フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェのレビュー一覧
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ニーチェの言葉に励まされたいと思い、第二弾を購入。
入り口として入りやすい本。そろそろ原本を読む予定です。
熱い男で間違いない。
言葉は単に言葉ではあるけれど、言葉の力はやはりすごい。
いい言葉をたくさん身につけていれば、激しい雨の中にあって言葉は傘となってくれる。
良かったと思えるページには付箋を。
その中から二つ引用させてもらいます。
“ささいなことでいい。何か一つのきっかけでも掴んで自分を幸せにせよ。できる限り、機嫌よくあれ。気分上々にせよ。
そうして、自分が本当にしたいことをなすがいい。”
“残念ながら、多くの人は知らなさすぎる。自分が溢れるほど豊かだということを。
何にだって -
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Posted by ブクログ
まずは自愛
今が永遠に続いてもいいほどに
自分をないがしろにするな
何事にも全身全霊で、じゃないと自分の行為をバカにしていることになる。
相手を傷つけたいのならありのままの事実を端的に
天才とは一つの意志、行動、高い目標を欲しそこに達する手立てをも欲すること。
天才はきみとかけ離れた存在ではない
一般の人は歴史上の人物は一種の奇蹟の体現なようなものだと考えているが、どの天才も実際は猛烈で地道な努力の末に作品を創出しただけであって、奇蹟じみたものではない。
勉強の効果
知識とは別に勉強のもたらすことはある。勉強によってのうりょが鍛えられるのだ。丹念に調査する力、推理や推論の力、持久力や -
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ニーチェの作品の中で唯一読んだものだ。哲学書というより詩のような神話のようだ。それがこの作品を難解にもさせるし、強いインパクトを与えもする。ツァラトストラは明らかに聖書を意識している。
「神は死んだ」の台詞は有名だが、これは言われるまでもなく当たり前なことで、誰もが知ってることではないかと思う。日常での理不尽さ、戦争及び災害、飢餓、暴力を振るう側と振るわれる側、支配する者と支配される者、このような世界のどこに神がいると言えるだろう。
遠藤周作の「沈黙」で、島原で迫害を受けるキリシタンの農民の一人が宣教師にこう言っている。「あなたの教える神がいるというなら、どうしてこの悲劇の中に現れな -
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「否、否、三たび否!」
「おお、嘔吐! 嘔吐! 嘔吐!」
「晩餐」の章からの畳みかけるような勢いがすごい。
ツァラトゥストラの元へ訪ねてきた「ましな人間」たち。しかしツァラトゥストラの求めた人物は彼らではなかった。彼が求めたのは、これから彼の園を尋ねるであろう彼の「子ども」たちである。彼のこれまでの説教はすべて、この「子ども」たちのためにある! 彼は説く。この「子ども」たちのために、「ましな人間」は踏み越えられるべき橋となるように。そのために富み貧しくなるように。
「永劫回帰」というのは、たぶん、こういうことだろうか。
ある一瞬。「この時が永遠に続いたらどんなに素晴らしいだろうか!」と思う -
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(下)は永遠回帰をより強調。
・世界は深い。・殻を持つこと(美しい外観・賢明さを身につける)も必要である。・世界には汚物があるが、世界が汚物だとは言えない(その汚物に知恵が潜んでいる)。・最上のものを学ぶべき。・不治の病人の前では無理に医者になるな。・おしゃべりのあるところは花園となる。・権力を持つということは汚れるということ。それをわかって権力を持つべき。・多くを中途半端に知ることはよくない。・他人の思い過ごしで賢者になるより、自分の責任でばか者であるほうがまし。偉大さを求めるのは偉大ではないから。・貧しい者が幸いだとは真理ではない。・どこへ行くかを知っている者だけが、どれが良い風向きか、 -
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とりあえず読んでみたものの、内容を理解できたとは言いがたい。やっぱり難しい本だ。竹田さんや永井さんのニーチェの解説書を読んで、あまりよくわからなかったから、原書を読んでもわからないのは当然か。もう少しニーチェの思想を解説書で理解し、ニーチェの原書の中でも簡単なものを読んでから読まないといけないかもしれない。
ただ、文章はとても詩的で美しく、読んでいてとても楽しかった。ところどころに知っている言葉も出てきた。「神は死んだ」や「力への意志」など。それに文章に力があって、アフォリズムがたくさんある。自分のことかもしれないと感じる言葉もちらほら。あまり理解できなかったが。
ニーチェの思想を理解す -
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ニーチェは結局、神を否定し、弱者による道徳を否定して、何を求めたのか。恐らくは絶対的価値観とされる今の価値基準を疑い、神や他者への盲従を否定することで、「自らの生」を「自らの価値観や言葉」で生きることではなかったか。この世界の他者の価値観や宗教という脚本に従い、暗闇を手探りで歩く、そんな機械装置のような円環では、今世を生きる永劫回帰に爪痕を残せやしない。永劫回帰に爪痕を残すとは、その創造の証を刻むこと、主体の再創造だ。
だとしたら、本書のようなニーチェの思想をアフォリズムとして切り出した「名言集」は、全く!ニーチェの思想と真反対。言語化してくれてスッキリしました!という、確証バイアス。自己肯 -
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ネタバレつづき。
主人公ツァラトゥストラが、さらに進化していく、そして最終的に自分の理想的な役割を人間との間で果たしうることになったのか…。
前半あまり民衆たちに受け入れられなかった部分が目立ちましたが、
少し出直したあとは、最終的に永遠回帰の教師ともいわれるまでになっていっているようです。
引き続きいろいろと独り言?説教?歌?で語られていまが、同時に、沈黙すること、通過すること、といった部分もあり。
肉欲、支配欲、我欲、という3つの悪、と言われるものについての述べられていますが、
無私な生き方を否定し、我欲を至福のものとしてたたえる者を肯定しているようです。
そして強調されているのは、 -