ここ数年、「学習する組織」との関連性みたいなところから、「論語」関連の本をときどき読んでいるのだが、これは「孔子」像をかなり根源的なところから転倒してしまうすごい本。
「孟子」をよんだときの印象で、この人(孟子)は、なんだか、政治経済の政策コンサル会社のシニア・パートナーみたいだなというのがあった
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考えてみれば、この時代の中国は、たくさんの国があって、勢力均衡したり、戦争したり、クーデターがあったりしていたわけで、そういうなかでいろいろなコンサルが諸国を回って営業活動、政策提言活動をしていたというのもおかしなことではない。
そして、孔子もそういうコンサルの一人であった。
だが、コンサルといっても、政治にかかわる以上、命がけである。国の事情が変われば、亡命生活を余儀なくされる。また、政権側に採用されても政変で殺されたりする。(実際、孔子の弟子の子路は殺されて、塩漬けにされている)
とくに「孔子」は、当時の反体制の革命家的コンサルなので、危険がいっぱい。
そういう厳しい亡命生活のなかで、そして、結局のところ現実の政治にはたいした影響を与えることができないという厳しい状況のなかで深まっていく思想があって、それを一緒に学んでいく弟子たちがいる。
そして、孔子の死後は、その弟子たちは分裂して、実質的に孔子の思想は分からなくなってしまう。さらに、時代が変わって、中国の体制が安定したときに儒学を統治のための思想として政治利用することになって、ますます、なにがなんだか分からなってしまう。
白川静は、そこをテキストを選り分けていくことで、孔子の思想のコア部分を掘り当てていく。
孔子は、超越的なものに頼らない、人間的合理性を重視した人というイメージがあるのではないかと思うが、白川さんによると、孔子は巫女の庶生子で、呪術的な要素があるとのこと。と言われれば、孔子が礼儀とか、儀式とかにうるさいことが、すんなりと理解できてくる。
そして、亡命生活の末に孔子が到達した境地は、「荘子」に近いところにあるという。さすがにそこまではと思いつつ、そんなにおかしくもないような。。。。
もちろん、この孔子像を評価することはわたしにはできないし、この1972年にでた白川説がその後どういうふうな評価になっているかもわからない。そもそも、「論語」の内容を理解していることが前提になっている本なので、内容自体、ちゃんと理解できているかもあやしい。
でも、この孔子には、とてつもないリアリティを感じる。
そして、聖人ではない、血の通った人間として、悩みながら、失意のなかでも前に進み続ける人として、尊敬できる人だな〜。