西谷修のレビュー一覧
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グローバル経済と新自由主義、IT技術やAI。現代世界がものすごい勢いで変化しているのは分かるのだが、それが世界各国で起きているポピュリズムや排外主義的動き、格差の拡大による社会の分断といった現象と、そもそも関連しているのかどうか、関係があるならば一体どう関連しているのかが良く分からなかった。
本書は、そうした問いに対して、見取図を与えてくれる。
〈なるほどと思った箇所〉
・現在、先進国で起きている問題の基軸は、20世紀半ばに世界戦争後に立てられた秩序原理を失効させようとする動きと見られる。
・グローバル市場の成立によって、国家の役割が経済システムの自動化に吸い取られていく、そして、「 -
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ネタバレ積読本から発掘した。おそらく、ご本人の講演会に行ったんではないか?その時購入したんではないかと思う。だが、何を話されたか全く覚えていなかった。
ちくまプリマー文庫というのは、若い方から学びなおしの大人の方まで、という感じで展開されているシリーズらしい。
おかげで、非常に理解しやすい言葉で、集中したとはいえ2日で読み上げることができた。
この本は、そもそも戦争とは・・という定義から、第1次、第2次世界大戦、さらには近年の「テロとの戦い」にまで言及している。さらには、その向こうに見え隠れするグローバル企業にまで。
政治や国際情勢を考えるうえで、入門テキストとして読んでおいていい本ではないかと思 -
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戦争とは何か、哲学的・歴史的な観点から丁寧に説く一冊。ウェストファリア体制が確立し、その後なナポレオン戦争後に国民戦争となった戦争。それが意図せずに起きた一度めの「世界戦争」、わかってて起きた二度めの「世界戦争」、核によって起こさなかった三度めの「世界戦争」。3つの世界戦争後には国家間の取り決めなどである種の制限があった戦争が、対テロ戦争というある意味無制限の暴力の行使が可能になり日常が潜在的な戦場になる新しい戦争形態が現れてしまった。
著者の見方でハッとさせられたのは近代日本の軍はヨーロッパの国民軍と違って義勇軍といった形から産まれたのではなかったために主権者として自発的に戦う兵士であったこ -
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主君が複数いてもなにも良いことはない。
たった一人のものでも主君という称号を得た途端に、その権力は耐え難く、理を外れたものになるのだから、ましてや複数者による支配など良きものであるはずがない。
しかしオデュッセウスはここに付け加えた。
頭でも王でもたった一人が望ましい。
冷静に考えれば一人の君主に服従するのは不幸の極み。彼らの権限でいつでも悪人に変われる。
権力者は何人であるべきか=組織分割サイズの問題
隷従者は強制されているだけではなく、一者の名に幾分か惑わされ魅了されて軛の下に首を垂れている。
自発的隷従は特にそこに君主への敬意を伴っていない場合の責任転嫁として用いられている。 -
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人はなぜ、自らを害する者にわざわざ自分から従ってしまうのだろう。
という疑問をつきつめて考えてみた500年近く前の若者の論文。
「なぜ」よりも「どのように」が近い。
君主はどのように振る舞い、民衆はいかにして隷従するか。
見えるものをただ書いただけ。だから今にも通じてしまう。
ラ・ボエシは革命を志したわけではなく、この書でなにかをなそうとしたわけでもなく、本当にただ「ああもうそこなんで自分の首絞めさせちゃうのさ歴史に学べよ!」と、思ったことを書いただけっぽい。
親友のモンテーニュはこれを扇動に使われることを恐れ、後の人々は自分の状況を投影して革命の勇気にしたという。
この本に添えられている -
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16世紀半ば、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ若干16歳もしくは18歳の時に著された小論文。啓蒙時代以前の著作であり、近代・現代思想の洗礼を受けてきた現代人にとってみれば、その「自由」概念は驚くほど牧歌的で微笑ましいものではあるが、そうだからこそ逆にあらゆる支配形態下の人々に訴えかける普遍性を持ち、本書における思想が時々の支配者に危険視されてきたにもかかわらず底流にて読み継がれ、あるいは時宜を得るや様々な思想家の手で引用され浮沈を繰り返してきたともいえる。
ラ・ボエシは問いかける。圧政者は1人であるにもかかわらず、なぜ大多数者である人々はそれに抵抗せずにみずから彼に屈し、その圧政を支えるのか?「あ -
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「自発的隷従論」とはいかにもピンと来るタイトルだ。王権は民衆が隷従するからこそ成立する。人々は自ら好んで、権力に支配されることを欲する。
これはなんと、16世紀の、当時16歳だか18歳だかの若造(もしくは小僧)が書いた本である。あまり学問的でもない筆致だが、鋭いところを突いていることは確かだ。
著者ラ・ボエシの考えでは、人間は「自由」であることが自然である。この「自然」とは、どうやら、「理性」と等価であるところのものだ。なのに、人々はわざわざ「圧制者」の支配に自らを縛り付けるのであり、それは「習慣」によってつくりだされた「悪徳」である。
圧制者を陥落させるためには、人々がそれを支えなけれ -
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戦争は私が生まれるずっと前に終わったんだと思っていた。
沖縄では今でも毎日のように不発弾が出て、年に100体くらいの戦争で死んだ人と思しき人骨が出るのだという。
大量の死があったから。骨も沖縄もないがしろにされて、埋葬(のための発掘)さえもおざなりにされてきたから。
過去を悼みたい沖縄人が働きかけてようやく動いた大規模な発掘プロジェクトの中で撮られた写真を軸にそれぞれが沖縄を・沖縄戦を・死を・骨を・今を、土地の記憶を語っていく。
きれいな形が残っている日本兵の骨を見てなにがしか思って、そのあとに文を読み骨すら残せなかった沖縄人をまた思う。
映っているのはひどくないがしろにされてきた骨なのに -
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「隷属への道」に続く隷従シリーズ。この本が描かれたのは16世紀のフランス。まだ民主主義など遠い理想でしかなかった時代のものだが、今の時代にも当てはまることが多くて何やら冷んやりする。「自発的に隷従する」というのは単語としても矛盾しているが、状態をよく表しているとも言える。つまり、指導者たるものの何らかの魔力に惹かれ、あるいは無気力となり、悪に耐え、善を希求する力を失う。第一世代はまだ闘争の記憶を持つが、世代を経るごとに疑問もなく隷従するし先人が強制されていたことを疑いなく進んで行うようになる。言われてみると、国、企業などに隷従していないか。日米関係は?など、しっかり考えるべきことが多いことに気
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借りたもの。
17世紀半ば~現代の“戦争”の概念の変容を歴史の流れから理解するには良いと思う。
現代のテロ事件の根底にあるものが、歴史の中で連綿と受け継がれているわだかまりである事が理解できよう。
よく言われる「狩猟民族の発想が戦争を引き起こす」ではなく、「農耕による定住と蓄えが、その集団内部で管理や分配に関する争いが生まれる」という視点に、「狩猟民族が扱うものは、そのまま武器となる」という先入観でしかないという事に気づかされる。(農具である鍬・鋤や手鎌も武器になり得るのだから)
戦争の定義――人と人がかかわる限り争いは必ずあるものだが、殺人が解禁されるという究極的な非常時への言及から、そ