メアリー・シェリーのレビュー一覧
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長かったぁ。名前は聞いたことあるけど内容はよく知らない作品だったから一度読んでみようと思って手に取った。フランケンシュタインが怪物ではなく作り出した人物の名前なのは意外だった。最初航海士の手紙から始まって思ってたのと違うなと思ってたけど読み進めるうちに怪物が作り上げられそこからフランケンシュタインと怪物との物語が進む展開は良かった。最後まで名を与えられない怪物に対して少なからず同情はする。科学技術の発展で人間が作り出した怪物に対して寄り添いもせず憎悪を向けるのはとても孤独で寂しいだろうな。フランケンシュタインに対して同じような怪物を作れと要求するのもわかる。怪物が誕生してから五感を得て言語を習得していく過程も面白かった。スイスの景色の描写も多くて行ってみたくなる。
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Posted by ブクログ
フランケンシュタインといえば、自分の世代では『怪物くん』かなぁと思います。ふんがー。名前はフランケン。
という刷り込みで育っているので、本来の物語ではフランケンシュタインは怪物を創造した科学者の名前で、怪物には名前がないと知った時は驚いたものです。この怪物が登場する作品のほとんどが、ふんがーの造形に近いのは、ホラーとしての需要が高いからなんでしょうね。初の映像化の時点で、この造形だったという話だった気がします。
原典であるこちらを読んで何より驚いたのは、怪物の知性の高さと、フランケンシュタインの無責任さ。
これも後世の様々な作品の影響かもしれませんが、狂気の科学者フランケンシュタインというイメージがありました。マッドサイエンティストの顔役のような印象も。彼自身の理想と野望のために研究に勤しんでいるあたりは、狂気を感じるものはありましたが、己の行状の非道さと怪物の異様さに恐怖してからは、ただただ現実から目を逸らし、状況が好転するという妄想に逃げ込んでいるだけな姿には、何の感情も抱くことはできませんでしたね。批判とか軽蔑とかを通り越して、無関心。
怪物の唯一の願いである配偶者を作ることを拒絶したのも、自己の責任逃れのように思えてなりません。世の中の混乱を生み出してしまう原因になりたくない、という。自分が作り出した怪物が殺人を犯したという真実を告白する場面もあるのですが、それが告解や懺悔に繋がらないのは、それまでの鬱々とした彼の行状にあると思います。いわれのない復讐に怯えるよりも、されて当然という懲罰を望む気持ちが起きたのは、自分の中の見たくない部分が共鳴してしまったからかもしれないです。
自己嫌悪なのか、それが変容したナルシズムなのか。
なぜこのような姿で生まれついたのか。なぜ誰よりも高い知性を持ち合わせてしまったのか。それさえなければ、他者からの悪意を知ることもなかっただろうに、という怪物の嘆き。
知ることが幸福ではない、という言説を支持したくなるけども、知るという行為があるから幸福を知ることもできるんだよなぁという思いは消えることはないです。
『アルジャーノンに花束を』と似たような気持ちが残った読後。
ホラーとして大成させるには、ふんがーにするしかなかったのだ、というのが納得できたのは発見でした。
他者との相互理解の不全に苦しむというのは、誰しもが抱えてしまうことで、なくなることはないものなので。
抱えきれなくなった悲しみの果てに、真っ白な世界に身を埋めようというのは、苦しみを覆い隠したいという哀れさがあります。
読む前は、怪物に感情移入するとは思いもしませんでしたね。読書は新しい驚き与えてくれます。再確認。 -
Posted by ブクログ
読もうと思ったきっかけは
「女の子のための西洋哲学入門」
第9章「技術一経験と媒介された現実」にて
引用されていたから。
まず、さきに挙げた本に照らして読むのであれば、人工知能がもたらす害(善として行われる中にある害というべきかも)についての警鐘のように読むことができる。
無邪気にそれを手足のように用いることについてや、ヴィクター側、つまり産み出した側の「倫理観」の欠如など。
現代であればクローン技術や、豚の内臓をヒトに移植すること、今では当たり前に行われる人工授精、AIのアルゴリズム。
また、ルッキズムと差別の極致でもある、といえるかもしれない。美しい内面には美しい容姿が備わって然るべき、という書かれ方。そもそも「怪物」なのだから恐れられるのだが、「違う見た目」への強烈な偏見としても読める。知性も感情も、人間と同じくらいかそれ以上に成長していくのに、ただただその醜さゆえに迫害される怪物は、あらゆるもののメタファーとなり得る。自分が怪物に出会ったら?もしくは産み出された側だとしたら?周りの人と「違った」ら?
アメリカでは移民排斥によるデモが過激化。トランプは彼らを「動物」と呼んだ。イスラエルのガラント国防相は、パレスチナの人々を「人間動物」と呼んだ。
怪物は作中、「人間はどうしてわざわざ仲間を殺しにいくのか」と思っていた。この辺りのニュアンス、今までもこれからも読まれていく所以なんだろう。
純粋に物語として読むと、古典なのでストーリーは今となってはありきたりではある。
初めて原作を読んでみてびっくりしたのは、構成の面白さで、
⚫︎ウォルトンが姉に宛てた手紙
⚫︎ヴィクターの独白(をウォルトンが聞き書き)
⚫︎ヴィクターの独白のなかの怪物の独白
およそこの三つで成り立っていて、それがこちらに語りかけるような感覚を与えてくれて良かったし、特に怪物がヴィクターに拒絶され、ひとりで彷徨う様子、言葉や感情を本や善良に思える人々を観察することで獲得していく過程が非常に丁寧で一番好きな場面だった。そのぶん、後半の圧倒的な哀しさが増す。とにかく、哀しい。
完全な孤独、自分で自分を一番憎む心の有り様は、怪物が言うように怪物にしか絶対にわからないんだろうと思う。
「おまえの憎しみなど、おれが自分を見つめるときの気持ちに比べたら、何ほどのものでもない。」
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率直に言うと、ストーリーとしては然程「面白い」というわけではない。寧ろ似たような話をどこかで見たことがあるかな、という感覚があった。
しかし、これが19世紀に書かれた小説である、ということに思い至って、改めて驚いた。
「似たような話を見たことがある」ではなくて、「似たような話がいくつも作られている」というのが正解だった。
「SFの元祖」と言われるこの作品が、幾つもの小説や映画といった物語の雛形になっていることは言うまでもない。
実際、私も『屍者の帝国』からの流れでここに行き着いたわけだし。
「ヴィクターが創り出した『怪物』とはいったい何なのか?」ということがこの小説の最大のカギなのだろうけれど、そこに何を当てはめるかによって如何様にも読み出すことができる。
そこがこの小説の一番の魅力であり、「SFの元祖」と言わしめる所以だろうと思う。
改めて、「怪物」とは何か? この小説の寓意は何なのか?
人間の傲慢を戒める警鐘か? ドッペルゲンガーか? エディプス神話か? 創造主の苦悩か? 被造物の復讐か?
たとえばこれを旧約聖書的な天地創造神話になぞらえてみて、神がアダムからイブを作り出す間に、実はこういうエピソードが隠されていたのだ、とか。
『屍者の帝国』的に「怪物」とは小説そのものの寓意である、と解釈してみるとか。
そういう読み方もできるんじゃないだろうか。すると、そこからまた新しい物語が生まれたりもするかもしれない。
古いけれど、可能性に満ちた小説。 -
Posted by ブクログ
「アルジャーノンに花束を」を読んだら、こちらを読みたくなったので数年ぶりに再読。
人が手を加えてはいけない一線を越えてしまった部分が共通していたからだと思います。
特にこの作品は人工物である怪物と対比するように描かれる自然の美しさや厳しさに凄みを感じるので
余計に人間が踏み入れてはいけない領域だったと思わされます。
初めて読んだ時も、2度目の今回も怪物に同情しながら読みましたが、
怪物が目の前に現れた時にとった人々の行動は、自分に置き換えて考えると否定できません。
それでも怪物が弁舌に長けていたのではなく、本当は愛情深い性格なんだと思ってしまうし…矛盾。
「人は見かけによらず」と言い切ってしまうと浅はかに感じますが
その究極をいく作品かなと思います。 -
Posted by ブクログ
2011.12.01
授業で扱っています。
「フランケンシュタイン」という言葉は知っていても、はたしてどれだけの人がちゃんと「フランケンシュタイン」を知っているのか・・・
フランケンシュタインって怪物の名前じゃないんだよ、作った化学者の名前なんだよ。
そして、怪物も私のイメージでは継ぎはぎだらけでネジとかも刺さってて、大きな屋敷に他の怪物と住んでるってイメージだったけど(ハロウィンとかにイラストにある感じ)、全然違った。
作者のメアリー・シェリーは、19歳の時にこれを書いたんだよな。考えられない・・・
読んでてハッピーになる感じではないよね。 -
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終始「ヴィクトルてっめえ……!」と思いながら読みました。創った人造人間がグロかったから思わず逃亡→戻ったらいなくなってて「やったー!」→と思ったら人造人間に弟殺されて「おのれ……!」ってお前。悲劇の原因って怪物じゃなくて育児放棄じゃねえか!
生理的嫌悪はどうしようもないもんだけど、フランケンシュタイン・コンプレックス(被造物が創造者に逆らう危険性を盲信すること)って言い得て妙だったんだなあ。元ネタだから当たり前だけど、怪物に対するヴィクトルの態度がまんまだ。被造物が邪悪だったから創造者に逆らったネタが多い中で、元ネタであるこれが被造物を邪悪と描いていないのは何だか皮肉だなあ。
解説によると結構著者の生い立ちが反映されている作品だそうで、著者が怪物=生まれながらの悪と書かなかった理由が腑に落ちてスッキリ。そしてやっぱり怪物に感情移入しちゃうからヴィクトルにギリッとなる。ギリッ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ誰もが知っているフランケンシュタインという名の怪物の原作です。実はフランケンシュタインというのは怪物の名前ではなく怪物を創り出したある学生の名前なのです。読んでみるとこの怪物はもともとは心の優しかったのですが醜い姿のため創造主であるフランケンシュタインにも怖がられ憎まれ誰ひとりとして彼を愛してくれる人はいないのです。フランケンシュタインがものすごく横暴な人だと思うかもしれませんが彼はとても人間らしくあるときは情熱に燃え、あるときは自分の罪に苦しみ。あるときはすべてから逃げようともします。いやそれどころか、常に優しく、愛し合う人のいる一般人以上の人だったでしょう。怪物は自分が受けた苦しみをフランケンシュタインにも与えようとします。二人は同じような苦しみを持ちながらも、互いを憎み合っています。そしてそのバックにはスイスの大自然が広がっているのです。そこで怪物はただ自分を愛してくれるものがほしいのだといいます。それに対してフランケンシュタインは自分が愛する者を傷つけるのではないだろうか。と言います。その時の二人の気持ちはとても似ていてただ愛する者の大切さを訴えています。同じ気持ちなのに怪物とフランケンシュタインは悪と正義として社会からは見れます。これこそがこの物語がホラーとして成り立つ最大の要因だと思います。仮に怪物がまるで人間そっくりにできたのならばただのSF小説として読まれるのではないでしょうか。