堀内静子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ子供の頃テレビで見て、彼についてなんとなくは知っていた。今でも内容が頭を離れず、ようやく読むことができた。
解説にもあったが、多重人格は親からの虐待に起因することが多いらしい。ビリーの場合は、継父からの性的虐待、実父の死によるショック、母親からの激しい叱責などが原因で、自分を守るために人格が分裂していった。怪力のレイゲン(スラブ訛り)、愛を渇望するアラダナ(レズビアン)、知的能力の高いアーサー(イギリス上流階級訛り)、全ての苦痛を引き受けるデイヴィッド(幼児)などなど。それぞれが全く異なる人格やバックグラウンドを持っているのも驚きだし、リーダーを作って人格をコントロールしていたというのも衝撃だった。
ある人格がビリーになっている間は他の人格の記憶がなくなるため、ビリーの混乱は激しく、例えば気づいたらアメリカにいたはずがロンドンにいたり、苦手な科目のテストで満点をとったり、何より覚えのない罪に問われ苦悩する姿が読んでいて辛い。
法廷に立つにあたり精神科医が人格の統合に尽力、成功したものの、社会からの冷遇によりまた分裂する。統合と分裂を繰り返し、人に裏切られ、彼を救おうとする人も周囲からの嫌がらせや家族との亀裂が生じ、苦しむこととなる。
あまりに過酷だが、読むことができて良かった。 -
Posted by ブクログ
多重人格というものに対しての偏見?イメージ?みたいなものが変わった気がする。
自分が知っている冷酷で理知的で、必要に応じて人格を分けるサイコパスではなく、生きていくために人格を変えざる得なかった弱者だったのが衝撃的だった。
今回の話は身体的な意味でビリーが犯した罪よりも、多重人格者が犯した犯罪という意味で有名になった訳で、そう考えると偏見にまみれているように感じるし、周りからの視線も好奇以外のものがないと思う。
罪を犯していない人間(人格)を逮捕するのは冤罪と変わらない気がするが、身体的な意味では犯罪者だから、どう分類したらいいのかわからない。
それにしても、知力や体力はもちろん、使用する言語まで変わるのなら、もう別人なのではないか。
個人的には22歳のイギリス人のアーサーというのに驚いた。
好きなアニメに そのまんまのプロフィールの人物がいる。
性格は全く違うが…。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ面白かった。「森を見て木をみず」という手法のトリックはどこかで見覚えがあったが、この小説が元ネタなのだろうか。シンプルに序盤から終盤までずっと飽きさせない物語構成がすごいと思った。ずっとある一人の狂人の仕業におもわせ、最後にひっくり返す。それももちろんフィクションであるため、非現実的ではあるが、筋の通った論理的な方法で。精神障害や多重人格で終わらせないのが、素晴らしいと感じた。細かい犯行の手違いや間違いにもちゃんとした理由があるのがぬかりなかった。手違いがない方がミステリー小説として美しいのではないかと思ったが、その手違いに犯人の人間味というのが溢れていたのは興味深かった。相変わらずポワロの論理的で、懐疑的で、冷静で、紳士的な姿勢には憧れる。というかそれ以上に、何でこんな物語が作れるのかさっぱりわからない。「自分たちは木を見ているようで、森しか見ていなかった」というコンセプトのを最初から最後まで一貫して作り上げる才能はどこからやってくるのだろうか。
又、個人的な話だが、今自分が情緒を劇的に揺らす作品、表現を鑑賞できない状態にあるため、アガサクリスティーのミステリーが、論理と人間心理のバランスの塩梅が丁度よく、そして読み応えもあり、結末も痛快だった。やはりポワロの俯瞰的な観察者的な視点、そして物語に一貫して存在する「品」のようなものが今の自分にフィットした。これからも読んでいきたいし、アガサクリスティ以外の古典ミステリーも読みたいと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ【再読】
ある日ポアロのもとに不審な手紙が届く。それはABCを名乗る人物が、日付を指定してアンドーヴァーの地で何かが起こることを示唆したものだった。そして予告どおり、アンドーヴァーでアリス・アッシャーという名の高齢女性が殺害された。さらに遺体のそばにはABCと呼ばれる鉄道案内が置かれていた。ポアロたちは身内らから話を聞くも、疑わしい者は見つからなかった。
そうしているうちに今度はベクスヒルでエリザベス・バーナードが、チャーストンでカーマイケル・クラーク卿が犠牲になる。一向に容疑者の目星がつけられないでいると、三人目の犠牲者クラーク卿の弟フランクリン・クラークが、犠牲者の身内からなる「特別部隊」を結成することを提案する。
そして四人目の被害者が出たところで、ついに犯人アレグザンダー・ボナパート・カストが逮捕された。しかしカストと面会したポアロは、彼は犯人ではないことを確信する。
真犯人は三番目の被害者クラーク卿の弟フランクリンだったのだ。彼は遺産目当てで兄を殺害し、それをカムフラージュするために何の罪もないほかの三人を殺した。そして、精神的に不安定なカストを唆して自分の犯行であると思い込ませたのだった。
クリスティー作品には珍しい、警察を手玉にとり世間を騒がせる劇場型犯罪。ポアロも翻弄され、終始ピリピリとした空気が漂っている。また、犯人視点のパートがあるのも特徴。犯人はなぜこのような連続殺人を実行したのかという点がテーマのホワイダニット作品。本命の殺人を無差別殺人の中に隠してしまうという恐るべき殺人者。
狂気の人間はその行動において正気の人間と同じように論理的であり、筋が通っている。
●見どころ
・黒染めするポアロ
・薄毛を気にするヘイスティングズ
・おぞましい裏声で歌うポアロ
●名言
「隠しごとのある人間にとって会話ほど危険なものはないんです!」 -
Posted by ブクログ
『アルジャーノンに花束を』が良かったので。
私のビリー・ミリガンに関する知識は、多重人格の犯罪者、といったものだった。実際読むまではその”犯罪”は殺人だと思っていた(なぜだ)。
多重人格という題材はある意味アイキャッチーで、興味本位で書かれたものには食指が働かず、よって本書にも手が伸びなかった。
ノンフィクションというのもためらった理由の一つだったのだが(現実は救いがないからだ)、本書はまるで小説のようだった。
一気に読んだ。
まずはダニエル・キイスは誠実に描こうとしており、私の勝手な先入観とは全く異なり、決して興味本位の本ではなかった。
執筆のきっかけはビリー本人によるものであり、ビリーが純粋に虐待や多重人格について世間に知らせたいと願ったからであった。担当医からの紹介の通り、キイスはその期待を全うしたと感じる。
先に”小説のようだ”と書いたが、これはキイスの読みやすさを意図しての手法か、あるいは作家故にこのような表現になったのだろうか。いずれにせよ私にとっては読みやすさの助けになり、良い効果が得られた。
構成も(あくまで上巻読後時点)、まずは注目の発端となった事件から始まり、理解が進み、クライマックスのような”教師”の登場、そして過去を語る、という、読者を飽きさせないものとなっている。
ノンフィクションだからと言って事実を淡々と描かなければということはなく、周知を目的としているのならば、読者を飽きさせない方法を取ることは賢明である。そういう意味でもうまく書かれているなあ、という感想。
表現としては”時間を奪う”がいい。
比喩ではなく、本人の実際の感覚なのだとは思うけれど。
ここからは作品自体からは離れてしまうが、多重人格について、個人的な考察。
統合されると能力が均されるというのが興味深い。人というものは、やはり伸ばそうとすると、様々な能力をある程度かなり高いレベルにまで発達させることができるのかもしれない。ただ機会や興味がないだけで。もちろんビリーが元々様々な能力の素質があるのかもしれないけれど。
また別人格は自分を守るために出てくるのだと思うが、根底にあるものは自分なのだろうか。
興味本位な本は食指が、とは書いたが、やはり興味深い症例であることは否めない。
下巻に期待。