【感想・ネタバレ】フランケンシュタインのレビュー

あらすじ

11月も雨のわびしい夜、消えかかる蝋燭の薄明かりの下でそれは誕生した。解剖室などから各器官を寄せ集め、つぎはぎされた身体。血管や筋のひとつひとつが透けて見える黄色い皮膚。そして、茶色くうるんだ目。若き天才科学者フランケンシュタインが生命の真理を窮めて創りあげたもの、それがこの見るもおぞましい怪物だったとは! 無生物に生を与える実験の、しかしあまりに醜悪な結果に、彼はこの生き物を見捨てて逃げ去るのだが……。いくたの映画やドラマ、小説等を通じ、あまりに有名な不朽の名作。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

ヴィクターの人間らしい憎しみ、憎悪こそがホラー。
ヴィクターの亡霊(ドッペルゲンガー)「怪物」の孤独からくる憎しみ、苦しみとの対比が読者をぞっとさせる。なぜか?
この物語の怖さの本質は「怪物」の見た目の恐ろしさでもなければ、主人公の愛する肉身の数々の非業の死でもない。自分が生み出した生命に対する人間らしいエモーショナルな感情の熱情が怖いのである。明らかに自分に帰ってくる許すべき存在である「怪物」に復讐することに取り憑かれた「哀れな」マッドサイエンティスト、それがフランケンシュタインであり、人間とはそうでしかあり得ない臨場感に恐怖する。
「怪物」の視点でこの原作を読むと、その眼差しの奥にアニミズムが宿っていることにも驚いた。そう、「怪物」は常に森に逃げ込み、闇夜から現れる。鳥の囀りや自然の蠢きに癒され、なんと「怪物」自身が「どこから来てどこへ行くのか」と、あのゴーギャンの絵画のタイトルを口にするのだ。そう、人間に造り出された「人造人間」も、孤独に苛まれて人類全てを憎むその感情も理不尽も全て、コントロールできない混沌の外から「やってきた」アニミズム=存在論そのものなのだ。ヴィクターは最後までそのことに気付けなかった物語とも言える。ヴィクター自身の絶望と恐怖と憤怒の感情も同じく混沌からやってきた何かだと。

「スパイラル 推理の絆」が描くものは「フランケンシュタイン」のアニミズムの本質に気付いた「怪物」が自らの寿命も絶望も受け入れ、世界を祝福する物語だ。「フランケンシュタイン」を題材にした物語の中で最も希望に満ちたドラマだが、やはりポイントは結崎ひよのだ。
もしかしたらひよのは、「フランケンシュタイン」では作られなかった「フランケンシュタインの花嫁」だったのかもしれない。そしてひよのというキャラクターは作られた偽物に過ぎないところも素晴らしく、ただ創造主によって造り出された「怪物」にとって都合の良い伴侶役としてのキャラクターをメタ的に破壊してしまう。ある意味「フランケンシュタイン」よりもイジガワルイ。
創造主たる鳴海清隆は自身のクローンである歩に問う
「その底なしの混沌と暗闇でお前を今支えているのは何だ?」
それは偶然(!)歩はひよの(を演じる誰か)を信じる(コーリング)ことができたからだ。そしてひよの(を演じる誰か)は密かに涙でそれに応える(レスポンス)。二人は(そしてブレードチルドレン達は)世界を救うエートスを共有し、別々の道を歩む(responsibility)。
二人の出会いと絆こそが、世界の祝福だ。原作「フランケンシュタイン」はそれに気付けなかった男の末路を描くことで逆説的に世界の祝福の存在を浮かび上がらせる。

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2025年06月11日

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200年ほど前に書かれた本ですが、今読んでも、というか、今こそ読みたい、読んでほしい本ですね、これ。

自分は、この本を読んでいて、『ジキル博士とハイド氏』と『ガリバー旅行記』を思い出しました。
構成もなかなか面白いです。

しかも、メアリー・シェリーが、二十歳そこそこで書いた本、というのは驚き。

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2018年07月15日

Posted by ブクログ

「タイトルは有名だけど中身知らないよね」
となる典型的な作品の一つ。

長らく積ん読状態だったけど、
とあるブログのレビューが興味深かったのでこの度呼んでみた次第。

語り手が交代しながらモノローグを行うように展開されていて、
解説よろしくこれが後生の『嵐が丘』等へ派生していくというのは個人的に胸がアツくなる部分ではある。

フランケンシュタインと聞くと一般的には怪物をイメージしがちだけれども、
怪物には固有名詞はなくフランケンシュタインとは怪物を生み出した天才科学者(ヴィクター・フランケンシュタイン、主人公)の姓である。

物語の原題は正式には『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』。
プロメテウスとはギリシャ神話に登場する神の一人。
寒さに凍える人間を想い火を与えることでその生活を助けようとしたが、
火を与えられた人間がそれを争いに用いたことにより刑に処せられる。

ヴィクターば人間を作ったこどにより、
怪物ば言葉を理解してしまったこどにより、
自らが抱える愛を遥かに超越した絶望の淵に置かれ身を滅ぼす。
-現代のプロメテウス-はその隠喩にあたる。

人間と怪物を比較することで人間の定義について問いを投げ掛けていて、
そのような意味ではSFの先駆的な作品としても位置付けられているようである。



…というように何の気なしに呼んではみたものの
幅広いジャンルに影響を与えたようだ。

圧巻なのはやはり終盤。
ヴィクターが息を引き取ったのを観た怪物がウォルトンに自らが抱える想いを吐露する場面。
目を合わせられなかったとはいえ、
怪物がまともに会話したのはヴィクター以外ではウォルトンが初めてであり、
それゆえに怪物がとても人間らしく見える。

別の機会に是非映画も観てみたい。

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2014年09月29日

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ピーター・ラヴゼイ『地下墓地』、
ピンチョン『Is it O.K. to be a Luddite?』などを読んで
気になっていた古典作品。

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2014年02月01日

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”人造人間”のアイデアの元祖、そしてSF小説の起源とされることもある古典中の古典。

知名度の割に原典は全然読まれてないことでも有名だそうです。

科学を志す学生、ビクター・フランケンシュタインが造り上げた”怪物”によって引き起こされる悲劇的ストーリー。

生命の創造、知識の獲得に伴う悲劇、孤独、善悪の二面性など、いろんなテーマが含まれており、とても深い。

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2012年05月11日

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ネタバレ

1818年とは想像以上に昔の作品で驚いた。それでも古さを感じ無いし読みやすい。
フランケンシュタインと聞くとどうしても映画のイメージが先にきてしまって原作もB級ホラーなのかと思ったら全然違った。

命を生み出す側と生み出された側の心境の対比が物哀しい。

生み出す側はしっかり最後まで責任持たないと駄目だろう。そんなに醜悪な外見なら綺麗に整えてやればいいのに。自分が作ったものに対してこんなにも嫌悪感を示すとはなぁ。「なんでやねん、お前が作ったんやろが」とつっこまざるをえない。やはり創り上げたときは何かに取り憑かれていたのだろうか。

怪物の気持ちも痛いほど伝わってくる。心理描写や独白の場面は素晴らしい。
しかし、性別を変えて同じものを作ったとしても同様に大きな悲しみを創りだすことになってしまうと思う。

互いを許し、愛すしかない。

解説も素晴らしい。
フランケンシュタイン・コンプレックスの大元となったこの作品に出会えてよかった。

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2011年06月22日

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フランケンシュタインというのは怪物じゃなくって怪物を作った人の名前だよというのは知っていたけれど、こんなロマンティックな小説だとは思ってもみませんでした。1818年に出版されたこのイギリス小説、肌触りがルソーの「エミール」に近いなあと思いながら読みました。両方とも教養を得るために「プルターク英雄伝」が使われていますし、ジュネーブつながりもあります。
戯画化されて流布しているフランケンシュタインって、原作と全然違うのですね。
読みたい本があまりないsonyのReaderですが、この本を買って読んだのは大収穫でした。

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2011年01月25日

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ネタバレ

フランケンシュタインの名前は聞いたことがあるし、あの人造人間のイメージは馴染みがあるが、その由来となった小説は誰も読まない、らしい。
アンパンマンにさえ出てくるのに。
たまたま本屋で出会ったので、読んでみることにした。

まずしょーもないこととして、
フランケンシュタインって、あの怪物の名前じゃないんかよ!
(怪物を生み出した青年科学者の名前です)

一通り読み、まずはフランケンシュタインの無責任さにイラっとする。自分の力を過信して、生命を作ったらそれが醜いからって部屋に逃げ帰って放ったらかし。なかったことにするな!
で、大切な弟が怪物に殺されたと確信しているのに、無実のジュスティーヌが処刑されるのに、逡巡しながらも結局何も言えず、ジュスティーヌは死刑になる。
一方、怪物に図らずも備わった純粋で高貴な性質に…怪物ってなんだ?という思い。肉体と知性だけ備わり、訳もわからぬ状態から必死で生き延びる方法を学び、人との交わりを欲し、必死で言葉と文字を覚える怪物。
自分が愛されない風貌をしていることを折り込んで、どうにか人と触れ合うには…といくらもがいても決してうまくいかない。人からは悪意しか向けられず、とうとう闇落ちしてしまう。
怪物はフランケンシュタインに言う。自分と同じくらい醜い女を作ってくれたら、自分は孤独から救われ、二度と人間に姿を見せない、と。怪物は作り主を憎む一方で、(どうしてこんな風貌に作ったのか)作り主にきちんと向き合って、認めてもらいたかっただけなのだ。

その願いを打ち砕いたフランケンシュタインに、さらなる悲劇が訪れるのだが…。

どうしてもフランケンシュタインの自業自得感が否めない。きちんと自分が作ったものに向き合わずに、復讐だの言ってる場合じゃないのでは。
それと、知識と孤独は非常にくっつきやすいが、重なったら諸刃の剣だ。怪物を生み出したフランケンシュタインもそうだし、人との交わりが不可能な怪物が知識や理性を手に入れることによって、自分に与えられた理不尽さが一層わかってしまうから。

解説によると、この本はSFの起源と言われているらしい。このように現代にもつながる問題提起をしてくれるのは、優れたSF作品の証だと思う。

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2025年04月12日

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創作で出てくるような「フンガー」しか喋れないようなドシでノロマな怪物はそこにはなく、むしろその反対のような怪物が出てきたことに驚かされた。
主人公に全く共感出来なさすぎたのと怪物が非行少年のような存在に見えてきたのも相まって怪物視点のみで作品を完遂させた方がよかったのではないか?とすら思った。
虐待やDVで騒がしい昨今、この本に再びスポットが当たっても良いのではと思う内容だった。

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2025年02月24日

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主人公のだらしなさにイライラした‼️
それだけ作品に引き込まれたんだと思う
解説は長過ぎる‼️
歯応えがかなり有る作品

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2024年07月02日

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ネタバレ

人は鏡、不気味の谷現象、というワードが浮かんだ。神話の落とし込みが面白い。人は神にはなれぬという事を訴えてくる作品。
創り出したものに対しての責任、同類への責任。今を生きる私たちもまた無意識に、または好奇心に誘われて突きつけられてしまう問題かもしれない。

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2024年06月11日

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〔フランケンシュタイン豆知識〕
・怪物の名前ではない
・怪物を創り出したフランケンシュタインはマッドサイエンティストの博士ではなく、大学生
・怪物が読んで感銘を受けた書籍は『若きウェルテルの悩み』『プルターク英雄伝』『失楽園』
・最初は北極を目指す冒険家の話、その中でフランケンシュタイン、その中で怪物の話という入子構造になっている
・怪物はあまり暴れない、知的で感性の細やかな人間の能力を超える存在。しかも動きが早い。確実に絞殺する。
・フランケンシュタインは怪物を創造した良心の呵責から現実逃避してばかりであまり天才という感じの人物ではない。結果、予想どおり周りの人を怪物に殺されまくる。
・今ならAIとパラレルに考えられるかも。

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2024年03月02日

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ネタバレ

SFの起源と言われている本作、『標本作家』で登場したこともあり、手を取りました。ザ・いつか読みたいとは思っていたが、読んだことがなかった本。
そして読み進めていくうちに、おそらくほとんどの方が思われている「えこんな話だったの…?」「フランケンシュタインって博士側の名前なんだ笑」などなど、思いながら読み進めました。

正直、怪物に同情してしまって、なんというか煮え切らないフランケンシュタインおまえ!!と思ってました。怪物ぅう…そしてこれはある意味BLだなとも思いながら…

「だがすぐに…自分は死に、今感じることももう感じはしなくなる。燃えるようなこの苦悩ももうすぐ終わる。自分は意気揚々と火葬の山に登ってゆき、劫火の苦しみに凱歌をあげよう。大火の明かりはうすれゆき、自分の灰は風に乗り海へとさらわれてゆくだろう。わが魂は安らかに眠る、よしたとえものを思うとも、今のように思いはすまい。さらばだ」

こんな言葉を残して逝く人と、愚かにも自分が責任を負える範囲を超えたものに手を出す人、そして人類とでは、どちらが本当に怪物なのだろう?

人類の行く末を案じさせるような意味で、この本は紛れもなくSFだなと

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2023年02月19日

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ネタバレ

フランケンシュタインを単なる怪物と思っていた。
フランケンシュタインは怪物を創った研究者で、怪物も見た目は醜いが知性を備えた生き物だった。怪物は狡猾とも言えるほどの知性を備えているし、感情も持っているし、思索もできる。
人間を創るという発想が、この小説の最大の魅力だろうが、フランケンシュタインと怪物の語りも面白い。

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2020年01月16日

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1月にある読書会課題本。学生時代以来の再読になる。人造人間をテーマにしたSFの古典中の古典。映画のイメージしかない人こそ読んでほしいと思う。訳はいろいろあるけれども、この版は訳そのものはもちろんのこと、巻末の解説もとても的確で面白いので、お薦めできる。

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2019年01月05日

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ナショナルシアターの舞台を観て大筋は把握してるつもりだったけど解説まで読んでより理解が深まった。楽園喪失。

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2016年08月02日

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分類としてはホラーになるかもしれませんね
天才科学者 フランケンシュタインが、生命の真理を窮めて創りあげたものが怪物だった。やがて、知恵を持ち感情を持つことになる。
宗教色の強いこの作品は、キリスト教で言う創造物である人間を倫理を超えフランケンシュタインが名もない怪物・生命体を造ってしまった。それが是か否かは、わからない。
醜悪であるがゆえに、全ての人間に問答無用の如く忌み嫌われてしまう。やがて、怪物は自身を創造したフランケンシュタインに憎悪を抱き、復讐する事となる。
小説の著者 メアリー・シェリーは、パーシーやバイロンらと人造生命の可能性について語り合ったことが同作の着想のきっかけとなっている。そして同作品は二人の合作であり夫婦(メアリーとパーシー)です。
 誰もがいう事だが、フランケンシュタインの名を知らぬ者はいないが、原作を読む者は欧米でもまれだそうです。それでもこの名が普及しているのは、ひとつには映画の影響、もう一つはSFの世界ではこの小説がH・G・ウェルズ以前の古典の一つに数え上げられているためであるという。
 冒頭で「宗教色の強い」と書いたが、「種の起源」ダーウィンの進化論は神の否定につながり・・・云々。その点についての考察については、小説を読み個々で言及すればいいのではないかと思う。細かいことについて、いろいろと詮索すればかなり深い作品だと言えよう。その分読みごたえもあるということです。 

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2015年10月27日

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バイロン卿のディオダディ荘で行われた怪奇談義から生まれたメアリー・シェリーのゴシック小説。今までに何度も映画化されてきたため、映画の印象が強すぎてホラー作品のように思えますが、原作は悲哀に満ちた内容です。フランケンシュタインの体験を聞いたウォルトンが姉への手紙に書くという体裁のため、一方から見た事実を中心に物語が進みます。出来ることなら、怪物からの見た話も読んでみたいですね。怪物の名前がフランケンシュタインだと勘違いしている人も多そうですが、怪物を作った科学者(大学生)の名前がフランケンシュタインです。

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2014年10月28日

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初めて読んだ本。怪物を生み出したことに罪の意識を感じる人間と、人間のように生きたいと願う怪物の話。哀しくもあるし、恐ろしくもある。名作。

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2014年05月06日

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11月のとある寒い晩のこと…
怪物が案外初っ端から登場するので、ひたすらに不幸にまみれて坂を転がり落ちていく感じ。でもその永劫の絶望の中で敵対しあうフランケンシュタイン博士と怪物、それぞれが何かランナーズハイのような、天啓のようなものをひらめく瞬間がある。
科学の力を思うままにふるった天才博士と、彼の才能によって生まれた人工生命体。その出会いは最初から不幸なものでしかなかったとしても、己の信ずるものをひたすらに追い続けるひたむきな姿が、この物語を単なるホラー以上のものにしている。

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2012年10月16日

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『屍者の帝国』からの流れで読んだ。
フランケンシュタイン、という名前は知っていても、実際の話がどういうものか知らなかったわけなので、読む機会を持てて良かった。
人と同じような知能(=心、魂)を宿した存在を生み出すことは行っても良いことなのだろうか。
そんな、生命倫理観について色々考えさせらえた。

読んでいる間、「無責任な創造者に創り出されてしまった怪物が可哀想、ヴィクター責任取れよ…」と思ったが、もし自分がヴィクターの立場になったとしたら、逃げ出さずに居られるかと問われると何とも言い難い。

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2012年09月27日

Posted by ブクログ

随分長く、読まずに置いてあった本。アナキスト思想の著作のあるウィリアム・ゴッドウィンとフェミニストのメアリ・ウィルストンクラスト。30年前の学生時代にこの夫婦のことを習う。その授業の際、娘がフランケンシュタインの作者とほんのチョッと紹介された。
作者メアリは詩人シェリーと駆け落ち。バイロン達と過ごすうち、怪談話を書くことになる。

ヴィクター・フランケンシュタインはマッド・サイエンティストと程遠く、彼を見守る父、幼い時から一緒に育つ許嫁、心許す親友、愛らしい弟に囲まれ、自身も心優しく、知性に溢れた人間。
彼の生み出した怪物は、体は巨大であるが、敏捷で、寒さにも強く、木の実などで腹を満たすことができ、ある種、超人的。僅かの間に言葉と文字を習得し、「若きウェルテルの悩み」「プルターク英雄伝」「失楽園」を読みこなす知性も持つ。
物語はあくまで二者の憎しみの対立に成り立つ。フランケンシュタインのいるところ、現れる怪物。ドッペルゲンガーのよう。
二人は、怪物は自身の疎外について、フランケンシュタインは怪物によって喪失されたものの上に互いに憎しみ合う。終盤、怪物は自分の足跡を示しながら逃走する。そして、終わりに向かう。
職業作家の書いた作品ではないし、二百年近く昔の物語だし、まあ、すんなり納得しがたい処はある。しかし、結構読み耽ってしまった。なにより、頭の中のイメージと違う物語だったのが新鮮な驚き。

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2012年04月28日

Posted by ブクログ

フランケンシュタインといえば、自分の世代では『怪物くん』かなぁと思います。ふんがー。名前はフランケン。
という刷り込みで育っているので、本来の物語ではフランケンシュタインは怪物を創造した科学者の名前で、怪物には名前がないと知った時は驚いたものです。この怪物が登場する作品のほとんどが、ふんがーの造形に近いのは、ホラーとしての需要が高いからなんでしょうね。初の映像化の時点で、この造形だったという話だった気がします。

原典であるこちらを読んで何より驚いたのは、怪物の知性の高さと、フランケンシュタインの無責任さ。

これも後世の様々な作品の影響かもしれませんが、狂気の科学者フランケンシュタインというイメージがありました。マッドサイエンティストの顔役のような印象も。彼自身の理想と野望のために研究に勤しんでいるあたりは、狂気を感じるものはありましたが、己の行状の非道さと怪物の異様さに恐怖してからは、ただただ現実から目を逸らし、状況が好転するという妄想に逃げ込んでいるだけな姿には、何の感情も抱くことはできませんでしたね。批判とか軽蔑とかを通り越して、無関心。
怪物の唯一の願いである配偶者を作ることを拒絶したのも、自己の責任逃れのように思えてなりません。世の中の混乱を生み出してしまう原因になりたくない、という。自分が作り出した怪物が殺人を犯したという真実を告白する場面もあるのですが、それが告解や懺悔に繋がらないのは、それまでの鬱々とした彼の行状にあると思います。いわれのない復讐に怯えるよりも、されて当然という懲罰を望む気持ちが起きたのは、自分の中の見たくない部分が共鳴してしまったからかもしれないです。
自己嫌悪なのか、それが変容したナルシズムなのか。

なぜこのような姿で生まれついたのか。なぜ誰よりも高い知性を持ち合わせてしまったのか。それさえなければ、他者からの悪意を知ることもなかっただろうに、という怪物の嘆き。
知ることが幸福ではない、という言説を支持したくなるけども、知るという行為があるから幸福を知ることもできるんだよなぁという思いは消えることはないです。
『アルジャーノンに花束を』と似たような気持ちが残った読後。

ホラーとして大成させるには、ふんがーにするしかなかったのだ、というのが納得できたのは発見でした。
他者との相互理解の不全に苦しむというのは、誰しもが抱えてしまうことで、なくなることはないものなので。
抱えきれなくなった悲しみの果てに、真っ白な世界に身を埋めようというのは、苦しみを覆い隠したいという哀れさがあります。

読む前は、怪物に感情移入するとは思いもしませんでしたね。読書は新しい驚き与えてくれます。再確認。

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2025年09月20日

Posted by ブクログ

初めてちゃんと作品読んで、
ストーリーってこういうのなんだ
って知った。

海外翻訳は、読むのに倍以上時間かかる。
結構疲れるんだよね、
翻訳家にもよるんだろうけど、
読みやすかった方だと思う。
だらだら長いけど。

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2022年07月24日

Posted by ブクログ

率直に言うと、ストーリーとしては然程「面白い」というわけではない。寧ろ似たような話をどこかで見たことがあるかな、という感覚があった。
しかし、これが19世紀に書かれた小説である、ということに思い至って、改めて驚いた。
「似たような話を見たことがある」ではなくて、「似たような話がいくつも作られている」というのが正解だった。

「SFの元祖」と言われるこの作品が、幾つもの小説や映画といった物語の雛形になっていることは言うまでもない。
実際、私も『屍者の帝国』からの流れでここに行き着いたわけだし。
「ヴィクターが創り出した『怪物』とはいったい何なのか?」ということがこの小説の最大のカギなのだろうけれど、そこに何を当てはめるかによって如何様にも読み出すことができる。
そこがこの小説の一番の魅力であり、「SFの元祖」と言わしめる所以だろうと思う。

改めて、「怪物」とは何か? この小説の寓意は何なのか?
人間の傲慢を戒める警鐘か? ドッペルゲンガーか? エディプス神話か? 創造主の苦悩か? 被造物の復讐か?
たとえばこれを旧約聖書的な天地創造神話になぞらえてみて、神がアダムからイブを作り出す間に、実はこういうエピソードが隠されていたのだ、とか。
『屍者の帝国』的に「怪物」とは小説そのものの寓意である、と解釈してみるとか。
そういう読み方もできるんじゃないだろうか。すると、そこからまた新しい物語が生まれたりもするかもしれない。

古いけれど、可能性に満ちた小説。

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2013年01月06日

Posted by ブクログ

「アルジャーノンに花束を」を読んだら、こちらを読みたくなったので数年ぶりに再読。
人が手を加えてはいけない一線を越えてしまった部分が共通していたからだと思います。
特にこの作品は人工物である怪物と対比するように描かれる自然の美しさや厳しさに凄みを感じるので
余計に人間が踏み入れてはいけない領域だったと思わされます。


初めて読んだ時も、2度目の今回も怪物に同情しながら読みましたが、
怪物が目の前に現れた時にとった人々の行動は、自分に置き換えて考えると否定できません。
それでも怪物が弁舌に長けていたのではなく、本当は愛情深い性格なんだと思ってしまうし…矛盾。

「人は見かけによらず」と言い切ってしまうと浅はかに感じますが
その究極をいく作品かなと思います。

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2012年09月28日

Posted by ブクログ

この小説を読んだ人は誰でも、怪物に同情するだろう。
しかし、では現実の人生で、醜い人を愛せるだろうか?
醜い人から受けた愛に報いることができるだろうか?
「醜い」ということの存在が、この世界において、何よりもホラーなのだ。

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2012年02月12日

Posted by ブクログ

2011.12.01
授業で扱っています。
「フランケンシュタイン」という言葉は知っていても、はたしてどれだけの人がちゃんと「フランケンシュタイン」を知っているのか・・・
フランケンシュタインって怪物の名前じゃないんだよ、作った化学者の名前なんだよ。
そして、怪物も私のイメージでは継ぎはぎだらけでネジとかも刺さってて、大きな屋敷に他の怪物と住んでるってイメージだったけど(ハロウィンとかにイラストにある感じ)、全然違った。

作者のメアリー・シェリーは、19歳の時にこれを書いたんだよな。考えられない・・・
読んでてハッピーになる感じではないよね。

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2011年12月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

誰もが知っているフランケンシュタインという名の怪物の原作です。実はフランケンシュタインというのは怪物の名前ではなく怪物を創り出したある学生の名前なのです。読んでみるとこの怪物はもともとは心の優しかったのですが醜い姿のため創造主であるフランケンシュタインにも怖がられ憎まれ誰ひとりとして彼を愛してくれる人はいないのです。フランケンシュタインがものすごく横暴な人だと思うかもしれませんが彼はとても人間らしくあるときは情熱に燃え、あるときは自分の罪に苦しみ。あるときはすべてから逃げようともします。いやそれどころか、常に優しく、愛し合う人のいる一般人以上の人だったでしょう。怪物は自分が受けた苦しみをフランケンシュタインにも与えようとします。二人は同じような苦しみを持ちながらも、互いを憎み合っています。そしてそのバックにはスイスの大自然が広がっているのです。そこで怪物はただ自分を愛してくれるものがほしいのだといいます。それに対してフランケンシュタインは自分が愛する者を傷つけるのではないだろうか。と言います。その時の二人の気持ちはとても似ていてただ愛する者の大切さを訴えています。同じ気持ちなのに怪物とフランケンシュタインは悪と正義として社会からは見れます。これこそがこの物語がホラーとして成り立つ最大の要因だと思います。仮に怪物がまるで人間そっくりにできたのならばただのSF小説として読まれるのではないでしょうか。

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2011年07月01日

Posted by ブクログ

とにかく考えさせられるものが多いと感じた.

我々は生命を創造してもよいのだろうか?
創造した生命を無責任に放置してもよいのだろうか?
生命に心(理性や知能)が宿ったときそれを処分することに倫理に反しないのか?

生命とは手に触れて温度があるものだけなのだろうか?(コンピュータ上などの仮想的に創造された生物にも当てはまるのではないのだろうか?)

本当にいろいろと考えさせられます.

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2011年03月05日

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