メアリー・シェリーのレビュー一覧

  • フランケンシュタイン

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    「身から出た錆」
    著者メアリー・シェリーが20歳にも満たないときに世に送り出したSFホラーの古典にして名作です。生命倫理・孤独と絶望・ルッキズムなど現在でもテーマになりそうなテーマがてんこ盛りで、とても考えさせられる小説でした。
    フランケンシュタインさん、ネグレクトはイカンデスヨ!
    ※もし「怪物」がイケメンだったらどんな物語になっていたんだろう?

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    2026年07月05日
  • フランケンシュタイン

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    まさに、「加害者の被害者性」を描いた古典。果たして「怪物」の彼が悪なのか。世の中の構造をまざまざと描かいている。
    フランケンシュタインが親、怪物が犯罪者、優しそうな女性とお爺さんが社会…。環境が素晴らしければ彼は怪物にならなかった。でも見た目があまりにも恐ろしく、彼を避け傷つけてしまうのも防衛反応。フランケンシュタインは怪物を作ろうと思ったわけではなく、でも予想外の誕生に責任を放棄してしまった…。そんな親は現実世界にも沢山いるのではなかろうか。。。

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    2026年07月01日
  • フランケンシュタイン

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    意外にも世間にはフランケンシュタインが怪物の名前だと思っている人が多いようだ。昔、トリビア系のバラエティ番組で「実はフランケンシュタインは怪物の名前ではないのです!」と発表され、スタジオがどよめくのを見たこともある。
    会社でこの本を読んでいる時に通りかかった先輩が、「何読んでるの?あぁ、フランケンシュタインね!これでしょ?」と怪物の動きを真似てみせた。先輩も怪物自体がフランケンシュタインだと思っていたと言う。これだけ知名度があるのに、原作に触れたことがある人は少ないということだろう。

    フランケンシュタインは探究心、情熱、名誉への渇望を持ち、死を生に逆転させるという試みを実行する。「死を生に」というのは一見美しく、もし成功すれば人間は死に恐怖することもなくなり、人類の発展にとっても大きく役立つであろうと思われた。しかし、その結果は大きく恐ろしい怪物の形をしてフランケンシュタインの前に立ち現れる。怪物のその外見の醜悪さから、フランケンシュタインは己がしたことのおぞましさに気づき、放り出し逃げ出すことになる。しばしば人間は自分で原因を作り出したにも関わらず、我関せずと責任を放棄したり、脅かされるのではないかと恐怖する。現代ではAIや温暖化など、時代を超えて当てはめることができる普遍的なテーマがフランケンシュタインにはある。
    また、社会集団である人間がなんの慰めもなく孤立した状態となった時、どのような心理が働くかという面でも面白く読めた。

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    2026年06月29日
  • フランケンシュタイン

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    翻訳が本当に読みやすい。スルスルと目から脳に滑り込んでいく。古典の名作系でここまで読みやすい翻訳は初めてかも。人の性質は周りからどう扱われるかで決まることがよくわかるお話。

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    2026年07月01日
  • フランケンシュタイン

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    先入観で知ってるつもりになって「読まず嫌い」してはいけない本の最たるものかもしれない。

    フランケンシュタイン博士が生み出した怪物(そう、フランケンシュタインは怪物の名ではなく博士の名なのだ)、私の中でそのイメージはあまりにも映画に毒されてしまっていた。頭に釘の刺さったロボットじみた大男、「13日の金曜日」のジェイソンみたいなモンスターだとばかり思っていたのだ。

    ところが原作の怪物は、死体をつぎはぎした醜い大男には違いないものの、なんと独学で言語を学び、英詩を解し、情緒豊かで深い洞察力を持ち、それゆえに自身の呪われた境遇に深い苦悩を抱く、とんでもなく人間的な魂の持ち主だった。確かに途中から人間への復讐心に駆られて殺人に手を染めるものの、それは人間から忌み嫌われ、迫害され、裏切られた末のことであり、要は満たされることのない「人間への求愛」の裏返しとしての行動だったのだ。

    実際、生みの親から打ち捨てられ(それも見た目が醜いというだけの理由で)、名前すら与えられず、万人から死を望まれ、生を共にする仲間もなく永遠の孤独だけが約束されている、「自分は何のためにこの世に生を受けたのか」と嘆く怪物に、憐れみを感じない読者がいるだろうか。むしろ、若気のいたりとはいえ、自分の知的好奇心の赴くままに怪物に生命を与えておきながら、「思っていたのと違う」という理由で一切の義務を放棄し、罵詈雑言を浴びせるフランケンシュタイン青年の方こそが、よほど怪物じみているではないか?

    ゴシックホラーという枠にくくるには、あまりに重いテーマを帯びた物語だった。現代的を超えてほとんど未来的ですらある。科学が生み出した知的生命体に、我々はどのような態度で臨むべきなのだろうか。AI黎明期の今、改めて推したい作品だ。

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    2026年03月07日
  • フランケンシュタイン

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    456P

    メアリー・シェリー
    Shelley, Mary(1797-1851)
    イギリスの小説家。無神論者でアナキズムの先駆者であるウィリアム・ゴドウィンを父に、女性解放を唱えフェミニズムの創始者と呼ばれるメアリー・ウルストンクラフトを母に、ロンドンで生れる。1816年、詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーと結婚。1816年から書き始めていた『フランケンシュタイン』を1818年匿名で刊行。本作品によって、SFの創始者と呼ばれることもある。ほかの作品に『最後の人間』などがある。

    「一方クレルヴァルは、いわば、事物の道徳的関係に熱中していた。忙しい生活の舞台、英雄の美徳、人間の行動、というようなことがその研究題目であり、仁侠で冒険好きな人類の恩恵者として、その名が物語に記録されている人々の一人となることがその希望であり夢想であった。エリザベートの聖者のような魂は、私たちの平和な家の中で、廟にささげられたランプのように光りかがやき、エリザベートはいつも私たちに同情同感し、その笑顔、そのやさしい声、その天人のような目、それがつねにそこにあって私たちを祝福し活気づけた。エリザベートは人の心をやわらげひきつける生きた愛の精神であって、もしエリザベートがそこにいて私をなだめて自分と同じようにおとなしくしてしまわなかったら、私は勉強のためにきげんが悪くなり、もちまえの熱情で気が荒くなったかもしれない。それからクレルヴァルだが、このたのもしい男ですら、もしもエリザベートが善行の真価をさとらせ、天かける大望の目的は善をなすことにあることを知らせなかったならば、あれほど完全に人間らしくあれほど寛大な考えかたはしなかったであろう――冒険的な仕事をしようという熱情にもえながらもあのように親切であのようにやさしくはなかっただろう。」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著

    「「私は嬉しい」とワルトマン教授が言った、「弟子を一人得たので。で、もしきみの勤勉がきみの才能においつけるなら、私はきみがきっと成功することを疑わない。化学は、自然哲学の中でも、最大の進歩がすでになされていてしかもまだなし得られる部門なんだ、それだから私はこれを私の専門の学問にしたのだが、私は同時に科学の他の部門をおろそかにしなかった。人は人間の知識の一つの部門だけに専念していたならば、化学者としてはなはだなさけないものになるばかりだから、きみが単なるちっぽけな実験家でなくて、ほんとに科学者になりたいと思うなら、数学を含む自然哲学のあらゆる部門を勉強しなさいと忠告したい」」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著

    「この日からして、自然哲学が、とくにそのことばのもっとも包括的な意味においての化学が、私のほとんど唯一の仕事となった。近代の研究者たちがこれらの学問について書いた、いかにも天才と眼識に満ちた著作を熱心に読み、大学の科学者たちの講義を聞き、その人たちと親しむ道を開いた。気がついてみるとクレムペ教授ですら、おおいに健全なセンスと真の知識をもっていて、それにはいやな面相と態度がつきまとっていたが、そのためにそれだけ価値が少ないということはなかった。ワルトマン教授とは真の友となった。教授の紳士的態度には独断のしみがすこしもなくて、その講義ぶりはあけっぱなしでたちがよかったので、衒学的なところはすこしもなかった。さまざまな方法で私の知識獲得を容易にしてくれ、どんな難解な問題も私に明らかにわかりやすくしてくれた。私の勤勉も最初は動揺し不確かであったが、勉強が進むにつれて確固となり、やがてたいそう真剣で、いかにも熱心になり、私がまだ実験室にいるうちに、朝の光で星が見えなくなるというようなこともしばしばあった。」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著

    「こういう驚くべき話を聞いて奇妙な感じがおきてきた。まことに、人間は、かくも力強く、かくも有徳で雄大でありながら、同時にかくも不徳卑劣なのであろうか?  人間はあるときには邪悪な原質の子孫にすぎぬように見え、またあるときには高貴と神性の極致のように見えた。偉大な有徳な人となることが、人間に与えられる最高の名誉だと思われ、記録にいくらも出ているように、卑劣悖徳であることは、最下等の堕落、もぐらや虫けらにも劣る賎しむべき状態であると思われた。人が自分の同胞を殺しにでかけられるわけが、いやいったい法律や政府があるわけが、長いあいだ私にはわからなかったのだが、悪事と流血の仔細を聞くと、そのわけがわかったけれども、私は嫌悪と嘔吐を感じてわきを向いた。」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著

    「「私はよく談合するつもりだった。この熱情が私にとっては破壊的だ、あなたは自分が熱情の過剰をつくりだした原因であるということを反省しないんだから。もしだれかが私に対して慈悲心を感ずるならば、私はそれをなん万倍にもしておかえしする――その一人の人のために、私は全人類と和解する!  しかしそれはいま実現され得ない至福の夢にすぎない。私があなたに求めていることは合理的でひかえめなもので、私と性は違うが私と同じく醜い被造物をもとめているのだ。その満足はささいなものだが、私が受け取ることのできるのはそれだけのものだから、それだけで私は満足する。いかにも私たちは全世界から切りはなされた怪物とはなるだろうが、そのために私たちはよけいにお互いに結びつくだろう。私たちの生活は幸福ではないだろうが、それは無害で、私が今感じている苦悩からはのがれられるだろう。おお!  私の創造者、私を幸福にしてください、一つの思慮でもって私にあなたに対する感謝を感じさせてください!  私も人間の同情を得ることができる、ということを私にわからせてください、私の要求を拒まないでください!」  私は動かされた。私は私の同意から生じ得る結果を考えて戦慄したが、怪物のいうことにもいくぶんの正義があることを感じた。その身の上話といま表現した感情とで、りっぱな知覚をもった者であることがわかった。そしてその創造者としての私は、私の力で及ぶ限りの幸福を与えてやる義務があるのではなかったか?  怪物は私の感情の変化を見てとって言った――「もしあなたが同意してくだされば、私はあなたにもほかの人間全体にもまたとお目にかからないようにします、南アメリカの広大な荒蕪地へゆきます。私の食物は人間の食物とはちがう、私は食欲を満たすために子羊や子山羊を殺しはしない、どんぐりや木の果で栄養には十分です。私の相棒は私と同じ性質でしょうから、同じ食事で満足するでしょう。私たちはかわいた木の葉で寝床をこしらえましょう、太陽が私たちの上を照らし、私たちの食物をみのらせるでしょう。私が描く絵は平和的で人間的です。だからあなたは、それを否定するには、無暴な力と残虐によるほかはないと感じられるはずです。あなたは今まで私に対して無慈悲だったが、今あなたの目に同情があらわれていることがわかる。この好意をもっていられる瞬間に、私が熱烈に望んでいることをしてやると約束してください」」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著

    「そこからオックスフォードへ行った。私たちはオックスフォードで相当長い期間を過ごし、その近郊を散歩して、英国史のもっとも生気のあった時期に関係のある地点を見て歩いた。有名なハンプデンの墓と、この憂国の士が倒れた戦場をおとずれた。私の魂はしばしばそのみじめな危惧から高められて、これらの光栄が思いださせる自由と自己犠牲の気高い思想のことを瞑想した。しばしば私も敢然と自分の鎖を断ち切り、自由な高潔な精神をもってあたりを見まわしたが、その鎖は私の内に食い入っていたので、私はまた、戦慄し絶望してもとのみじめな自分にかえってしまった。  私たちはいやいやながらオックスフォードを去り、つぎの休息地マトロックへ行った。この村の近隣の地方は、大いにスイスの風景に似ていたが、何もかも規模が一段小さく、緑の山々にはアルプスのような雪をかぶった遠山がない。私たちはそこの珍しい洞穴へ行ってみた、それは小さな博物学の陳列台みたいなものに、いろんな珍しいものが、セルヴォやシャモニーの収集と同じように配列してあった。アンリがシャモニーという地名を口にすると、私はふるえあがった、そしてマトロックを去ることを急いだ。」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著

    「「ぼくはここのぼくの知らないスコットランド人といっしょにいるよりは、きみの一人旅について行きたいんだ。それでは早く帰ってきてくれたまえ、ぼくはまたここですこしくつろいだ気持になりたいんだが、きみがいてくれないとだめなんだ」」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著

    「二人がヨーロッパを去って新世界の荒蕪地に住むにしても、この怪物が渇望している同情の第一の結果は子供のできることであろう。そして悪魔の一族が地上に繁殖し、それが人間の存在そのものをあやふやな恐怖に満ちた状態にしてしまうだろう。私は自分の利益のために、この呪詛を永久に相つぐ世代にこうむらせる権利をもっているだろうか?  私は前には、自分が創造した者の詭弁に動かされていた。その悪魔的な威嚇に打たれて意識を失っていた、しかし今にしてはじめて、私の約束の悪いことがわかってきた。私は将来の人間が私をその害毒として呪詛するかもしれぬと考えて戦慄した。  私はふるえて、気がめいった。そのときふと目をあげると、月あかりで怪物が窓のところにいるのが見えた。わりあてられた任務を果たすためにそこに腰かけている私を眺めたとき、その唇にものすごい笑いがひらめいた。そうだ、私の旅のあとを追ってきたのだ、森林の中をうろついたり、洞穴に隠れたり、広い荒蕪地にのがれたりして、いま私の仕事の進捗ぶりを見、約束の履行を要求しにきたのだ。」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著


    「「イギリス人の風習がどんなもんだかおれは知らないね。ところが悪人を憎むのがアイルランド人の風習だよ」  こういう奇妙な会話の進行中に、群衆がどんどんふえてきた。その群衆の顔は好奇心と憤激のまじり合った表情をしていたので、それが私の気になり、いくぶんかおそろしくなった。私は宿屋へゆく道をたずねたが、だれも答えなかった。それから私が歩みだすと、私のあとからついてきたり私をとりまいたりする群衆の中から、ぶつぶついう声がおきてきた。そのときいやな顔をした男が近づいてきて、私の肩をたたいて言った、「さあ、あなたは私のあとについてミスター・カーウィンのところへ来て、身許を証明してもらいます」」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著

    「フランケンシュタインを自分の友だというあんたは、おれの犯罪とおれの不運のことを知っているようだね。しかしあんたに話した一部しじゅうの中に、フランケンシュタインは、おれが耐えてきた苦悩の年月を算入することができなかったようだ。おれはこの人の希望を破壊しながら、自分自身の願望を満足させたのではないから。その願望はいつも熱烈で切実だった、おれは愛と友情を切望してしりぞけられた。これは不正当ではなかったろうか?  全人類がおれに対して罪を重ねていたのに、おればかりが犯罪者と考えられるのがほんとうだろうか?  その友を自分の家の戸口からたたきだしたフェリックスをなぜ憎まないのか?  自分の子供を助けてくれた者を殺そうとした田舎者をなぜ憎まないのか?  それどころか、こういうものが有徳無罪な人間なんだ!  おれのような、みじめな見すてられた者は、できそこないで、はねつけられ、けとばされ、ふみつけられるのだ。今でもあの不正義を思うと血がたぎりたつ。」

    —『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著

    「メアリー・シェリーの名前は、もっぱら『フランケンシュタイン』の作者として人々の記憶に残っている──と言いたいところだが、作品名ほど彼女の名前が有名ではないのも事実である。何しろ英文学科の学生でもフランケンシュタインは知っているが、メアリー・シェリーとは誰のことという顔をするのが昨今の実情である。おまけにフランケンシュタインは怪物のことだと思っている人が多い。フランケンシュタインとは、怪物をつくった博士の名前だと言うと、「そうなんだ」と納得するのがこのところの学生である。」

    —『フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)』シェリー著

    「しかし、創造主である神に代わって生命を生み出す試みは、現在ではますます現実のものとなりつつあるのも事実だろう。いやそれどころか、すでにクローンが次々につくられている今日では、人間を人為的に生み出すことも夢ではなくなっている。その試みがいかなる結果を招くか、それはまだ誰にも想像がつかない。ただしその一端を知りたければ、日本生まれの小説家カズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』( Never Let Me Go、二〇〇五年。邦訳は土屋政雄訳、二〇〇六年、早川書房)を読むことをお勧めしたい。  いずれにしても人造人間の誕生が現実に近づいている今日、『フランケンシュタイン』という作品はますます現代的な小説となりつつある。だとすれば、こうした時期にこの作品の新訳を出すのはまさにタイムリーなことではないかと、少なくとも訳者は考えている。」

    —『フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)』シェリー著

    「一七九七年ウィリアム・ゴドウィン、メアリー・ウルストンクラフトの娘として、八月三〇日にロンドンで生まれる。父ゴドウィンは、自由主義思想を唱え『政治的正義』などの著書を持つ思想家であり、小説家としてもゴシック小説『ケイレブ・ウィリアムズ』を書いたことで知られる人物。母のウルストンクラフトは女性の権利拡大を訴えた急進的思想家で、『女性の権利の擁護』などを出版した文筆家だったが、メアリーを出産後に死去。」

    —『フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)』シェリー著

    「「フランケンシュタイン」の名前は多くの人々に知られているが、この小説を実際に手にとって読んだ人はそれほど多くはないかもしれない。解説でも触れたように、フランケンシュタインの名前が人々の記憶に残っているのは、もっぱら映画の影響によるところが大きいからだろう。」

    —『フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)』シェリー著

    「フランケンシュタインの怪物は、身長八フィート、つまり二・五メートルにも近い黄色い肌の怪人として描かれているが、これは、そうしたユダヤ人への恐れを象徴化したものであるという説があるのだ。本書の中でフランケンシュタインの友人であるアンリ・クレルヴァルは「無名のまま人生を終えてたまるかと思い立つや彼は東洋へと目を向け、そこにおのが冒険心の躍動の場を見出した」と書かれているが、この東洋という世界は英国人にとって、まだまだ開拓すべき未知の世界だったわけである。  こうした異人種への畏怖については、『フランケンシュタイン』と並んでゴシック・ホラーの名作に挙げられる『吸血鬼ドラキュラ』にしても変わらない。ドラキュラ伯爵は作中で、英語を身につけてロンドンに上陸しようとする得体の知れない東洋の怪人として描かれており、自らの英語の学習については「ロンドンで外国人だと思われることがないように」と、物語の筋道からは不必要なのではないかと思えるほど、自分が話す英語の発音や言い回し等々を気にかけている。これは、同じく言語を習得して人間社会に入り込もうとするフランケンシュタインの怪物と、よく似た構図であるといえるだろう。ドラキュラ伯爵は「言語を身につけてロンドンでなにを企むか」という不気味さが、そしてフランケンシュタインの怪物は「言語を身につけて創造主になにを訴えるか」という謎めきが、読者にページをめくらせる。」

    —『新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)』メアリー・シェリー, 田内 志文著

    「いわば、この両作品においては言語の壁というものが、大きな鍵になっているのである。それを踏まえれば、やはり異文化への畏れがこうした怪物の姿となって読者たちを震え上がらせたのに違いない。無論、この二作が、反セム主義のプロパガンダ作品として書かれたなどとは断じて思わないが、この時代の「恐怖」の雛形としてそれがあり、それが怪物たちの特徴や造形にまで及んだということは大いに考えられる話であるし、多くの読者を得たことの裏にはそうした恐怖を大衆が共有していた時代背景があったと見るのが自然だといえるだろう。」

    —『新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)』メアリー・シェリー, 田内 志文著

    「次に面白いのは、本作品が単純なホラー小説であるだけでなく、当時の最先端である科学知識がふんだんに盛り込まれた SF小説でもあることだ。作中に、電気とガルバーニ電流について熱く語る自然科学の権威が登場するが、電気と生命現象との関連が強く指摘されだし研究が進んだのは、本書が書かれる直前の、一七〇〇年代末のことである。その天啓を受けたフランケンシュタインが「人間創造」という偉業への熱意を燃やすことになるのだが、これは同時に、イートン校在籍時代から生理学に強い情熱を抱いたメアリー・シェリー自身の夢想でもあったのだろう。本書には、稲妻に関する記述が多く見受けられるが、これもまた、十八世紀から十九世紀にかけて大きな飛躍を遂げた「電気」という新たな研究分野とその神秘に対する、メアリー・シェリーの関心と憧れの表れなのではないかと思える。そういう意味では、非常に実験的かつ冒険的な意欲に富んだ、画期的な小説だといえる。」

    —『新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)』メアリー・シェリー, 田内 志文著

    「 この、互いに無自覚のうちに刻みつけてしまった一点の深い憎悪の亀裂ゆえに、相手の理屈は分かっても永遠に溶け合おうとしないふたりが描く人間模様は非常にリアルで切ない。だが、フランケンシュタインの亡骸の前で「ああ、フランケンシュタインよ!  寛容と献身の人よ!  俺が今さらお前に許しを請うて、いったい何になろう?」と怪物が涙を流したのは、やはり本心からなのだろう。それを欺瞞だと断じるウォルトンに対し「それは違うぞ」と怪物が応える場面が終盤にあるが、これは、第三者には決して理解することのできない愛情が、怪物とフランケンシュタインの間には──少なくとも怪物からフランケンシュタインに対しては──あったということなのではないかと思え、非常に切ない気持ちにさせられた。フランケンシュタインと怪物との間には、創造者と被創造者という、他者が決して立ち入ることのできない絶対的かつ神聖な繫がりがあり、だからこそ、ふたりは強烈な憎悪の炎を燃やし合うのである。ここには、すべての人間関係に対する普遍的な問いかけが横たわっているのではないだろうか。」

    —『新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)』メアリー・シェリー, 田内 志文著

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    2025年12月15日
  • フランケンシュタイン

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    無責任に産み出された命の苦しみを描く。いつまでも親を恨み、同時に親の愛を求め続ける怪物は、現実に存在するアダルトチルドレンや、愛に飢えた子どもたちを想起させる。命を産み出す以上は、どんな子であれ幸せにしようと尽くし、溢れんばかりの愛を注ぐ覚悟を持つべきだ。でなければ、出生への恨みと愛に飢えた、恐ろしくも悲しい怪物と化す。作者本人が、愛に飢えた幼少期を過ごし、命を産み出す能力を持つ女性だからこそ、描けたのだろう。不朽の名作、ここにあり。

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    2025年11月02日
  • フランケンシュタイン

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    芹澤恵さんの美しい訳に導かれるように、久しぶりに夢中になって読んだ。

    最後まで自分のことしか考えないヴィクター・フランケンシュタインと、ただ愛されることだけを望む「怪物」。
    怪物のような愛への渇望が、他者への興味が、ほんの少しでもヴィクターにあったなら、結末は変わっていたと思う。
    姿かたちで人の内面を判断する軽薄さが最後まで悲劇をもたらすところも秀逸。
    「人を見た目で判断してはいけません」なんていうつまらない教訓ではなく、そうした軽薄さがどれほど深く人の心に巣食っているかを描き切る冷徹さがかっこよかった。
    さまざまな作品の下敷きになるのも納得の、不朽の名作。
    前人未到の場所への好奇心、名誉欲と傲慢、愛への渇望。
    作者と話してみたい~~~~~~~!面白かった~~~~~~~~!

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    2025年10月04日
  • フランケンシュタイン

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    ネタバレ

    ヴィクターの人間らしい憎しみ、憎悪こそがホラー。
    ヴィクターの亡霊(ドッペルゲンガー)「怪物」の孤独からくる憎しみ、苦しみとの対比が読者をぞっとさせる。なぜか?
    この物語の怖さの本質は「怪物」の見た目の恐ろしさでもなければ、主人公の愛する肉身の数々の非業の死でもない。自分が生み出した生命に対する人間らしいエモーショナルな感情の熱情が怖いのである。明らかに自分に帰ってくる許すべき存在である「怪物」に復讐することに取り憑かれた「哀れな」マッドサイエンティスト、それがフランケンシュタインであり、人間とはそうでしかあり得ない臨場感に恐怖する。
    「怪物」の視点でこの原作を読むと、その眼差しの奥にアニミズムが宿っていることにも驚いた。そう、「怪物」は常に森に逃げ込み、闇夜から現れる。鳥の囀りや自然の蠢きに癒され、なんと「怪物」自身が「どこから来てどこへ行くのか」と、あのゴーギャンの絵画のタイトルを口にするのだ。そう、人間に造り出された「人造人間」も、孤独に苛まれて人類全てを憎むその感情も理不尽も全て、コントロールできない混沌の外から「やってきた」アニミズム=存在論そのものなのだ。ヴィクターは最後までそのことに気付けなかった物語とも言える。ヴィクター自身の絶望と恐怖と憤怒の感情も同じく混沌からやってきた何かだと。

    「スパイラル 推理の絆」が描くものは「フランケンシュタイン」のアニミズムの本質に気付いた「怪物」が自らの寿命も絶望も受け入れ、世界を祝福する物語だ。「フランケンシュタイン」を題材にした物語の中で最も希望に満ちたドラマだが、やはりポイントは結崎ひよのだ。
    もしかしたらひよのは、「フランケンシュタイン」では作られなかった「フランケンシュタインの花嫁」だったのかもしれない。そしてひよのというキャラクターは作られた偽物に過ぎないところも素晴らしく、ただ創造主によって造り出された「怪物」にとって都合の良い伴侶役としてのキャラクターをメタ的に破壊してしまう。ある意味「フランケンシュタイン」よりもイジガワルイ。
    創造主たる鳴海清隆は自身のクローンである歩に問う
    「その底なしの混沌と暗闇でお前を今支えているのは何だ?」
    それは偶然(!)歩はひよの(を演じる誰か)を信じる(コーリング)ことができたからだ。そしてひよの(を演じる誰か)は密かに涙でそれに応える(レスポンス)。二人は(そしてブレードチルドレン達は)世界を救うエートスを共有し、別々の道を歩む(responsibility)。
    二人の出会いと絆こそが、世界の祝福だ。原作「フランケンシュタイン」はそれに気付けなかった男の末路を描くことで逆説的に世界の祝福の存在を浮かび上がらせる。

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    2025年06月11日
  • フランケンシュタイン

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    ネタバレ

    フランケンシュタイン博士という科学者が、外見が醜く、身体能力が高く、感情と知性を持つ「怪物」をつくる。しかし、博士は、その外見を見て恐ろしくなり、逃げてしまう。怪物は、人間と関わろうとするが、その外見からひどい目に合う。そこで、自分と同じような醜い伴侶がいれば、自分の孤独も癒えるだろうと思い、博士につくってくれと頼むが、博士は二人が協力して人類に危害を加えるのではと考え断る。博士の周りの人間から始まり、最終的に怪物も含め全員死んでしまう。

    フランケンシュタイン=怪物のことだと思い込んでいたが、つくった博士の名前だったとは驚いた。

    博士は無責任だと思った。自分がつくったものを放り出し、噛みつかれたから被害者面。無責任にペットを捨てることとやってることは同じだと思った。

    怪物は善行をしても醜いから人間から嫌われ、孤独になる。怪物はできることを全てやって、どうしようもないから博士に伴侶をつくってくれと頼んでいるのに、梯子を外すのはいくらなんでも酷いと思った。

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    2025年01月14日
  • フランケンシュタイン

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    小学生時代、学校の図書室にあった児童向け版を読んでから、20年以上ぶりに読み返したら、胸に迫る原作の緻密な描写に改めて圧倒されました。

    人間の立ち入ってはいけない「禁忌」の境界線、自分という存在は一体何のために生まれてきたのかという人間の命題、外見から起こる差別など、200年以上前に書かれた作品であることが信じられないくらい、現代にも通じるテーマが多く取り上げられた文句なしの名作です。

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    2024年07月27日
  • フランケンシュタイン

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    ネタバレ

    青ざめた四角い顔に目の上のコブ、醜い図体、というのがフランケンシュタインのイメージで漫画のキャラクターぐらいの印象しかなかった。 ところが英語の本の愛読書のランキングに必ず出てくる。 ??ということで本を読んでみることにした。

    結果、誤解していたことが一つ、フランケンシュタインは怪物の名前ではなく、怪物を創造した科学者の名前だった。 そして意図してつくった人工人間が意図せず怪物となったことによる、とんでもない悲劇が展開していくことになる。 悲劇と言ってしまえば一言で終わってしまうけれど、愛と憎しみ、欲と虚栄心、など深いテーマが隠されている。 そして、何よりもAIブームの入り口にいる現代人に、自分で制御できないものを作ってしまった結末みたいなことも警鐘されていると感じた。 二百年前に書かれたとはいえ、普遍のテーマを扱っているので全く色褪せた感じがしなかった。 ハイティーンの若者にも、大人になってしまった人にもおすすめです。

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    2024年03月16日
  • フランケンシュタイン

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    原題も"Frankenstein"、初出は1818年。
    フロストシリーズで毎度テンポの良さとユーモアに富んだ訳で唸らせてくれる芹澤恵さんによる新訳。芹澤恵さん、こんな古典ものの翻訳もされているのねー、これからも色々と読みたい訳者さん。

    書かれたのが200年前というのがまず驚くし、作者は執筆当時、20歳の女性だったということにまた驚く。ちなみにメアリーは17歳のときに妻のいる男性と駆け落ちし、駆け落ちの旅行中で本書を執筆した。その妻が自殺して20日後に結婚したらしい。スキャンダラスすぎるし、今の時代からみても倫理的にどうなんだと思う。しかし本書の序文には、「筆者の主な関心は…(略)、家族の愛情の尊さと普遍的な徳の素晴らしさを示すことにある」なんてあったりもする。前妻が聞いたらキレそう。
    そういえば確か、ミドルマーチやジェイン・エアの女性作家たちもなかなかの経歴だった。当時の女性作家たちが、常識の枠にとらわれず、想像の翼を広げる人たちだったからこそ世に出た作品群なのかもしれない。

    メアリーのことはおいといて、フランケンシュタインである。これが、驚く完成度の高さ。古さを全く感じさせない。めちゃくちゃ面白くてびっくりする。人造の怪物として名前は知られているけど、実は怪物に名前はなく、フランケンシュタインは、この怪物を生み出した科学者の名前である。

    北極点到達のため、船で探検の旅に出ていたロバートは、北極海で瀕死の青年を救出する。その青年がフランケンシュタイン。彼は何故北極海を彷徨っていたのか、その理由を語るのだ。
    彼は生命の謎を解き明かし、人間のように複雑で素晴らしい生き物を作り出すという研究にのめり込む。しかし自ら作り出した人工の肉体に生命を吹き込み完成させたい結果、あまりにも醜い異形の怪物だった。
    恐れをなしたフランケンシュタインは体調を崩す。怪物がいつのまにか研究室から抜け出ていたのを野放しにしたまま、故郷のスイスに逃げ帰る。
    しかし、故郷では愛しい弟が何者かに殺される事件が起きていた。さらには、家族のように接してきた善良な娘が捕まっていた。あの怪物の仕業だと思うフランケンシュタインだが、恐ろしい研究のことを言い出すことができず、無実の娘が死刑になることに苦悩する。
    そしてついに邂逅することとなったフランケンシュタインと怪物。創造主から見捨てられた怪物は、苦難の旅を続けながら、ある一家の暮らしをつぶさに観察して言語や愛情を学ぶものの、その容姿ゆえに人間には受け入れられず、孤独感を募らせていた。怪物は、フランケンシュタインに、自分の伴侶となる異性をもう一人作って欲しい、この願いが叶えばもう二度と人前には現れないと約束する。
    もう一人の怪物を作る手筈を整えるフランケンシュタインだが、土壇場で、人類に禍をなすことを恐れて破壊する。怒った怪物は、フランケンシュタインの大切な者を殺していく。
    怪物を退治するために追っていたフランケンシュタインは、ついに北極海に辿り着いたのだが…。

    色々なところで見聞きしたことのある怪物の恐ろしげな容姿が脳裏にあるのだが、私が一番感じたのは、この名もなき怪物が可哀想だなということ。
    生まれたての子供のように純粋で、知性もあり、愛情を欲しているのに、誰からも受け入れてもらえない怪物の孤独感、「自分は何者か」という苦悩、唯一の理解者たり得るはずの創造主からすら見捨てられたという絶望感。
    大切な者たちを殺されたフランケンシュタインの怒りはもっともでもあるけれど、怪物を創造したことで彼が感じているのは人類に禍を引き起こすことの責任だけで、怪物の未来への責任などではない。禍々しいと断じ、死しか望んでいない。これでは本来的には怪物でなかったとしても怪物になってしまうよね。
    最後まで息つかせぬ展開。はっきりとした描写ではなく、読者の想像に委ねられている部分もあるラストだった。

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    2024年03月09日
  • フランケンシュタイン

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    フランケンシュタインと言えばハマーホラーの映画の印象が強く、原作を読んでいなかったので手に取ってみた。怪物は知性が高く、初めこそはそれほどでもなかったがだんだんと知識を増やし会話できるようにまで成長する。怪物の苦悩と悲劇は映画よりもはっきりとしていて、一方的に暴力的な怪物のようではあるけれど結局は被害者としての立場であることを再認識する。誰も救われない悲劇のお話。

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    2026年03月10日
  • フランケンシュタイン

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    ネタバレ

    怪物がどんなに「愛されたい」と望んでも、誰にも愛してもらえないということが胸に突き刺さった。
    何も悪いことをしていなくても、そのおぞましい見た目のせいで憎まれてしまう。
    もし博士に仲間を作って貰ったとしても、やっぱり人間に復讐しようと思う可能性は否定できない。

    生まれた時から憎まれる運命にあった怪物。
    人間の愚かさを突き付けられた。

    怪物が博士の死を見届けた後、最後は自分で炎に身を投げてやっと苦しみから逃れられるのだと思うと本当に切ない…。

    人に勧めたい本。

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    2024年05月03日
  • 新訳 フランケンシュタイン

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    ネタバレ

    天才科学者フランケンシュタインが生み出した怪物と、生みの親であるフランケンシュタインの話。

    フランケンシュタインは、科学への好奇心から怪物を生み出したが、その怪物は人間と変わらぬ知性と感情を持っていいた。怪物はその醜い見た目から、親切を働いた人々にも拒絶される。親切や善意が拒絶されたことにより怪物が世界と関われるのは悪意を通した凶行だけだった。悪意に任せるまま、怪物は創造主であるフランケンシュタインへ復習するために、フランケンシュタインと関わりの深い人々を次々に殺していく。そして、フランケンシュタインもまた怪物への復讐を誓う。

    誰も救われない展開に呆然とすることしかできない。どちらが悪かを断ずることもできないままに、読み手の前に犠牲者たちの屍が積み重なる。その様子が「悲しみ」という感情にまとまる。

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    2019年09月10日
  • フランケンシュタイン

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    200年ほど前に書かれた本ですが、今読んでも、というか、今こそ読みたい、読んでほしい本ですね、これ。

    自分は、この本を読んでいて、『ジキル博士とハイド氏』と『ガリバー旅行記』を思い出しました。
    構成もなかなか面白いです。

    しかも、メアリー・シェリーが、二十歳そこそこで書いた本、というのは驚き。

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    2018年07月15日
  • フランケンシュタイン

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    「タイトルは有名だけど中身知らないよね」
    となる典型的な作品の一つ。

    長らく積ん読状態だったけど、
    とあるブログのレビューが興味深かったのでこの度呼んでみた次第。

    語り手が交代しながらモノローグを行うように展開されていて、
    解説よろしくこれが後生の『嵐が丘』等へ派生していくというのは個人的に胸がアツくなる部分ではある。

    フランケンシュタインと聞くと一般的には怪物をイメージしがちだけれども、
    怪物には固有名詞はなくフランケンシュタインとは怪物を生み出した天才科学者(ヴィクター・フランケンシュタイン、主人公)の姓である。

    物語の原題は正式には『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』。
    プロメテウスとはギリシャ神話に登場する神の一人。
    寒さに凍える人間を想い火を与えることでその生活を助けようとしたが、
    火を与えられた人間がそれを争いに用いたことにより刑に処せられる。

    ヴィクターば人間を作ったこどにより、
    怪物ば言葉を理解してしまったこどにより、
    自らが抱える愛を遥かに超越した絶望の淵に置かれ身を滅ぼす。
    -現代のプロメテウス-はその隠喩にあたる。

    人間と怪物を比較することで人間の定義について問いを投げ掛けていて、
    そのような意味ではSFの先駆的な作品としても位置付けられているようである。



    …というように何の気なしに呼んではみたものの
    幅広いジャンルに影響を与えたようだ。

    圧巻なのはやはり終盤。
    ヴィクターが息を引き取ったのを観た怪物がウォルトンに自らが抱える想いを吐露する場面。
    目を合わせられなかったとはいえ、
    怪物がまともに会話したのはヴィクター以外ではウォルトンが初めてであり、
    それゆえに怪物がとても人間らしく見える。

    別の機会に是非映画も観てみたい。

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    2014年09月29日
  • フランケンシュタイン

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    ピーター・ラヴゼイ『地下墓地』、
    ピンチョン『Is it O.K. to be a Luddite?』などを読んで
    気になっていた古典作品。

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    2014年02月01日
  • フランケンシュタイン

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    ”人造人間”のアイデアの元祖、そしてSF小説の起源とされることもある古典中の古典。

    知名度の割に原典は全然読まれてないことでも有名だそうです。

    科学を志す学生、ビクター・フランケンシュタインが造り上げた”怪物”によって引き起こされる悲劇的ストーリー。

    生命の創造、知識の獲得に伴う悲劇、孤独、善悪の二面性など、いろんなテーマが含まれており、とても深い。

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    2012年05月11日