えた。周を理想とした。顔回だけが孔子のイデアを理解した。でも、そのイデアとは。
昔から論語を読んで不思議なのは、顔回への称賛。他の弟子が宮仕えをする中、かなり無口で貧しい暮らしをするこの弟子の何が凄いのか、判らなかった。他の弟子も顔回の凄さを認めていたのだから、孔子のイデアはある程度教団内では共有されていたということか。一を聴いて十を知るの段を思い返す。子貢だからこそ顔回を惜しんだのだ。
論語の素晴らしさを再認したが、謎が深まったような気がする。 -
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著者自身の立場から、さまざまな漢字の成り立ちについて解説するとともに、著者の漢字研究の基本的な考えかたを論じている本です。
本書はもともと中公新書の一冊として刊行された本で、著者の本のなかでは一般の読者にも比較的読みやすいものとなっています。ただし、おなじく新書で刊行されている『漢字―生い立ちとその背景』(1970年、岩波新書)が、漢字の成り立ちについて多くの具体例をあげてわかりやすく解説されているのにくらべると、本書ではもうすこし深い内容にまで立ち入って、著者の漢字研究の大きな枠組みを説明しているように感じられます。
また、著者とは異なる観点から、漢字の成り立ちについての研究をおこなっている藤堂明保の立場に対する批判が述べられていることも注目されます。著者は、章炳麟の語源説が、音韻の変化についての根拠のあいまいな解釈にもとづいていることを批判し、藤堂の『漢字語源辞典』(1965年、学燈社)の解釈にもおなじ問題が引き継がれていると述べています。 -
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さまざまな漢字の成り立ちについて、著者自身の解釈が紹介されている本です。
白川漢字学の全体像は、『字統』『字通』『字訓』(いずれも平凡社)の三部作にまとめられていますが、本書では著者の研究成果の一端が語られており、白川漢字学とはどのようなものなのかということをうかがい知ることができる内容になっています。古代中国の神話や呪術と、それらに根ざした古代中国人の生活や思考をもとに、漢字の成り立ちについて大胆にも思われる解釈が示されており、おもしろく読みました。
本書が岩波新書として刊行されたことに対して、漢字学の権威である藤堂明保が不満を表明していたことが、高島俊男のエッセイで語られていたのを記憶していますが、著者の解釈はかならずしも研究者からの同意を得ているものではないのかもしれません。まったく素人のわたくしには、著者の解釈が漢字の成り立ちについて考えるうえで、興味深い視点を著者が提示しているように思えるのですが、「あとがき」で「文字は当時の思惟のしかたに従って、厳密に一定の原理によって構成されている」と書かれているように、体系化への強烈な志向が、ときに大胆にすぎると感じられる側面をもたらしているのではないかという気もしています。